「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

しばらく旅にでも…

2017-12-02 | 雑記
来週は月曜日にボスと研究ミーティングを行ってから北アイルランドがんセンターで福島原発被災地に関する研究の講演を行い、火曜日に一時帰国してすぐに神戸に飛び、学会で研究発表2件を行う予定です。今は日本に帰る前のプレゼン準備を焦りながら片付けています。再来週も実験や打ち合わせなどの予定が詰まっており、その次の週にはここBelfastでの実験を再開することになっています。
「貧乏暇なし」というか、本当に研究中心の生活であり、心にゆとりなんてありません。もちろん、臨床やっている同級生たちに比べたら、はるかに自由な時間がある方だろうとは判ってはいるのですが。
とはいえ、年末年始はここで実験、論文執筆・修正、幾つかの申請書を書くだけですから、その頃にはもうすこし心に余裕があるというか、久しぶりにゆっくり出来るのではないかと期待しています。
ちょっと時間が出来たらどうしようか……。
そう考えて、このアイルランド島をすこし旅してみようかなと思いました。

実は、北アイルランドはウィリアム・ウィリス医師 Dr. William Willis の母国なのですね。
ウィリスのことをご存知の方はほとんどいらっしゃらないだろうとは思いますが、彼は近代医学を明治日本に持ち込む上で、重要な役目を果たした人物の1人です。私生活は色々とアレだったようですが、いわゆるお雇い外国人として、日本の医学の発展に大きく貢献しました。幕末から横浜で活躍し、明治維新の際に我が国の方針として英国医学よりも独逸医学を採り入れることにしたため、ウィリスは医学校兼大病院(現在の東京大学医学部)から鹿児島医学校兼病院(現在の鹿児島大学医学部)に移ることになりましたが、その地でも高木兼寛(東京慈恵会医科大学の創設者)などに西洋医学と英語を指導しました。
すこし脱線しますが、我が国の医学は明治初期に欧米列強から多くを輸入する形となり、大きく分けて独逸学派(東大など)と英米学派がありました。前者はどちらかというと学究的であったのに対し、後者は臨床的な実学を重視したという特徴があります。現在ではそのような学派の垣根は消滅しつつありますが、とくに外科系などではすこし残っているところが今でもあるように感じます(縫合とか術式などに)。私も母校ではない医学部附属病院に勤務していた時、いわゆる英米派と独逸派の違いを色々と感じて、当時はすこし驚いたのでした。私の母校附属病院はかつて「東洋一の西洋式病院」として知られ、歴代の病院長には英国人医師もいるような場所でしたので、だいぶ英米学派のスタンスに近い教育を受けてきたのだろうと今になって思います。横浜における近代医学の創始者というとジェームス・カーティス・ヘボン医師 Dr. James Curtis Hepburnなどの名前が挙がりますが、やはりウィリスも一つの源流と言えるでしょう。
ということで、ウィリスの故郷を訪ねてみたいというのは以前からずっと思っていました。日本の近代医学の源流の一つが北アイルランドにあるというのは、偶然とはいえ、歴史好きの血が騒ぎますから。他にもDublinなどアイルランドの観光名所を見てみようかなと。

留学はまだまだ続きますが、研究するだけでなくあちこちを見て回ってみるのもいいかもしれないと最近思うようになったのは、すこし疲れている面もあるのかもしれません。放射線研究を急がなくてはならないということは理解しているのですが。
現在までに私たちが研究して得ている結果は、福島原発被災地などで低線量放射線被ばく影響を心配している方々にとって、すこし安心して頂ける材料になるのではないかと思います。もちろん、まだまだ検証しなければならないことは多いのですが、多くの共同研究者の先生方のご厚意とご尽力もあって私がここまで積み上げてきたデータは出来るだけ早く論文にまとめて発表したい。そして、被災地の方々に知って頂きたい。そのためには私がボロボロになっても構わないと思って、臨床から離れて独りで英国の片隅まで来て、これまでもなんとか気持ちを奮い立たせて頑張ってきたつもりです。
しかし、最近、なんというか、色々と心が疲れているのかもしれません。ちょっと、気力がもたないというか……。弱音や愚痴など色々とため込んでいて、精神的に荒れ気味です。すみません。