「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

パブロフの犬とノーベル賞

2018-02-27 | 雑記
今日2月27日は、イワン・パブロフ医師 Ivan Petrovich Pavlov が亡くなった日です。
条件反射で有名な「パブロフの犬」の実験で知られる、ロシアが誇る偉大な生理学者です。もともとは外科医をしていましたが、その後に消化腺に関する研究で高名になり、1904年のノーベル生理学・医学賞を消化生理学に関する業績で受賞しています。古典的な条件付けである「パブロフの犬」研究は1902年に発表され、生理学から心理学などの幅広い分野に今も大きな影響を及ぼしています。これらの業績からすれば、はっきり言って、19世紀から20世紀にかけての偉人の一人と言っても良いのではないかと思います。

さて、このパブロフ医師ですが、実は我が国の2つの有名な医学部がかつて彼に多大なご迷惑をおかけしたことがあります。
ノーベル生理学・医学賞を巡って、東京大学医学部と慶應義塾大学医学部が推薦合戦(しかも自薦)を繰り広げた事件です。もちろん、両医学部ともノーベル賞が受賞出来ませんでしたが、ノーベル財団は(もしかしたらある種の悪意さえ込めて)当時の候補者推薦状況を公式HPを通じて公開しています。

The Nobel Foundation
https://www.nobelprize.org/nobel_organizations/nobelfoundation/

以前にも当ブログですこし採り上げたことがありますが、Ken Kuré (University of Tokyo) 呉建 東大教授に東大系教授たちの推薦が数十件集中し、一方で Genichi M Kato (Keio University) 加藤元一 慶大教授に対する慶大学系教授たちの推薦が数十件集中した「1935年推薦合戦」は、間違いなく、両医学部だけでなく我が国の医学界における黒歴史といえるでしょう。はっきり言って、アホすぎですから。
詳細は省きますが、自分の所属する学閥の教授にノーベル賞を(相手陣営よりも先に)取らせたいという凄まじいほどのロビー活動は、当時も今も世界に類を見ないレベルでの、とても醜い争いでした。「学術賞・表彰」の意味というものを完全にはき違えた、そして行き過ぎた学閥対立が、ノーベル賞の長い歴史においても空前絶後の事態につながったのではないかと思います。あの世でノーベルもさぞかしびっくりしたことでしょう。

以降、もしかするとノーベル財団を怒らせてしまったのでしょうか。ノーベル賞級の業績を残した医師・医学者は日本からも少なからず輩出されましたが、京都大学の山中伸弥教授が2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞されるまで、日本人医師が受賞することはありませんでした。そして、両医学部関係者からは現在に至るまでノーベル賞受賞者が輩出されていません。

この時、晩年を迎えていたパブロフ博士は、日本の医学者たちからの要請に応えて、呉、加藤両教授を推薦しています。ノーベル生理学・医学賞受賞者であった彼は、おそらくですが、ノーベル財団への有力な推薦資格者だったのを利用されたのでしょう。当時、呉、加藤両教授をノーベル賞に推薦した外国人は彼だけでした。そして良くも悪くも、「あのパブロフが推薦してくれた」ということで、推薦競争に火がついた可能性もあります。

「パブロフの犬」の話は非常に有名ですから、おそらく、多くの方が一度は聞いたことがあるのではないかと思われます。色々と示唆に富む実験であり、科学の面白さを伝えてくれるような内容ですね。
しかし、私はその話を聞く度に、パブロフ先生に対してなんとなく申し訳ないような複雑な気持ちになるのです……


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