今の場所に家を建て
引っ越してきたのが
息子 幼稚園年中のとき
その時 ご近所に挨拶に行くときに
粗品と 息子便りを作り 一緒に渡しました
これが 息子便り第1号です
挨拶だけでは 簡単に終わてしまうところも
お便りなら あとで読み返してくれるかもしれないという 期待がありました
良き理解者のご近所さんのおかげで
今も 楽しく暮らせているんだと思います
前回の記事で紹介した
地域交流と 息子便りのお話を一つ
地域交流に 初めて行ったのは
1年生の三学期
今は 中学2年生になった子供たちが
ほんとに小さくて 可愛くて ピカピカの1年生だったときです
歌のプレゼントをしてくれました
その時の歌声に ウルウルしたのを今でも覚えています 子供の歌声って凄い力ですよね
交流が終わり 帰るときに みんなが息子と握手をしてくれました
そのとき 子供たちが 息子に声をかけてくれるのですが
息子は 無視・・・です
握手も 途中で嫌がり出したし・・・
これでは みんなが 嫌な気分になるんじゃないか・・・
悲しい気持ちになるんじゃないか・・・と
お便りを発行したのでした
子供にも分かるように
短く 簡単にまとめました
その内容です
○○だより
○○小学校 △△学級の (息子の名前)です
息子は ハンディキャップをもって 生まれてきました。
からだも大きいし 元気だし たくさん声もだすし 耳も聞こえています。
でも お話しすることが まだできません。
みんなの言ってることが 少ししかわかりません。
あいさつをしても 気づかずに 通りすぎることもあります。
でも わざとじゃないので ゆっくり みじかい言葉で 話しかけてみてください。
□□小学校のみなさんと お友だちになりたくて △△学級から 交流にきました。
これから よろしくお願いします
あえて ハンディキャップと言う言葉を使わせてもらいました
きっと 分からない子は 先生に聞くだろうし
お家の人に聞くだろうし
その説明は 先生や保護者の方にお任せしました
感じ方や考え方は みなさんそれぞれだと思うし・・・
隠そうとも思いませんでした
「うちの子 視力が悪いから コンタクトしてるの」
例えが イマイチかもしれませんが そんな感じです
ハンディ込みでの息子です
2回目の交流から
子供たちが 息子と挨拶をする時に ハイタッチをしてくれました
これなら息子も出来ます きっと考えてくれたのでしょうね
みんなと息子との挨拶が その時から ハイタッチとなりました
1年生の3学期から
5年生の3学期まで 学期に1度の交流
授業時間の交流は 勉強の妨げになってしまうので
20分休みに交流させてもらっていました
貴重な20分休みを
色んな企画を考えて迎えてくれた同級生と先生
そして地域交流を快く受け入れて下さった学校に
感謝の5年間でした
お便りには
息子の不思議なエピソードを必ず1つ 書いていたと思います
5年生の最後に出した 息子便りには
保護者の方にも メッセージを書いています
一部ご紹介
保護者の皆様へ
ずっと待ち望んでいた支援学級が 開設され
息子も4月から こちらの小学校に
通学することとなりました
卒業まで あと1年で
変化に弱い息子を転校させるのは 勇気のいる選択でした
「地域の中で育てたい・・・」
その気持ちの方が 強かったのです
息子の障害の重さを受け入れた時
必要なのは 訓練よりも地域の支えだと思いました
特別なことは必要いりません
どうか 彼の行動を見守ってください・・・
4月から どうぞよろしくお願いいたします
そして 6年生からは
その学校の児童
そして 年に3回の交流から
毎日 朝の会の交流へとかわりました
地域の小学校で卒業し
みんなと同じ 地域の中学校へ
特別支援学級へ入学します
遊びに来てくれてありがとう
賛否両論あると思いますが
私たちは そんな風に暮らして来ました
次回は 中学校の支援級開設の時のお話
もう少し お付き合いください
チームAに頑張れクリック!今日もお願いします
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引っ越してきたのが
息子 幼稚園年中のとき
その時 ご近所に挨拶に行くときに
粗品と 息子便りを作り 一緒に渡しました
これが 息子便り第1号です
挨拶だけでは 簡単に終わてしまうところも
お便りなら あとで読み返してくれるかもしれないという 期待がありました
良き理解者のご近所さんのおかげで
今も 楽しく暮らせているんだと思います
前回の記事で紹介した
地域交流と 息子便りのお話を一つ
地域交流に 初めて行ったのは
1年生の三学期
今は 中学2年生になった子供たちが
ほんとに小さくて 可愛くて ピカピカの1年生だったときです
歌のプレゼントをしてくれました
その時の歌声に ウルウルしたのを今でも覚えています 子供の歌声って凄い力ですよね
交流が終わり 帰るときに みんなが息子と握手をしてくれました
そのとき 子供たちが 息子に声をかけてくれるのですが
息子は 無視・・・です
握手も 途中で嫌がり出したし・・・
これでは みんなが 嫌な気分になるんじゃないか・・・
悲しい気持ちになるんじゃないか・・・と
お便りを発行したのでした
子供にも分かるように
短く 簡単にまとめました
その内容です
○○だより
○○小学校 △△学級の (息子の名前)です
息子は ハンディキャップをもって 生まれてきました。
からだも大きいし 元気だし たくさん声もだすし 耳も聞こえています。
でも お話しすることが まだできません。
みんなの言ってることが 少ししかわかりません。
あいさつをしても 気づかずに 通りすぎることもあります。
でも わざとじゃないので ゆっくり みじかい言葉で 話しかけてみてください。
□□小学校のみなさんと お友だちになりたくて △△学級から 交流にきました。
これから よろしくお願いします
あえて ハンディキャップと言う言葉を使わせてもらいました
きっと 分からない子は 先生に聞くだろうし
お家の人に聞くだろうし
その説明は 先生や保護者の方にお任せしました
感じ方や考え方は みなさんそれぞれだと思うし・・・
隠そうとも思いませんでした
「うちの子 視力が悪いから コンタクトしてるの」
例えが イマイチかもしれませんが そんな感じです
ハンディ込みでの息子です
2回目の交流から
子供たちが 息子と挨拶をする時に ハイタッチをしてくれました
これなら息子も出来ます きっと考えてくれたのでしょうね
みんなと息子との挨拶が その時から ハイタッチとなりました
1年生の3学期から
5年生の3学期まで 学期に1度の交流
授業時間の交流は 勉強の妨げになってしまうので
20分休みに交流させてもらっていました
貴重な20分休みを
色んな企画を考えて迎えてくれた同級生と先生
そして地域交流を快く受け入れて下さった学校に
感謝の5年間でした
お便りには
息子の不思議なエピソードを必ず1つ 書いていたと思います
5年生の最後に出した 息子便りには
保護者の方にも メッセージを書いています
一部ご紹介
保護者の皆様へ
ずっと待ち望んでいた支援学級が 開設され
息子も4月から こちらの小学校に
通学することとなりました
卒業まで あと1年で
変化に弱い息子を転校させるのは 勇気のいる選択でした
「地域の中で育てたい・・・」
その気持ちの方が 強かったのです
息子の障害の重さを受け入れた時
必要なのは 訓練よりも地域の支えだと思いました
特別なことは必要いりません
どうか 彼の行動を見守ってください・・・
4月から どうぞよろしくお願いいたします
そして 6年生からは
その学校の児童
そして 年に3回の交流から
毎日 朝の会の交流へとかわりました
地域の小学校で卒業し
みんなと同じ 地域の中学校へ
特別支援学級へ入学します
遊びに来てくれてありがとう
賛否両論あると思いますが
私たちは そんな風に暮らして来ました
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