大学生の世界横断!!若者が行くバックパッカーの旅!

この世で何ができるか
そんなことを本気で考え旅へ
基本陸路だけで駆け抜けます!

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『ハンガリーの可愛いお土産と素晴らしき夜景、そしてユダヤ人の迫害について』

2012-11-10 05:05:12 | 東ヨーロッパ

「ブダペストって昔はブダとペストって街だったんだって」

 

「へ~それって、クワバタオハラとかウッチャンナンチャンみたいなもの?」

 

「・・・・・・・まぁそんなとこじゃね」

 

現在24か国目!!

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深夜2:00の列車に乗りザルツブルグを出発!!
今回は人も少なかったので6席の部屋を一人3席使い、寝袋を敷いて就寝します
しかし、暖房が壊れていてかなり寒かったです(>_<)

そして――朝8時近くにブダペストへ到着

  

ケンシロウ眠そう……まぁ昨日の夜盗みに遭いそうになって眠れなかったのかもしれませんね。

というのも!!私たちが寝ていたら夜中におっさんが入ってきて、ケンシロウの鞄を開けようとしたらしいのです!!
私は戸棚の上にあげていたので気づかれなかったのですが、ケンシロウは下に置いていたため標的になったのでしょう。
ケンシロウは異変に気づき「ん?」と起きた時には逃げて行ったらしいです。

何も盗まれなかったのが幸いですが、こういうことがあると怖いですね……
しかも、ケンシロウさん前の夜行でも開けられそうになったみたい――

こういうことがあるから夜行は気をつけないと\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

そんなこともありつつも無事に到着したのがハンガリーブダペスト

ハンガリーはヨーロッパに投げられたアジアの石といわれ、ヨーロッパ諸国で唯一アジア系民族の国です。現在では混血が進み進容貌からアジアを連想することは難しいが、名字が名前の前にくるなど日本人との共通点も多い民族なのです。
プスタと呼ばれる大平原、情熱的な民族舞踊、パプリカを使うスパイシーな料理、そしてドナウ川の自然といった独自の魅力に加え、ルイ14世を唸らせた極上のワイン、全国に湧き出る薬効あらたかな温泉、成熟した文化を堪能できる音楽会といった多彩な魅力を持っている国なのです。

まぁまずはいつも通り宿へメトロに乗って向かいます

んーこれがハンガリーのポスターか(笑)


先鋭的ですなぁ(^_^;)
さて、まずは聖イシュトバーン大聖堂

2本の塔とドームが印象に残る聖堂です。ドームは直径22m、高さ96mで大聖堂の収容人数は8500人にも入るそうです。

名前の由来となった聖イシュトヴァーンは初代ハンガリー王で、ハンガリーにキリスト教を取り入れました。ここはその聖イシュトバーンの右手のミイラが保管されています。

ベストショット

さてそこからZsilinszky通りを南下し、

  

デアーク広場を通ってシナゴーク

ここはドハーニ街シナゴーグ。第一次世界大戦の戦前ユダヤ人の多くがこのドハーニ街シナゴーグを中心とする中央部第7区に住んでいました。このドハーニ街シナゴーグはヨーロッパで最大、世界でもニューヨークのテンプル・エマニュエルに次いで大きく現在も活動しているシナゴーグです。
ここは改革派ですが、この近くには正教徒のシナゴーグもあり、黒装束に身を包んだ人たちの姿を目にします。ドハーニ・シナゴーグに併設するユダヤ博物館ではブダペストにおけるローマ時代からのユダヤ教徒の生活・歴史・芸術・宗教に関する展示などを行っています。

ユダヤを象徴する紋章があちらこちらにあります
そして、ここにはユダヤの宗教に関する展示

のほか、ホロコーストの様子もあります。

なぜハンガリーで思われる方も少なくはないかと思いますが、ハンガリーもユダヤ人を迫害し虐殺した国でもあるのです。

それは昔からで――


ユダヤ人に対するしめつけはハンガリーではナチス占領のはるか前、1920年にユダヤ人がつける職業を制限すること、財産を没収することができるなどの反ユダヤ法の制定ではじまっていました。独ソ戦が始まると、ハンガリーも枢軸国の一員としてソ連に宣戦布告しますが、枢軸国が劣勢となった戦争末期の 1944年にドイツとの断交で連合国への寝返りを企てます。しかしその試みは失敗し、その後、ハンガリーは親ドイツの矢十字党がクーデターによって権力を握ったことで迫害はより熾烈となります。矢十字党は一時毎晩 560人のユダヤ人をドナウ川に投げ込んで溺死させた(総勢5千人)といわれています。
また、1944年3月ナチスに占領されると、 ハンガリー政府はすぐ各地にゲットーを作った他、5月から7月まで約2ヶ月の間に国全体で約43万人のユダヤ人をアウシュヴィッツ/ビルケナウ絶滅収容所へ送りました。ユダヤ人の他にはジプシーの人たちも大多数が殺害されています。

このようにハンガリーは歴史的に暗い過去を持っています

ここはユダヤ人スポーツ選手を紹介したスペース。しかし、栄光をたたえるだけではないのです、

例えばフェンシングのアダム選手、フェンシングで花を咲かせるためにカトリック教徒に改宗します。彼はオリンピックで金メダルをとり国民の英雄になりますが、最後には強制収容所に送られ撲殺されてしまいます。
また父親を目の前で殺されたその息子(イヴァン)は戦後警察官になってファシスト狩りに参加しその後は共産党員になりますが、またしてもハンガリーに台頭した反ユダヤ主義で心ならずもアウシュヴィッツ強制 収容所の生存者だったかつてのボスを死に追いやることになってしまいます。
このようにユダヤ人というだけで過酷な人生を送ることになってしまっていたんですね。

これは虐殺されたユダヤ人を埋葬したお墓です。ここに何百という死体が運ばれてきていたのだから、恐ろしい。

これは1991年、シナゴーグの裏にあるホロコースト記念碑


金属製の柳の木のような碑には、ホロコーストで死亡した人たちの名前がそれぞれの「葉」に刻み込まれています。この彫刻は逆さに見るとユダヤ教の燭台、メノラを形どっているとか。

これは2つめのホロコースト記念碑

石碑にはラウル・ワレンバーグをはじめブダベストのユダヤ人をホロコーストから救った人たちの名前が刻まれています。このような人たちが多くいれば、

いや大多数を占めていればこのようなことは起こらなかったのだろうと思います

1944年10月19日ワシントン発行の『戦略情報局(OSS)レポート』と称する報告書には、次のように記載されています。
「……ハンガリー一般民衆のユダヤ輸送に対する反応は、尋常一様のものではない、という以外に言いようがない。ハンガリーのインテリや中産階級はナチスの反ユダヤ宣伝に完全に染まってしまっているようだ。この国のジャーナリズムの伝えるところでは、大多数の住民がユダヤ追跡、検挙に進んで協力を申し出、その熱意には政府も顔負けしたほどだといいます。
また、確かな筋からの報告によれば、ハンガリーの憲兵達のユダヤ摘発と迫害のやり方は、ナチスのゲシュタポの比ではないという。更にナジヴァラドに於ては、2000人のキリスト教徒がユダヤ人たちの残していった財産を横領し、そのかどでいま訊問を受けているという。……ユダヤ人迫害政策に対する抗議といったものは、どこにも見当たらない……」

ユダヤ人のことについてはアウシュビッツにて深く考察しますが、この大規模な差別と迫害は私たちがあまり知らないだけで欧州だけでなく多くの国で起こっていたことです。
扇動された人種差別というものが、いかに人を狂気に陥れる恐ろしいものか
また人の心の排他主義的な心とエゴイズム(利己主義)がどのようなことを引き起こすのか、それを悲痛なほど感じることのできる場所でした。

さて、まじめな考えるべきことはアウシュビッツまでとっておくとして、また街歩き
国立博物館などを素通りして、歩いていると……

  

見つけたのが、これ!!

なんか凄く混んでる!!みんな美味しそうに食べてるなぁ

ここはLEVESと言って、今ブダペストで有名なお店らしいです!!

食べ物をスープ状にまで溶かして、チーズを入れて飲む一品
高級レストランで出るほど上品な味に、コクがある
美味しすぎる!!300円くらいやし、こりゃ売れるわ!!
中央市場の近くにあるのでブダペストに来た際には、ぜひ食べてみてください!!

ということでお腹も心も満たされつつ、中央市場

ハンガリーのあらゆる食材とお土産屋が集まる市場で、ブダペスト最大!!

名産のパプリカからフォアグラの缶詰まで何でもそろいます

民芸屋の笑顔が可愛いお婆ちゃん!!本当になんか買っていきたくなりました^^

なんか実家のお婆ちゃん思い出して……心がほっこりして泣きそうになったのは秘密
(/_;)
さて、中国なみのパクリ方には驚き

ある意味デザインセンスあるなぁ(笑)
ここの最後にいい写真

観光客ではない人が民芸品を買っていくのは、まだ文化が残っている証拠なのでしょう^^
外に出て、あれが自由橋です

建国1000年を記念して造られた橋です。着工の際、フランツ・ヨーゼフ皇帝がリベットを打つハンマーのボタンを押したことからフランツ・ヨーゼフ橋と名付けられたが、残念なことに人気のなさから戦後自由橋に改名されてしまったそうだ。
その橋が見えるゲッレールトの丘の上から撮影

ここはドナウ川岸にそそり立つ標高235mの岩山です。なので急な斜面!!頑張って登ると

夕焼けが綺麗だなぁ
ちなみにこのゲッレールトという名は、ハンガリーの初代国王イシュトヴァーン一世によってイタリアから招かれた伝道師なのだが、1046年の異教徒暴徒によって手押し車にはりつけにされ、この丘のてっぺんから突き落とされて殉教したことからこの名が残っているそうです。
さて、中世にはここでワインを造っていたのですが、丘に住む魔女が夜な夜な人家を襲ってワインを巻き上げて行ったという言い伝えがあります。

こんな魔女だったのか(笑)
「ワインをよこせ~」みたいな
この子の方が現代の魔女っぽかった

あそこで何してるんだろう……
その傍から撮影

これを彼女は見ていたらしい……きれいだなぁ

ブダペストは「ドナウのバラ」と称されるのですが、その意味が分かった気がします。

そういえばこの町はもともとふたつの異なる町。政治的中心地のブダ、商業地として発展した平坦な土地のペストが一緒になって生まれたのがブダペスト。なんかその間をドナウ川がゆっくりと流れている光景は素敵な心落ち着くハーモニーを聴いているようでした。

丘から下に降りて有名なくさり橋

これは最初にブダとペストを結んだ橋です。それまでは渡し船で行き来してましたが、両氏の統合を願う貴族政治家セーチェニ公の尽力で1849年に架けられました
そこで撮ったなんかお洒落な一枚

さて最後に最初の聖イシュトバーン大聖堂を訪れてブダペスト一日目は終了

ブダペストは思ったよりも街が楽しく、また美しいところでした!!
また明日もブダペストを観光しようと思います!!

『ブダペストのランドマーク マーチャーシュ教会と地元に愛される公園!!』

 

 

≪ブダペストの安宿≫
『The Groove』

address:The Szent István krt 16., Budapest

8人ドミ6€,6人ドミ9€

wifi(速),laundry service,ホットシャワー,タオル・シーツ付,キッチンあり,レンタサイクル,無料PC

行き方:私は「Budapest elleli pu.」についた場合でしたが、メトロに乗ればどこからでも行けます。メトロの駅は「Kossuth Lajos」でそこから国会議事堂を左手に見ながらまっすぐ進み、大通りを渡り、右に曲がります。ヴィーグシーンハーズという小さい劇場があるので、その右横です
ちなみに「Budapest Nyugati pu.」からは徒歩で行けます。南へちょっと降りて西北へ大通りを歩けば7,8分ほど

  

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現在

『ルート66を走り アメリカ大陸を一緒に横断する旅仲間を募集しています!!』

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