輿論調査によると自民党の再生を希望する国民が7割を超えるとのこと。日本人は敗者にやさしい。
二大政党制が成り立つためには自民党がなくなっては困るということだろう。だが私はそうした考えに同意できない。二大政党制が必要であるともいいことでもあるとも思わないが仮に二大政党制が必要であるとしても、今後その一翼を担うのは自民党ではないと考えている。大民主党が分裂しそれが自民党を巻き込む政界再編成に繋がり二大政党制が実現するというのが最もありそうなシナリオだと考えている。その過程で自民党は消滅することになろう。
昨日TBSテレビの報道特集で自民党再生を取り上げていたが、党改革の主体となるべき若手議員の余りの意識の低さにあきれた。彼らが言っているのは「上から目線」とか「漢字がわからない」とか「麻生批判」であって自民党の自己批判になっていない。こうした政治的IQの低い議員たちが同じく政治的IQの低い総裁を選んだのは至極当然だ。
彼らに当を得た自己批判は期待できないとなれば代って外から批判してやるのが親切かもしれない。
自民党の最大の罪は日本を「町人国家」にしたことと「大土建国家」にしたことだ。
町人国家とは何か? それは「ご政道(国際政治)のことはお侍さん(アメリカ)にまかせ、自らは金儲けに専念しよう」とするものである。この路線を最初に敷いた吉田茂は、敗戦後国力が脆弱であって自前の軍隊をもてないので一時の便法だと考えていたが、その後継者はすっかり習い性となってしまった。吉田の場合もう一つ旧軍人の復活への警戒心もあった。
日本がアメリカ国債を大量に保有していることは江戸時代に多かった大商人の「大名貸し」をほうふつさせる。大名が借金を踏み倒したお陰で破産した商人も多かった。
「大土建国家」にしたことの意味はこれまでも度々取り上げたので詳しくは述べない。ただ戦後公共事業は「景気対策」とか「国土の均衡ある発展」とかもっともらしい口実を見つけただけに始末が悪い。農林省など予算を増やす理由に事欠き、道路、ダム建設など第二建設省になった。
自民党議員の最大の欠点は、政治家の役割を選挙区乃至支持団体のため利益誘導するのが自分の使命と心得ていることだ。彼らがやっているのは予算を握る役所と選挙区乃至支持団体との間を斡旋するロビー活動であって、政治家の仕事ではない。
従って野党に転落した今彼らは自らのアイデンティティの喪失感にとらわれていることだろう。
彼らは個別利益を集積したものが全体の利益に合致するとは限らないことを知るべきだ。
自民党の財政も火の車になるだろう。自民党本部を売ればいい。売り家と唐様で書く三代目。
【ワシントン共同】藤崎一郎駐米大使は10日の記者会見で、米国防総省のモレル報道官が9日に海上自衛隊によるインド洋での給油活動の継続を求めたことについて「日米間は報道官を通じてやりとりする関係ではない」と述べ、不快感を表明した。報道官発言が米国による圧力と受け取られる事態を懸念したとみられる。
藤崎氏は日本のアフガニスタン支援策について「新しい政権が発足した時に日本政府として検討し協議すると思う。どういう貢献をするかを決めるのは日本だ」と述べ、日本外交の主体性を強調した。 連立政権を発足させる民主、社民、国民新3党は給油活動の根拠法が期限切れとなる来年1月で撤収する方針を口頭確認している。これに対し、モレル氏は9日の会見で「活動継続を強く促したい」などと再考を求めた。 コメント; |
作家の高橋源一郎が自民党大敗の意味についてどこかの新聞に書いていた。彼によれば今度の事態は熟年離婚であるとのこと。妻(国民)に愛想を尽かされた夫が自民党というわけ。そして民主党は二人の間の子供という構図。民主党の鳩山、小沢、岡田は元自民党である。子供だけに親のダメなところが一番わかっている。
今度の選挙結果についていろんな人が書いているが、あまりピンとこなかった。高橋の説はおもしろい。
この説によれば、民主党の大勝は親殺しであるので、親が復活することはもうない。あり得るのは遺産相続をめぐる兄弟喧嘩、つまり民主党の分裂。
今日のクオリティ埼玉に自民党のビジネスモデルというテーマで書いたが、政権党でなくなった自民党はアイデンティティの喪失感に悩まされることになるだろう。保守党と言ったって何を保守するのかさっぱりわからない。自民党は支援団体、選挙区等の個別利益しか眼中になかった。そして財政逼迫に伴い個別利益も満足させることができなくなり、国民に見捨てられた。
自民党だってこうした危機にまったく無自覚であったというわけではない。橋本首相(当時)が提唱した六つの改革がその表れであり、いわゆる小泉改革の一部はそのパクリである。
国会の最も重要な仕事は予算の議決である。ところが予算案の99.9%は役人が決めていた。自民党はその中0.1%の分配をめぐってバタバタして仕事をしている気になっていた。大臣折衝でいくら復活が認められたとか新聞が報道するけれども、実は大蔵省財務省は初めからそれを見込んでいる。復活折衝など大臣の顔を立てる儀式でしかない。
民主党政権ではこのような茶番劇とはおさらばしなければならない。予算編成権を国会が取り戻すことだ。
民主党は官僚支配の象徴である事務次官会議の廃止を謳っている。大いに結構だが、一歩進めて事務次官ポストを廃止したらどうか。
そうすれば同期で一人が次官に就任すれば他は一斉に退官する。そのためたくさんの天下りポストを必要とする。そうした構図もなくなる。
但し条件がある。大臣が実質的な人事権をもつことだ。それには少なくとも2年できれば4年任期を全うすることだ。1年で代る大臣が実質的な人事権を行使すれば混乱する。
余談
高速道路無料化の問題。東名高速など幹線を無料化することはないのだからETCを買うのは無駄にはならない。
鳩山氏の論文を丹念に読んだわけではなく、孫引きに過ぎないことを初めにお断りしておく。だが市場原理主義などというあいまいな用語は使わない方がいい。
それに汎ヨーロッパを説きEU結成に貢献したカレルギー伯のことを書き、暗に汎アジア主義を唱え、東アジア共同体にも触れているらしい。だがヨーロッパとアジアはまったく違う。
ヨーロッパにはキリスト教という共通の精神的バックボーンがある。だが東アジアに限っても果たして何があるのか? 儒教?仏教? わずかに儒教が残っているのは韓国で、わずかに仏教が残っているのは日本だろう。だが中国にはそのいずれもない。しかも政治体制も違う。だから東アジア共同体も東アジア共通通貨も考えないほうがいい。 この三カ国は同種でも同文でもない。中国は独自の漢字を作ったし韓国は漢字を放棄した。中国韓国とは距離をおいて付き合ったほうがいい。壯子にあるように「淡きこと水の如き」君子の交わりがよい。「甘きこと醴の如き」小人の交わりは永続しない。
「アジアは一つ(岡倉天心)」など幻想でしかない。現実に力を発揮したのは福沢の「脱亜論」であった。もっとも「脱亜論」の行き着いた先が「アジアは一つ」論の亜種である大東亜共栄圏であったのは歴史の皮肉であった。
それはそれとして、ドル基軸体制が揺らいでいることは世界共通の認識であって、口に出してこそ言わないが自民党の議員だってほとんどそう思っている。
講和条約調印後半世紀以上も外国軍隊が居座っているのは異常だと感じるセンスが正常だ。こんどのアメリカの無礼な反応自体、日本を独立国と見なしていないことの証左である。
GHQが鳩山さんの祖父一郎を政治的に追放した後ろめたさが今もアメリカにあるかもしれない。日ソ国交回復した鳩山一郎は当時容共派と攻撃されたが、そんなことはない。日ソ国交回復したのは四つの目的があった。国連加盟、シベリア抑留者帰還、北方漁業の安全、北方領土の回復(但し最後の北方領土問題は棚上げした)。決して容共でも親ソでもなく、ただ吉田茂が仕残したことを仕上げただけである。
首班指名
首班とは旧憲法下で首相に対して使われた言葉で「同輩中の首席」という意味。従って国務大臣を任意に任免できる今の首相に対して使うべきではない。
比例復活
小選挙区で敗れた人が比例で復活制度はおかしいという人がいる。だが復活するためには小選挙区で善戦する必要があり惨敗では復活できない。泡沫的候補者が当選することはないので問題ない考える。
むしろ問題は有権者がまったく知らないところで決まる比例単独名簿登載者のほうだろう。前回選挙では自民党には杉村某などかなりいかがわしい当選者がいた。今度の民主党の比例単独当選者はどうだろう。
秘書の再就職
2005年の選挙では多数の民主党議員の秘書が失職し、今回は多数の自民党議員秘書が失職することになる。2005年当時自民党幹事長であった武部勤氏は民主党議員の秘書であった人物の雇用を禁止した。その報復で今回は自民党議員の秘書であった人物を民主党は雇用しないという話がある。だがライバルの秘書であったものを雇用するのは次の選挙を考えた場合非常に有効であると思う。過去の行きがかりにこだわることはない。
鳩山秘書
鳩山氏の会計担当秘書が政治資金報告書の寄付偽装の責任を取らされ解任された。今度はニューヨークタイムズへの寄稿が問題になっている。鳩山さんが書いたものでなく、彼が以前書いたものから適当につまみ食いしたもののようだ。だが鳩山事務所の関与がなかったわけではない。この問題でも事務所の誰か首が飛ぶ可能性がある。周りのスタッフをもう一度点検したほうがよさそうだ。
細川連立政権とのアナロジー
細川政権の成立は自民党の分裂によるハプニングであった。この政権は八会派の寄り合い世帯で薄氷上の政権であったので短命で終わった。あの時でも自民党は圧倒的な比較第一党であった。
今度の選挙結果は多くの有権者がはっきり自民党に「ノー」と言ったのであるから革命に近い。
死票の多い小選挙区制
候補者が二人と仮定すると、51%取った候補者が当選し49%の候補者への投票は死票となる。これは小選挙区制への批判として以前からあった。それを補完するものとして比例代表制が導入された。惜敗率という制度も死票を減らすので意味はあると考える。今度の選挙では惜敗を期して戦った自民党候補者も多かった。
それにしても小選挙区制は二大政党制をもたらすより一党独裁制の成立に有利かもしれない。
来年夏の参議院選挙の結果によっては与党が衆参両院で三分の二を制する可能性があり、そうなれば憲法改正も可能となる。
落選した議員(冬柴鉄三氏)の中には「敗軍の将兵を語らず」の「兵」を「兵隊」の意味に誤解している人がいたが、これでは知性も疑われ再起はむずかしい。「兵」とは「兵法」の意味。
中川昭一氏については「もうろう会見」の映像ばっかり流されたが、実はその前に財政演説で「歳入」と「歳出」を間違えるなど20数か所訂正するという大失態を演じている。麻生さんはあそこで解任すべきであった。
民主党の大勝で政界再編成はなくなった。大船から降りる馬鹿はいない。あるのは自民党再編乃至解体だけ。
民主党は衆議院議員定数削減を唱えている。だが今回の自民党当選者の顔ぶれを見ても分るように、そうなれば地盤がしっかりした人、知名度の高いタレントに有利であり、決して全体として政治家の質が上がるわけではない。議員定数を削減すれば「悪貨が良貨を駆逐する」公算が高い。
小泉首相の秘書官であった飯島勲氏が評論家顔でこの選挙結果を語っているのは不快であった。小泉さんと飯島さんは多数の小泉チュードレンの人生を狂わせたことをどう考えているのだろう。小泉さんは「自民党もたまには下野するのもいい」と言ったが、「下野する」とは大勢の議員が落選することを意味する。小泉さんは息子さえ当選すればあとはどうでもいいといわんばかりだ。
当落報道でミスが目立った。これは早さを競うあまり出口調査に頼り過ぎたからである。出口調査の精度はさほどでもない。答えない人もいるし正直に答えるとは限らないからである。
自民党はメディアへの怨みつらみを語っているが、私から見ればメディアは自民党に十分やさしかった。
特別国会の首相指名選挙で自民党は首相候補として誰を挙げるかもめている。今更麻生さんと書く気にはなれないだろうから、一人一人が自分の名前を書けばいい。
16年前の細川政権誕生とのアナロジーをいう人がいる。だがあれとはまったく違う。あの時自民党は比較第一党であり強大な野党であった。一方連立政権は同床異夢の寄り合い所帯でありその結束ははなはだもろかった。
自民党は四年前大勝したため「これでいいのだ」と思い込んで改革を怠った。罪作りな小泉さん。
自民党の議員諸侯は「先憂後楽」という成語をごぞんじだろうか。為政者たるものは民に先んじて国難を憂い、個人的な楽しみは民より後にすべきだという意味。岡山や小石川後楽園の名はここに由来する。愛人との逢引にJRの無料パスを利用した議員やG7にかこつけて観光とワインを飲むためローマに行った財務大臣とは対極に位置する。そういえばお二人とも麻生さんの盟友でしたね。
明日はいよいよ総選挙。旅先から帰ったばかりだが、思いつくままに書いてみる。
整理が不十分であるのは容赦されたい。
今度の選挙はマニフェスト選挙であるという人がある。そうではない。4年間の自公政権の実績を裁く選挙である。
今の閣議のあり方は変えなければならない。今の閣議に列する大臣は各省庁を代表している。そのため常にその省庁の利益代表としてふるまう傾向があり長期的な国家的視点に欠ける。
自公政権の経済財政諮問会議、今民主党が構想している国家戦略会議のこと。こうした構想が出てくるのは本来の政府の最高機関であるべき閣議が機能していなからである。そうした令外の官を設けるより閣議を有効に機能させるのが筋だろう。そのために各省庁の代表ではなく、特定省庁を代表しない無任所の国務大臣で閣議を構成し国政全般を自由に論じる場とすべきだ。
上のことと関連するが、各省庁各部局毎に積み上げる予算編成方式を変えなければならない。今のやり方だと国営マンガ喫茶のようなナンセンスな事業が実現しかねない。先ず政治が大きな優先順位を設定して予算の枠組みを作り、それを各省庁に割り振る、適当な担当部局がなければ新設すればいい。
そうするとものすごく忙しい部局とヒマな部局が出現する。各省庁各部局の枠を超えて人事異動できるようにしたらいい。
公務員数削減論は俗耳に入り易いが、削減することが重要ではない。仕事量と人数の均衡を保つことが重要だ。警察、教育等不足している分野もある。
国会改革。予算委員会と決算委員会ではどんな問題を取り上げてもいいという国会の悪しき慣行を止めるべきだ。肝心の予算そっちので大臣の金銭スキャンダルを取り上げるは政治的エネルギーの浪費である。予算委員会で全閣僚の出席を求めるのも馬鹿げている。
各省事務次官会議を廃止すべきことは以前述べた。その関連で各省事務次官の定例記者会見も廃止すべきだ。彼らの記者会見を聞いていると「大臣なんて飾りに過ぎず何の実権もない、国政を動かしているのは私たち官僚ですよ」と暗に言っている。実態はその通りかもしれないが、政治家は彼らに侮辱されたままでいいのか?
麻生さんが自民党に不利な輿論調査を見て「わかっていない国民が多い」と愚痴ったそうである。麻生さんに言いたい。では「4年前に自民党を大勝させた国民はわかっていたのですか?」と。4年前の国民はわかっていたが現在の国民はわかっていないとの論は成りたち難い。「4年前の国民も現在の国民もわかっていない」又は「4年前の国民も現在の国民もわかっている」と考えた方が自然ではありませんか?
与謝野さんが「民主党が大勝すれば独裁政治になる」と言ったそうだ。独裁政治大いに結構。話し合いや全会一致主義では何も決まらない。独裁政治と称するかどうかはともかく強い権力でなければ改革などできるものではない。
小沢さんが日米FTAに反対する農協中央会を「無視していい」と発言したのは理に適っている。改革とは既得権の享受者を敵にまわすことだからである。敵の攻撃にひるむようでは改革を口にする資格はない。
幸福実現党の誰かさんが小池百合子さんの応援演説の中で「特殊部隊で金正日をさらって東京で裁判にかける」と言ったそうだ。気持ちはわかるが、ハリウッド映画の見過ぎじゃないか。
選挙の公示後政党のホームページの更新は認められない。その理由は公職選挙法142条が規定する「文書図画の配布」に当るから。なんでこんな時代遅れの規制がまかり通っているかというとパソコンに弱い自民党のご老体議員が法改正に反対するから。そんなアナクロのご老体には政界からお引き取りねがったほうがいい。石川県辺りにも鎮座しておられる。
そもそも公職選挙法が瑣末なことまで規定するのは新人の立候補をむずかしくするためと警察の仕事を増やすためである。なにせ同法は与党の現職議員が決めるから。
戸別訪問の解禁に反対するのも自民党である。自民党の選挙は業界頼みであるが、実際に動く運動員は少ないのでこれを解禁すると自党に不利だと思っている。戸別訪問を解禁すると買収等の不正の温床になるともっともらしい理由を付けているがふざけた話だ。騒音をまき散らす選挙カーの運動こそ禁止してほしい。
政権が交代すれば「戸別訪問の解禁」、「自由なネット選挙活動」等公職選挙法の大改正を手掛けてほしい。
ところで公職選挙法の改正をマニフェストに謳っている政党はあったかな。
検察の恣意的な摘発と反対党のネガティブキャンペーンを許す政治資金規正法も改正したほうがいい。そのためにどれほどの政治的なエネルギーが浪費されたことか。資金の使途に関し一円から領収書を要求するなど馬鹿げている。そのために経理担当を一人増やす必要が生じる。
但し企業献金は全面的に禁止すべきだ。そのために政党助成金を認めたのだから。
話は違うが、この期に及んで麻生政権を支持する「改革クラブ」ってなんだろう?
あえて泥船に乗ろうとは奇特なことだ。
民主党が衆議院で絶対過半数を確保したとしても参議院ではそうではないので、鳩山さんも一応社民党や国民新党との連立を言っている。
ただ衆議院自民党の惨敗結果は参議院自民党議員へも影響し、相当数が民主党への乗り換えをはかるかもしれない。寄らば大樹の陰。
政策的には国民新党や社民党との連立は民主党の政策の整合性を困難にするであろう。そのため参議院自民党の一部を取り込み連立解消を目指すかもしれない。
公明党が民主党にすり寄る可能性もある。稼ぎの悪い亭主(政権を取れない政党)と同居する意味はないというわけだ。公明党は慢性的な野党転落恐怖症に罹っている。
政策的には「みんなの党」と「新党日本(代表田中康夫氏)」との親和性は高い。田中康夫氏が仮に当選できなくても(相手は公明党の冬柴鉄三氏)彼を閣僚に起用する手はある。
管直人氏らが前から言っている事務次官会議を廃止できるかどうかが、新政権の最初の試金石となる。
注
閣議の前に事務次官会議があり、そこで合意された事項しか閣議に上程されない慣行がある。事務次官会議のメンバーはそれぞれ拒否権をもつので一人でも反対すれば決まらない。改革とは誰かの既得権を侵すことだ。一人でも反対すればやらないということは改革はやらないということだ。このことが閣議の形骸化をもたらしている。しかも各省には応援団がついている(族議員)。これも改革を阻む元凶であった。政権交代の一つの意味は既得権益に寄生する自民党の族議員がいなくなることだ。
以下拙文「日本国憲法論」から引用する
現行法のもとでは、通常閣僚は各省庁の長として、内閣に列する。ごく稀に、無任所相が置かれることがあるけれども。そのため、各大臣は広く国家的な観点から政策を論ずるよりも、自分の官庁の役人の振り付け通り、その省庁の利益代表として振舞うことが多い。
そのうえ、閣議でも、各閣僚はしっぺ返しを恐れて自分の所管事項以外について発言することはほとんどない。これでは一体何のための閣議か。
この点、明治政府初期の参議のように特定省庁にとらわれることなく(官僚制度が整っていなかったこともあるが)国政全般について発言する閣僚で政府を構成する形も考えられてよい。村山首相のときできた首相補佐官の制度もほとんど機能していない。
余談
自民党の猪口邦子氏が引退する。前回は小泉チュードレンの筆頭格で比例単独トップであったにもかかわらず、今回選挙区は決まらず比例も当選が覚束ない順位であったので立候補を断念したものである。私は学者としても政治家としても彼女を買っていないのでこの結果を惜しむものではない。彼女は専門は国際政治とのこと。日本の政治も知らない人に国際政治がわかるのかね。
もう一つ。
先日テレビを見ていたら誰かが竹中平蔵氏に「郵政民営化したのに郵貯銀行は資金運用として国債しか買ってないじゃないか」と問い詰めた。竹中氏の答え「箸の上げ下ろしまで口をはさむ総務大臣のせいだ」。これには呆れた。そんな制度を作ったのはあなた方でしょう?総務大臣のせいにしてはいけない。
ついでにもう一つ。
テレビでも雑誌でもリチャードクー氏の発言の場がほとんどなくなった。麻生人気の凋落と関係があるのだろうか。彼の財政出動一本やりの愚論を聞く機会がなくなったのは喜ばしい。
麻生人気の凋落と言えば、首相就任前麻生さんをあれほどもちあげていた福田和也が週刊文春13日20日特大号164頁で「(麻生さんは)時代の変化をつかめず旗本に抜擢されて浮かれていた近藤勇みたいに流山あたりで捕まって首を切られるようなみじめな最期になるかもしれませんね」と言っている。冷たいね。
解散の結果、当然のことながら国会は閉会となり、麻生さんのメディアでの露出が減ったためと理解している。
ところで18日いよいよ選挙公示となり選挙戦が本格的にスタートし自民党総裁としての麻生さんの露出は再び増えている。となると、後は言うまい。
これまで在外邦人は衆議院と参議院の比例代表にしか投票できなかったが、今度の衆議院選挙から小選挙区でも投票できることになった。ただ問題も多い。
小選挙区での選挙権を確定するのにかなり時間がかかること。
日本全国より広いカリフォルニアではロスアンジェルスとサンフランシスコでしか投票できないなど。在外投票だけでもインターネット投票を認めるべきだろう。
在外邦人は既に百万人を超えている。有権者数だけでも80万人は下るまい。だとすれば海外選挙区も考慮すべき時期に来ているかもしれない。つまり海外を一つの選挙区と見立てて、代表を選出できるようにするのである。