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日本の新聞の見方

時事問題の視点ー今の新聞テレビの情報には満足できない人のために

教育予算は減らしてはならない

2009-06-15 17:00:55 | 教育
 昨日、東京工業大学名誉教授の末松安晴先生の話を聞く機会があった。先生は「動的単一モードレーザー」 の研究で文化功労者を受賞された。日本人ノーベル賞候補の一人でもある。

 専門的な話は理解できなかったが最後におっしゃった話は強く印象に残っている。つまり日本の大学等高等教育への支出はGDP比で先進国中最低であるとのこと。アメリカやドイツの約半分。しかも国立大学の独立行政法人化以来一貫して減り続けている。そして義務教育費の国の支出も小泉内閣以来減り続けている。
 
 小泉さんは首相就任早々「米百俵」の話をした。賊軍として苦境にあった長岡藩家老小林虎三郎が友藩から贈られた米百俵を消費することなく学校建設(後の長岡中学)に充てた故事である。
 この故事の教訓は「たとえ財政的に苦しくとも教育費を惜しんではならない」ということのはず。ところが小泉さんのやったことはその反対であった。その小泉さんに国民は前回選挙で圧倒的支持を与えた。これぞ私がしばしば云うところの衆愚政治である。
  尚、この小林虎三郎は佐久間象山門下の逸材で同門の吉田寅次郎(松陰)とともに両虎(寅)と称えられた人。

教職員2万5000人増、「小学英語」要員など文科省原案

2008-05-23 13:45:20 | 教育
以下2008年5月23日03時06分 読売新聞 から引用

 改正教育基本法に基づき、戦後初めて策定される「教育振興基本計画」の文部科学省原案に、教職員定数の2万5000人増員が盛り込まれることが22日、明らかになった。
 2011年度から始まる小学校英語の専門教師に約2400人、理数系を中心とした少人数指導の要員に約8800人をあてるなどとしている。
 来月早々の同計画の閣議決定を目指している文科省は、この原案をもとに省庁間の調整に入るが、具体的な増員数を掲げることに財務省が強く反対しており、今後の展開が注目される。
 同計画は今年度から5年間の政府の教育施策の目標を定めたもの。中央教育審議会の先月の答申では、国の財政事情に配慮して財政上の数値目標を盛り込まなかったことから自民党文教族議員らを中心に反発が広がり、文科省は、原案に国の教育支出額の目標として「国内総生産(GDP)の5%」を掲げることに加え、新たに教職員の増員数も明記することを決めた。
 現在の教職員数は約70万人。行革推進法が10年度まで「児童生徒の減少を上回る割合での教職員の純減」を定めていることを受け、新学習指導要領が小学校で実施される11年度以降の2年間で実現することを目指す。内訳は、小学校英語の専門教師や少人数指導の要員のほか、新指導要領で授業時間が増えることに対応するため、小学校で11年度に約1万人、中学では12年度に約3300人を増やす。
 国の教育支出額は現在、GDPの3・5%の約17・2兆円。5%とした際の増額分約7兆円について、文科省は、教職員の増員など小中高校教育に約2・8兆円、大学教育に約3・5兆円を振り分けたい考え。     以上引用


コメント:世上公務員削減の声が喧しいが、逆に増やすべき職種もあるのである。警察がその一つである。最近捜査の手抜かりなど警察絡みの不祥事が多いが、過重労働がその背景にある場合が多い。
過重労働が問題となっているもう一つは教職員である。従って教職員を増やすことはいいことである。但し、その場合以下の点に留意すべきであろう。

採用ルートの多様化
  増員するにしても、新卒だけを取るのではなく採用ルートを多様化すべきだろう。今は大学卒業と同時に教職に就くのが一般的である。数学や科学を教える教員はそれでいいかもしれないが、歴史、経済、政治、法律など、教えるにはある程度社会的経験が必要な課目もある。

又、大学、研究機関等に就職できないドクター(いわゆるオーバードクター)が溢れている。たとえ彼らが教職課程を履修していなくても、小中高教員への道を拓くべきだろう。彼らは特定の分野では今の教員よりはるかに深い知識をもっているのだから。

株式、外国為替、IT等特殊な分野では、専門的な知識のある社会人を特別講師という資格で雇用し兼任を認めるのをいいかもしれない。

授業と管理的仕事の分離
授業担当とその他の管理的な仕事を分離すべし。採用段階から分けてもいいかもしれない。こうして授業に専念できる教員を増やし、授業の質を高める。

教育内容への注文
1. 歴史は近現代史を中心とすべし。
 今の歴史教育は、石器、縄文、弥生時代というふうに古い順に教えている。そして、江戸時代になるともう時間がなくなり最も重要な近現代史は駆け足で終えてしまう。その結果、「大化の改新」や聖徳太子の「十七条の憲法」は知っていても、前世紀日米が戦ったことを知らない学生が珍しくないという憂慮すべき情況がある。日本史は幕末ペリー来航あたりからやればよい。
 ただ、近現代史では左右史観の対立が大きく、しばらくは教える側が困難を感じるであろうが、これはいずれ落ち着くところに落ち着くと思っている。

2. 国語教育は論理的、明晰、簡潔を旨とすべし。
 従って、詩や小説を教材とするのは適当でない。特に志賀直哉や大江健三郎などは不適。それに教師が考えるところの名文だけを教材とする傾向が強いが、悪文も立派な教材となり得る。私だったら、わざと悪文を見せて、「あなただったらどこを直してよい文章にしますか」といった授業も取り入れたいところ。名文悪文両方見せてこそ名文の価値がわかるのである。
それに、「この時の作者の気持ちにもっとも近いものがどれか」などという書いた本人も答えに窮するような択一問題で子供たちを悩ませるべきではない。試験は誤字訂正、もしくは正しい熟語を選ばせるような答えやすくしかも採点しやすいものにすべし。
 大体、著名な作家、評論家等の文章を教材にしたがるが、少なくとも小中学校段階では国語教師が自分で教材の文章を書くべし。それができなければ国語教師を名乗る資格はないと思う。
3. 借金、割賦販売、金利などお金にまつわる問題や、社会にでればねずみ講もしくはそれに類似した商法の誘惑も待ち受けていることも教えるべし。こうした分野では世間を知らない新卒では無理。

4. 小学校での英語教育は不要 これについては今月12日の本ブログを参照していただきたい。

映画字幕で業界が四苦八苦 若者の知的レベル低下が背景か?

2008-05-12 10:39:30 | 教育
以下産経ニュース 2008.5.10 18:26 から引用
 若者の活字離れが進む中、映画会社が洋画の字幕づくりに苦慮(くりよ)している。文字数を減らすだけでなく、漢字の使用を最小限にし、極力ふりがなをふる気の遣いよう。「読み」だけでなく、中学生レベルの歴史的事実すら知らないというケースも。こうした事情を反映し、アニメだけでなく、実写映画でも吹き替え版が急増。映画業界では「若者の知的レベルがこれほど下がっているとは…」と驚いている。(岡田敏一)
 日本初の字幕映画は昭和6(1931)年公開の米作品「モロッコ」。吹き替え作業の設備などが不十分で字幕という苦肉の策をとったが、この作品の大ヒットで字幕が定着した。
 映画各社によると、戦前の字幕はスクリーンの右端にひとつのせりふで最大縦13字で3行だったが、戦後は10字2行とやや少なめに。人間が1秒に読めるのは4文字程度というのが理由だった。文字数が再び増えるのが1980年代半ば。ビデオレンタルが普及するにつれ、テレビでも見やすいように、とスクリーンの中央下に最大横13字で2行の形式が定着した。
 しかし、ここ数年、13字の字幕を読み切れないという若者が増加。映画離れを食い止めようと、製作、配給会社では苦肉の対応を余儀なくされている。字幕づくりの現場では、10字前後で区切って行数を増やしたり、漢字を省いたり…。さらに、字幕を必要としない吹き替え版へシフトする動きもある。
 東宝東和では8月から10月の3カ月間で計3本のハリウッド大作を公開するが「吹き替え版を過去最大級の手厚さで用意する」と話す。ワーナー・ブラザーズ映画も「ハリー・ポッターシリーズの場合、吹き替えが6割で字幕版を上回っている。その他の作品でも吹き替えの比率は年々高まっている」と説明する。
 字幕以前の問題も。ある映画会社の製作担当者は「スパイ系作品の試写会後『ソ連って何ですか?』、『ナチスって何ですか?』との感想が寄せられ、本当に驚いた」と打ち明ける。
 「スパイダーマン」シリーズなど計約1000本の映画の字幕づくりを担当したこの道約30年のベテラン、菊池浩司さん(60)は「知っていて当然の日本語を知らない若者が増えているようだ」と話している。  以上引用

コメント: 「ソ連」や「ナチス」を知らないのは学校で近代史を教えていないなどというレベル以前の話だろう。第一次世界大戦とロシア革命を知らなければ「大いなる幻影」「ドクトルジバゴ」「アラビアのロレンス」「レッヅ(ジョン・リードの伝記)」を理解できないし、第二次世界大戦やその後の冷戦を知らなければ「無防備都市」「史上最大の作戦」「パットン将軍」「遠すぎた橋」「バルジ大作戦」「ヒットラー最後の12日間」「カサブランカ」「第三の男」「自転車泥棒」「私は貝になりたい(テレビドラマ、戦犯をテーマとする、フランキー堺主演)」「明日への遺言(同じく戦犯をテーマとする、藤田まこと主演)」「007シリーズ」も理解できないことになる。

 最近の若者が近代史を知らないことついて一つだけ例を挙げれば、ある大学でクラスの半数が、日米が戦ったことを知らなかった。それには落ちがあって「それでどっちが勝ったんですか」という質問もあったとか。

 このニュースは映画の話だが事情は文学作品についても同じだろう。戦後の太宰治の作品すらやたら注があるのがなぜだろうと思っていたが、こうした背景があったんですね。いちいち注を見ながら小説のおもしろさを味わえるとも思えない。

 最近小学生から英語を教えようという動きがあるが、こんな基礎的知識もなしで外国人といったいどんな会話がなりたつのだろう。
小学生が学習すべき課目について藤原正彦先生いわく「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数」。アメリカ留学経験があり、英語がよくできる数学の先生がそうおっしゃっている。
 夏目漱石が英語で森鴎外がドイツ語であれほど高いレベルに達したのは元々彼らのネイティブ言語つまり日本語能力が高かったからであって、留学すれば誰でも彼らのレベルに到達できるわけではない。誤解している人が多いが、人は決して身についたネイティブ言語水準以上の外国語を習得することはできない。

 日本の国語教育について言えば詩や小説に偏りすぎていると私は思っている。国語教育の目的は詩人や作家をつくることではないはず。

千葉の県立高校、入学金未納の生徒を入学式に出席させず

2008-04-14 08:35:41 | 教育
 千葉県八千代市の県立八千代西高校(生徒339人、大迫太校長)が、8日の入学式で、入学金を持参しなかった新入生の男女生徒2人について、滞納する可能性があるとして式に出席させず、別室で待機させていたことがわかった。

 2人は同日中に入学金の全額または一部を納め、式終了後、それぞれ校長室で入学許可を言い渡された。

 須藤信夫教頭は「入学金を納めないと、県条例により入学させられず、式に出席させても入学者として名前を読み上げられない。みんなと一緒に入学させたかったが、苦渋の判断だった」としている。

 須藤教頭によると、同校は新入生159人の保護者に対し、3月上旬に郵送した文書と同月中旬に開いた入学説明会で、入学式当日に入学料5650円や教材費など計9万円を持参するよう連絡。用意できない場合は分納でも可能と説明した。

 生徒2人は別室で待機中などにそれぞれ保護者と相談。結局、男子生徒は昼ごろに9万円全額、女子生徒は夕方に2万円を、それぞれ母親が持ってくるなどして納入したという。

(2008年4月13日17時54分 読売新聞)

いくつかこのニュースから感じたこと。

一. 公立高校でも入学時に10万円近くものお金が要るとは、高過ぎないか。小泉首相は就任時の演説で「米百表」の逸話を取り上げていた。「米百表」が教えるところはたとえ貧しくとも教育費用を惜しんではならないということではなかったのか。にもかかわらず彼がやったことは義務教育費の国庫負担減など小林虎三郎の精神とはほど遠い。

二. この校長の言い分をラジオで聞いたがまるで役人の口調で、とても教育者とは思えなかった。今はこういうタイプでないと管理職になれないのか。

三. NHK13日夕方7時のニュースではトップで取り上げていたが、失当ではないか。これに限らず殺人事件をトップにもってきたりする。NHKニュースも民放のワイドショーみたい。NHKだけでは世界で何が起こっているかまるでわからない。民放ではなおさらそうである。