そうした戦前の歴史に鑑み、現憲法は首相の地位、権限を強化しようとしたが、憲法自体及び関連の法律で中途半端になってしまった。たとえば内閣法第六条「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」。
これは首相といえども、行政各部を直接指揮監督することはできないことを意味する。これは、憲法の定める内閣の「連帯責任」とも関連する。
首相に各閣僚の任免権がある以上、直接、各省の指揮監督権を認めることになんの差し障りがあろうか。閣議をひらく猶予もない、緊急非常の事態にどう対応するつもりか。
従って閣議の全会一致主義の慣行など論外であり、多数決主義すら無用であろう。閣僚間で意見が分かれたら首相が裁決し、首相一人が責任を取ればすむこと。それに従わない閣僚がいれば、罷免すればよい。
この意味で、閣僚間の意見の相違をとらえて、閣内不統一などと大騒ぎする野党やマスコミは旧憲法との相違がわかっていないのではないか。
立法論としては、首相に他の閣僚の任免権を与えたからには、行政権は合議体としての内閣ではなく、独任制の内閣総理大臣に属するとすべきだろう。その上で、国民の直接投票で選ぶことにすれば大統領制に限りなく近づく。国民が直接選ぶ大統領制は天皇制と矛盾するという小沢一郎氏の主張は理解に苦しむ。
首相と各閣僚との関係は、会社法の取締役に関する規定と比較して考えれば、現憲法の規定の不合理性がわかりやすい。 会社法では(運営実態は別として商法上は)、取締役は、等しく株主総会で選出される。したがって、取締役は連帯して、株主に対し責任を負う(会社法第266条)。社長は取締役の互選で選ばれ、取締役中の首席でしかなく、(実態は社長が決めることが多いが)商法上は社長に取締役任免権はない。旧憲法の首相と他の国務大臣との関係がこれに近い。
一方、現憲法は、国会が首相を事実上任命し、その首相が他の閣僚を任命する。したがって、首相以外の閣僚の任免は、国会の関知するところではない(衆参両院のいわゆる各大臣の問責決議は衆議院の内閣不信任決議と違って何の法的効力もない)。
首相と他の閣僚が連帯して国会に対し責任を負うとの規定(第六十六条第三項)は削除すべきだろう。 続く
これは首相といえども、行政各部を直接指揮監督することはできないことを意味する。これは、憲法の定める内閣の「連帯責任」とも関連する。
首相に各閣僚の任免権がある以上、直接、各省の指揮監督権を認めることになんの差し障りがあろうか。閣議をひらく猶予もない、緊急非常の事態にどう対応するつもりか。
従って閣議の全会一致主義の慣行など論外であり、多数決主義すら無用であろう。閣僚間で意見が分かれたら首相が裁決し、首相一人が責任を取ればすむこと。それに従わない閣僚がいれば、罷免すればよい。
この意味で、閣僚間の意見の相違をとらえて、閣内不統一などと大騒ぎする野党やマスコミは旧憲法との相違がわかっていないのではないか。
立法論としては、首相に他の閣僚の任免権を与えたからには、行政権は合議体としての内閣ではなく、独任制の内閣総理大臣に属するとすべきだろう。その上で、国民の直接投票で選ぶことにすれば大統領制に限りなく近づく。国民が直接選ぶ大統領制は天皇制と矛盾するという小沢一郎氏の主張は理解に苦しむ。
首相と各閣僚との関係は、会社法の取締役に関する規定と比較して考えれば、現憲法の規定の不合理性がわかりやすい。 会社法では(運営実態は別として商法上は)、取締役は、等しく株主総会で選出される。したがって、取締役は連帯して、株主に対し責任を負う(会社法第266条)。社長は取締役の互選で選ばれ、取締役中の首席でしかなく、(実態は社長が決めることが多いが)商法上は社長に取締役任免権はない。旧憲法の首相と他の国務大臣との関係がこれに近い。
一方、現憲法は、国会が首相を事実上任命し、その首相が他の閣僚を任命する。したがって、首相以外の閣僚の任免は、国会の関知するところではない(衆参両院のいわゆる各大臣の問責決議は衆議院の内閣不信任決議と違って何の法的効力もない)。
首相と他の閣僚が連帯して国会に対し責任を負うとの規定(第六十六条第三項)は削除すべきだろう。 続く