NYTでは署名記事が原則であるため記者一人一人に重い責任が課される。他人が、書いた本人に無断で修正することはない。
NYTでは記者がハイヤーやタクシーを使うことはない。
「フレンチ氏(NYTの東京支局長)は『朝日新聞の経営陣はなんでそろいもそろってあんなに若いんだのか?』と聞いてきた。どうやら黒塗りのハイヤーに乗って取材先に向かう記者のことを指していると気づいた筆者はこう説明した『あれは経営者ではなく記者だ』。フレンチ氏『そうか、それにしても朝日新聞の記者には金持ちが多いんだな』。フレンチ氏の勘違いはまだ解けていないようであったので再度説明した『あれは会社の車だ』。中略。フレンチ氏『あんなことで本当の取材ができるのか。あれでは一般市民の視線から乖離してしまうではないか。政治家や経営者と同じ視線に立ってしまっていったいどんな記事が書けるのだろう(97-98頁)』」
NYTなどアメリカのメディアでは新卒はほとんどいない。
「ある記者はNASAに関係している会社から、ある記者はアフリカ専門の大学教授だった。また別の記者は銀行から引き抜かれている。みんなそれぞれ専門分野があるからこそ詳しい記事が書ける。(132頁)」
日本の記者は社内或いは業界での評価ばかり気にする。これでは独立したジャーナリストとは言えず、サラリーマンと言ったほうがいい。
「彼らにとって良質な記事を書けるかどうかはさして問題ではない。問題は社内でいかにいいポジションをキープしつづけるかどうかがすべてである(65頁)」
記者クラブ制度への批判は国内だけでなく、海外からもある。例えば日本外国特派員協会FCCJ。
「FCCJは長年にわたってこうした閉鎖的な記者クラブ制度の改善を求めてきた。だがいまやそうした要望を出そうとする意欲すら消えてしまったようだ。前出の匿名の人物が語る。『もう日本の記者クラブという談合集団に貴重な時間をさいているヒマはないというのが正直なところだ。ボードメンバー(理事)もそんなにヒマではないのだ。実際日本のメディアの健全化など私たちからすればまったくどうでもいいことだ。相手にして時間を無駄にしたくない。私たちには他にも取材すべきことがたくさんあるから』(104頁)」
「(記者クラブ制度は非関税障壁として)欧州委員会でも改善決議がなんども採択されているという(106頁)」
しかもこうした事実を日本の新聞が報道することは決してない。 kisya clubは今や英語にもなっているという。それほど世界でも特異な制度であるということ。
「(安倍前首相や森首相の海外同行取材に関して)彼らにとってなにを取材するかは重要ではない。重要なのは他の記者が取材に行くかどうかということなのだ。つまり単に仲間外れにならないことだけに気を使っているに過ぎない(170‐171頁)」
「記者クラブに所属している新聞やテレビを報道機関というのはおかしい。あのような仕事は政府の広報機関と同じ役割だ。私が取材した中で思うのは日本で報道機関と言えるのは雑誌だけだろう。彼らや一部のフリーランスだけが我々と同じジャーナリストと認められる(前記のフレンチ氏の言葉、177頁)」
筆者のコメント;
日本の新聞はインテリがつくり、ヤクザが売っていると揶揄される。だが日本の新聞記者はインテリとも言えない、せいぜいインテリもどきだろう。このブログの読者ならその理由はおわかりいただけるであろう。
組織は他からの批判だけで変わることはない。変わるのはこのままでは組織が立ち行かなくなるとの危機感が生じたときだけである。 これは悪い方に変わった例だが戦前朝日新聞が軍部に批判的であったのが、親軍に変わったのは満州事変の際、「在郷軍人会」の不買運動の脅しに屈してから。
日本で公開されたかどうか知らないが、ニクソンのウォーターゲート事件をあつかったアメリカ映画「大統領の陰謀(主演:ダステン・ホフマンとロバート・レッドフォード)」をアメリカのジャーナリズムのあり方という視点から見直すのもいいかもしれない。主役の二人はワシントンポストの記者。
ちなみにNYTもワシントンポストもローカル新聞であって発行部数は前者が100万部強、後者が80万部弱。いずれも読売(1000万強)、朝日(800万強)はもとより日経(300万弱)にすらはるかに及ばない。
アメリカの全国紙はUSA Todayであるがそれでも日経の6割未満。日本の大新聞に匹敵する発行部数を誇る(?)のは世界で中国の人民日報くらいではないか。してみると発行部数と質は反比例するという定理がなりたちそうだ。少なくとも新聞の価値は発行部数ではないとは言える。こんな発行部数の多い日本の新聞に「クォリティペーパーであれ」と注文するのが無理かもしれない。
田中角栄失脚につながった立花たかしの「田中角栄研究」、児玉隆也の「淋しき越山会の女王」はいずれも文芸春秋に掲載されたもので新聞とは無縁である。蛇足だが私は立花のその後の作品はいずれもこの処女作を超えることはできなかったと思っている。特に最近彼の書くものは全く精彩がない。
前回と重複したりしてまとまりが悪くなったが、これは私の読書メモ程度と見てほしい。詳しくは同書をお読みいただきたい。
この書名だが私なら皮肉を込めて「世界に冠たるキシャクラブ」とでもするところである。この著者には「官邸崩壊」という本がありかなり売れたのでゲンをかついのだろう。