今月から、池田信夫氏が主宰する言論プラットフォーム「アゴラ」に投稿することになりましたので、そちらをご覧ください。
先週の金曜日から池田信夫先生が主宰する言論プラットフォーム「アゴラ」に投稿することになりました。今の所記事は以下の二件です。今後は不定期ですが、恐らく週2~3回のペースになると思いますで、そちらをご覧ください。テーマは多岐にわたることになります。
日本は中国共産党の全国制覇に如何に貢献したか
「南水北調計画は華北の水不足を解決でるか」
事情があってライブドアブログに引っ越します。
http://blog.livedoor.jp/qingmutong-aoki/
理由はgooブログの文字カウント機能が当てにならない、有料版の支払い方法がイーバンクに限られる、アクセス数が翌日の午前2時過ぎにないとわからない、ライブドアのフォントが読みやすいことによるものです。
表記の問題について、民主党埼玉県議会議員菅克己(すがかつみ)氏のパンフレットが手元にあるので論評抜きに要約したものを紹介する。
建設派の七つの論点について逐次反論している。
①、中止すると建設するより費用がかかる
従来ダム工事では工期が進むごとに事業費が膨らむのが常であった(地すべり対策など)。国土交通省の試算ではそれをまったく考慮していない。東京電力への補償も考慮されていない(200~300億円)。
菅氏らの試算では中止したほうが1600億円安上がりである。
②、7割もできているのに今中止すべきでない。
7割とは総事業費4600億円の7割を消化したという意味であって工事の7割ができているという意味ではない。本体工事はまったく着手されていない。7割以上できているのはJRの付け替え工事だけ。
③、東京都と5県に対し莫大な費用返還が必要
都と5県が負担した1460億円の利水負担金を返還する必要があるとの報道があるが、実はこの中890億円は国のお金であって正味返還すべき金は570億円に過ぎない。
④、渇水対策のためダムが必要
利根川では冬季灌漑用水の使用量は激減するので、現状で十分な水量がある。
⑤、洪水対策のために必要
八ツ場ダムはカスリーン台風級の大雨に役に立たない。
余談だが、戦後独立を回復するまで台風の命名権さえ占領軍の手中にあった。
⑥、発電用ダムとして建設すべし
この地域には既に東京電力の水力発電所が多数存在する。八ツ場ダムができれば東京電力が現在使用している水を奪うことになる。
⑦、住民の生活再建と地域再生ができなくなる。
ダム湖を利用した地域経済活性化が成功したためしはない。そうではない地域再生計画を作るべきだ。民主党政権は住民の生活を補償する特別法を年明けの通常国会に提出する予定である。
コンクリートの劣化や鋼材の腐食が想定外に進み、崩落寸前の状態に陥った道路橋が全国で121基あることが、国土交通省の調査でわかった。大型車の通行を禁止した重量制限付きの橋も680基確認された。大半は、橋の寿命の目安とされる50年に達していない。橋の管理者である地方自治体は財政難や技術者不足が深刻で、6割以上が補修計画も立てられない状況という。各地で緊急点検が進めば、「危険な橋」はさらに増える恐れがある。
同省道路局によると、国内には、約15万基の橋(全長15メートル以上)が整備されており、9割を都道府県や市区町村が管理している。米国・ミネアポリスの橋崩壊事故(07年8月)などをきっかけに、同省が自治体側に報告を求め、昨年4月時点で集計した。
その結果、橋脚や床板に重大事故につながりかねない亀裂や腐食が見つかり、通行が禁止された橋は121基。15メートル未満の小型橋も含めると、143基に及んでいた。地域別では、北海道・東北が約3割、関東と近畿、九州がそれぞれ約1割を占めた。さらに、通行車両の重量を25トン未満に制限する「通行規制」の対象は680基に上った。
国内の道路橋の実態を調査している「国土技術政策総合研究所」(茨城県つくば市)によると、橋の損傷は、(1)大型車などの強い荷重が繰り返しかかることで生じる「金属疲労」(2)コンクリートが膨張して鉄筋の破断を招く「アルカリ骨材反応」(3)塩害による鋼材の腐食――が主な原因。大型車の通行量が予想以上に多く、点検・補修も十分にされてこなかったことが損傷の進行を速めたとみている。
国は07年度から、市区町村が管理する橋の「修繕計画」をまとめた場合、事業費の半分を補助している。しかし、同省によると、4割弱の市区町村が今年3月現在、修繕計画の作成を前提にした緊急点検にさえ着手できていない。財政難から1基あたり20万円以上かかる点検費を確保できないことや、専門技術を持つ職員がいないためという。(安永拓史)
税金の無駄遣い排除の観点から、「厚遇」批判の根強い同手当の節減を図り、2010年度予算編成に反映させたい考えだ。
在勤手当は外交官の衣食住の経費に充てるため、基本的な給与とは別に支給されている。「在勤基本手当」「配偶者手当」「住居手当」など7種類あり、在勤基本手当は駐米大使で月額77万円。配偶者手当は基本手当の2割、住居手当は任地の事情に応じて一定額が支給されている。外務省は8月末に提出した10年度概算要求では、約313億円(09年度約299億円)を計上。今月15日の再提出時には約310億円に減額したが、岡田外相は「時間不足で十分点検できなかった」として、支給水準などについて検討チームが精査するよう指示した。(2009年10月19日14時40分 読売新聞)
コメント:
そもそも在外勤務手当は何のために支給されるのか、根本にさかのぼって見なおすべきだ。
昔日本円が安かったころ、欧米勤務では手当を支給しなければ人並みの生活ができないという背景があった。さらに言えば赴任した国で人脈を増やし情報を収集するにはそれなりの金が必要だという配慮もあった。
だが事情は変わった。在外勤務のキャリアが自分の財布から生活費を支出することはほとんどないので本来の給料は丸々残る。おまけに高額の手当て。三年も海外勤務すればマンションが一戸買えるくらい金が貯まる。仕事と言えば日本からくる国会議員のアテンドと夜の宴会にゴルフくらいで暇をももて余している。彼らはアメリカ追随を旨としているので独自の情報収集や政治工作など端からするつもりはない。
そんな連中に高額の手当てを支給する意味があるのか? 戦前大使と言えばアメリカ、英国など大国に限って他は公使どまりであった。中国でさえ長らく公使であった。今ではリヒテンシュタイイン、モナコなど日本の小都市並の国家でも大使と称する人が赴任し高給を食んでいる。
寺島実郎氏がTBSテレビの朝の報道番組で国会議員定数の削減を言っていた。彼はアメリカの議員定数と比較して日本は多すぎると言っていた。
日本は人口1億3千万で議員定数は722(衆議院480、参議院242)。アメリカは人口3億で定数535(上院100、下院435)。 確かに多い。だが人口がほぼ6千万と日本の半分以下のイギリスとフランスはどうか。イギリスは公選制の下院だけでも646。フランスは国民議会が576、元老院が330。いずれも人口比から見れば日本よりはるかに多い。
だから外国との比較では必ずしも日本の国会議員定数が多いとは言えないのである。このように他国との比較を持ち出す時、自説に都合のよい比較対象を選択するという一種の詐術を弄する手合いが多いので要注意。
議員一人にかかる経費は歳費、秘書手当、その他すべて及び政党助成金を加えても年間1億余。つまり80名定数を減らせば80億円浮くことになる。だが彼らが議決する金額は一般会計と特別会計を足せば200兆円を超える。問題はこの200兆円の使い方である。しかも議員定数を削減しても優れた人が残り、劣った人が淘汰される保障はまったくない。それどころか自民党に関する限り小泉進次郎みたいな二世の割合が増え、民主党であれば連合などの組織を背景にした議員が増えるだけだ。今俗耳に入り易い議員定数削減論を言う論者はピントがぼけている。
以下に定数削減論と関連する議員歳費削減論を論じた本ブログ2009年5月9日号から再掲
各政党は選挙民におもねるため、思い出したように議員歳費削減を言い出す。特に選挙が近づくとその傾向が強まる。
それを論じる前に国会議員にはどれだけ金銭的特典(公設秘書給与等を含む)があるのか見ることにする。各政党の宣伝にだまされないためにも正確に事実を把握する必要があるからである。
議員歳費(給料) 1560万円
ボーナス 635万円
公設秘書給与二人分の給与 1100万円
政策担当秘書一人分の給与 800万円
(上の秘書給与とボーナスは勤続年数等で異なるので平均的と筆者が考える数字)
文書通信費 1200万円
国鉄の無料パス α
(地方選出議員の利用度は高く、東京選出議員は低いので一概に言えない)
議員宿舎 600万円
(一応家賃を払うが格安。一般的な家賃との差額を特典とする)
以上を合計すると 5895万円+α
これだけではない。まだ政党助成金がある。政党助成金というと聞こえはいいが実質は第二の給与に他ならない。本来の歳費よりはるかに多額なので第二と呼ぶのも変だが。毎年の政党助成金が317億円、受益議員数は
480名(衆議院)+242名(参議院)‐16名(共産党議員数)=706名
317億÷706名=4500万円(概算)
つまり共産党を除く国会議員は
5895万円+α+4500万円=1億395万円+α
年間1億円を優に超える金銭的特典があるのである。だから議員歳費を仮に5%(78万円)削減しますと言ったところで、彼らが享受している特典の1%にもはるかに満たないのである。政治家や役人はこうした数字の詐術がうまい。各政党の宣伝を聞くときは上の数字を念頭において聞いたほうがいい。
議員歳費のわずかばかりの削減でお茶を濁すのではなく、各党が共産党に倣って政党助成金を辞退したら褒めてあげよう。
まだあった。引退後の特典だが議員年金である。これは議員歴10年以上が要件で一般の年金よりはるかに優遇されていて、終身。もちろん議員本人の掛け金部分もあるが国庫負担割合が大きい。
もし議員が大臣、副大臣等政府の役職に就けばその分の報酬が加算される。念のため。
話変わって「天地人」
今日、上杉処分が下り、120万石から30万石に減封。だが上杉はリストラしなかった。今年大河ドラマで「天地人」を取り上げた制作者の意図はここにあったのかなと感じた。
もっとも、事情は毛利も似たようなもので、中国十一ヶ国120万から防長二州36万石へ減封された。しかも毛利は上杉と違い、本領安堵の約束を反古にされただけに怨みは深かった。それが幕末倒幕の原動力となった。
今回の政権交代が一種の革命といわれるのはなぜだろう?
今の公務員制度は明治32年(1899年)の文官任用令に由来し、基本的に変わっていない。その間敗戦と占領下の改革があったではないかとおっしゃる?その通りだが、実はポツダム宣言に基づき間接統治を原則としたGHQがやったことは、軍部の解体以外大したことはやっていない。やったのは内務省を自治省、警察、厚生省、建設省に分割(解体ではない)したことと特高警察の廃止くらい。
官僚制度が根本的な改革を免れたのは、天皇を戦犯としなかったことと関係がある。外務官僚であった吉田茂が、「悪いのは軍部であって基本的な日本の制度は間違っていなかった」とマッカーサーに吹き込んだ。
金も、資材も何もかも足りなかった敗戦後しばらくは官僚による一種の計画経済が有効であったし、その後高度成長の時代は税収が毎年増えたので、少々の無駄遣いを国民は大目に見た。
この時代政策は官僚が立案し、自民党政治家が国会で通すという役割分担があった。人事面でも政治家は官僚の自律性に委ねた。田中角栄や竹下登は各省のキャリア官僚の入省人事を諳んじていた。彼らの自律的人事と年功序列を尊重するためである。このような政治家が官僚の間で評判がよかった。時代はちょっと遡るが、逆に河野一郎(洋平の父、太郎の祖父)のように役人人事を実質的に仕切ろうとする大臣は総すかんをくった。
ところがこうした政治家と官僚の関係は高度成長が終わりバブルの崩壊とともにうまく機能しなくなった。高度成長時代の無駄使い体質を政官ともに変えなかったために財政赤字が膨れ上がり、支出は切り易いところを切るという安易な道を選んだ(教育費、医療費等の福祉)。これが自民党が国民の支持を失った根本の理由である。
今民主党政権がやろうとしていることは限られた予算の中で、政策の優先順位を自ら決定しようとすること、大臣が官僚の人事権を実質的に行使しようとするものである。その意味でこんどの政変は革命と言っても必ずしも誇張ではない。
自民党総裁選挙が始まった。三人の候補者は派閥がどうとか世代交代とかとんちんなことを言っている。こんな自民党総裁選挙を報道する価値があるのか?
明治憲法と現行憲法とでは内閣総理大臣の地位はどうちがうか?
黒字が明治憲法、青字が現行憲法
資格:
国会議員に限らない。現役軍人でも可。一時衆議院の多数党の党首を首相にしたがこれは憲法の要請によるものではなかった。
国会議員に限る。参議院議員でもよい。但し前例はない。現役軍人は不可。
任命権者:
名実ともに天皇。但し実際には元老が推薦する。
国会が指名し形式的に天皇が任命する。
他の大臣の任免権の有無:
内閣総理大臣は同輩中の首席でしかなかったので他の大臣の任免権はない。但し、実際には内閣総理大臣が人選し、天皇の任命は形式的なものであった。このためこんなことがあった。昭和16年天皇と首相近衛は日米交渉に不熱心な外相松岡洋右を事実上解任するため総辞職し外相だけ別の人に換えて再組閣した。
今なら首相の一存で解任できる。従って閣議の全会一致主義などナンセンス。これも民主党政権が変えるべき悪弊である。
軍部との関係:
軍政に与る陸海軍大臣は政府の一員であったので、ある程度内閣の掣肘を受けたが、作戦に与る統帥部(陸軍参謀本部、海軍軍令部)は天皇に直属し政府の方針に拘束されなかった。旧ドイツ帝国の制度にならったものである。これを統帥権の独立と称し軍部の暴走を許すことになる。特に満洲事変からこの傾向が顕著となる。
今は軍政と統帥と分けることはない。首相が防衛省のトップであって防衛大臣ではない。アメリカの制度にならったものである。
衆議院の内閣不信任案
なし。
可決されれば総辞職か衆議院を解散するか二者択一を迫られる。
変わらない点
任期の制限がない。法的には10年でも20年でも可。一度首相を辞めた人がカムバックするのも可。現に戦前は何度かそうした例があった。だから鳩山さんも首相を辞める時は議員も辞めるなんて言わないほうがいい。アメリカ大統領とは違う。
戦後首相の任期を事実上制約したものは総裁の任期を規定した自民党の規則であって法律ではない。自民党の規則など簡単に変えられる。今後民主党政権が長く続くとすれば同じ問題に直面することになる。
鳩山さんは第93代内閣総理大臣。では初代内閣総理大臣は誰か? 答、伊藤博文。
但し何度か首相をつとめた人もいるので93人の首相がいたわけではない。戦後は同じ人が二度つとめた例はない。だが法的には可能である。蛇足だが伊藤はその他初代枢密院議長、初代朝鮮統監等をつとめ「初物食い」と言われた。
内閣制度の制定は明治憲法制定に4年先んじている。伊藤は本来憲法の中に内閣総理大臣を盛り込むべきだった。憲法には大臣の語はあるが内閣総理大臣の語はない。
内閣制度で内閣総理大臣は首班とよばれ、同輩中の首席でしかなかった。だから他の大臣と等しく天皇から任命された。もちろん首相に他の大臣を罷免する権利はなかった。それどころか陸海軍大臣は現役の大中将に限り、それぞれの省の推薦を待って任命するという制約があった。これを軍部大臣現役武官制といい、しばしば内閣の死命を制することになった。軍部が気に入らない内閣である場合、その大臣が単独辞任し後任者を推薦しないというやり方で内閣を倒すことができた。これが統帥権の独立と相まって軍部の横暴をゆるすことになった。
伊藤はなぜ首相の地位を弱いものにとどめたのだろう?この疑問はまだ十分解明されていないが、「内閣総理大臣が天皇に対する征夷大将軍のごとき存在になるのをおそれたから」とする説が今のところ有力である。「俺が生きている限り少々の制度上の問題点など克服できる」という自負もあったであろう。だが法律、制度は伊藤個人の威望にたよるものであってはならない。
死んだ江藤淳は明治憲法を「華麗な体系」と誉めていたがまったく共感できない。
ここで私は師吉田松陰の伊藤評を思い出す。松陰は友人への紹介状で「この男才劣り、学幼きも周旋の才あり」と書いた。これは伊藤が二十歳頃のことだがそれにしても決して高い評価とは言えない。師の目からは高杉晋作、久坂玄瑞など松陰門下の四天王に比べればかなり落ちると見えたことであろう。伊藤もそれを意識して松陰門下と言われるのをあまり喜ばなかった。明治政府の高官にとって松下村塾(しょうかそんじゅく)に学んだ経験は一種のブランドであったにもかかわらず。
松陰四天王の一人、吉田稔麿(としまろ)の評価は師からも周辺からも高かった。吉田は池田屋事件で新撰組に切られ23歳で死ぬが、山口県の人は吉田が生きていれば初代内閣総理大臣は伊藤ではなく吉田であったろうと囁きあったそうである。その時明治憲法もまた別のものになったことだろう。
伊藤にとっては松陰よりも晋作との関係が重要であった。高杉を記念する東行庵の碑文「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし」は伊藤が書いたものである(高杉は西行をもじって東行と号していた)。
伊藤や山縣を、晋作という天才の驥尾に付した幸運な男達と見るのはフェアではない。この二人がいなければ奇兵隊のクーデターも成功しなかった。
閑話休題。内閣総理大臣という名称は同じだが、戦前と戦後ではまったく違うのでこれを通算して第何代といい方はナンセンス。