BSハイビジョンの「宮廷の后たち」は好きな番組の一つである。ただ気に入らないのは女性のゲストが常に歴史に無知なミーハーであることと歴史の素養があるとは思えない名越康文という精神科の先生が乏しい知識から見てきたような嘘を言うことである。映像はいい。ありきたりのパックツアーでは見ることができない映像をみることができる。
今日も西太后の精神分析を色々やっていたが、そんなことは余り重要でない。重要なことは彼女の歴史的役割である。
ナレーターが衰退期の清朝を彼女の奮闘で50年もたせたようなことを言っていたが逆だろう。日清戦争の敗戦は頤和円を作るために海軍予算を流用した彼女の責任が大きいし、日清戦争後は光緒帝の改革政策をつぶした。その後盲目的排外主義の義和団をひそかに援助して外寇を招き莫大な賠償金を負うはめになった(義和団の乱を口実としてロシアは満洲に大兵を派遣し、これが日露戦争につながる)。こうした中国近代史を素直に見ればこの女が清朝の滅亡を早めたのは明らかではないか。それは中国近代史の常識に属する。
彼女の遺言「将来女に政治をとらせてはならない」を為政者としての悔恨の言葉と素直に受け取れば謎でもなんでもない。光緒帝の死について根強く存在する毒殺説に一言も触れなかったのも理解に苦しむ。彼女の死と光緒帝の死がほぼ同時期だったのは不自然ではないか。
この番組はゲストのくだらないおしゃべりは無視して映像を楽しむのがいい。
先週はロマノフ朝最後の皇帝ニコライ二世と皇后アレキサンドラを取り上げていた。ゲストの女優のなんとかが「日記からわかるようにアレキサンドラは悪い人ではなかった」と言っていた。アレキサンドラがいい女だったか悪い女だったかは問題ではない。ただ言えることは彼女は凡庸過ぎたことだ。変革期に凡庸な人物が高い地位にあること自体国家の不幸である。日本と戦ったこと、第一次大戦に参戦したことがロマノフ朝の命取りとなるロシア革命につながる。ニコライ二世であれアレキサンドラであれ非凡な人物であればこの二つの戦争を阻止していたであろう。
それにしても大河ドラマを初めとしてNHKの歴史ものはレベルが低い。どんな視聴者を想定しているのだろう。
一昨日、「レッドクリフ(赤壁)」を見た。金をかけている割には大したことがなかった。なぜ題名を「レッドクリフ」と英語にしたのだろう。日本人と中国人にとっては漢字で「赤壁」の方がずっとなじみがあるのに。
キャスティングにも不満。重要な二人の登場人物諸葛孔明と周瑜の役はもっと知性を感じさせる俳優にやってほしかった。
曹操と劉備はどうみても、曹操の方が賢く見え、劉備は間抜けに見える。事実そうであったと思う。孔明は仕える主君をまちがえたと思う。日本語で「噂をすれば影」という諺があるが、同じような意味で「曹操の話をすれば曹操が現れる」という中国の諺がある。
曹操に似た人物を日本史で探すなら織田信長だというのが私の持論である。
昔NHKでやっていた人形劇「三国志」の方がよっぽどよかった。
ご存じとは思うが、一般に三国志と言われているのは「三国志演義」のことであって、これは正史「三国志」を元にしたお話である。だから、火計で大勝利を収めた話もウソ。今回見たのはパートⅠであるので、例の火計のクライマックスは来年春公開予定のパートⅡで扱われる。
高島俊男先生の「三国志人物縦横談」(大修館書店)によれば
「曹操の大軍は、赤壁で孫権、劉備連合軍に阻止されて烏林に退き、ここで碇泊中に黄蓋に火攻されてある程度(或いは相当程度)の損害を受け、そこへ何らかの風土病か流行病にやられて、兵士の大半が死んだり、重症におちいったりして戦闘不能になったので追撃されないように船を焼いて陸路北に帰ったというのが比較的おだやかな結論であろう」
というと多くの三国志ファンから顰蹙を買いそうだが、人はだれでも歴史の中にドラマを見たいのである。日本だって、義経伝説や忠臣蔵があるのと同じである。もっと新しいところでは司馬の「龍馬がいく」がある。これによって龍馬のイメージができあがってしまった。
フィクションだからといって馬鹿にできない。徳川家康が若いころ武田軍が浜松城に迫った時、諸葛孔明の「空城の計」を応用して危うく虎口を脱したことがある。
ところで「三国志」と言えば、その中の「魏誌倭人伝」をご記憶の方もいるであろう。ご存じ邪馬台国と卑弥呼が記されているのがこの書である。初めて日本と日本人が登場する中国の歴史書がこれである。
以下は井沢元彦「逆説の日本史15巻ー中世改革編『官僚政治と吉宗の謎』(小学館)」P170-171から引用
現在一番ホットな問題と言えば、中国のでたらめな輸出品の話題だろう。アメリカでペットを殺しパナマでは人間を殺し、日本には一度使っただけで毒の出る土鍋を売りつける。毒餃子疑惑もあった。コピー商品がいかに多いかということは述べるまでもないほどだ。
一体なぜこんなことになるのか。最大の問題は中国の資本主義にはまったく倫理がないということだ。法律とかシステムの問題ではない。
中国人は「儒教」という言葉を嫌う。これは「儒学」だという。つまり宗教ではなく理性的な哲学であり政治学だと主張するわけだ。もちろんそうではない。「商業や金融に関する偏見」はまさに儒教という宗教の非理性的部分が生み出したものだ。しかし「儒学」と言いたがるということは中国人はその偏見を偏見だと思っていないということなのである。
彼らにとっては今でも「商業」は悪であり、しかもそれが正しいことだと思いこんでいるということなのだ。これが「倫理なき資本主義」ということである。ついでに言えば「工」つまり「モノづくり」も「士」つまり官僚エリートから見れば「賤しい身分、賤しい職業」であり、「農」ですらそうなる。士農工商は今も生きている。そして中国の歴史を見て一番恐ろしいことは彼らの歴史の中には「メディチマネー」も「プロテスタンリズム」も「日本資本主義の精神」も存在しなかったということなのだ。商業も、それどころか工業もエリートのやることではない賤業で「悪」であるということだ。ならばそれを行う人間はどうなんだと言えば「公害が出ようと粗悪な品質であろうとかまわない。手っとり早く楽に儲けるだけだ」ということにならざるを得ない。
つまり農民は農薬をまき散らして手っとり早く農作物を作り、工場では川や海を汚しても構わないから手っとり早く品物を作り儲けようということなる。 以上引用
コメント;
ヨーロッパでプロテスタンティズムが資本主義の精神が育んだように日本で資本主義の精神を育んだのは「石門心学」であるというのが堺屋太一の説。
ここで井沢氏は中国企業のモラルハザードの背景には官(士大夫、今なら共産党幹部)がえらく、商業を賤しむ儒教的職業観があると言っている。
私は今中国資本主義におけるモラルハザードの背景にあるのは儒教の影響というより、逆に儒教に限らず宗教的規範のなさが理由だと思っている。それにもう一つ、共産党幹部の家族は特権的地位を利用して大儲けしているという強い不公平感もある。土地を安く払い下げてもらったり、難癖をつけて商売敵をつぶしたり。
日本では特定の宗教を信仰している人は少ないが、宗教的な社会規範はある。例えば悪いことをすれば、たとえばれなくても「天知る、地知る、我知る」という一種の倫理観がある程度犯罪の歯止めになっていると思う。
ところでこの本は中国論が本論ではなくて、江戸時代、六代将軍家宣の顧問である新井白石、八代将軍吉宗、老中松平定信のいわゆる改革がいずれも商業や金貸し、利子を蔑視或いは敵視する儒教的職業観に囚われていたため真の改革にならず幕府の頽勢を挽回できなかったという文脈の中で付随的に触れられているに過ぎないので誤解なきよう。
北京は古い都ではあるが、統一中国の首都としての歴史はさほど古くないし、一貫して北京と呼ばれていたわけではない。
初めてここに都をおいたのは元寇の張本人元朝五代フビライカーンの時(1271年、日本では北条時宗の時代)である。南宋をほろぼし全中国を支配下に治めるとこの地に都を定めた。当時の名称は大都。
ご存知マルコポーロが来たのはこの頃。彼は創建(日本では源平争乱時代)間もない北京郊外の盧溝橋を見て「東方見聞録」の中で「世界無比」とその美を讃えているので別名マルコポーロ橋ともいう。 マルコポールのことは元朝の公式記録元朝秘史に出てこないのでフビライに重く用いられたという辺りはいささか疑わしいが彼がこの当時北京に来たことは間違いない。
1937年7月7日支那事変の端緒となった盧溝橋事変が勃発した地でもある。 次の明朝の開祖朱元璋は南京を根拠としていたので、最初都を南京に定め、大都は北平にかえた。次いで帝位を簒奪した三代永楽帝は燕王であったので南京からここに遷都して初めて北京と称した。 今に残る故宮が王宮として作られたのはこの頃。もっとも中の宝物は、蒋介石が台湾に逃れる時、政権の正統性の証しとばかりに持ち去ったので、あまり大したものはない。
明の跡を継いだ清朝は、最初都は満州の瀋陽にあったが三代順治帝の時長城を越え、全中国の支配者となると北京に遷都した。以後辛亥革命によって清朝が滅びるまで北京が清朝の都であった。 参考までに清軍の「長城越え」「李自成の三日天下」「呉三桂と愛妾陳円円」辺りの話は劇的要素に富んでいて非常におもしろい。 陳円円のために呉三桂は清軍を山海関(長城が東で渤海湾に尽きるところ)から引き入れ、李自成はあっという間に帝位を追われ、清朝の天下となったのだから、傾国(国を危うくするほどの美女をいう、楊貴妃など)の名にふさわしい。これには異説もあるが、一応そういうことになっている。
司馬遼太郎の最後の小説「韃靼疾風録」に詳しい。これ以後司馬は小説というスタイルを捨てて専ら史論(「この国のかたち」、「街道を行く」等)という形で著述するようになった。
尚、日本にゆかりのある明朝の遺臣としては水戸光圀(黄門)に招かれた大学者朱瞬水と台湾に拠って明朝の回復を企てた鄭成功(母は日本人、近松門左衛門の「国姓爺合戦」の主人公)の二人が最も有名。
辛亥革命によって成立した中華民国は最初ここに首都をおいた(1912~1928)。清朝末以来の中国近代史を学ぶには映画「ラストエンペラー」がある。これは文革時代まで扱っている。もっともある程度予備知識がないとこの映画を理解するのは難しいかもしれない。 この映画では作曲家の坂本龍一が大杉栄虐殺事件の当事者にして満州国の闇の帝王、そして満州映画理事長として戦後日本映画界に大きな貢献をすることになる甘粕正彦の役で出ている。
次いで南方を基盤とする蒋介石が北伐の成功により一応の統一に成功すると、都を南京におき、北京は再び北平に戻した。南京と同格に聞こえるのを嫌ったのであろう。北平の時代は長くなく支那事変勃発により日本がここを占領すると再び北京に戻した。北京原人の頭蓋骨はこの混乱の最中で失われた。この話は映画にもなっている。 1945年日本の敗戦に伴い三度北平に戻し、49年共産党が政権を取ると三度北京に戻して首都として現在に至っている。