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日本の新聞の見方

時事問題の視点ー今の新聞テレビの情報には満足できない人のために

「ジャーナリズム崩壊(上杉隆著、幻冬舎新書)」 Ⅰ

2008-09-08 20:16:37 | マスメディア
夕べ「ジャーナリズム崩壊(上杉隆著、幻冬舎新書)」を読んだ。これまでこのブログでもさんざん新聞の悪口を書いてきたがこれは内部をよく知りしかもニューヨークタイムズ(以下NYTと略)にも籍をおいた人で日米ジャーナリズムに通じた人であるだけに貴重である。なお以下NYTはアメリカの新聞代表と考えてもらったらいい。

本書の順に従い要約してみることにする。
 日本のジャーナリズムはワイアーサービス(通信社の仕事)とごっちゃになっているので速報性にこだわりすぎる。従って日本の新聞は本来なら通信社の仕事もこなすため多数の記者をかかえている。記者の数は多いがその書く内容はストレートニュース(単なる生の事実の報道)がほとんどで分析や批評を書ける記者は少ないので新聞の分量が少ない(朝刊で36頁)。 
 NYTでは速報性にこだわらないので日本みたいに締切もない。日本みたいに政治部、社会部、経済部といった区分もない。日本では縦割りが徹底しており、同じ政治部でも与党と野党担当が分かれていて野党担当者が与党担当者に無断で取材することもできない。

 日本の記者クラブは政治家に密着しているため、政治部記者によって政権与党に都合の悪いニュースが報道されたことはない。それはすべて社会部やその他のジャーナリストによる。リクルート事件も朝日新聞社会部(川崎支局)から始まった。

コメント;
 リクルート事件は世紀の空騒ぎだったと思っている。あのおかげて小選挙区制を中心とするいわゆる政治改革が実現した。私は改革でなく改悪だったと思っている。

 番記者。担当政治家が出世すると自分も出世する。NHK会長の島桂次(田中角栄と密接)、読売会長の渡辺恒雄(中曽根康弘と密接)はその代表例。

 記者クラブでのメモ合わせ。各社の記者が取材の後互いのメモ内容を確かめあう。これっていわゆる一つの談合でしょう。

 新聞社の採用のあり方。日本は新卒中心。NYTは多様な中途採用中心。しかも日本では世間を知らない新卒の書く記事が中心を占める。だから深い分析記事など書けるわけがない。

 日本の新聞はソースが週刊誌である場合、引用先を明記せず「一部週刊誌」という言い方をする。これには週刊誌などおれ達新聞に比べれば格下であるから彼らの後追い記事であることを明示するのは沽券にかかわるといわんばかり。メンツにこだわり引用先を明記しないのは法律的責任を問われる可能性がある。

筆者注;もっとも有名な週刊誌の後追い記事は「週刊文春」のいわゆるロス疑惑「疑惑の銃弾」であろう。新聞が後を追っただけでなく警察も後を追って殺人罪で逮捕した。日本では無罪確定、今ロサンジェルスで一事不再理を巡って係争中。

 NYTでは編集と経営は分離されている。経営が編集に口を出すことはありえない。日本では記者が社内での履歴を重ねて偉くなり、その一部は経営側(役員)に立つ。従って経営と取材編集は一つのラインとしてつながっているため経営側が編集に介入するのは当然と見なされている。

                                      続く

西山事件他

2008-09-04 19:55:52 | マスメディア
いわゆる西山事件からもう36年が経過したので、覚えている人は少ないだろう。
 だが毎日新聞関係者にとって忘れることのできない悪夢のような事件であった。それまでは読売、朝日、毎日の発行部数はほぼ拮抗しており三大紙の一角を占めていたがこの事件を契機に購読数が激減し今や、トップの読売の半分以下にまで落ち込んだ。
 あの事件以後何度経営危機がささやかれたことか。そもそも戦前毎日は読売などよりはるかに格のある朝日と並ぶ日本を代表する新聞であったのだ。 

 近年日本将棋連盟が名人戦を毎日から朝日に移行しようと画策したのも、財務体質の弱い毎日での棋戦継続に不安を抱いたことが根本にある(毎日からの猛反発と、棋士の総意に配慮して前代未聞のことながら毎日朝日共同主催で決着)。

 不祥事では朝日も毎日に引けをとらない(?)。戦前軍国主義を煽ったという話は別の機会に譲るとして、戦後に限っても、「伊藤律の架空会見(1950年潜行中の日共大幹部との会見をでっちあげ)」、「
珊瑚記事捏造事件(1989年)」、つい最近の「法務大臣は死神」と書いた匿名コラムなど。最後の匿名コラムだが、あれを書いた記者は週刊朝日在籍中、朝日とは因縁浅からぬ大江健三郎氏のことをボロクソに書き、同氏を激怒させ配置転換させられたとか。
 鳩山氏が死神なら、この記者は朝日の厄病神というところだろう。 多分この問題は、そうでなくても購読数が減少傾向にある朝日にとって相当のダメージとなることだろう。あの時朝日は「辛口の批評」などと言って書いた記者を弁護していたが、こんなのは辛口とは言わない、悪態(あくたい)、罵詈雑言(ばりぞうごん)と言ったほうがいい。 それに法務大臣が死神なら、死刑制度を作った人、死刑を求刑した検察官、死刑判決を下した裁判官、実際に死刑を執行した刑吏もみな死神ということになりそうである。

  敗戦後最もマッカーサー礼賛に熱心だったのも朝日である。マッカーサーの離任帰国時の社説など読んでいてこっちが恥ずかしくなるくらい臆面もなく彼を誉めている。もしかしてこれはマッカーサー自身が英語で書き日本語に翻訳させたのではないかという疑いを一瞬もったくらい。よっぽど彼にはお世話になったのだろう。
 その甲斐あってかマッカーサー回顧録は朝日に連載された。朝日が彼に版権としていくら払ったか知らないがこの回顧録は歪曲と虚偽に満ちており歴史の資料としての価値はほとんどない(天皇との初めての会見部分を言っているのではない)。彼の精神分析の資料には使えるかもしれない。
 アメリカの政治家軍人は生前印税稼ぎのため回顧録を出す人は多いががいずれも資料的価値は乏しい。
 それに引換えわが原敬はその日記について自分の死後50年は公表してはならないと遺言した。50年というのは関係者がすべて没した後という意味である。この日記は近代史の第一級の史料となっている。 

 話はそれるが戦後は大統領になろうと野心を燃やしていたマッカーサーの生き方と、対日戦のもう一人の英雄ニミッツ元帥のそれとは著しい対照をなしている。ニミッツは勝利した側であるにも関わらず多数の部下を死なせたことに責任を感じて戦後数々の顕職のオファーを辞退しまるで隠者のような余生を送った。

 

報道のあり方

2008-08-27 07:33:24 | マスメディア

1、 昨日から、アフガニスタンでの日本人誘拐事件が大きく報道されている。なんであんなに大きく扱うのだろう。 日本人は海外に百万人余いるのだからいろんな事件に巻き込まれることはあるだろう。仮に海外で日本人が交通事故で死亡したり、殺害されてもたぶんニュース枠は30秒も取らないと思うが、この事件はトップで延々5分前後はやっていた。
 何も誘拐された人の親のインタビューまで出すことはないだろう。親が心配していることぐらい誰にもわかる。視聴者はよほど想像力に欠けているとメディアは考えているのだろうか。

 誘拐事件を大きく扱うのは日本国内でも同じ。あれは「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」からだろうか。これはどうみても他の事件と比較してバランスを失している。

 オーソン・ウェルズの映画「市民ケーン」に印象的なセルフがある。ケーンはアメリカの新聞王、モデルはW・R・ハースト。編集会議でケーンが「このニュースは一面トップにしろ」というと、編集者の一人が「これはそんなに大きなニュースですか」と疑義をはさむ。ケーンいわく「大きくあつかえば大きなニュースになるんだ」。
 この映画は1941年の公開だがこのセルフはよくニュース報道の本質をとらえている。

2、オリンピックの野球。銅メダルも取れなかった星野がメディアで叩かれているが、よくみると悪口は韓国や中国のメディアから引用したり、楽天野村監督の言葉を引用したものであって、日本のスポーツ記者自身の筆になるものにはお目にかからない。彼らだって永年野球を見てきているわけだから自分の言葉で批判できないはずはないと思うがそうはしない。
 それはなぜか。星野は日本のプロ野球界で大きな力をもっており、巨人の実質的オーナー渡辺の受けもいいし、大手メディアのスポーツ記者とはもちつもたれつの関係にある。いっしょにメシを食ったり酒を飲む機会も多いだろう。人情として昨日いっしょにメシを食った人の悪口を今日書けるものではない。それに今後の取材に差し障りもある。だからといってまったく触れないのでは視聴者が許さないので、よそからの引用という手法でお茶をにごしている。  

 これは野球の話だからどうでもいいようなものの、実はメディアと取材対象とのこうした馴れ合い関係はいたるところにある。政治の分野でも然り。
 今でもあると思うが、昔大新聞は有力政治家には専任のいわゆる番記者をつけたものである。政治家と番記者とは互いに利用し利用される関係にあり、中には担当する政治家のためにスパイまがいの行為をする記者もいた。 
 政治家と番記者と言えば、自民党の有力者であった大野伴睦(保守合同の立役者)と読売の渡辺恒雄の関係が有名であり、これは渡辺自身「私の履歴書」に書いている。彼の「私の履歴書」は率直で中々よかった。 
 
 企業について言えば、トヨタはメディアにとっては日本最大の広告主であり、自動車産業のすそ野は広く、政治的影響力もある。だからトヨタに都合の悪いニュースはめったにでない。出るとしてもせいぜい週刊誌くらい。
 ビール会社は新聞社にとって広告の上得意さんであるので、半ば公然と行われているこの業界の価格カルテルを新聞がたたくことはない。

 某宗教団体は機関紙等を大手新聞社の印刷部門に発注している。これは発行部数が減少傾向にある新聞社にとって貴重な収入源となっているので悪口など書けるものではない。
 
 
 各省庁或いは警察の記者クラブでも役所側の気に障るような質問はでない。

 社会の木鐸(ぼくたく)などという言葉はとっくに死語となっているし、新聞がふりまわす正義などこの程度と知っておいた方がいい。

 というわけで、星野をめぐる報道は日本のメディアのあり方を象徴しているように思えたので敢えて取り上げた次第。 


倉本聰氏「これが最後」テレビ局に絶望

2008-08-08 08:55:08 | マスメディア

表題の記事は以下を参照
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080806-00000045-spn-ent

コメント
 私はいつも人に「頭をよくする方法はないが、頭を悪くする方法はある。それは日本のテレビを見ることだ」と言っている。私は一視聴者としての外からの意見だが、この意見はテレビの内側をよく知っている人の意見だけに生々しい。
 
 倉本さんはこの中で「(一緒にやってきたスタッフが)役付きになり、現場から離れ、技術や知恵が伝承されず、役者を含めて現場がものすごく悪くなった」と言っている。
 このことは新聞が前からやっていたこと。倉本さんは主としてテレビドラマ製作の点を言ってるが、テレビ新聞の報道についても同じ問題があって、現場で取材する記者はいつも世間知らずの若造で薄っぺらな記事しか書けない。エラクなると現場を離れ管理者として本社でふんぞり返っている。ネット上のニュースは誤字と基本的な間違いだらけ。誰もチェックしていないのだろうか。取材力こそ報道の生命であることがわからないのか。私がマスメディアに求めるものはコアとなる事実であって論説委員諸氏の名論卓説ではない。
 それに記者クラブ制度によってお上からの情報を無批判に垂れ流している。先日松本サリン事件の被害者である河野義行さんの奥さんがなくなったが、あの時河野さんが当初犯人扱いされたのも、この問題に関わっていることが言われたが、その後果たしてどれだけこの教訓が生かされているのか。同じ長野県の田中前知事が記者クラブをなくそうとしたのもそうした問題意識からである。
 記者クラブ制度は動物園みたいなもので何もしなくてもエサ(ニュース)がもらえるので自らエサを取る能力が育たない。

 各新聞テレビの報道を比較すると、取り上げるニュース、取り上げる紙面の大きさ或いは取り上げる順番までほとんど同じであることがわかる。
 それはテレビも新聞も互いに他社の報道内容を時々刻々モニターし合っていて、「A社はこのニュースを一面トップでとりあげているのか、じゃうちもそうしよう」なんてやっているからである。
 マスメディアは建設業者の談合をまるで極悪人みたいにたたくが、自分たちの報道のあり方だって一種のカルテルではないか。

 最近の報道のセンセーショナリズムはワイドショーか週刊誌並みになった。本来視聴率など気にする必要のないはずのNHKも例外ではない。 

 これはマスメディアに限らない日本社会特有の横並び意識が背景にある。横並び意識は同時に無責任の体系でもある。
 つまり間違える時はみんな同時に間違うので結局だれも責任を取らない。(1990年前後のバブルを想起されたい)。責任を問われたくないからひたすら横と同じことをすると言うこともできるかもしれない。
 私がテレビをもたず、新聞を定期購読していない理由もそこにある。但し新聞は図書館で主要紙をまとめて読んでいる。もしテレビがあったとしても多分スポーツと将棋くらいしか見ないと思う。
 先日ある会合で朝日新聞前社長の某氏が「娘は新聞記者には嫁にやらない」と言っていると聞いた。さもありなん。

 このところテレビ、新聞、出版業界の業績悪化が顕著であるのは半分は自らの責任である。

 


「ブロードキャスター」9月末で打ち切り

2008-06-28 14:35:33 | マスメディア

以下 6月28日9時44分配信 日刊スポーツ から引用  

 TBS系情報番組「ブロードキャスター」(土曜午後10時)が、9月末で終了することが27日、分かった。同番組は91年4月に福留功男キャスター(66)と三雲孝江アナ(54)のコンビでスタート。「お父さんのためのワイドショー講座」など、硬軟取り交ぜた構成で最盛期は20%前後の視聴率をマークしていた。だが、最近は12%前後と一時の勢いを失っていた。 三雲アナに代わり、04年10月からは元NHKの久保純子アナ(36)を起用したが、視聴率低迷に歯止めはかからなかった。

 関係者によると、後番組はバラエティー番組を軸に検討されているという。同局PRセンターは「(打ち切りが)正式決定したとは聞いておりません」としている。 長寿番組打ち切りの背景には、福留氏の高額ギャラも一因だ。ネットの普及でテレビの広告収入が頭打ちの中、各社とも番組制作費の削減を進めている。フジテレビが、小倉智昭キャスター(61)の「ハッケン!!」、安藤優子キャスター(49)の「新報道プレミアA」を今月末をもって終了させたのと同じ構図だ。日本テレビも昨年9月、14年半続いた草野仁キャスター(64)の「ザ・ワイド」を終了させている。 「報道のTBS」と呼ばれた同局は、報道・情報番組は得意分野だった。ワイドショー全盛時代の90年代には朝ワイド「モーニングeye」が視聴率で同時間帯トップを独走。ゴールデン帯にも「スペースJ」など、数多くの報道・情報番組を編成していた。しかし、90年代後半にはオウム真理教ビデオ事件の影響から、次々と報道・情報番組が打ち切りに。その後、情報系番組を復活させたが、かつての勢いを取り戻すことはできなかった。 
 昨年度の年間視聴率も、TBSは、フジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日に引き離され4位に甘んじている。「ブロードキャスター」はTBSの伝統を背負った番組だったが、バラエティー番組全盛時代の波にのみ込まれてしまった。

コメント;
 
高額ギャラのタレント起用をやめてコストを削減しようとする狙いはわかるので、これ自体特別の感慨はないが、テレビ局の金銭感覚はよくわからない。福留氏の場合、一本のギャラが300万、年間で1億を優に超すとのこと。社内にもアナウンサーや記者など人材はいるだろうに、何で大枚を払ってさほどタレント(才能)があるとも思えないタレントを呼ぶのかわからない。 
 私がよく聞く同じTBSラジオの夜の報道番組では社内(たぶん)の渡辺真理さんが司会をつとめているが悪くない。 どのテレビ局か知らないが、プロレス中継がお似合いのアナウンサーが報道番組のキャスターをつとめており、巨人軍の某終身名誉監督の息子であること以外さしたる取り得があるとも思えない男が報道番組のレギュラーであると聞く。二人の一本当りのギャラは福留氏に勝るとも劣らないことだろう。そのくせ制作費をけちるため一般に外注番組が多く、実際の制作現場での予算はひどいものと聞く。近年各テレビ局で相次いだ安直、いい加減な番組の背景もそういうところにある。  

 このニュースにもどると、以前の三雲さんはよかったと思うが、なんで碌に漢字も読めない久保純子さんに変えたのかわからない。彼女をアナウンサーとして最初に雇用したNHKの見識を疑う。   

 世界の主要国のテレビ番組を比較した場合、日本はどのあたりにランキングされるのだろうかと時々考える。もし時間ができたら、その比較論を書いてみたい。


朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」

2008-06-20 13:07:12 | マスメディア
以下 産経ニュース  2008.6.20 11:08 から引用

 今月17日に宮崎勤死刑囚(45)ら3人の死刑執行を指示した鳩山邦夫法相を、朝日新聞が18日付夕刊で「死に神」と報道したことについて、鳩山法相は20日の閣議後会見で、「(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」と強く抗議した。
 「死に神」と鳩山法相を表現したのは、18日付朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」。約3年の中断を経て死刑執行が再開された平成5年以降の法相の中で、鳩山法相が最も多い13人の死刑執行を行ったことに触れ、「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」とした。
 会見で、鳩山法相は「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と朝日新聞の報道姿勢を批判した。   以上引用

コメント:前にも書いたが、法務大臣は確定判決を執行するのが職責である。刑事訴訟法で死刑判決確定後六ヶ月以内に執行しなければならないと規定されている。
鳩山法相になってから死刑執行が多くなったといっても、六ヶ月以内は一度もないはず。

 死刑廃止論は所詮立法論に止まる。この記者が死刑廃止論を開陳するのが自由だが、現行法の下で法に基づく死刑執行に対して法務大臣に悪態をつくいわれはない。「死神」と書いた朝日の記者に「あなたは法務大臣が法令を遵守するのが不満ですか」と訊ねたい。

 この関連で、近年、死刑執行を法務省がその都度公表するようになったのは改善だと思っている。それまでは死刑囚の遺族その他関係者から自ずと明らかになるというのが一般であった。


事件報道のありかた

2008-06-19 07:24:54 | マスメディア
 村上龍のMSN「龍言飛語」で例の秋葉原事件を取り上げている。彼のメルマガJMMでの政治経済に関する問題提起はピントがぼけていることが多いが、さすがに作家だけあってこうした問題の捉え方は中々鋭く、共感するところが多かった。詳しくはそれを見ていただくことにして、それを多少補足することにする。

 彼が言っていることの一つは、ニュースで犯人のことを一々「派遣社員」と言っているが、派遣は雇用形態であって職業ではなく、正社員とか嘱託という紹介のしかたはないのになぜ派遣、派遣と言うのか。職業をいうなら塗装工等と言うべきではないか。その他。

 私も事件報道の度に思うのだが、そもそも報道はなんでああも律儀に一々犯人或いは被害者の年齢と職業(或いは無職)を紹介する必要があるのか疑問に思っている。

 嘗て、被害者だったから犯人だったか忘れたが「80歳無職」なんて言っていた。例えば、銀行員の横領事件或いは公務員の収賄事件であれば犯人の身分が犯罪成立の要件であるから報道する必要があるし、一般的はありふれた犯罪が、犯人の社会的身分のせいでニュースバリューが生じることもある。例えば、裁判官のストーカー、大学教授の痴漢とか。この場合にも職業を報道する必要性はあるが、逆にこれを悪用する例もある。昔巨人の某選手が暴行事件を起こして逮捕されクビになったことがあったが、その時さかんに「元巨人の選手」と「元」を強調していた。私は一瞬彼は既に引退していたのか思ったが、そうではなく事件当時は現役であったが、逮捕されたので慌ててクビにして、あたかも彼の犯行は引退後であったかのような印象を世間に与えるための小細工だと気がついた。

 事件の度に「警察が詳しく動機を調べています」と報道する。怨恨に基づく犯罪の場合、動機は情状の要素であるから詳しく調べる必要がある。しかし犯人と被害者との間に何の関わりもない無差別殺人で調べる必要があるのは、精神異常者かどうか、刑事責任能力があるかどうか、彼を犯行に駆り立てたのは鬱積した諸々の不満から、この三点だけでいいと思う。その不満の内容を一々詮索する必要はない。本人が色々説明したとしても一々取り上げる必要はない。本人にもうまく説明できるとは限らないし、うまく説明がついたとしても情状として斟酌する余地はない。

 村上龍がさきほどの龍言飛語の中で、Mムーアの映画「コロンバインのボーリング」を取り上げていたが、ムーアはそれにより社会の犯罪への過剰反応を皮肉っているようだ。今度の事件でも、ナイフ規制や歩行者天国の中止は過剰反応だと思う。

 派遣制度を見直すにしても、犯罪防止の観点からでなく、労働報酬を高めるための社会政策的観点からなされるべきだと思う。

広末凉子さんの名誉棄損訴訟、小学館側に120万円賠償命令

2008-06-18 16:08:24 | マスメディア
以下 2008年6月17日20時57分 読売新聞 から引用

 週刊誌「女性セブン」の記事で名誉を傷つけられたとして、女優の広末涼子さんが、発行元の小学館などに損害賠償などを求めた訴訟の判決が17日、東京地裁であった。須藤典明裁判長は名誉棄損を認め、小学館側に120万円の賠償を命じた。
 問題となったのは、2007年3月8日発売の同誌記事。広末さんが夫以外の男性と交際しているかのように報じた。判決は記事の真実性については判断せず、「原告は著名な芸能人だが、私的な生活を公開することが公共の利益に貢献するとはいえない」と指摘。広末さんがその後、離婚していることなどから、賠償額を120万円とした。
 小学館広報室の話「判決文を精査して、今後の対応を決めたい」


コメント:判決文から、被告の小学館はその記事を報道することが「公共の利益に貢献する」と主張したと見られる。他の理屈をもちだすのならともかく、芸能人のプライバシーを報道することが「公共の利益」とは何の関りもないことなど高校生でもわかること。小学館の知的程度には恐れ入る。
 それにしても裁判所の認めた金額120万円はいかにも低すぎる。この判決が確定するかどうかまだわからないが、この程度の罰金ではマスメディアに対する抑止力にはならないのではないか。これは民事訴訟で刑事裁判は別にあるかもしれないが、少なくとも名誉毀損は経済的に割が合わないと身にしみて感じさせる金額でないといけない。

 「職業に貴賎はない」と言うものの、私は他人の私生活をかぎまわる週刊誌や芸能リポーターは現代の賎業だと思っている。
  こうした芸能人関係の記事に限らず、一般に週刊誌は録に取材もせず、みんなわかっているような見出しを付けるので気をつけないといけない。

「ガッシュ」原稿紛失問題でサンデー編集部が声明

2008-06-14 13:54:54 | マスメディア
産経ニュース 2008.6.13 16:57 から引用

 週刊少年サンデーに連載された漫画「金色のガッシュ!!」のカラー原稿を紛失されたとして、作者の雷句(らいく)誠さんが発行元の小学館を提訴した問題で、同誌編集部は13日までに、「読者の皆様へ」と題したメッセージを公式ホームページに掲載。一連の騒動について「皆様に大変ご心配をおかけして申し訳ございません。真摯に受け止め、誠実に対応させていただきます」と読者に謝罪した。
 その一方で、雷句さんが自身のブログで公開した陳述書、訴状については「係争中のことであり、現時点でお答えすることができません」と回答。また雷句さんが同ブログで、歴代編集者の仕事態度などを実名つきで批判している件に対しては「弊社および弊社社員についての記載は事実とは考えておりません」と否定的な見解を示している。
 訴えによると、雷句さんは2001年1月から07年12月まで同作品を連載。その後、小学館に原稿の返還を求めたところ、カラー原稿5点の紛失が判明した。雷句さんは漫画原稿について「美術的価値が高い」と主張、小学館に計330万円の損害賠償などを求める訴えを今月6日、東京地裁に起こしていた。また雷句さんの一件を受けて、同様にブログ上で出版社や編集者への苦言を呈する漫画家が続出しており、ネット上で大きな反響を呼んでいる。  以上引用

コメント:この件に関する小学館の態度は理解に苦しむ。出版社側のミスで原稿を紛失したのだから、当然賠償責任を負っているはず。原告の請求額330万円は不当に高額とは思えない。むしろ控え目すぎるように思える。訴訟になったのはこの請求額すら小学館が飲まなかったからだろう。仮に裁判でこの金額を多少値切ることができたとしても小学館の有形無形の損失は計り知れない。

「弊社および弊社社員についての記載は『事実とは考えておりません』」とはまるで役人の口上だな。普通の日本語なら「不当だ」とか「間違っている」ではないのか。言葉を扱う出版社ならもう少し言葉使いに注意を払ってほしい。

 今の出版社の行動パターンはひたすら発行部数を追いかけるため、他社の当った企画をパクったり、ある本が売れると、著者にはもう大して書きたいことがなくても無理やり続き本を書かせたりする。「何とか進化論」の如し。今の出版業界は著者が内発的に書きたいものを書くというよりは(そういう著者がいても出版社が乗ってくる可能性はほとどどない)、先ず出版社が売れそうな書名を考え、次に誰にそれを書かせようかというパターンが多い。そのため新刊本の9割の内容はスカスカで、食指が動くことはめったにない。私が読みたい本は絶版になっていて新書店にはないことが多いので、もっぱら神田や早稲田の古書街で買うことにしている。勿論値段が安いのも魅力。 今日本の出版業界の市場が小さくなる一方であるのは、学生の本離れなどさまざまな要因があるが、出版社に高い志が失われ、ひたすら短期的利益を目指し質の低下を厭わないことも大きいと思う。

 一つくらい褒めておく。 いくつかの出版社が読者からの要望が多いと復刊する制度を取っているのは喜ばしい。最近海音寺潮五郎の本が続々復刊されているのもこの制度の賜物。願わくば徳富蘇峰の「近世日本国民史」も全巻復刻してほしい。

自民の「報道ステーション」抗議、古舘キャスターが釈明

2008-06-10 08:46:55 | マスメディア
以下 6月9日23時14分配信 読売新聞 から引用

 テレビ朝日は9日、後期高齢者医療制度(長寿医療制度)を巡る同局の報道番組「報道ステーション」の内容に自民党が抗議していた問題について、同日放送の番組内で釈明した。

 自民党は、4日夜の同番組が、3日の党役員連絡会の映像を流した際、古舘伊知郎キャスターが「よく笑っていられますね」などとコメントしたことに「長寿医療制度を話題に笑っているわけではない」と抗議していた。これについて古舘キャスターは「そのように受け取った視聴者がいるとすれば私の本意ではない」と釈明した。                             以上引用


コメント:これはテレビ朝日が後期高齢者医療制度とは無関係な画像を流して自民党議員があたかもその問題を笑いながら論じているかのように作為したことを指す。
「そのように受け取った視聴者がいるとすれば私の本意ではない」には笑わせてくれる。これは泥棒が「窃盗だと受け取られたとしたら、私の本意ではない」と言うのと異ならない。「椿事件」で非自民政権の成立に手を貸した前歴のあるテレビ朝日のいかにもやりそうなことだ。

以下はだいぶ前の話で、どこのテレビ局か忘れたが、「君が代」の法制化とサッカー、ワールドカップの試合開始前の国歌演奏が話題になった頃、石原慎太郎氏が「試合開始前にあんな間延びした音楽を聞かされると闘志がなえる、『君が代行進曲』だってあるじゃないか」と言ったら、後段の「『君が代行進曲』だってあるじゃないか」の部分はカットされて放映されたとか。前段だけ見た視聴者は、石原氏は「君が代」反対論者だと誤解するだろう。 以上は報道における歪曲の例。

 論者が自己の学問的信念に基づいて発言しているかのようなテレビの討論番組でも実はシナリオがあって、論者はある程度局側の振付け通り演じている。
ある経済学者はテレビの討論番組で予め番組のディレクターから「先生はインフレターゲット論について肯定的に話してください」と注文をつけられたそうな。これだって一種の「やらせ」ではないか。
 もっとも生放送では、完全にディレクターの筋書き通りとは行かないこともある。その場合どうするか。大前研一氏がある討論番組で相手をやり込めたら突然CMに切り換えられたそうな。

尚、本ブログ4月28日の項「山口補欠選挙の新聞見出し」を参照されたし。