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日本の新聞の見方

時事問題の視点ー今の新聞テレビの情報には満足できない人のために

ことばの問題

2009-01-17 22:33:49 | 言葉
命の大切さ
今日は阪神淡路大震災の日。
当時も今も、学校ではこの震災にちなんで「命の大切さ」を教えているらしい。震災で亡くなった人は自分の命を粗末にしたわけではない。不慮の災害で亡くなったのである。生死を分けたものはほんのわずかの差であり、偶然であった。だから先ず教えるべきは「命の大切さ」ではなく、「命の儚さ(はかなさ)」ではないのか。「儚い命だからこそ慈しまなければならない」と教えるべきだろう。「人の命が儚い」とは考えたくないのかもしれない。だがきれいごとでは子供達の心に届かない

民間人の死者
イスラエルのパレスチナ・ガザ地区への攻撃に関して報道では相変らず「民間人の死者は何名」という言い方をしている。公務員なら何人殺しても構わないように聞こえる。ここは「一般市民」又は「非戦闘員」とすべきだろう。これは前にも書いた(2008年7月30日「報道にみる言葉の問題Ⅲ」)。

土屋賢二先生

2008-12-19 20:37:28 | 言葉

昨日本屋で土屋賢二先生の文庫本(書名は忘れた)を立ち読みしていたら、前書きに「どうせ(立ち読みするだけで)買わないだろうが」という文句が10回も出てきて、自分のことを責められているような気がした。実は先生のコラムが載っている週刊文春も、そのコラムが集めた単行本も立ち読みするだけで一度も買ったことがない。ここに紹介することで多少の罪滅ぼしとすることする。

私は週刊文春のコラム「お言葉ですが(高島俊男)」と「土屋の口車(土屋賢二)」が大好きであった。「あった」と書いたの前者は今年の春頃なくなったからである。後者は今も続いている。
高島先生の文はここでも何度か取り上げたので、今日は土屋先生のこと。

この人はお茶の水大学の哲学の先生であるが、書くものにはソクラテス、カント、ヘーゲルなどの引用が一切でてこないが気に入っている。大体、日本の哲学者と称する人種は「だれそれはこう言った、ああ言った」の類が多い。こういう手合いは「哲学」学者であって「哲学者」とは言えない。
その点土屋先生はいい。とはいうものの、本当は彼は西洋の大哲学者の本など読んだことはないのではいかといささか危惧していたが、某雑誌の書斎拝見という写真を見たら、書棚にずらっと哲学の原書と思しき本が並んでいたのでやや安心した。
何も大哲学者の一言半句をありがたがるのが哲学ではない。身近にも哲学のテーマはいくらでも転がっているということを身をもってお示しになっているのだろう。

誰の言葉か忘れたが、「男は一度は結婚したほうがいい、良妻であれば幸せになれるし、悪妻であれば哲学者になれる」というのがある。
土屋先生も奥様のお陰で、「哲学」学者ではなく、哲学者になれたのであろう。

歴史上有名な悪妻と言えば、ソクラテスの妻クサンチッペ、モーツアルトの妻コンスタンツェ、トルストイの妻ソフィア。

モーツアルトがかなりの収入がありながらいつも金が足りず、借金の無心の手紙をたくさん残しているのは彼女のお金の始末が悪かったからという説が有力である。
トルストイは奥さんを嫌ってしょっちゅう家出をしていた。彼の死も家出がきっかけである。
トルストイの作品では「アンナカレーニナ」を第一に挙げる人が多い。「アンナカレーニナ」には実はヒロインが二人いる。一人はもちろんアンナカレーニナであり、もう一人はキティ。このキティこそ若き日のトルストイ夫人である。この作品を読んでアンナカレーニナよりキティに魅かれる人も多いが、後年のトルストイ夫人を連想して興ざめる人も多い(晩年の彼女の写真も残っているがキティの面影はどこにもない)。

 


日本はなぜ Japan か?

2008-08-20 19:43:30 | 言葉
一昨日に続き高島俊男先生の「キライな言葉勢揃い(文春文庫)」中の一遍「消えたジッポン」から引用
(なぜマルコポーロは日本のことをジパングといい、英語ではJapanだろうかと一度は疑問をもった人のために) 

以下引用開始
 
前略  
 「日本」という表記はずいぶん古くからいくらでもあるが、さてこれを口でどう言っていたかというと俄然資料に乏しい。
 しかし平安時代には漢音が正音であったのだから、正式には「ジッポン」であっただろうし、それはその後もつづいていたはずだ。 
 関が原の戦いのころにポルトガルの宣教師が作った「日葡辞書」というものがある。当時の日本語をポルトガル語で説明した辞書である。(今でも岩波書店から出ていてだれでも買えます)。これを見ると、「日本」は「ジッポン」、「ニフォン」、「ニッポン」と三箇所に出てくる。(当時のハヒフヘホの発音はfa,fi,fu,fe,foだからニフォンになる)。江戸時代の初めにはまだ「ジッポン」が生きていたことがわかる。ニッポン、ニフォンと合せて三本立てであった。
 そりゃそうだろうね。マルコポーロの「ジパング」も英語のジャパンも明らかにジッポン系だもの。なおマルコポーロが「グ」を付けているのは「ジパング」は「日本国」なのであって「グ」は「国」に対応している。(無論その前に渡宋、渡元した日本の僧などが自分たちの国のことを「日本国」と称したからであろうが)。ドイツ語やオランダ語のヤーパン、フランス語のジャポン、スペイン語のハポンなども同系である。
 
 無論これらはみな、直接には支那人が「ジッポン」と言っていたのを取り入れたのだろうが、当の日本自身にも「ジッポン」はあったのである。 以下略 以上引用

筆者注;
現代中国語では「日本国」の発音は「リーパンクオ」で「ジッポンクオ」はなくなった。なお小文字のjapanは漆器。

 元の正史「元朝秘史」に彼の記載がないことなどからマルコポーロの実在や彼が元に行ったことを疑う説もあるが、私は「東方見聞録」に多少の誇張(特にフビライとの関係で)があるにしても彼が実在し、北京でフビライに仕えたことは事実だと考えている。
 彼が日本を黄金の国と伝えたのは中尊寺に象徴されるように当時藤原氏の奥州は金の一大産地だったから。
 歴史のおもしろいところで、この本の実証的研究の成果がどうあろうと「東方見聞録」が大航海時代の開幕に大きく貢献したことは疑いない。

ジュライ、オーガストの不思議

2008-08-18 20:17:36 | 言葉

以下に尊敬する高島俊男先生の「明治タレント教授(文春文庫)」の中から表記の一遍を引用する

 いよいよ盛夏 しかしこの七月、八月というのはちょっと変ですね。どこが変かというと31日ある大の月が続く。こんなのはほかにはない。後はみんな互い違いです。 

 なんでこんなことになっているんだろう。英語では七月はJuly、八月はAugust。 ジュライはジュリアス・シーザーのジュリアス(Julius)である。もっともジュリアスシーザーは英語読みで、ラテン語ではユリウス・カエサルだ。そして七月をユリウスという。 
 シーザーは紀元前一世紀のローマの独裁者である。シーザー以前のローマの暦はまあ一言で言ってむちゃくちゃであった。でシーザーは天文学者を集めて新しい暦を作った。これが「ジュリウス・シーザーの暦」つまり「ユリウス暦」だ。 シーザーは七月生まれであったから、七月を「オレの月」つまり「ユリウス」と名づけた。それがいまだに尾を引いているわけである。 

 この新しい暦は一年を365日とした(ただし四年に一度閏年を置く。閏年は366日)。一年365日を十二の月に分け、奇数月は31日、偶数月は30日と互い違いにした。もっともそれでは合計366日になるので、どこかで一日減らさないといけない。それで2月を29日とした。 なんで二月が減らされたかというと、それまで一年は三月に始まり二月に終わったから一年のおしまいを1日減らしたわけである。 というと、一年が三月からはじまるなんてそんなアホなとおっしゃるむきがあるかもしれぬが、それは日本語で一月、二月、三月と月名を数で読んでいるからそんな感じがするだけである。 一年はマーチ(ラテン語ではマルティウス)で始まりフェブルアリ(フェブルアリウス)で終わっていたのだ。と言えばちっとも変ではない。
 
 シーザーは「ブルータスおまえもか」の最後の言葉を残して暗殺されせがれ(養子だけど)のアウグストゥスがあとを継いだ。このアウグストゥスというのが勝手なやつなんだ。おやじが自分の名前を付けたのならオレも付ける、オレは八月に戦争をして大勝利したから八月はオレの月だと言い張って八月を「アウグストゥス」とした。つまり英語のAugust。 

 それだけではすまない。ローマ人は奇数が縁起がいいと思っていた。ところが「オレの月」が30日しかないのはけしからんと八月を1日増やして31日にした。そのとばっちりで九月が30日になり、十月が31日なりと以下がちょうど逆になってしまった。 さらに八月を1日ふやした分はどこかで減らさなければならん、どうせ減らしついでだ、とまた二月からとったから、とうとう二月は28日しかないというみじめなことになっちゃった。 
 かくて七月、八月のところだけ大の月が並び、小の月は「西向く士」(二、四、六、九、十一)という甚だ不整なことになったわけである。 なおこの父子が自分の名前をつけるまでは、七月はクインティリウス(五番目の月)、八月はセクスティリウス(六番目の月)だった。一年は三月から始まるので七月が五番目、八月は六番目となるのは頭脳明晰なる読者諸賢にはすぐおわかりになりますね。                                                                     以下略 以上引用

筆者注;
 これはなんで七番目の月Septemberが九月、八番目の月Octoberが十月、九番目の月Novemberが十一月、十番目の月Decemberが十二月だろうという疑問への答えにもなっていますね。なおJanuaryはヤヌスJanusの月。Februaryは贖罪の月。
 ここにでてくるアウグストゥスはエジプトのプトレマイオス朝最後の王クレオパトラを滅ぼした人でもある。彼はシーザーと違ってクレオパトラの美貌にも惑わされなかった。
  なお現在使われている暦はグレゴリオ暦。これはユリウス暦に閏年の面で多少の修正を加えたもので基本的には変わっていない。

筆者が独り占めする(できっこないが)には惜しい情報だと思うので紹介した次第。

 
 これを読んで西洋史の先生と誤解される方もあるかもしれないが、高島先生の専門は中国語と中国文学。

 


報道にみる言葉の問題 Ⅴ

2008-08-14 08:02:43 | 言葉

役不足
 能力に比べて役が軽過ぎ、もっと重い任務がふさわしいという意味なのに謙遜のつもりで使う人がいるが、もののわかった人がいれば軽蔑されること疑いなし。それを言うのであれば「自分には役が重すぎる」とか「身に余る大役」と言うべし。

万が一、 願ってもない
 これは言葉のインフレに属する。「万が一」は本来可能性が0.01%つまり宝くじ並みの確率である場合に用いるべきであるが、どう見ても50%の蓋然性がある場合にも使う人がいる。その場合には「仮に」「もしも」というべきだろう。
 ラジオで野球中継を聞いているとランナーが二人たまったくらいで解説者が「願ってもないチャンス」なんて言っている。こんなことはしょっちゅうあることで「願ってもない」は大げさすぎる。

限定的 
 間違いではないが翻訳臭(limited )が強くていやですね。例えば新聞の株式市況で「円安・原油安が下支えするも、上値は限定的」。文字数が少なくて済むので見出しには都合がいいのだろう。

体調を崩す
 
訃報で決まって「誰それさんはいついつから体調を崩していました」という。なんで「発病していました」と言わないのか。 まるで各報道機関が申し合わせたみたいに表現がそろっている。

押っ取り刀(おっとりがたな)
 
刀は本来腰に差すものだが、その間も惜しんで手にもったままかけだすさま。堀部安兵衛が「高田の馬場の敵討ち」に駆けつけるようなシーンを想像してもらえばいい。「押っ取り刀で駆けつける」とは「身内、友人などの急を聞いて取るものも取り敢えず駆けつけること」。

耳障り(みみざわり)
 「目障り(めざわり)」と同じで「耳に障る」、「聞いて不快な」という悪い意味。したがって「耳障りはいいが」という言い方はナンセンス。言っている本人は「耳触り」のつもりかもしれないがそんな日本語はない。だからこれは「聞こえはいいが」とでも言うべし。 耳障りと言えば「なになにしてございます」という言い方は耳障りだ。「なになにしています」で十分。

ジンクス
 不吉なもの、縁起の悪いものという意味。

須く(すべからく)  
 この誤用もよく見かける。なまじ学のある学者に多い。「須く~すべし」で単に「~しなければならない」という意味。「須く」自体は意味がない。なくても意味は変わらない。「常に」とか「全体的に」という意味はない。 漢文読み下し時代からの慣用的な読み方だが意味はない。

天地無用
 運送関係者がこれを間違うと顧客からクレームがくること間違いなし。「上下を逆にしてはならない」ということ。 上下はどっちでも構わないという意味ではない。

ブービーメーカー
 ブービーは最下位、だからブービーメーカーは下から二番目。ところが日本のゴルフの表彰式ではなぜか逆に使われている。

ユニーク
 「唯一の」という意味。「風変わりな」は本来の意味ではない。

こだわる
 一つのことに執着し過ぎるという悪い意味だが、CMを聞いていると「何とかにこだわってみました」なんて自慢している。

モーニングサービス
 これは誤用ではなく勿論和製英語。英語ネイティブが聞けばおそらく「朝の礼拝」と勘違いするだろう。
 英語のサービスは意味が多様である。奉仕という意味もある。因みに東京女子大学の校章は二つのSを組み合わせたものだが、これは奉仕(service)と犠牲(sacrifice)。

 今では多様な機能をもった電子辞書が普及しているが、乗り物の中で携帯メールをしている人は見かけても電子辞書を開いている人を見たことがない。電子辞書は外国語学習だけのためにあるわけではない。よくわからない言葉は使わないこと。どうしても使いたければ辞書で調べてから使うこと。
 パソコンの普及のおかげで書けない漢字でも候補を出してくれるので誤字は増える傾向にあるようだ。

 私も料理の話で「おとしたまご(落とし卵)」と入力したら「落とした孫」に変換されたことがある。ワードの学習機能も十分でない。
 音声入力ソフト「ドラゴンスピーチ」ももっているが、今のところ幸いにもマニュアル入力の方が速いのであまりお世話になることはない。ただ引用文の入力には便利である。最新のOSウインドウズ・ビスタは音声入力の点で相当の改善が見られると聞いたがまだためしていない。

 松岡正剛の書評サイトを時々見るが誤字が多い。あんなにスタッフを抱えていてどうして誰も気づかないのだろう。 
 書評サイトと言えば私の好きな書評サイトがもう一つある。それは谷底ライオン。 

 尚、このブログでは一々断ってはいないが随時過去の投稿の誤字脱字修正と多少の字句の変更を行っているので過去の記事を再読していただいてもあながち無駄ではないかもしれない。その場合にも基本的な論旨は変えていない。

 


報道にみることばの問題 Ⅳ

2008-08-06 23:16:27 | 言葉
注意すべき政治家の用語

財政出動
 政治家や経済評論家がよく「財政出動」という言葉を使う。景気にかげりが見える最近は特にそうである。「財政出動」と言えばなんだかいいことみたいに聞こえるが、同じことを「ばら撒き」と言えばやや否定的に聞こえる。世論調査で「あなたは景気対策として『財政出動』に賛成ですか」と「あなたは景気対策として『ばら撒き』に賛成ですか」のいずれかの尋ね方を比較すれば間違いなく前者が、賛成者は多くなるはず。 従って世論調査では設問の仕方によって結果が異なることに留意すべきである。
 重要なことは財政出動をするかどうかではなくて何に使うかであって従来型の公共事業であってはならない。土木を中心とする公共事業では用地買収費の割合が高いので景気を浮揚させる乗数効果はさほど高くない。

事実とすれば
 2002年、いわゆる脱北者が日本の瀋陽総領事館に逃げ込んだのを追って、中国官憲が日本側に無断で構内に立ち入り彼らを連行した時、当時の川口外務大臣が「中国側の主権侵害に抗議する」と言ったのはいいが、その前に「もし事実とすれば」なんて留保条件を付けていた。
 「他国に抗議するのにそんな留保条件を付ける馬鹿がいるか。小役人みたいなことを言いやがって(川口さんは元通産官僚)」とテレビの前で憤慨に耐えなかった。
 そんなことを言えば相手は「事実かどうか確認してから出直しなさい」と言うに決まっている。(それにしても「脱北者」という外務省の用語もおかしいね。「ダッポクシャ」と聞いて瞬時に漢字がわかる人が当時どれだけいたのだろう。なぜ北朝鮮亡命者といわないのだろう。
 多分日本には亡命者受け入れに関する明確な法制度がないので「亡命者」の存在を認めたくないのだろう)。

 一昨日新彊カシュガルでの日本人記者の監禁暴行事件に関して日本側はまさかこうした言い方はしていないと思うが。

昨日福田首相は広島での平和式典で「(核兵器廃絶を)お誓い申しあげます」と言っていた。こういうことは丁寧ならいいってものではない。返って間延びして聞こえるので端的に力強く「誓います」の方がいい。
 丁寧と言えばやたら「~させていただきます」と言う人が民主党に約一名いましたね。
 「誓います」で思いだしたが高校野球の宣誓内容は今も生徒達に任せているのかな。そうだとすれば馬鹿馬鹿しいので止めた方がいい。あんなものは挨拶と同じなんだから型通りでいい。挨拶で個性を発揮しようなんてナンセンス。生徒達の負担であり、宣誓文の作成に気を取られてプレーに集中できないのではないか。
 それに今では宣誓で「(正々堂々と)戦う」がなくなったと聞いた。「戦う」は平和国家日本にふさわしくないということか。こんな比喩も許されない社会ってつまらないね。差別用語とやらの言葉狩も背景は同じ。

 ところで「百姓」は差別語に入るのだろうか。もしそうだとすれば、これ自体侮蔑語ではないが往々にして話者が軽蔑的に使用するのでこの言葉自体が悪い言葉とされたんでしょうね。この関係は「支那」と同じ。(マイクロソフトのワードでは一度で支那が出てこないので辞書に登録している。ワードは語彙が乏しいので辞書登録機能がなければ使いたくない)。

 「支那」が出たついでに。「支那事変(1937年7月7日~1945年8月15日)」のことを「日中戦争」という人がいるが甚だ不当である。日中両国は近代に入ってから何度も戦っている。大きなものだけでも日清戦争満州事変支那事変がある。その他の局地的な紛争に至っては「済南事変」等数え切れないくらい。「日中戦争」ではどれを指すのか或いは全体を指すのか曖昧になってしまう。

 そもそも戦争の命名権はそれぞれの国家の主権に属する。さかのぼってそれを否定することはできない。それはその戦争の理念或いは目的を認めるかどうかとは別の問題である。
 そういえば東支那海のことを東中国海と言っていた中国人がいた。中国では一般的には「東海」と言っている。
 「支那」を連発する石原知事も明日オリンピックの開会式に出席するため初めて中国の土を踏むので、中国でどんな発言をするのか注目される。東京オリンピック招致のことがあるので波風は立てないと思う。

報道にみる言葉の問題 Ⅲ

2008-07-30 14:15:45 | 言葉

言葉の誤読、誤用或いは不当な用法

一段落 
 「ひとだんらく」と読む人が多い。もちろん「いちだんらく」  

突出  
 私がこの語を使うのは「(炭鉱の)ガス突出事故」だけ。普通は「際立っている」或いは「傑出している」。 

~いるんです  
 よくNHKのアナウンサーがこれを使う。狎れ狎れしくていやですね。この言い方を流行らせたのは確か鈴木健二さんだと思う。

民間人  
 アフガニスタンやイラクでよく「米軍誤爆によって民間人が殺された」という言い方をする。まるで民間人を殺すのはいけないが公務員はいくら殺しても構わないみたい。非戦闘員というべし。 

圧巻 
 これは最優秀のもの或いは特に優れた部分を意味する。主に詩文に用いる。白眉とほぼ同じ意味。
 ラジオを聞いていると「ハイライト」「目玉」「売り」「見所」と言うべきところで「圧巻」と言っている。
 白眉と言えば元は「三国志の蜀誌馬良伝」から。馬兄弟では馬良がもっとも優れ彼の眉毛が白かったから。もっとも眉が白ければいいってわけではなくて阪神大震災の際、大分市議会議員上がりの白眉のおじさんが首相を努めていたがさっぱりでしたね。 

内閣改造  
 なんだか仰々しくていやですね。「閣僚のすげ替え」「閣僚の入替」でいいではないか。
  内閣改造と言えば福田さんは公明党の反対に遭って困っているみたい。公明党の反対理由は年内総選挙を希望しているので今改造をしても新閣僚の任期はわずかに4ヶ月しかないから。公明党はなぜ年内解散を希望しているのか。それは任期満了選挙になると来年の夏の都議会議員選挙とほぼ同時期となるので具合が悪いから。公明党はなぜ都議会議員選挙をそれほど重視しているのか。それはまた別の機会に。

どこの言語でも言葉のインフレ現象はあるが日本語では特にカタカナ語にそれが著しい。

カリスマ  
 元はギリシャ語で「神の賜物」「神の恵み」という意味。そこからM・ウェーバーが「カリスマ的支配」という概念を創出。超人的な偉大な英雄による支配を指す。ところがこれが日本語にかかると「カリスマ・トレーダー」や「カリスマ美容師」になる。きっとウェーバーは泣いているでしょうね。

マンション 
 本来は「広壮な邸宅(もちろん一戸建て)」。
これには嘘のような実話があってプロ野球の某球団とアメリカ人選手との契約で「マンションに住まわせる」となっていたのに日本に来てみれば彼にあてがわれたのはあちら流で言えば「アパートメントハウス」か「コンドミニアム」であって契約違反として問題になったことがあった。 

 私も以前ある日本人女性に「アパートにお住まいですか」と言ったところがむっとした表情で「マンションです」と言われたことがある。内心「どっちだって同じじゃないか」と思ったけど日本人には違うんでしょうね。 
 最近の英語辞書では日本流のマンションも載っているけどこれは恐らく日本語の影響でしょうね。


報道に見る言葉の問題 Ⅱ

2008-07-23 09:20:33 | 言葉

1、~にはまだ時間がかかりそうだ 
 
例えば、大分県の教員採用試験を巡って「県民の信頼を回復するにはなお時間がかかりそうだ」。まるで時間が経てばおのずと信頼が回復できるみたい。それどころか採用段階だけでなく昇進を巡っても賄賂が横行していることがわかり不信は募るばかり。だから「~にはまだ時間がかかりそうだ」という言い方は適当ではない。「信頼回復までの道のりは遠い」或いは「道のりは険しい」とすべきだろう。


2、結果を出す 
 これはスポーツで使われることが多い。例えば、「二岡(巨人)は一軍復帰緒戦で結果を出せなかった」など。本来「結果」は価値中立的な言葉でそれだけでプラスの意味はないのだから、せめて「よい結果」と言うべきだろう。 価値中立的で思い出したが「高く評価する」という意味で単に「評価する」という使い方をする人もある。私はこういう使い方はしないことにしている。

3、降水確率 
 天から水が降ってくるわけではなく、降ってくるのは雨、雪、霙(みぞれ)などである。なぜ降雨確率或いは降雪確率といわないのか。では雨か雪か霙かわからない時はどうするのかと言われそうだが、霰(あられ)、霙は雪に含めればいいし、雨より雪の可能性が高ければ降雪確率でいい。降雪確率と言ってすこしでも雨が降れば視聴者から文句がでるのを恐れているかもしれない。そうした役人(気象庁)らしい気の使い方は無用に願いたい。それより降水などという変な日本語を勝手に作らないでほしい。

4、異例 
 例えば、今年4月参議院で否決された法案を三分の二の多数で衆議院が再議決した際。確か過去一度だけある。 「異例」では過去例があるのかないのか曖昧であるから、「前例がない」或いは「60年ぶり」と言い方をしてほしい。まったく前例がないのかどうか調べる手間を省いたのかと疑いたくなる。

5、事故の調べ(しらべ)  
 ラジオの交通情報でよく「事故のしらべのため交通規制をしています」と言っている。「事故のしらべ」ってどんな音楽かなと一瞬思う。「調べる」を名詞として使う場合普通は調査或いは検証であって、取調べはあるが「しらべ」を単独で使うことはあまりないのではないか。


報道に見る言葉の問題 Ⅰ

2008-07-01 23:44:07 | 言葉

嫌いな言葉 

左が嫌いな言葉、右が同じ意味で私が使う言葉。理由は一々説明しませんので悪しからず。

さらなるこれ以上の、一層の
~とはいえ →~にもかかわらず、~だけれど
喫緊(きっきん)の~ →差し迫った~ 緊急の
~前倒し → 繰上げ
言うまでもなく
→言うまでもなければいわなければいい、書く以上は何がしかの意味があるからだろう。だから私はかつて「言うまでもなく」を使ったことがない。

  最近見た間違った言葉不祥事が露見した某社社長の反省の弁。「本当に体たらくな自分だったと思います」この人は「ていたらく」を「だめな」という意味で使っているが、これは間違っている。そもそも「ていたらく」単独では意味をなさないので、一個の独立した形容詞のような使い方はできない。

 今では悪い意味での「ざま(例:なんたるざまだ)」と同じ意味でしか使われていないが、元は悪い意味はなくて「富士山のていたらく(富士山のようす、かたち)」という言い方もあったくらい。

政治家独特の隠語

慎重に 
例:「消費税率の引き上げは慎重に」「憲法改正は慎重に」なぜ端的に「消費税率引き上げには反対である」「憲法改正には反対である」と言わないのか。 そもそも「慎重」の反意語は「軽率」であろう。「軽率にやるべし」なんて誰も言っていないのだから「慎重にやるべし」は当り前過ぎて一見ほとんど意味をなさないが、これが政治家にかかると上に述べたような意味になる。

政局  
例:「小沢代表はこの問題を政局にするつもりはない」これは「小沢代表はこの問題で内閣不信任案の提出等倒閣を目指す動きにはでない」という意味。こんな使い方は辞書にもないので、ご存知の方は相当の政界通と見受ける。 参考までに、先日の参議院での内閣問責決議案の可決は衆議院の内閣不信任案の可決と異なり何の法的効力もない。

マスコミの決まり文句
(よろこび或いは悲しみ)
を隠し切れず云々
よろこびや悲しみの感情は隠すべきものという思い込みがある。誰の葬式であれ、よろこびを表すのはまずいし、異性の友人の結婚式で悲しそうにしていればあらぬ疑いを招く。従ってこうした場面では感情を抑制する必要があるが、一般にはそうではない。

今後論議を呼ぶものとみられます
ニュースの終わりによくこの言い方を聞く。まるで問題化するのを煽っているみたい。それは報道の役割ではないだろう。


新聞によく見かける言葉の誤用

2008-06-06 11:15:46 | 言葉

禅譲
 
帝王がわが子に継がせず、もっともふさわしい有徳者にその地位を譲ることを言う。従って、先日のニュースにあったが、小泉元首相が将来衆議院の自分の選挙区を「次男(三男?)に禅譲か?」と言うのは間違い。それは「次男に世襲か?」というべし。そもそも単なる衆議院議員の地位は禅譲の対象とはなりえないし、小泉元首相の意思だけで当選者が決まるわけではない。決めるのは有権者である。

無実の人
 「アフガニスタンで米軍の誤爆によって大勢の『無実の人』が殺された」という言い方は間違い。「無実の人」とは刑事事件の被疑者或いは被告人となっていたが実はその罪を犯していなかったという意味である。この場合刑事事件とはなんの関係もないのだから正しくは「罪もない人」或いは「無辜(むこ)」と言うべきである。

逆鱗(げきりん)に触れる
 
逆鱗とは龍にあるとされている逆鱗のことを言う。中国では古来龍は帝王を象徴している。従って本来この語が使えるのは帝王或いはそれに準ずる地位にある人に限る。

騎虎の勢い 
 虎から下りたら、食い殺されるのだから、下りたくても下りられない、行くところまで行くしかないという意味。単に勢いがいいという意味ではない。

妙齢
 
一般に間違って使用されていることが多い。本来十八九から二十歳そこそこまでの女性を言う。従っていいおばさんにこれを使うのは間違い。

血税
 
これは誤用とは言えない。戦前と戦後で意味が変わった例。戦前、血税と言えば兵役の義務を言った。戦後徴兵制度はなくなり、この語はもっぱら別の意味に使用されるようになった。
  前にも言ったけど、新聞記者の文章からうかがえる大人の学力低下も相当深刻。