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ぼちぼちすすもう

夕凪の街 桜の国 読みました

2005-06-08 15:16:07 | Weblog


■ 昨日の宣言通り、こうの史代著「夕凪の街 桜の国」(双葉社)を読んだ。
  あまり多くを語るものではないことは思うものの、今の気持ちを忘れないために少し綴っておこう。


  今まで原爆被害を後世に伝えるためにと私が触れてきたものは、
  インパクトがありダイレクトに訴えかけるものがほとんどだったと思う。
  ヒロシマのこともナガサキのことも社会の授業で、テレビで、本で、
  それなりに触れて育ってきたはずだ。

  この本は、不思議と初々しくて清々しい気持ちを運んできた。  
  人が人と自然と係わって生きて、人が人を思いながら死んでいき、
  そして人が人を忘れずにいる。
  秋の夕方に吹く風にあたりながら、暖かな日差しを後頭部に感じるような感覚。

  でも、そんな気持ちになった後で、胃がしぼられるような、
  胸でもなく、胃でもなくその間のどこかが「ぎゅっと」なる感覚。
  何か大切なものを前触れもなくなくしたりしたときの血の気の引く感覚。
  首のうしろからあごの脇にかけてさわさわとなり、それが全身に広がる感覚。
  声をあげずに泣くときののどが痙攣する感覚。

  今まで触れ、学んだ時も同じ感覚を覚えたとは思う。
  でも今回は一入だった。。。。と思う。
  市井の人が年齢、性別、立場を問わず、一瞬にして自らの命や生活や愛しい人を
  もぎとられ、むしりとられたあの日、
  それでも生き抜いた人、そしてやっと心が落ち着いた頃に唐突に命を手折られた人、
  残された中からまた新たに芽生えた命。。。。。
  そんな全ての人が担ってきた、担わされてきた何かをそっと垣間見た気がする。

  昔、少女だった私は、今、母となった。
  私は二つの立場でこの本を読み、二つの立場で共有した。
  おそらく今だからこそ理解できることもあったはずだ。

  息子が何年生になったら、この話の真意を汲むことができるだろうか。
  広島の、長崎の子ども達だけでなく、日本中の小学校で平和教育をしっかりしてもらいたい。
  頭でわかっているだけでなく、ぜひとも子ども達には五感をフルに使って
  追体験をしてほしい。本の中のさまざまな立場を。
  どこかがざわつく感覚をぜひ体感してもらいたい。
  静かな分深く感じるであろう、この感覚を知ることは、これから平和を守るために必要な感覚だと思うから。

  この本は原爆に関する予備知識がなくても理解可能だろうか。
  他国の人が読んでも、同じようにゆさぶられるのだろうか。
  きっとわかる。と信じたい。
  云われなく何かを命を奪うことの残酷さと哀しさを。

  ぜひ読んでもらいたい。

■ 読み終わったあと過日のJR福知山線での事故を思い出した。
  偶然、電車に乗り合わせ事故に合った方々、
  偶然、つっこんだマンションに住んでいたため事故を目撃した方々、
  そこここで「何かができたんじゃないか」「動けなかった」「自分だけ生き残ってしまった」と聞くが、
  そのことを負い目にしないでほしいと思う。
  それは当然のことなのだ。  罪でもなんでもないのだ。
  すでに傷ついてしまった体も心も、もうこれ以上傷つけなくてもいいのだ。
  どうか一日も早く心の癒しがありますようにと心から思う。