シリーズ平成の本音―新天皇即位の礼を京都御所で何故行わないのか!!
政府は2019年4月30日の現天皇の退位、5月1日の新天皇の即位を受けて、同年10月22日に新天皇の「即位礼」を実施する方針を決定した。これにより新天皇即位が内外に宣明されることになり、祝意を表したい。しかし式典に使用される京都御所に保管されている「高御座(たかみくら)」が解体させたうえ東京に輸送され、式典後また解体され京都御所に戻される。総重量8トンで、解体・輸送経費9億円とも言われている。
1、新天皇の「即位礼」を京都御所で行い、居所とすることが望ましい
「高御座(たかみくら)」が玉座として新天皇の即位の礼に必要か否かは疑問の残るところではあるが、古式に則るというのであれば何故京都御所で挙行しないのか。「高御座」を何故解体までして京都御所から東京まで持ち出すのか。
歴史的に天皇は奈良、京都に都を築き、京都御所も京都に現にある。維新を迎えた明治天皇はじめ、大正天皇はもとより昭和天皇も即位の礼は京都御所で行っている。
現平成天皇については、昭和天皇ご崩御に伴う即位であり時間的な余裕もなく、また新憲法の下での初めての天皇の交代でもあり経験不足等であったため、一連の即位式を東京で行った。当時の問題としては、一部過激派グループに対する警備上の問題があったとされている。しかし今日では治安情勢は改善していると共に、警備力も向上していると思われるので、即位の礼は本来の歴史に則り京都御所で行うことが望ましい。歴史的に、東京で挙行された平成天皇の即位の礼は唯一の例外である。
一部には即位の礼には外国要人が多く招待される可能性があるので、京都には宿泊施設が不十分との意見もあるようだ。京都は、外国要人が頻繁に訪問する国際的な観光都市であり、また近接する大阪等の宿泊施設や関西空港や新幹線の存在を考慮すると、京都に難癖をつけているに等しい。
また現行憲法上天皇は国家元首ではなく、あくまでも国民の統合の象徴であり、対外的に日本を代表するものではない。主権は国民にあり、国民が選んだ国会で指名された首相が対外的にも日本を代表する実務上の元首と言えよう。従って国民的、国内的行事である即位の礼には、全世界から元首級を招待する必要はなく、在京の各国政府の代表である大使の他、日本皇室と緊密な関係がある王室等のある諸国からの国王、王女などの招待を中心にするなど、簡略化も可能であろう。
2、‘皇居’の京都御所への復帰と江戸城址の国民への奉還
(1)‘皇居’の京都御所への復帰
尊王攘夷派の江戸幕府との抗争は、江戸城の無血明け渡しという形で決着し、明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだ。それは将軍派の再起を抑える意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。
また1945年8月に日本が無条件降伏をした後も、昭和天皇は江戸城内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっていると言えよう。
新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては歴史的にも地理的にも喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に行くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子高齢化の本格化を迎え、税負担能力が低下する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金の削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。
(2)江戸城址の国民への奉還と東西の文化的バランスの回復の必要性
江戸城は、欧米列強が開国を狙う中、天皇を戴いた薩長土肥の尊王攘夷派が徳川幕府を倒し、勝海舟と西郷隆盛との協議の末、戦火を交えることなく徳川幕府が江戸城を明け渡し、江戸を戦火から守ると共に、欧州列強の介入を招くことなく、1868年に明治維新を迎えた経緯がある。
従って江戸城は、東京の前身である江戸と共に内戦で破壊されることなく引き継がれ、城内に‘皇居’が建設され、天皇が京都御所から移り住んだ。皇居のある江戸城は、第2次世界大戦においても米国による東京への絨毯爆撃の対象から除外され、焼失した大手門を除き、幸運にもその歴史的な姿が維持された。
江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、可能な範囲で復元、保存して人々に開放することが望まれる。
現状でも江戸城址は、内郭(主要建物を含む内堀内)でも東西2.3km、南北1.8kmで、周囲約7.8kmに及ぶ広大なもので、主要な門や周囲の石垣や建築物は重厚で、正に日本最大の城址を思わせる。また明治維新に向けての内戦を回避し、大手門以外は第2次世界大戦末期の爆撃からも逃れたため、城址内の植物や鳥、昆虫などは江戸時代以来の大変貴重な自然遺産だ。江戸城址内に江戸が残っていると言っても過言ではない。それを保全すると共に、江戸を象徴する江戸城址を保全し、文化遺産、自然遺産として公開することが望ましい。それは世界に誇れる貴重な観光資源ともなり、大きな経済効果も期待出来る。(江戸城址再興の詳細は、別掲「皇位継承は新時代にふさわしい簡素で親しみやすく」の4.を参照。)
明治維新後、江戸城は旧帝国憲法の下で、専制君主としての天皇のお住まいとして使用され、‘皇居’と呼ばれているが、それにより世界に誇れる大変貴重な歴史的な遺産江戸城が隠れてしまう結果となっている。
戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の歴史的、文化的な財産である江戸城に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。(2018.10.6.)
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政府は2019年4月30日の現天皇の退位、5月1日の新天皇の即位を受けて、同年10月22日に新天皇の「即位礼」を実施する方針を決定した。これにより新天皇即位が内外に宣明されることになり、祝意を表したい。しかし式典に使用される京都御所に保管されている「高御座(たかみくら)」が解体させたうえ東京に輸送され、式典後また解体され京都御所に戻される。総重量8トンで、解体・輸送経費9億円とも言われている。
1、新天皇の「即位礼」を京都御所で行い、居所とすることが望ましい
「高御座(たかみくら)」が玉座として新天皇の即位の礼に必要か否かは疑問の残るところではあるが、古式に則るというのであれば何故京都御所で挙行しないのか。「高御座」を何故解体までして京都御所から東京まで持ち出すのか。
歴史的に天皇は奈良、京都に都を築き、京都御所も京都に現にある。維新を迎えた明治天皇はじめ、大正天皇はもとより昭和天皇も即位の礼は京都御所で行っている。
現平成天皇については、昭和天皇ご崩御に伴う即位であり時間的な余裕もなく、また新憲法の下での初めての天皇の交代でもあり経験不足等であったため、一連の即位式を東京で行った。当時の問題としては、一部過激派グループに対する警備上の問題があったとされている。しかし今日では治安情勢は改善していると共に、警備力も向上していると思われるので、即位の礼は本来の歴史に則り京都御所で行うことが望ましい。歴史的に、東京で挙行された平成天皇の即位の礼は唯一の例外である。
一部には即位の礼には外国要人が多く招待される可能性があるので、京都には宿泊施設が不十分との意見もあるようだ。京都は、外国要人が頻繁に訪問する国際的な観光都市であり、また近接する大阪等の宿泊施設や関西空港や新幹線の存在を考慮すると、京都に難癖をつけているに等しい。
また現行憲法上天皇は国家元首ではなく、あくまでも国民の統合の象徴であり、対外的に日本を代表するものではない。主権は国民にあり、国民が選んだ国会で指名された首相が対外的にも日本を代表する実務上の元首と言えよう。従って国民的、国内的行事である即位の礼には、全世界から元首級を招待する必要はなく、在京の各国政府の代表である大使の他、日本皇室と緊密な関係がある王室等のある諸国からの国王、王女などの招待を中心にするなど、簡略化も可能であろう。
2、‘皇居’の京都御所への復帰と江戸城址の国民への奉還
(1)‘皇居’の京都御所への復帰
尊王攘夷派の江戸幕府との抗争は、江戸城の無血明け渡しという形で決着し、明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだ。それは将軍派の再起を抑える意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。
また1945年8月に日本が無条件降伏をした後も、昭和天皇は江戸城内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっていると言えよう。
新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては歴史的にも地理的にも喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に行くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子高齢化の本格化を迎え、税負担能力が低下する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金の削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。
(2)江戸城址の国民への奉還と東西の文化的バランスの回復の必要性
江戸城は、欧米列強が開国を狙う中、天皇を戴いた薩長土肥の尊王攘夷派が徳川幕府を倒し、勝海舟と西郷隆盛との協議の末、戦火を交えることなく徳川幕府が江戸城を明け渡し、江戸を戦火から守ると共に、欧州列強の介入を招くことなく、1868年に明治維新を迎えた経緯がある。
従って江戸城は、東京の前身である江戸と共に内戦で破壊されることなく引き継がれ、城内に‘皇居’が建設され、天皇が京都御所から移り住んだ。皇居のある江戸城は、第2次世界大戦においても米国による東京への絨毯爆撃の対象から除外され、焼失した大手門を除き、幸運にもその歴史的な姿が維持された。
江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、可能な範囲で復元、保存して人々に開放することが望まれる。
現状でも江戸城址は、内郭(主要建物を含む内堀内)でも東西2.3km、南北1.8kmで、周囲約7.8kmに及ぶ広大なもので、主要な門や周囲の石垣や建築物は重厚で、正に日本最大の城址を思わせる。また明治維新に向けての内戦を回避し、大手門以外は第2次世界大戦末期の爆撃からも逃れたため、城址内の植物や鳥、昆虫などは江戸時代以来の大変貴重な自然遺産だ。江戸城址内に江戸が残っていると言っても過言ではない。それを保全すると共に、江戸を象徴する江戸城址を保全し、文化遺産、自然遺産として公開することが望ましい。それは世界に誇れる貴重な観光資源ともなり、大きな経済効果も期待出来る。(江戸城址再興の詳細は、別掲「皇位継承は新時代にふさわしい簡素で親しみやすく」の4.を参照。)
明治維新後、江戸城は旧帝国憲法の下で、専制君主としての天皇のお住まいとして使用され、‘皇居’と呼ばれているが、それにより世界に誇れる大変貴重な歴史的な遺産江戸城が隠れてしまう結果となっている。
戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の歴史的、文化的な財産である江戸城に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。(2018.10.6.)
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