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元号強要は国民への追加的負担ー低労働生産性の象徴的要因ー!!

2023-11-02 | Weblog
元号強要は国民への追加的負担ー低労働生産性の象徴的要因ー!!
 4月1日、政府は新元号が「令和」となる旨発表した。4月末で「平成」は終了し、5月1日に新天皇となるに伴い新元号となる。これをビジネスチャンスと捉え各種の商品やサービスが提案されており、経済効果が期待される。もっとも5月2日の早朝のスポーツニュースで、令和初のホームラン、令和初のヒット、令和初の盗塁などなど、何かにつけて´令和初’を付けて報じていたが、野球と元号は関係はないので耳障りでチャンネルを変えた。ニュースにしたいのだろうが、無節操な報道姿勢の体質は変わっていない。
 世界は急速に国際化しており、元号で物事を世界としても出来ない。外国人が何かしようとしても元号で象徴される日本のガラパゴス制度が障壁となってしまう。外国人による対日投資について特区を設けることを検討しているようだが、それは元号のような国際的に通用しない制度が日本に存在するからであることを証明しているようなものだ。だから日本人は勤勉などと言われているのに、所得は低く生産性も低くなっている。それ自体の廃止・簡素化を図るべき時期になっている。

 新元号のネーミングについての評価はいろいろあると見られるが、元号で物事が変わるものではなく、その後為政者がどのような時代にしていくかに掛かっている。
一般国民にとっては、新元号になろうとなるまいと、増え続ける規則や慣例、慣行に縛られることなく、出来るだけシンプルで、ストレスが少なく、豊かで希望の持てる社会となることを待望している。
新たな時代に取り組むためには、新元号に期待を持たせるだけでなく、「平成」がどのような時代であったかも謙虚に評価することが必要だろう。その評価無くして進歩も改革も期待できない。
 新元号への変更については、政府、政府関係機関で各種申請書、文書、許認可証等の年号が円滑に進められるよう膨大な作業が行われている。地方公共団体や民間企業、団体でも元号使用に関連し各種の対応策が行われている。
 政府は、4月1日に新元号を公表し、混乱なく改元が進むよう対応が進んでいるとしているが、元号の決定プロセスの不明瞭性と共に、改元や元号使用に伴う国民生活や経済活動に追加的な負担となり、また犯罪の種ともなっている側面を見落としてはならない。
 改元に伴いキャシュ・カードなどの交換が必要として巧みにカードを盗む‘元号詐欺’が横行している。元号が使われる限り、今後もあの手この手で‘元号詐欺’は続くことが懸念されている。
 国民生活にとっては、元号が変わること時代計算や各種の申請書、履歴書類の作成などで作業を複雑にし、追加的な負担となっている。特に超高齢化している現在、明治、大正、昭和、平成、新元号と5元号を経ることになり、何年前だったかなど分からなくなってきている。NHKなどでも、元号でニュースを伝えることが多いが、何年前だったかなどが直ちには分からない場合がある。
多くの国民にとっては複数の年号を経るので元号表記は煩雑で、そのために費やす手間暇は可なりのもので、超高齢化の時代では更に煩雑な計算が必要となる。時間の喪失感は無視できないほどで、社会的な損失も大きい。
 元号は、一般国民の生活、各種活動において使用が強制されるものではないので、国民、企業、諸団体自らが西暦年号表記の使用を促進することが望ましい。
 日本にはこの種の伝統や慣習や時代と共に旧弊が多なる上、法律、規則、更には‘通達’などで公的機関への提出文書を細部まで定めていることが多い。一方日本人は良く働き、残業も多く、夏季休暇が以上に短い上休暇も返上して働くのに、労働生産性は欧米諸国が加盟するOECD 35カ国中20位(37年連続という醜態)、先進7カ国中では40日程度は夏季休暇を取るイタリア、フランスよりも低く最下位だ。
 要するに日本人は労働時間が長いのに反して賃金、役員報酬がおしなべて低いということに尽きる。では何故そんなに労働時間が長いのか。その大きな原因の一つが、元号の換算や箸の上げ下げまで規定する規則、‘通達’ずくめの制度にある。米国はじめ多くの国が、日本は市場参入が難かしい、投資が難しい、非関税障壁があるのではないかなど、市場の開放性に疑問に思っている。確かに日本人でありながら新規に何かをしようとすると制度や申請書類などが細かく複雑で大変だ。その上元号記載となることが多い。行政書士や代行業が流行るのもうなずける。  
古い慣習や制度、規則、通達類を、例えば10年ごと、20年毎など、一定期間で廃止することを義務付けるなど、簡素化して行かないと、労働生産性も上がらないし、市場参入などへの阻害要因がアルバム式に増えることになる。
 古い制度や規則を時代の変化に伴い漸次廃止していく意識と努力が必要だ。元号はその一つで、西暦年号の使用を一般化すべきだ。少なくても、地方公共団体を含め、行政への申請書類は西暦年号記載を認めるべきであろう。
 新元号の選定についても不明朗だ。政府は‘新元号選定委員会’を設け、数名の委員を任命しているが、明治天皇時代への復古的思想の強い日本会議のメンバーである女性作家はじめ財界の長老格やなどが中心で、偏向が強く、これが日本国民を代表しているとも思えない。
 元号の使用(その場合必ず西暦年を併記)は、宮中行事の他、憲法に規定されている天皇の「国事行為」に限定すべきではないか。それ以外については、元号使用は任意とし、西暦年号を認めるべきであろう。元号は日本独自の文化であり、伝統であるので、それを保存して行くことは大切であるが、世界がグローバル化し、各種の度量衡、基準、標準などが国際基準で統一されている今日、日本だけが「元号」表記を強要することは、ジャパン・オンリーの独りよがりであり、日本を更に‘ガラパゴス化’して行く恐れがある。現在、世界の人々は、日本の文化や伝統的な技能、技術、建築、日本食などを個々の目で評価しており、ジャパン・オンリーをことさらに強要する必要はなくなって来ていると言えよう。
(2019.5.2.再改定 )
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)

2023-11-02 | Weblog
靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償 (総合編) (再掲)

2023-11-02 | Weblog
甘い情勢認識と‘積極的平和主義’の代償 (総合編) (再掲)
 <はじめに>イスラエルによるパレスチナ領域とされるヨルダン西岸への入植拡大等が進む中で、パレスチナの武装集団ハマス(分断されているガザ地区を実効支配)のイスラエルへの大規模攻撃(2023 年10月 7日)に端を発するイスラエル軍によるガザ地区報復攻撃により、中東紛争が再燃した。これは第2次世界大戦後のこの地域におけるイスラエル建国以来のパレスチナとの対立であり、エルサレムがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地となっていることから、イスラエルを欧米諸国が支持し、十字軍以来のキリスト教とイスラム教の対立に根ざしている宗教戦争の様相を呈している。
 この背景として「イスラム国」(ISIS)出現と欧米諸国との対立と日本の対応のあり方について記した本稿を再掲する。(2023年10月28日)

 2015年1月20日午後(日本時間)、“日本政府及び日本国民へ”として「イスラム国」(ISIS)からと見られるビデオメッセージがインターネット動画YouYubeに投稿され、人質としている日本人2名(湯川、後藤両氏)をひざまずかせ、“身代金2億ドルを72時間以内に支払わなければ殺害する”旨表明した。動画に映る男は、背丈や、左手にナイフを持ち、拳銃をホールダーに吊るしており、手の動きや、喋る時に首を左右にかしげる仕草、英語のなまりなどから、昨年米国人や英国人を前にして同様の通告をし、その後殺害した人物と酷似している。営利目的にせよ、政治的な目的にせよ、許し難い国際犯罪行為だ。
 この戦闘員姿の人物は、“日本の首相よ”と呼び掛け、“「イスラム国」から8500キロ以上も離れているのに、自ら進んでイスラム国に対するこの十字軍に参加した”としつつ、2人の命は2億ドルとした。更に日本国民に呼び掛け、“日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドルを払うという愚かな選択をした”とし、命を救うための金額を2億ドルをとした理由に言及しつつ、期限は72時間などと迫った。
 安倍首相は、1月16日から1月21日までの予定でエジプト、イスラエル、パレスチナ等の中東諸国を訪問中であった。そして1月17日、最初の訪問国エジプトの経済合同委員会において演説し、「中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援」を新たに実施することを表明すると共に、イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためとしつつ、「人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束した。
 その2日後に、「イスラム国」側から首相に宛てた2人の日本人人質に対する上記の身代金要求と殺害予告が行われた。
 そして「イスラム国」(ISIS)側は期限までに身代金は支払わられないとの心証を得たのだろうか、1月24日、後藤氏が湯川氏の遺体と見られる写真を持つ映像をインターネット動画サイトで公開しつつ、後藤氏が英語で、身代金ではなく、ヨルダンの首都アンマンで連続ホテル自爆テロ事件に関わった‘サジダ・リシャウィ死刑囚’を釈放するようにとの「イスラム国」側の要求を伝えた。次いで1月27日午後11時頃、後藤氏が2014年12月にISの捕虜となったヨルダン軍パイロットと見られる男性の写真を手にし、“私には24時間しか残されていない”と述べ、‘リシャウィ死刑囚の釈放’を求めた。1月29日、「イスラム国」側は、リシャウィ死刑囚(ヨルダンで収監中)を29日日没(現地時間)までにトルコとIS支配地域との境界に連れてくるよう要求する声明をインターネットに公開した。しかしヨルダン政府側は、捕虜となっている同国パイロットとの交換を優先しつつ、同パイロットの安否の確認が得られない限り応じないとしていた。しかし2月1日午前5時過ぎ、「イスラム国」側は、“日本政府へのメッセージ”として、最初に登場した戦闘員と見られる男が“日本が有志連合に加担していること”を非難した後、後藤氏を殺害したとする映像をインターネットに公開した。そして男は、“日本の愚かな決定”により後藤氏は死ぬが、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”と結んだ。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。
日本人2名の「イスラム国」側による人質事件は、大変残念ながらこうして最悪の結末となった。
 このような犯罪行為が許されて良いものではない。しかし同時に次のような課題もある。
 1、甘い国際情勢認識と危機管理意識の欠如
 昨年8月に湯川氏がいわゆる“イスラム国”領内で捕まっていることや米国や英国のジャーナリストが捕まり、米、英が要求に応じなかったため処刑されたことなどは広く知られていたところであり、また、その救出のために昨年10月に後藤氏が“イスラム国”領内入って捕まり、11月頃より家族に対し10億円、或いは20億円にのぼる身代金を要求されていたことも外務、首相官邸サイドは知っていたとしている。
 このような状況にありながら、首相が中東に出向き、いわば“イスラム国”の面前で「ISIL(“イスラム国”)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援」することを約束すれば、“イスラム国”を刺激し、人質となっている2人の日本人の命を危うくすることは十分想定出来たはずである。
 日本が、国際テロとの戦いに各国と協力することは当然であろう。しかし“イスラム国”に対し、米、英両国を始めジョルダンなど50カ国近くの有志連合が“イスラム国”掃討のため連日のように空爆している最中に、日本が米国との同盟関係を強化し、集団的自衛権行使の実現を推進すると共に、中東での反“イスラム国”諸国を支援することを表明すればどのような結果を招くかを十分認識すべきであろう。
 事前の地域情勢判断の甘さと危機管理意識の欠如を指摘されても仕方がない。
更に後藤氏殺害の映像を受けて、安倍首相は安保関係閣僚会議の後、記者団に対し、これを非難すると共に、「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携する」としつつ、「食糧支援、医療支援などの中東への人道支援を更に拡充する」とした。テロを容認出来ないことについては全く同感であるが、「イスラム国」側が、後藤氏を殺害した後、“今後日本の国民は何処にいても殺戮されるだろう”としており、日本人への危険が高まっている時に、「中東への支援を拡充する」との趣旨を何故この時点で表明するのだろうか。日本は今回の事件の対応で、2人の尊い命を失った上、世界における日本人の安全を著しく低下させる結果となった。もう少ししたかな熟慮があって良いのかもしれない。世界における日本人の安全確保において政府首脳の言動が大きな影響を与えるものと予想され、日本が今後どのように外交を展開し、対外説明して行くのかなど、課題が残った。
 2、「積極的平和主義」等の犠牲と代償
 安倍政権は、ベトナムからインド、トルコに至る諸国を‘自由と繁栄の弧’とし、これら諸国との関係を増進すると共に、世界の平和と安定に積極的に貢献するという‘積極的平和主義’を推進しようとしている。今回の中東訪問もその一環と見られ、これら諸国に総額25億ドルの支援を表明すると共に、「ISIL(イスラム国)と闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度の支援」を約束した。
 このような外交姿勢は日本にとって一つの選択肢であろうが、‘積極的平和主義’には国民の大きな犠牲や代償が必要となることを国民は認識すべきであろう。今回の事件からそれが国民の目に明らかになった。
 また安倍政権は、日米同盟関係の強化を図り、更に集団的自衛権の行使を可能にし、海外での軍事行動には参加しないまでも、世界の平和と安全に米国と行動を共にし、‘積極的平和主義’を推進する方針としている。日米同盟関係の強化も日本にとって選択肢の一つであろうが、そのような対外姿勢により、日本は米国の外交、安全保障政策と同一視され、犠牲や代償を強いられることになろう。国民はそれを十分に認識すべきであろう。それ以上に、自・公政権は、このような国家目的の遂行のために、国民に犠牲、代償を強いることがあることを説明する責任があろう。同時に国民の生命、財産に大きな犠牲を強いる以上、政権側には結果責任を取る覚悟が必要であろう。
 そして日本がどのような対外姿勢をとるかは、最終的には国民が選択することになるので、国民の一人一人が日本の取るべき道を選択し、明らかにする必要があろう。
 なお、1月20日に“イスラム国”側から身代金要求がなされてから、日本政府は米国を含む関係各国と連絡を取り合ったが、米国が早い段階から‘テロとの戦いに日本と連携し対応する’旨表明する一方、国務省報道官が‘イスラム国側の要求に応じるべきではない’ことを再三にわたり内外に表明していたことは、心強かった反面、自国民なら兎も角、日本国民の生命が掛かっている時に、他国の手を縛り、日本人の命を危うくするような言動を表明することは踏み込み過ぎではなかろうか。日本側が、「イスラム国」が“有志連合による十字軍”と非難し、敵対関係にある諸国に協力や情報提供を求めることは良いとしても、それを公にし、米国が‘連携’を約束することにより、日本の反「イスラム国」色が際立つ結果となったと言えよう。
 またシリア、イラクに隣接し、日本と友好関係にあるヨルダンに現地対策室を設けたことは一見適切のように見えるが、ヨルダンが‘有志連合’による空爆に参加しており、「イスラム国」にとっては敵対国であるので、情勢判断の甘さが指摘されても仕方がないであろう。
 3、国民の側の危機管理意識と自己責任
 同時に、“イスラム国”の支配地域に足を踏み入れた2人の日本人についても、地域情勢の認識の甘さや危機管理意識の欠如、安易さが指摘されると共に、後藤氏自身が同地域に向かう前にビデオで表明していた通り、無謀な行為に対する自己責任意識をより強く持つことが望まれる。
 今回犠牲になられた日本人及びそのご遺族には、心から哀悼の意を表したい。このような残虐な国際犯罪を遂行する“イスラム国”の行為を容認することは出来ない。
 しかし“イスラム国”域内は内戦やテロ活動が続く一方、米英などの‘有志連合’による空爆が連日のように行われている戦闘地域であり、著しく危険な地域であることは分りきっていることである。そのような地に赴く行動の責任は重く、今回のような行為は容認出来ないが、残念ながらその結果は本人自身が受けていることを認識すべきであろう。
 なお、湯川氏が設立した‘民間軍事会社’とは一体どのような目的があるのか疑問だ。湯川氏自身も、自動小銃を保持して“イスラム国”領内に入り捕虜となったと見られている。民間戦闘要員や民兵の派遣・訓練、軍事物資の提供を“イスラム国”などに行うためなのか。警備会社ならともかく、‘民間軍事’事業の内容如何では非社会性も疑われるところであり、日本において認めて良いのか疑問は多い。また後藤氏については、家族へ身代金要求が来ているなどが明らかにされているが、湯川氏については‘民間軍事会社’へのこのような要求があったのか、或いは昨年8月以降救出のための努力はなされていたのかなど一切明らかにされていない。会社側に説明責任があるのではなかろうか。
 4、余り語られないもう一方の攻撃
 “イスラム国”の残酷、非人道的な犯罪行為を容認できない。世界のイスラム教信者は13億とも16億人とも言われているが、多くのイスラム教信者は‘公正’を尊重し、このような行為を支持はしていないと考えている。
 他方、殺戮行為は“イスラム国”やイスラム過激派だけが行っているものではない。米国を中心とする有志連合は、“イスラム国”支配地域を‘2000回以上空爆した’としており、空爆により多くの一般市民を殺傷し、各種の非軍事施設を破壊したと見られている。しかしその詳細はほとんど報道されておらず、知られていない。
 “イスラム国”圏外においても、アルカイーダ・グループなどの米国を中心とする‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は行われている。2001年の米国での9.11同時多発テロ以降、主としてアフガニスタン、パキスタン北部、イラク、イエメンなど、イスラム過激派への攻撃は続けられて来た。
 その詳細は余り伝えられていないが、多くの子供を含む民間人が巻き込まれ、殺害されている。米、英の民間組織が情報を集め、公表している。
 ロンドンのジャーナリズム検証事務局(BIJ)によると、2015年1月現在、米国の無人飛行機による爆撃は413回、死者は2,438から 3,942人、その内民間人の死者は416から959人で、168から204人の子供が含まれるとしている。
 アフガニスタンでは、米国の無人飛行機による爆撃は2002年以降1000 回以上行われており、民間人も巻き添えになっていたため、当時のカルザイ大統領は懸念を表明した。最近でも、2014年6月にパキスタン北部を無人飛行機が2度に亘り爆撃し、モスレム戦闘員とされる少なくても16人が死亡したとされるが、いずれも詳細は明らかにされていない。
 またイエメンでは、2014年11月、米国の無人飛行機による爆撃により、シャブワ州の訓練サイトとされる場所より戻っていたトラックが破壊され、アルカイダ戦闘員と疑われる10人と3人の労働者が殺害され、他2名が負傷したとされる。イエメンには、アルカイダ・アラビア半島グループ(AQAP)が存在し、戦闘員訓練センターがあるとされるが、トラックの乗員を確認し、民間人の被害を避けることが困難など問題が指摘されている。
 このように米国を中心とする多国籍軍や有志連合によるイスラム過激派に対する攻撃は各地で行われており、民間人や子供が巻き込まれて多くの死傷者が出ていることも事実であり、イスラム過激派にも言い分があるのであろう。またアフガニスタンなどで捕らえられたアルカイーダ分子などが、キューバにある米国のグアンタナモ刑務所に収容され、取り調べを受けていたが、その間各種の屈辱行為が行われたと報道されており、これに対する批判等があっても仕方がない。テロ行為を容認する気は毛頭ないが、過激派によるテロ行為や暴力は許さないが、欧米等による空爆や無人機爆撃により民間人、子供を巻き込んで殺傷するは容認するということであれば、心情論は別として、フェアーさを欠く。空爆等による被害内容の詳細はほとんど伝えられていない。ジャーナリズムを含め、物事を見る時は、或いは物事を解決しようとする場合は、双方の状況を見極めないと公正な見方や解決策とはなり難い。
 中東の情勢は、歴史的にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3つの宗教と部族集団が絡み、そしてフランス、イギリスの植民地支配を経て今日に至っており、複雑な歴史的背景がある。また一方で石油という戦略物資が存在し、他方で長期化するイスラエル、パレスチナ間の中東紛争を抱えており、経済的にも政治的にも国際情勢に全体に大きな影響を与えている地域である。
 従って「イスラム国」の問題は、第一義的には周辺のイスラム教諸国の問題であろう。これら諸国のイスラム教最高指導者レベルが会合し、イスラム教はこのような残虐なテロ行為や暴力を容認しないことを表明すれば、世界のイスラム教への誤解をとけるだろう。
 このような中で、米国は2001年9月の同時多発テロの後、アフガニスタンのタリバンとその庇護下にあったアルカイーダに対するいわゆる‘テロとの戦争’を開始した。また化学兵器など大量破壊兵器を保持しているとの情報に基づき(その後この情報は誤情報と判明)、サダムフセイン政権下のイラクに侵攻したが、米、英両国を中心とする多国籍軍の10年以上の軍事行動や支援にも拘らず、アフガニスタンについてもイラクについても樹立された政権が未だに全土を掌握出来る状況にない。更にイラクについては、シーア派(多数派)を中心とする政権を樹立させたものの、処刑されたサダムフセイン大統領の出身母体であるスンニ派(少数派)の支配地域(バクダッド以北)からシリア北部に掛けて「イスラム国」の出現を許している。
 また当初から恐れていた通り、アルカイーダなどのイスラム過激派は、イエメンやアフリカ中央部等に拡散している。またチュニジアからエジプトに掛けての‘アラブの春’と言われた民主化の波も、リビア、エジプトなどではイスラム過激派が浸透しており、安定していない。
 このようにイスラム過激派は中東、アフリカを中心として世界に拡散し、ボーダーレスの脅威となっている。また欧米諸国には第2世代の過激派や共鳴者も出現しており、米国、英国、フランスなどでテロ行為が行われている。
 2001年末から開始された‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、14年間継続され、アフガンとイラクに政権を樹立したものの、過激派テロ集団は押さえ込みに成功はしておらず、逆に世界各地に拡散、拡大しているのが現実だろう。
 一定の軍事行動による抑止と制圧は必要ではあるが、これまでのような軍事力と武力による制圧だけで良いのであろうか。アフガニスタンとイラクだけでも10年以上の月日を費やし、未だに先が見えないのに、更に「イスラム国」壊滅に向けて戦争を継続するのだろうか。テロ分子は世界各地に拡散しており、これから何年、何十年このような武力と暴力の連鎖を続けることになるのだろうか。
 「イスラム国」の問題は、まず周辺のイスラム教諸国の問題だ。中東情勢は、歴史的、宗教的、政治的に複雑で、周辺諸国を除けば、英、仏など旧植民地国、及びイスラエル、パレスチナ問題と石油資本に深く関わってきた米国等がより良く知っているだろう。従ってこれら欧米諸国と周辺イスラム教諸国と協議して、今後の対応を進めることが望まれる。
 日本は、石油をこの地域に依存してはいるが、歴史的に中東に足を踏み入れたことは無く、また人口の70%以上がブッダ教関係であり、神道を含めると宗教的にもイスラム教諸国との接点は少ない。しかし人道支援や難民支援を行うのは良いが、今回の事件の対応の仕方で、日本は欧米諸国を中心とする反「イスラム国」‘十字軍’に加担している国とのラベルを貼られてしまった。この地域での石油関連ビジネスもこれまで以上に危険にさらされることになるので、石油の確保、エネルギーの安全保障にも反するマイナスとなった。
国連の動きも鈍い。安保理は「イスラム国」の残虐な行為を非難したが、事務総長は仲介努力をしようともしていない。シリアのアサド大統領政府と反政府グループとの仲介も中途半端で放棄し、その後も難民問題を含め注目すべき動きはない。関係国に任せており、機能不全のようにも見える。国連事務総長の役割が課題となろう。
 いずれにしても米国により始められた‘国際テロとの戦争(War against Terror)’は、一定の効果はあり、心情的には成功を祈りたいが、国際テロの根絶どころか縮小にも成功していない。これまでの軍事力や武力に頼る政策から、イスラム教諸国との対話や協議を通じ一層の信頼醸成を図ると共に、法に基づく公正な対応も考えて行くべきではなかろうか。
(2015.2.5.)(All Rights Reserved.)
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