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大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?

2019-10-12 | Weblog
シリーズ本音トーク-大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?
 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?

2019-10-12 | Weblog
シリーズ本音トーク-大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?
 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?

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 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?

2019-10-12 | Weblog
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 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?

2019-10-12 | Weblog
シリーズ本音トーク-大嘗祭の東京挙行は歴史、憲法、価値観に反する!?
 2019年11月14、15日に予定されている大嘗祭実施のため、皇居のある江戸城趾東御苑に神殿が建設され始めている。
 宮内庁は、平成時代に沿って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模の予算を当てることとしていたが、新天皇の一回限り、2日間の宗
教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、フェンスから神殿建設を覗けるようにするなどの対策を施している。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭を国家行事とすることには大きな問題があるようだ。
1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしている
が、平成の即位関連行事は歴史的に例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。
 明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。
 宮内庁が何故平成にこれらの行事を東京で行うこととしたか定かではないが、恐らく昭和天皇の大葬の儀を東京で行い、また多忙であったことから、無考えに東京で行うこととしたものではなかろうか。
 一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。
2、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円の大盤振る舞い!
その中でも、即位の礼に使われる「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
 国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、またこれまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいるなかで、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金・労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。
3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
宮家が神道やこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきではない。
 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、宮内庁は社殿建設の模様を囲いの隙間から見えるようにして公開性を強調しているものの、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえているのかもしれない。
新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
4、若い世代の価値観の侵食、崩壊
今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値観は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
 確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。「地盤、看板、かばん」を引き継げる。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。
 憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。スポーツ分野などでの若い世代の活躍や世界進出は実にすばらしい。しかしそれは血のにじむような努力の結果なのであろう。それは限られた一部の人たちでしかないのだろうか。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
 民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。(2019.10.12.)
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