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安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?

2019-08-11 | Weblog
シリーズ本音トーク―安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?
 7月21日の参議院議員選挙に向けて与・野党がそれぞれの国民への政治課題を訴えている。政権与党は、「政治の安定」を最大の焦点としている。
 これに関連し、自民党支持を鮮明にしている保守系紙は、「安倍政権の評価が問われる」として政治的「安定と安心」が焦点としている。
 そこで安倍自・公政権の6年間の「安定」が国民に何をもたらしたか問うてみよう。
 1、 経済成長戦略の成果は局部的、低位安定 安倍自・公政権の「3本の矢」政策は、2009年からのゼロ金利、金融緩和政策の中で「異次元の金融緩和」とマイナス金利により、市場に大量の資金が流され、円安と株高をもたらすと共に、輸出産業や観光産業などに効果をもたらし、局部的に一定の効果をもたらした。
 しかし同時に次のような注意すべき副作用をもたらしている。
(1)地銀を含む市中銀行の衰退
長期の超低金利、ゼロ金利により地銀を含む市中銀行が衰退。多数の店舗削減とリストラが加速。金利のない状態継続は異常。
(2)預金金利が得れず銀行に行く意味が無くなった
 預金金利は実質無くなり、手数料や店頭での時間を考慮すると実質マイナス金利で、預金金利による収入機会が長期にわたり喪失。物価上昇を考慮すると大幅なマイナス金利となり、支出抑制の要因。
(3)経済政策の上での手段の手詰まり
 景気が低迷しても更なる金融緩和が困難。為替面でも効果的な円安誘導は困難。金利の無い金融政策はもはや、資本主義市場経済とは言えない。コスト観念の無い社会主義的中央管理経済と言えそうだ。
(4)株高は金融バブルか
 家計所得は減少しており、「いざなぎ景気」以来の景気継続はフェイク。「いざなぎ景気」は成長率10%前後の高成長が継続したが、アベノミクスでは1~2%の低成長で、景気は低迷。これが「景気継続」とは大いに疑問。

 2、 年金不安の増幅。
 年金だけでは暮らせない。安心どころか、将来不安が増幅。
 2013年1月からの安倍自・公政権において、年金は給付額が削減された上、給付年齢が引き上げられ、年金から強制的に差し引かれる介護保険料が引き上げられるなど、国民にとって年金受給額は後退した。
他方8%への消費増税が行われ、2019年10月には10%に引き上げられる。消費増税による政府の歳入増分が政府支出面で社会福祉に十分に充てられていない。

 3、『税と社会保障制度の一体改革』に取り組まず
 自民・公明連立政権は、民主党政権時代に「社会保障と税制の一体改革」に同意し、また議員定数の実質的削減にも同意し、2011年12月の総選挙で勝利し政権の座に返り咲いた。しかし安倍自・公政権は、口先ばかりで、「社会保障と税制の一体改革」に取り組むとの国会、国民への約束を実行していない。6年以上政権を保持し、国会で圧倒的多数を占めており、実施する意思があれば出来るのにかかわらず実施していない。
『安定政治』を標榜しているが、それは政権維持、党利党略のためだけであり、国民にとっては不安と負担増の結果となっている。

 4、 ロシアとの北方領土問題進展せず
 解決するとして選挙区の山口県にまでプーチン大統領を豪華におもてなしし、
「個人的信頼関係構築」などとして選挙のたびに国民に期待感を持たせたが、北方領土問題は解決しないどころか、解決の方向性も見えていない。
 米国のトランプ大統領との関係の構築自体は評価できるが、同大統領の言うなりで日米同盟を強化し、イージス・アショアーやステルス戦闘機など高額の兵器を大量に購入し、軍事同盟化に向かえば向かうほど、ロシア等は懸念を強め、北方領土も遠くなる。バランスある認識と外交が望まれる。日米「安定」、日ロ「不安定」では、安定とは言えないだろう。

 5、北朝鮮日本人拉致問題も進展の兆しもなし
 北朝鮮日本人拉致問題も自分の世代で解決するなどと、選挙のたびに期待感を持たせてきたが、米国頼みで、直接の接触もままならない状況だ。中国の習近平主席にも北朝鮮の金正恩委員長に伝言を託したようだが、『留意する』とのそっけない反応で、首脳会談などは全く見通せない。米国に先を越され、6年間何をやって来たのか。それが「政治の安定」の答えか。

 6、韓国文政権とは悪化の一途
 韓国の文政権とは、靖国参拝、歴史認識で対立し、「慰安婦問題」や「戦前戦中の徴用工問題」で問題が蒸し返され、その上日本の対韓輸出管理導入で対立が激化する恐れもある。それを外交当局の責任に転嫁する向きもあるが、首脳間のパイプの無さが最大だろう。6年間何をやって来たのか、それが「政治の安定」の答えか。
 過去6年間、安倍自・公連立政権は、「政治の安定」を売りにしてきたが、それは局部的な効果はあるものの、「政権維持のため」という保身、党利の色彩が強く、国民や国家の安定、安心にはそれほど結び付いてはいない。

 7、 財政健全化を断念
財政赤字が継続し1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するとしていたが、27年度に先送りした。これは安倍政権では事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の安定化は何ら達成されていないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。
 8、『東京一極集中解消』2020年目標も早々に断念
 安倍政権は、『東京一極集中解消』2020年達成の目標を掲げたが、ほとんど見るべき努力の跡もなく断念している。これもそれも『安定』重視の為なのか。

 これでは「政治の安定」とは、政権維持以外は、いわば安定にあぐらをかいて、ほとんど何もしないに等しい。それも有権者の選択であるので仕方がないが、大きく変化する時代の要求に沿って柔軟に‘変化’‘改革’して行かなければ、真の国家、国民の安定、安心は得られない。要は国民の選択に掛かっている。(2019.7.9.)シリーズ本音トーク―安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?
 7月21日の参議院議員選挙に向けて与・野党がそれぞれの国民への政治課題を訴えている。政権与党は、「政治の安定」を最大の焦点としている。
 これに関連し、自民党支持を鮮明にしている保守系紙は、「安倍政権の評価が問われる」として政治的「安定と安心」が焦点としている。
 そこで安倍自・公政権の6年間の「安定」が国民に何をもたらしたか問うてみよう。
 1、 経済成長戦略の成果は局部的、低位安定 安倍自・公政権の「3本の矢」政策は、2009年からのゼロ金利、金融緩和政策の中で「異次元の金融緩和」とマイナス金利により、市場に大量の資金が流され、円安と株高をもたらすと共に、輸出産業や観光産業などに効果をもたらし、局部的に一定の効果をもたらした。
 しかし同時に次のような注意すべき副作用をもたらしている。
(1)地銀を含む市中銀行の衰退
長期の超低金利、ゼロ金利により地銀を含む市中銀行が衰退。多数の店舗削減とリストラが加速。金利のない状態継続は異常。
(2)預金金利が得れず銀行に行く意味が無くなった
 預金金利は実質無くなり、手数料や店頭での時間を考慮すると実質マイナス金利で、預金金利による収入機会が長期にわたり喪失。物価上昇を考慮すると大幅なマイナス金利となり、支出抑制の要因。
(3)経済政策の上での手段の手詰まり
 景気が低迷しても更なる金融緩和が困難。為替面でも効果的な円安誘導は困難。金利の無い金融政策はもはや、資本主義市場経済とは言えない。コスト観念の無い社会主義的中央管理経済と言えそうだ。
(4)株高は金融バブルか
 家計所得は減少しており、「いざなぎ景気」以来の景気継続はフェイク。「いざなぎ景気」は成長率10%前後の高成長が継続したが、アベノミクスでは1~2%の低成長で、景気は低迷。これが「景気継続」とは大いに疑問。

 2、 年金不安の増幅。
 年金だけでは暮らせない。安心どころか、将来不安が増幅。
 2013年1月からの安倍自・公政権において、年金は給付額が削減された上、給付年齢が引き上げられ、年金から強制的に差し引かれる介護保険料が引き上げられるなど、国民にとって年金受給額は後退した。
他方8%への消費増税が行われ、2019年10月には10%に引き上げられる。消費増税による政府の歳入増分が政府支出面で社会福祉に十分に充てられていない。

 3、『税と社会保障制度の一体改革』に取り組まず
 自民・公明連立政権は、民主党政権時代に「社会保障と税制の一体改革」に同意し、また議員定数の実質的削減にも同意し、2011年12月の総選挙で勝利し政権の座に返り咲いた。しかし安倍自・公政権は、口先ばかりで、「社会保障と税制の一体改革」に取り組むとの国会、国民への約束を実行していない。6年以上政権を保持し、国会で圧倒的多数を占めており、実施する意思があれば出来るのにかかわらず実施していない。
『安定政治』を標榜しているが、それは政権維持、党利党略のためだけであり、国民にとっては不安と負担増の結果となっている。

 4、 ロシアとの北方領土問題進展せず
 解決するとして選挙区の山口県にまでプーチン大統領を豪華におもてなしし、
「個人的信頼関係構築」などとして選挙のたびに国民に期待感を持たせたが、北方領土問題は解決しないどころか、解決の方向性も見えていない。
 米国のトランプ大統領との関係の構築自体は評価できるが、同大統領の言うなりで日米同盟を強化し、イージス・アショアーやステルス戦闘機など高額の兵器を大量に購入し、軍事同盟化に向かえば向かうほど、ロシア等は懸念を強め、北方領土も遠くなる。バランスある認識と外交が望まれる。日米「安定」、日ロ「不安定」では、安定とは言えないだろう。

 5、北朝鮮日本人拉致問題も進展の兆しもなし
 北朝鮮日本人拉致問題も自分の世代で解決するなどと、選挙のたびに期待感を持たせてきたが、米国頼みで、直接の接触もままならない状況だ。中国の習近平主席にも北朝鮮の金正恩委員長に伝言を託したようだが、『留意する』とのそっけない反応で、首脳会談などは全く見通せない。米国に先を越され、6年間何をやって来たのか。それが「政治の安定」の答えか。

 6、韓国文政権とは悪化の一途
 韓国の文政権とは、靖国参拝、歴史認識で対立し、「慰安婦問題」や「戦前戦中の徴用工問題」で問題が蒸し返され、その上日本の対韓輸出管理導入で対立が激化する恐れもある。それを外交当局の責任に転嫁する向きもあるが、首脳間のパイプの無さが最大だろう。6年間何をやって来たのか、それが「政治の安定」の答えか。
 過去6年間、安倍自・公連立政権は、「政治の安定」を売りにしてきたが、それは局部的な効果はあるものの、「政権維持のため」という保身、党利の色彩が強く、国民や国家の安定、安心にはそれほど結び付いてはいない。

 7、 財政健全化を断念
財政赤字が継続し1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するとしていたが、27年度に先送りした。これは安倍政権では事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の安定化は何ら達成されていないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。
 8、『東京一極集中解消』2020年目標も早々に断念
 安倍政権は、『東京一極集中解消』2020年達成の目標を掲げたが、ほとんど見るべき努力の跡もなく断念している。これもそれも『安定』重視の為なのか。

 これでは「政治の安定」とは、政権維持以外は、いわば安定にあぐらをかいて、ほとんど何もしないに等しい。それも有権者の選択であるので仕方がないが、大きく変化する時代の要求に沿って柔軟に‘変化’‘改革’して行かなければ、真の国家、国民の安定、安心は得られない。要は国民の選択に掛かっている。(2019.7.9.)
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参議院定数改悪案、参院不要論の証明!!(再掲)

2019-08-11 | Weblog
 参議院定数改悪案、参院不要論の証明!!(再掲)
 延長国会に入った参議院において、地方での人口減に対応し、選挙区の合区と1票の格差是正のため、参院選の制度改革案が審議されている。2019年夏に参議院選挙があるため、選挙制度改革案を行わないと1票の格差が縮まらず、またまた裁判所で‘違憲’或は ‘違憲状態’との判決が出される。自民・公明両側は、従来‘違憲状態’は‘違憲’ではないとして、1票の格差是正を先延ばししてきたが、‘違憲状態’と‘違憲’とは同義で、‘違憲’と判決されなくても数も4増し、合計で議席を6増とする選挙制度改革案を了承した。
参議院で自民・公明両党と維新の会が臨時国会での成立を図りたいとしている。国会を延長した最大の理由がこれを通すためである。
一体何が‘改革案’なのだろうか。
鳥取・島根、徳島・高知を合区としたのは、これら4県の人口減により定員配分が多すぎ、1票の格差を象徴する選挙区となったため合区として是正したのであろう。それを今度は1票の格差を3倍以内に是正するために6議席も増やすのは、一体何のこと?人口減が進んでいるから合区にしたのでしょう。
人口減があるのを承知の上議席増を図るのは、よく言えば‘言っていることと、やっていることが違う’、言い方は良くないが‘火事場泥棒’のようなものではないのだろうか。
 国民の目には、この自・公連立政権は、言っていることと実際にやっていることとの差が大き過ぎるように見える。
 森友学園問題でも、首相夫人や首相自身か明治天皇の下での‘教育勅語’に沿った教育方針を評価していたことは事実であり、陰に陽に学校建設に関与し、或いは影響を与えていたことは事実であろう。それを国民に説明すれば済んだ話であったのに、それを否定したことから、財務省理財局はあわてて関連文書を廃棄したと嘘をつき、また関連部分をすべて削除するという公文書の改ざんを招いたのだろう。
 加計学園問題でも、‘2015年2月25日’に加計理事長は首相に会っていることは事実であろう。愛媛県の公文書に記録が残っている。公文書は、情報を共有し、後々のために言った、言わないというような疑義が出ないようにするために残すものであり、利害関係者の言葉よりも信ぴょう性が高い。会うこと自体は何も問題はない。しかし会っていないとすることはまっかな嘘であろう。関係した官邸の補佐官や官僚がこぞって関与を否定しているが、あ事実とは異なるのであろう。もし加計学園側が愛媛県に嘘の報告をしたのであれば、獣医学部の経営管理の資格、教育に携わる資格はない。
 政権、政権政党、関係官僚の政治的、道義的責任は重い。
 現在参議院で審議されている‘議席を6増して1票の格差を3倍以内にする’
という案は、日本の人口減という非常に大きな政策課題を全く理解せず、ただ目先の政治屋という職業を確保し、付けは国民に回すという非常に無責任、不見識な改悪案としか映らない。また‘1票に格差を3倍以内にする’ことも、ただ目先の‘違憲状態’をぎりぎりで回避するというだけで、国民の平等を確保するという点からすると程遠い小手先の違憲回避案でしかない。参議院としての見識、公正さが疑われても仕方がない。
 今回の自・公連立与党の参議院での対応から、次のことが言えそうだ。
1、参議院は税金の無駄、廃止、又は議席を半分以下にすべし
与党自民・公明両党と日本維新の会が、中長期の人口減という基本的な課題を理解せず、目先の政治屋職業の確保を優先していることは明らかであるので、参議院は廃止、或いは議席を半減しても良いのではないか。税金の無駄だ。
 そもそも現在の参議院は、衆議院のクローン組織、或いはコピーに近い存在であり、その必要性が疑われている。いずれにしても‘常識の府’からは程遠い。
2、個性を失い、自分の意見を持たない議員を作る政党助成金、その元凶である政党ベースの比例代表制は廃止すべし
政党助成金欲しさに議員は‘党議拘束’に盲従する。党の一体性を保つと言えば聞こえは良いが、議員の個性喪失、独自性の放棄でしかない。
 公明党は、支持母体が創価学会で、同じ宗教を信じるということであるので仕方がないのかもしれない。日本維新の会に至っては、自民党予備軍のようで、国政には意味がない政党になっている。日本に‘都’は一つで良い。大阪は大阪の有権者が決めることだろうが、大阪以外には維新の会は不要だ。
 ‘党議拘束’が強く、議員の個性が無くなっているのは、国庫(税金)から各党に政党助成金が出され、それを党が所属議員に給付していることが大きい。議員は党から回された国民の税金をほとんど自由に使える。そもそも、有権者の4割前後が無党派層であるので、税金から党に助成金を出すのは筋が違うのではないか。政党助成金を廃止し、出すのであれば、政党を問わず、国が議員(候補者)に直接支給し、報告義務を課すべきであろう。
 比例代表制については、投票所で‘政党を選ぶ’ことが事実上難しいと思う国民が多い。国民の4割前後が無党派層であるので、政党を選べと言われても選びようがないのだろう。中小政党が多数存在するが、多数決による国会運営ではほとんど無力で無意味に映っている。
 参議院は、議員を総とっかえするしかない。(2018.7.7.)参議院定数改悪案、参院不要論の証明!!(再掲)
 延長国会に入った参議院において、地方での人口減に対応し、選挙区の合区と1票の格差是正のため、参院選の制度改革案が審議されている。2019年夏に参議院選挙があるため、選挙制度改革案を行わないと1票の格差が縮まらず、またまた裁判所で‘違憲’或は ‘違憲状態’との判決が出される。自民・公明両側は、従来‘違憲状態’は‘違憲’ではないとして、1票の格差是正を先延ばししてきたが、‘違憲状態’と‘違憲’とは同義で、‘違憲’と判決されなくても、‘違憲’であることには変わりがない。
通常国会終盤の6月6日、自民党は、参院選挙区で「鳥取・島根」、「徳島・高知」の合区を継続しつつ、「1票の格差」是正と称し埼玉選挙区の定数を2増、比例代表の定数も4増し、合計で議席を6増とする選挙制度改革案を了承した。
参議院で自民・公明両党と維新の会が臨時国会での成立を図りたいとしている。国会を延長した最大の理由がこれを通すためである。
一体何が‘改革案’なのだろうか。
鳥取・島根、徳島・高知を合区としたのは、これら4県の人口減により定員配分が多すぎ、1票の格差を象徴する選挙区となったため合区として是正したのであろう。それを今度は1票の格差を3倍以内に是正するために6議席も増やすのは、一体何のこと?人口減が進んでいるから合区にしたのでしょう。
人口減があるのを承知の上議席増を図るのは、よく言えば‘言っていることと、やっていることが違う’、言い方は良くないが‘火事場泥棒’のようなものではないのだろうか。
 国民の目には、この自・公連立政権は、言っていることと実際にやっていることとの差が大き過ぎるように見える。
 森友学園問題でも、首相夫人や首相自身か明治天皇の下での‘教育勅語’に沿った教育方針を評価していたことは事実であり、陰に陽に学校建設に関与し、或いは影響を与えていたことは事実であろう。それを国民に説明すれば済んだ話であったのに、それを否定したことから、財務省理財局はあわてて関連文書を廃棄したと嘘をつき、また関連部分をすべて削除するという公文書の改ざんを招いたのだろう。
 加計学園問題でも、‘2015年2月25日’に加計理事長は首相に会っていることは事実であろう。愛媛県の公文書に記録が残っている。公文書は、情報を共有し、後々のために言った、言わないというような疑義が出ないようにするために残すものであり、利害関係者の言葉よりも信ぴょう性が高い。会うこと自体は何も問題はない。しかし会っていないとすることはまっかな嘘であろう。関係した官邸の補佐官や官僚がこぞって関与を否定しているが、あ事実とは異なるのであろう。もし加計学園側が愛媛県に嘘の報告をしたのであれば、獣医学部の経営管理の資格、教育に携わる資格はない。
 政権、政権政党、関係官僚の政治的、道義的責任は重い。
 現在参議院で審議されている‘議席を6増して1票の格差を3倍以内にする’
という案は、日本の人口減という非常に大きな政策課題を全く理解せず、ただ目先の政治屋という職業を確保し、付けは国民に回すという非常に無責任、不見識な改悪案としか映らない。また‘1票に格差を3倍以内にする’ことも、ただ目先の‘違憲状態’をぎりぎりで回避するというだけで、国民の平等を確保するという点からすると程遠い小手先の違憲回避案でしかない。参議院としての見識、公正さが疑われても仕方がない。
 今回の自・公連立与党の参議院での対応から、次のことが言えそうだ。
1、参議院は税金の無駄、廃止、又は議席を半分以下にすべし
与党自民・公明両党と日本維新の会が、中長期の人口減という基本的な課題を理解せず、目先の政治屋職業の確保を優先していることは明らかであるので、参議院は廃止、或いは議席を半減しても良いのではないか。税金の無駄だ。
 そもそも現在の参議院は、衆議院のクローン組織、或いはコピーに近い存在であり、その必要性が疑われている。いずれにしても‘常識の府’からは程遠い。
2、個性を失い、自分の意見を持たない議員を作る政党助成金、その元凶である政党ベースの比例代表制は廃止すべし
政党助成金欲しさに議員は‘党議拘束’に盲従する。党の一体性を保つと言えば聞こえは良いが、議員の個性喪失、独自性の放棄でしかない。
 公明党は、支持母体が創価学会で、同じ宗教を信じるということであるので仕方がないのかもしれない。日本維新の会に至っては、自民党予備軍のようで、国政には意味がない政党になっている。日本に‘都’は一つで良い。大阪は大阪の有権者が決めることだろうが、大阪以外には維新の会は不要だ。
 ‘党議拘束’が強く、議員の個性が無くなっているのは、国庫(税金)から各党に政党助成金が出され、それを党が所属議員に給付していることが大きい。議員は党から回された国民の税金をほとんど自由に使える。そもそも、有権者の4割前後が無党派層であるので、税金から党に助成金を出すのは筋が違うのではないか。政党助成金を廃止し、出すのであれば、政党を問わず、国が議員(候補者)に直接支給し、報告義務を課すべきであろう。
 比例代表制については、投票所で‘政党を選ぶ’ことが事実上難しいと思う国民が多い。国民の4割前後が無党派層であるので、政党を選べと言われても選びようがないのだろう。中小政党が多数存在するが、多数決による国会運営ではほとんど無力で無意味に映っている。
 参議院は、議員を総とっかえするしかない。(2018.7.7.)
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‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)

2019-08-11 | Weblog
シリーズ平成の本音―‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)
 2019年4月30日に平成天皇が退位、5月1日の新天皇が即位され、同年10月22日に新天皇の即位を内外に表明する「即位の礼」が実施される。
 新天皇のご即位をお祝いする。しかし戦後の新憲法の下でのあり方には違和感もある。即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。「帝国憲法」が廃止され新憲法となった居る今日でも、江戸城址内に宮内庁が占拠しているのも適切でない。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。

 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 江戸城址が開放されれば、国民の憩いの場、歴史研究の場や格好の観光スポットとして活用できる以上に、大規模災害時の都民の避難場所となると共に、緊急時総合対策センターとして活用できるように整備して置けば、都心の360度対応可能な緊急センターとして活用も出来る。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。
(2019.5.1.改定、同7.4.補足)(Copy Rights Reserved.)
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『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!

2019-08-11 | Weblog
 シリーズ本音トークー『東京一極集中解消』2020年目標を安倍政権断念!
 安倍政権は、『東京一極集中解消』を2020年までに達成することを断念し、改定案を検討することとしたことが分かった。
 同政権は、政権が発足して2年目の2014年に、人口減少対策として「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を閣議決定し、『東京一極集中』を2020年までに是正する計画であった。しかしその後2018年になっても東京への大幅な転入超過が続き、2020年までの目標達成が困難な見通しとなり、5年目にして目標達成を断念する旨を明らかにしている。
 政府・自民党は、「地方創生」を政権の目玉の一つとし、7月の参議院選挙に向けても「地方創生」を目玉の一つにしているが、『東京一極集中解消』が安倍政権の下で前進どころか、大幅な転入超過の後退となっているのが現実だ。掛け声ばかりで、逆に一極集中激化となっているので、「地方創生」自体も結果を出せず、空疎な掛け声だけで終わることが懸念される。
 1、『一極集中』を呼び込んでいるのは政府
 『東京一極集中』を呼び込み、地方の人口流出、過疎化を加速させたのは1990年代以降の政府である。1990年代初期に日本の人口減が予測され、実際に農村に嫁が来ず、後継ぎまで少なくなり、アジア途上国からの嫁取りや技能研修制度の名の下で事実上の低賃金外国人労働者の受け入れなどで凌いできた。だから地方の停滞はその頃から予測され、始まっていたことだ。中央政府は、都市機能の分散などを打ち出してはいたが、アリバイ造り程度のちまちました対応で、効果的な対策を取って来なかった。
 現自・公政権においても、「地方創生」を標榜して来ているが、その中身は、地方への選択的交付金、補助金等の交付が主であり、地方が中央政府に従属する形を固定化、強化する結果となっており、地方自治も地方の自主性も発揮される状況にはない。規制緩和の唯一の施策として提唱された「戦略特区制度」も、加計学園問題で明らかになった通り、政権との特殊な関係や忖度で進められ、その他に目に見える成果はない。そもそもこの「戦略特区制度」は、全般的な規制を前提として、地域を選別して規制を緩和するということであり、一見緩和と見えるが、全般的な規制に地域的な規制を加えることに等しく、規制の屋上屋でしかなく、地方振興にはほとんど効果はない。規制制度の複雑化でしかない。
 更に政府は、東京都を支援する形でオリンピック2020を推進し、膨大な費用を掛けて国立競技場の建設はじめ、各種のスポーツ施設を整備し、道路・鉄道などの交通網を整備しており、これにより東京には多くのスポーツ施設が集中し、長期にわたりスポーツのメッカとなると共に、それ等施設を利用した各種イベントも更に集中することになろう。
 これまでのような細々とした改善、施策の積み重ねは、努力は評価するが、効果は出ない。グランド・プランが不可欠のようだ。
 2、‘皇居’を‘京都御所’に戻すことが一極集中解消の切り札となる!
 天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっている。逆に江戸城にふたをし、歴史を封じ込める結果ともなる。宮内庁が未だに江戸城址内にあるのも歴史に反する。
新天皇の即位の礼は、平安朝以降の伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきではないだろうか。
 そうすれば京都に伝統的ないぶきが「入り、京都、滋賀、大阪、兵庫などを中心として関西は活気付くであろう。 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
 そのためには伊丹空港からの輸送手段の抜本的な改善はじめ、伝統を尊重したインフラ造りなどは必要となろう。
 3、首都圏直下地震対策としても‘皇居’を京都御所’へ
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 政府は首都圏直下地震等の大規模災害への対策が必要とし、国民に注意喚起をする形になっているが、抜本的な対策からは程遠い。(2019.6.18.)
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年金生活不安をもたらした安倍自・公政権の責任!!

2019-08-11 | Weblog
シリーズ本音トークー年金生活不安をもたらした安倍自・公政権の責任!!
 政府の金融審議会作業部会がまとめた「人生100年時代を見据えた資産形成を促す報告書」(2019年6月3日公表)は、「95歳まで生きるには年金収入だけでは足りず、夫婦で約2千万円の金融資産の取り崩しが必要になる」との試算を明らかにし、批判が相次いだ。安倍自・公政権が打ち出した「1億総活躍社会」や「人生100歳時代」が少なくても2000万円の金融資産がないと‘まぼろし~’であることが、政府内部の資料で暴かれた形だ。
 これに対し麻生財務相(副首相)は、「政府の政策スタンスに沿わない」などとして同報告書の受け取りを拒否した。自ら諮問したものでありながら、気にくわないと受け取り自体を拒否すると言う無責任ぶりだ。政府審議会というものは何のためか疑問が呈される。
また安倍首相は、6月26日の通常国会終了に際する記者会見で、この報告書を巡る野党の対応に関し、『具体的な対案もないまま、ただ不安だけをあおるような無責任な議論は決してあってはならない』旨批判した。そして『年金を増やす打ち出の小づちはない。年金を充実させる唯一の道は年金の原資を確かなものとすることだ』と指摘しつつ、経済面での実績を強調した。
しかし誰が無責任なのか。
 1、無責任なのは自・公政権
 そもそも老後、年金だけでは生活できないとの報告書をまとめたのは政府(金
融庁)の審議会ではないか。不安をあおったのはマスコミでも野党でもない。
厚労省や経産省でも老後の生活には年金に加え、2,000万から3,000万円が必要との試算をしていたと報じられている。
 責任を転嫁することこそ無責任の極みだ。

 2、後退した年金給付
 2013年1月からの安倍自・公政権において、国民が福祉制度改革を期待していたのに反し、年金は給付額が削減された上、給付年齢が引き上げられ、年金から強制的に差し引かれる介護保険料が引き上げられるなど、国民にとって年金受給額は後退した。
 その上8%への消費増税が行われ、2019年10月には10%に引き上げられる。国民は、消費増税による政府の歳入増により、年金を含む福祉が良くなると期待した。消費税は社会福祉に充てられるというふれ込みで増税されたわけであるので、国民が負担する増税分が政府にとっての『打ち出の小づち』になるはずだ。国民はそれに期待し消費増税をある程度容認したが、安倍自・公政権は、年金にはその『打ち出の小づち』を振らなかった。
 増税は仕方なかった面はあるが、問題は税の使い道にある。予算で票を集めるような選挙目当ての無駄が多く、事実上の票の買収に予算を使用すべきではない。

 3、『税と社会保障制度の一体改革』に取り組まず
 自民・公明連立政権は、民主党政権時代に「社会保障と税制の一体改革」に同意し、また議員定数の実質的削減にも同意し、2011年12月の総選挙で勝利し政権の座に返り咲いた。しかしいずれについても進んでいないばかりか、消費増税を実施し国民に負担を求めた一方、社会保障については反福祉の福祉切り、国民酷使政策に向かっている。
 安倍自・公政権は、口先ばかりで、「社会保障と税制の一体改革」に取り組むとの国会、国民への約束を実行していない。6年以上政権を保持していながら実施していない。しかも議席の上では圧倒的多数を占めており、実施する意思があれば出来るのにかかわらず実施していない。『安定政治』を標榜しているが、それは政権維持、党利党略のためだけであろう。国会、国民への約束を実行できるのに実行していないのであるから、その責任は重大だ。
 そもそも社会保障の改善のために消費増税を実施したとされているので、国民の負担が増加することは仕方ないが、年金他の社会保障サービスの向上、充実が図られるのであればという期待感が国民サイドにあった。しかしその期待は見事に裏切られている。自・公連立政権の下では、受益者へのサービスや給付額の改善は行わず、逆に個別に利用者、受給者の「負担増・給付減」を強いており、国民を騙しているに等しいのではないだろうか。
 年金が破たん状態になっており、また医療などの社会福祉支出が財政を圧迫し、今後更に財政が厳しくなることが予想されるのであれば、政府がまずやらなくてはならないことは、抜本的な経費節減、無駄の削減ではないだろうか。どの事業でも、業績が振るわず、赤字が増加し破たん状態になれば、まず人件費、管理費などのコスト削減を行うのが常識だ。
 安倍自・公政権は、行政、国会の人件費、管理費などのコスト削減にも取り組んでいない。何のための『安定政治』か。
 もっともその政権を選んで来たのは有権者自身であるから、有権者の責任も重い。有権者自身がもっとしっかりしなくてはならない。(2019.7.4.)
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大嘗祭は宗教行事であり政府による国家行事とすべきでない(改定版)

2019-08-11 | Weblog
シリーズ本音トーク―大嘗祭は宗教行事であり政府による国家行事とすべきでない(改定版)
 新天皇が初めて行う新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)と言うが、宮内庁は、大嘗祭を2019年11月14、15日に行う予定とし、「平成時代」を前例としてその準備を進めているが、基本的な疑問も呈されている。
1、大嘗祭は神道形式の天皇家の宗教行事
 この祀りごとは、天皇が五穀豊穣を祈るものであるが、新天皇が即位後初めて行う大嘗祭については、天皇の一世一代の‘秘儀’とされている。そのため、一般にはその内容の詳細は知られていないが、神話に則り、その年の新穀を天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)および天神地祇に供え、自らも食し、その天孫降臨と一体化する神道形式の宗教行事だ。つまり、天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)、即ち天照大神の子孫に、新天皇がなる儀式と言われる。

 2、大嘗祭を国家行事とすることも、国家予算を使うことも適当ではない
 宮家がこの儀式を信じるか否かは自由であるが、宗教行事である大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教行事を行うことは出来ない。また国家予算を使うべきでもない。
 宮内庁は、この大嘗祭を江戸城址(一部を皇居として使用)内の東御苑で行うとしている。平成天皇の大嘗祭もここで行われたが(1990年11月21日)、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円にも達し、高額に過ぎるとの批判があったことなどを考慮し、今回は東御苑の一部のみを使用し、節約を図るとしている。しかし大嘗祭は天皇家の神道行事そのものであり、天皇家の中にも‘公費を使用すべきでない’との意見がある。一方で大嘗祭を若干小規模として予算要求がなされているとの報道もある。
 その大半の大嘗祭関連予算が、江戸城址東御苑に社殿、社屋を建設する費用で、一回限りの行事のために27億円もの国家予算が使用される。それは神道形式の社殿建設そのものに他ならない。行事はその中で行われ、大嘗祭後取り壊されるものの、国家予算で神道の社殿、社屋を建設することは国家、政府が宗教行事を行うに等しく、容認されるものではない。
 現在九州豪雨被害で多くの人々が人命や家を失い、また昨年の西日本豪雨被害も癒えていない。更に東日本大地震や熊本地震などでも、未だに多くの人が仮設住宅生活を強いられている。このような状況で、新天皇の一回限りの宗教行事に27億円もの国費(税金)を掛けるより、これらの被災者の救済に使う方が国民の願いに沿っていると言えないだろうか。

 3、大嘗祭を江戸城址内(東御苑)で行うことは歴史に沿わない
 そもそもこのような神道形式の宗教行事を江戸城址内で行うべきではない。
 大嘗祭を行うとしている東御苑は、旧江戸城本丸跡の歴史的に由緒あり場所で、そこに神道形式の社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
 明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する官軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である天皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。
 宮内庁、政府は、「平成時代」を前例として即位の礼や大嘗祭を江戸城址内の皇居で行うとしているが、明治、大正、昭和の3天皇は、即位の礼や大嘗祭を京都(京都御所)で行っていることは歴史上の事実である。平成天皇がこれらを東京で行ったのは歴史上唯一の例外であり、いわば異端の例外を前例とするとは如何なることか。歴史上の例外である「平成時代」を「前例」とすべきか否かを検証する必要がある。
 更に、‘皇居’内に「三殿」が常設されており、天皇交代に伴い宗教行事が行われていることが報じられるようになり、国民の目にとまるようになった。「宮中三殿」は賢所、皇霊殿、神殿で構成され、中心として天照大神が祀られている神道の神社に相当するものであり、そこで新旧天皇がお参りや祈祷をするが、それは正に「神道」による宗教行事である。その内部は明らかにされていない。天皇も国民の一人として信仰、信条の自由があるが、国民の統合の象徴である天皇が、公の江戸城址にある‘皇居’内で特定宗教の神道行事を行うことは、「国の宗教活動を禁止する」憲法の趣旨の反するのではないか。そもそも国の財産である江戸城址内に神道神社である「三殿」が新憲法になった現在でも存在し、国費が使用されていることは、憲法の趣旨のみならず、江戸城址という歴史的な意味や価値に反するものではないだろうか。明治維新は終わり、その後の天皇君主制も帝国憲法も終わっている。
 新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもない、‘国民統合の象徴’である天皇が、江戸城址を占有することは、‘反幕府’、幕府支配の抑止、封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
宮内庁、政府が、このような日本の重要な歴史を踏みにじり、憲法に反するような宗教行事を強行するのであれば、天皇はもはや宮内庁、政府の権威を維持するためのもので、国民の象徴などではあり得ない。

4、「東御苑」を‘皇居東御苑’と称するのは歴史の冒涜
 江戸城址を‘皇居’と称するのも、歴史を閉じ込めるものではないだろうか。
特に江戸城天守閣跡や本丸などの江戸城の中心部の一角は「東御苑」として一般にも公開されているが(大手門、平川門、北桔橋門から一定日に入場可能)、ここが‘皇居東御苑’と呼称され、地図にもそのように表示されている。これまで気にもとめていなかったが、戦後74年も経ち、明治維新後擁立された‘日本帝国’は廃止され、新憲法の下で民主的な日本国として歩んで来た現在も、江戸城址の中心部が‘皇居東御苑’と呼称されているのは驚きだ。世界にも誇れる江戸城、江戸文化を考えると、歴史の冒涜であり、不適切となっている。
 その上、東御苑を含め江戸城址を宮内庁が所管しているのも時代錯誤と映る。「江戸城址」として文部科学省の所管とし、貴重な文化遺産として保存し、歴史研究や観光等に門戸を開放すべきではなかろうか。いずれにしても江戸城址は、世界にも誇れる貴重な国民の文化遺産であり、そうあるべきであろう。
一行政機関である宮内庁が江戸城址内にあることも、あたかも他の行政機関とは異なる国民から遠い存在との印象を与えると共に、国民を江戸城址から遠ざける結果となっており、明治維新、日本帝国時代ならともかく、時代錯誤であり今や好ましくない。
 最近外国人の観光者が著しく増えており、‘皇居’が外国人観光者の東京における人気の場所の一つになっている。その理由を外国人観光客にインタビューすると、「侍が好きだから」、「古くからの石垣に興味がある」など、武士や城に関連するところとしており、城址として認識されている。外国人観光客は江戸城址に関心があるようだ。その場所を‘皇居’という名称で‘江戸城址’という歴史的史跡を覆い隠す結果となっており、日本人のみならず外国観光客に対しても日本の歴史や貴重な文化遺産を正しく伝えていないことになりそうだ。
 明治以来の3代に亘る尊皇攘夷派支配は終わり、天皇は国民統合の象徴となっているので、天皇は京都御所に戻り、江戸城址は‘江戸城址’として国民及び世界からの観光客に開放すべきではないだろうか。因みに、京都御所は東西700m、南北に1.3kmの広大な敷地を擁し、現在参観を除けば、活用されていない。
 なお敢えて付言すれば、飛鳥、奈良時代を含め、明治天皇以前の天皇陵については研究目的の発掘、調査を原則許可し、歴史研究に資すべきであろう。
 いずれにしても天皇家の宗教行事である大嘗祭は、古来からの歴史に従って京都御所で行うことが適当であろう。もし京都で行うことが嫌であれば、伊勢神宮や明治神宮、昭和天皇の御陵地などで行うことも出来るだろう。
 また大嘗祭は、少しづつ形を変えながら古来より行われている貴重な歴史的な行事であり、無形文化と言えるので、衣装や装飾品、建物などを含め大切に保存すると共に、公開することが望まれる。(改定2019.1.26. 再改定2019.7.6.)
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トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと

2019-08-11 | Weblog
トランプ大統領の訪日に際し望まれたこと
5月25日より28日までトランプ大統領が国賓と訪日する。心より歓迎すると共に、快適で良い訪日であることを期待する。
訪日中には、天皇との会見の他、日・米首脳会談が行われ、朝鮮半島非核化を含む国際問題、安全保障問題や通商問題などにつき協議されると予想される。
日米安全保障問題については、両国首脳の良好な関係に沿って両国間の良好な同盟関係が再確認されよう。しかし日・米首脳間の関係が良好であれば、折角の機会であるので、次の潜在的な懸案につきトランプ大統領に提起し、理解と英断を求めることが期待される。
1、沖縄普天間米軍飛行場の迅速な返還と辺野古移設の再検討
普天間米軍飛行場の日本返還が合意されて20年以上経つ。またその代替として埋め立てが行われている辺野古沿岸の米海兵隊航空基地については、沖縄県民の一貫した反対で未だに目途が立っていない。その上20年以上経った今日でも、知事選や2019年衆議院議員補選についても与党は敗退している上、辺野古に関する県民投票(2019年2月24日)では7割以上が建設に反対している。
沖縄県民の民意は明らかであり、普天間米軍飛行場の即時返還と辺野古沿岸の軍用航空基地建設を中止し、代替地を検討することが望ましい。
安全保障問題は、中央政府の‘専管事項’とされているが、日本国内の特定県に外国の軍事基地を建設することは、県民生活に更に大きな影響を与えると共に、完成後の円滑な運用にとっても県民の理解と協力が必要であるので、沖縄県民の民意が尊重されるべきであろう。現状では、県民が示した民意と共に地方自治が完全否定されたに等しい状況であり、米国としても沖縄県に基地を持つ以上、民意をくみ取るべきであろう。
2、米軍横田基地上空の制空権の返還
米軍横田基地上空の制空権は、現在米軍に与えられているが、羽田空港を利用する民間航空の航路を制限しており、直ちに日本側に返還し、日本側航空当局との協議により使用されるべきであろう。
独立国で制空権を米軍に与えているのは世界で日本のみであり、速やかな是正が不可欠である。
3、日本駐在の米国軍人の職務外の犯罪の裁判権の日本への返還
日米地位協定において、米国軍人の職務外の行動における犯罪についても、日本側に裁判権はないという、植民地支配の状況が続いていることは驚きである。
米軍横田基地上空の制空権だけでなく、米国軍人の職務外の行動における裁判権についてもNATO諸国並みの対応が望まれる。
日・米が対等な同盟関係にあると言うのであれば、これらの不平等性について早急な改善が望まれる。
日米安全保障条約では、米国が第3国から攻撃されても日本は米国を防衛する義務はなく、不平等性が存在する。しかしこれは憲法上の制約によるものである一方、日本側は、米国に基地を提供すると共に、年によっても増減はあるが、年間約3,000億円近くの経費を負担しており、更に米国より多量の武器類を購入しているので、不平等性は相殺されていると言えよう。
両国首脳間に真の信頼関係があるのであれば、トランプ大統領の訪日を契機に上記の諸点につき進展することを期待したい。

日・米関係は、日本の外交、安保政策の礎であるが、軍事同盟化を強めれば強めるほど、ロシア等が反発を強めるのは十分予想ことであり、そうなれば北方領土問題の解決は益々遠のくことが予想される。米・ロが関係を修復し、日・米・ロ3国間の関係改善と交流の促進が望まれる。
ロシアのプーチン大統領は、北方領土は『戦争で取得したもの』であり、ロシアの領土としているが、だからこそ北方領土問題を解決し、平和条約を締結しようとしていることを、ロシア側は理解すべきであろう。(2019.5.24.)(All Rights Reserved.)
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参議院に有権者がダメ出し!!

2019-08-11 | Weblog
 シリーズ本音トークー参議院に有権者がダメ出し!!
 7月21日、参議院議員選挙が行われたが、盛り上がりも無く、投票率は48.8%と5割を切った。最終的な数値は選挙管理委員会から発表されようが、1995年の参院選の投票率44.5%に次ぐ戦後最低の投票率となった。
 1、参議院の意義に有権者ダメ出し!
 投票率が5割を切った、しかも戦後2回も5割を切ったということは、5割以上の有権者が参議院の存立意義を認めていないということに他ならず、国会改革が今後の最大の課題となったと言えよう。
 参議院は、少子高齢化、人口減の中で、6議席を増加すると言う極楽トンボのような決定をし、ひんしゅくを買い、投票率も低迷した。衆参両院とも、政府予算による政党助成金から各議員に助成金が配られることにより、党の議員への束縛が強くなり、衆議院であれ、参議院であれ、党議に拘束されることから、参議院の独自性は殆どなく、衆議院と同様の投票パターンを取り、いわば‘衆議院のクローン’、或いは2軍のような存在となっており、その存在意義はほとんどない。あるのは参議院議員という職業でしかなくなっている。それが国民の負担となっている。
 今回投票率が1995年に続いて5割を切ったことにより、参議院を廃止するか、議員数100名程度に削減し、それぞれの議員の独自性と発信力を高めるなど、抜本改革が迫られる形となったと言えそうだ。

 2、単独過半数を取れなかった自民党の退潮
 自民党は、改選議席(66議席)から9議席失い、非改選(56議席)を加え113議席となり、参議院での単独過半数を獲得できなかった。
 選挙前に保守系紙が今回の参院選は6年間の「安倍政権への評価が問われる」旨報じていたが、この点からすると評価されなかったことを意味する。政権の終わりの始まりと言えよう。

 3、自・公両党と維新の会合計でも2/3を維持できず、憲法改正は絶望的!
 今回の参院選で、自・公両党と維新の会の保守3党合計で157議席しか獲得できず、改憲発議に必要な3分の2(164議席)を割った。
 安倍政権は憲法改正を訴え続けてきたが、掛け声とは裏腹に6年間で議論は進まず、同政権の下では憲法改正は事実上困難になったと言えよう。
 もっとも改憲については、自民党内にも懐疑論がある上、公明党は消極的であるので、3分の2は更に遠のいた。安倍政権の6年間において、靖国参拝、戦争責任を有する東条内閣尊崇、森友学園問題で明らかとなった旧帝国憲法、教育勅語への傾斜、天皇の権威を高め保守基盤の強化、本格的な再軍備などの意図が明らかとなり、国会内外で警戒感が増したと見る向きもある。

 4、無党派層を遠のける党派別比例代表制と政党助成金の弊害
 7月の参院選挙で有権者の51%超が投票しなかったが、その多くが有権者のほぼ4割を占める無党派層と見られる。
 無党派層は、投票所に行っても比例代表制で政党を選べと言われても正直戸惑うようだ。そもそも「無党派」であるので「政党」を選べない。現在の「党派別比例代表制」の下では、行っても無駄なのである。「党派別比例代表制」は、有権者に政党選択を強要するもので、思想、信条の自由にも反する。
 これに関連して、国家予算(税金)による政党助成金についても、無党派層の国民、納税者にとっては不可解なものだ。政党助成金は、選挙に金が掛かるので、立候補者への金銭的負担を軽減する等のために、中選挙区から1人制の小選挙区制への移行と共に導入されたものだが、今や実質的に企業献金が復活し、経団連が政党を評価し、多額の献金を政党ごとに行っている。
 経済団体による多額の献金が復活した現在、国家予算(税金)による政党助成金は廃止しても良いのではないか。共産党は政党助成金を受け取っていない。共産党が政党助成金なしで党運営が出来るなら、他の政党も出来るであろう。それが民主主義の本来の姿とも言える。
 また政党助成金は、政党による個人献金の拡大努力を阻んでいる。共産党や公明党などの支持グループが限定的な政党は別として、与野党とも党員、党友の拡大はほとんど見られず、個人献金に至っては低迷している。政党も国家予算(税金)と企業献金頼みで努力も形だけのように見える。
 政党助成金は、各政党ごとに各議員に配賦されるが、これにより党の議員に対する縛りが実質的に強くなり、党議に拘束され、議員の個性や見解は抑制される傾向にある。また特定政党が長期に政権を取ると、多額の政党助成金や企業献金などが入り続けると共に、権力が総裁に集中し独裁的傾向に陥ることになる。政党助成金による政党支援は、いわば‘政党の公営’とも言え、政党が未発達、未成熟な場合は別とし、本来の民主主義の在り方に沿わない。政党助成金は廃止しても良い時期だ。各党、各議員は、日常から国民との関係をより緊密にすると共に、そのような活動の中で国民の政治への関心を高め、政党支持者を拡大することにもっと努力すべきであろう。
(2018.7.24.)
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韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲

2019-08-11 | Weblog
シリーズ本音トーク―韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲
 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。
(2017.11.23.)
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