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シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-

2008-09-12 | Weblog
シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-
 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-

2008-09-12 | Weblog
シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-
 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-

2008-09-12 | Weblog
シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-
 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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2008-09-12 | Weblog
シリーズ平成の「変」-自民総裁選、改革粛清出来レースの「変」-
 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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 福田首相の唐突な辞任表明を受けて、自民党総裁選が行われることとなり、麻生、与謝野、小池、石原(伸)、石破の5氏が立候補の届出をした。戦後ほぼ連続して政権を担って来た政党として公正な選挙と諸氏の健闘を祈りたい。
 しかしどうもしっくりしない。小泉首相が2005年9月に郵政選挙で大勝して以後、安倍、福田首相へと政権が引き継がれたが、両首相とも、政権の座についてから1年内外でそれぞれの理由で政権運営に行き詰まり、辞任している。だから直ぐ党の総裁選を行い、頭を挿げ替え、看板を架け替えて新しい政権を発足させれば良いということにはならない。
 本来であれば、衆院選挙の洗礼を受けていない首相が2代続けて政権を放り出し、国民に迷惑を掛けたのであるから、直ちに下野し、野党に政権を託すか、有権者の判断を受けるのが筋ではなかろうか。こう言うと、「政局」を作ることを目的としているとの批判があるかもしれない。しかし、国民に信を問うことも無く、2度も首相を代え、ただただ政権にしがみついていることの方が国民の利益に反し、民主主義の趣旨に反するのではないか。
 福田首相は、衆議院議員の任期が09年9月に迫り総選挙が近づくにつれて、党内や連立している公明党から、福田首相の下では選挙は出来ないとして「代われ、代われ」の声やバッシングが飛び交い、辞任に追い込まれたとも言える。それを党が支えられなかった。 
その党の実質的な責任者であり、スポークスマンが麻生幹事長であるが、福田政権を党として支えられなかった麻生氏が総裁選に立候補している。「変」である。同氏は、安倍前総理の辞任に際しても幹事長であった。どのような理由があるにせよ、党として立て続けに2度も政権を支えられなかったことに対し幹事長として責任を感じると思いきや、他人事のように総裁選に立候補しているのはどうもしっくり来ない。と言うより「変」ではないか。自党の総理・総裁とはその程度のものなのか。総理・総裁を一旦選んだ以上、その任期中は総理・総裁のリーダーシップに委ね、基本的にはその政策、方針に従い、党もそれを支えるという慣習を築いて行かなければ、リーダーシップが発揮出来ないばかりか、政治も安定しない。
 今回のようなことは政治の世界では良くあるとしても、福田政権が推進して来た消費者庁新設や公務員制度改革など含め、その政策を引き継ぐとして総裁選に立候補するのであれば分からないではない。しかし5人の立候補者で福田政権の政策を引き継ぐとしている候補者は一人もいない。これでは溜まりに溜まった“行政メタボ”の解消の道筋どころか、影も見えなくなりそうだ。各候補は、「赤字公債なども辞さない景気対策」、「増税も辞さない財政再建」、「心のこもった改革」、「地方格差の是正」など、様々な論点を主張している。これらの主張は、経済無策や増税論の凍結、改革の後退などに対する福田政権への批判にも繋がる。こんなに党内の意見が割れているのでは、もどちらを向いて政権運営すれば良いのか分からなくなるのももっともだ。「変」である。福田降しによる改革粛清の「変」である。
 「景気対策が一番でしょう」と言うのも分かるが、何かしっくりしない。何故だろう。最近の国民の最大の関心であり将来不安の種は、年金問題であり、抜本的な救済策が見えないまま結論がだらだらと先送りされていることにある。年金記録漏れが表面化して2年が過ぎる。これに次いで生活を更に圧迫しているのは、石油や公共料金を含む広範な物価高である。将来不安と目の前の物価高で消費は萎縮する。国民が一番知りたいのは、年金問題はどうなるのか、将来は額面通り保障されるのかという答えである。そして物価高はどうしてくれるのかという物価対策であろう。目先の「景気対策」で特定グループを利益誘導するのではなく、国民の将来不安と現実の物価高を解消するような誠意ある議論を期待したいものだ。
 いずれにしても、5人の候補者の内、与謝野、麻生両候補以外の3候補は中堅議員で、古参議員を含め幅広い支持を取り付けることは困難そうであり、今回はいわば“祭りのお囃子”のような役回りになるのであろう。野党民主党の代表が無投票で再任されることを前提として、総裁選の守り立て役と話題作りであるとも言われている。しかし、連立している公明党代表が無投票で再任される見通しであるので、野党を独裁的と批判するのであれば公明党も同様であり、余りはしゃぎすぎると公明党の影が益々薄くなり、自公連立にも響いて来そうだ。
また東京都より3人の総裁候補が出ているが、文字通り乱立であり、東京より首相をという都民の願いは届きそうにない。しかし各候補は、来るべき総選挙には激戦区東京での格好のウオームアップになりメリットがあるのだろう。
だが今回はあくまでも自民一党の総裁選挙であり、事前活動とならないようにフェアーネスが維持される必要もあろう。各都道府県で党員・党友による投票が行われるようだが、自民党の党員・党友は全国で120万人強でしかなく、有権者約1億3百万人の1.2%前後でしかない。(Copy Right Reserved.)
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