
―――2010年10月17日、中央線201系完全撤退。
そんな情報が流れたのがH4引退3日前の6月17日。
普通なら中央線など全く縁のない関西民の自分ですが、生まれは豊田、3歳まで武蔵小金井在住、親戚が豊田と立川に住んでおり長期休みになるとほぼ毎年遊びに行っていたので、中央線は自分にとって上京したときの楽しみの一つでもありました。
東京駅での新幹線からの乗換えで、長い長いエスカレーターを上った先に見えてくるオレンジ色のボディにわくわくしたものです。
そんなオレンジ電車も今日この日をもって引退。
当日は以前から予定があったので乗車も撮影も諦めていたのですが、前夜、いてもたってもいられず夕方までの予定を全てキャンセル。急遽当日始発の新幹線で上京しました。
豊田に着いたのが出発1時間前の午前9時10分。
ヘッドマークがついたと噂されるその姿を見るべく、まずは豊田区の検収庫脇へ…。

いつもの「中央特快」ではなく、そこには「ありがとう」の文字が…。
そして、この日は超強行スケジュール。元々時間もない上に出発時刻も迫ってきたので、出庫シーンを撮るべく急いで駅よりの橋へ移動します。

元気に活躍する後輩を尻目に最後の豊田区出庫。

助手席にある花束がこれでラストだということを実感させてくれました。
この後もダッシュで移動。
ちなみに前述のとおり夕方から予定があるので、都合上、本番のさよなら運転で自分が駅間で撮影できるのはこの1回のみ。
悩んだ末に選んだ撮影地は…

豊田~八王子のS字カーブ、通称トタS。
ここに着いたのが通過10分前だったので、もちろん先客がいないはずもなく半ば諦めていたのですが、なんとか場所を確保する事ができました。
初めて一眼レフ(Canon EOS kiss)を手にした時から、親戚の家から近いという事もあり散々通ったこの撮影地。一眼レフでの最初のショットもここでの201系でした。

ファーストショット。2005-1-3
当時は使い方がよくわからず、オートのスポーツモードで撮ったのを今でも覚えています。

この時は編成番号など全く意識せず、ただただ通勤快速が撮りたい一心で撮影したH17時代のH7。2006-8-1?

編成番号がH7に変わり、自分のカメラもNikon D90に変わり、H4と仲良く活躍していた頃の最後の2年間。2009-3-27

ただ言える事は、初めて本格的に鉄道写真撮影を始めたきっかけのこの場所で、201系の最期をカメラに収める事ができて本当によかった。201系が消えてしまった今、訪れる回数は必然的に少なくなるだろうけど、やっぱり今でもお気に入りの撮影地です。
というわけでこれにて終了―――なはずがなく、時間の許す限りの追っかけをするため、かいじ103号に乗り最終目的地の甲府へ。

甲府駅でも他の撮影地と同じく長い警笛とともに入線。
ものすごい数の人で撮影場所がなさそうでしたが、ライブビューモードで頭の上から撮影することでなんとか回避しました。

みんな大好きオレンジ電車。

ももずきんもお出迎え(笑)

さよなら運転の名物となったファンの方々が持ち寄った各種装飾品。車内には横断幕もありました。
それよりも車内に普通に入れたことにちょっとビックリ。
そして12時38分、甲府発車。

時間の都合上、追っかけはここ甲府まで。
オレンジが見えなくなる最後の最後までカメラに収めることが出来ました。
この後自分は12時42分発のふじかわで静岡まで行き、そこから新幹線で関西へ戻ってきました。
先ほどとは打って変わって、環状線を走る同じオレンジの仲間の元気な姿を見ると、これまたなんともいえない気持ちに…。
中央線201系、関西の仲間とは一辺違った風格を持ち、特快のヘッドマークを掲げて走るその姿は、関西民の自分にとって一種の憧れのような感じでもありました。
自分はたった22年、それもたまにしか利用しない元沿線民でしたが、本当にお世話になりました。今後は得意の模型でその勇姿を懐かしむ事にしたいと思います。31年間ご苦労様でした。
いつもとちょーっと違う気持ち悪い文章でしたが、その辺はスルーでお願いします…。