ジャニーズ最新情報。さんが、元光GENJIの大沢氏のインタビュー記事をまとめて下さっています。
大沢氏は12才で事務所に入所し、
一度、イーグルスと言うグループでデビューしたけれど、全く売れず解散。
そして、18才の時、光GENJIでデビュー。
その後、光GENJIデビュー7周年の時、25才で事務所を辞めた。
入所してからデビューまでの年月、デビューしてからの年月、
事務所を辞めた時の年齢など、今のBESTと被っているせいか、
それらを読んで、
先日のフライデーの記事で、薮くんが30才で云々(事実がどうであれ)が思い浮かんできたり、
内容の中で、光くんのことが思い浮かんできたり、少し考えさせられました。
勿論、時代が違うので、当時はバラエティやキャスターなどに進出していなかったし、
当時のアイドルとしての限界が、25才くらいまでの風潮だったんだよね。
いくつになってもアイドルが出来る風潮を作った(レールを敷いた)のは、
間違いなくSMAPだな。
大沢氏がジャニーズ事務所を辞めた経緯などについて語ったインタビューを、
少し書き出しておきたいと思います。
大沢樹生 古巣ジャニーズ事務所の“居心地”を語る→週刊朝日
(引用・抜粋・要約)
人気はあっても、正直、居心地はあまりよろしくなかった。
進むべき道とは違うなという気持ちが常にあった。
両親をはじめとして、100人が100人、辞めることに反対だった。
でも、アイドルは会社が作ったもので、会社に敷いてもらったレールを走り続けるのがイヤになってしまった。
このままアイドルを続けて、仮に30歳ぐらいになって解散となったときに、
そのあとの自分の人生がまったく想像つかなかった。
もっと賢く立ち回る方法もあったんじゃないかと思ったけど、当時はその選択肢しか見えていなかった。
大沢樹生「ストーカー規制法のある、いまのアイドルがうらやましい」→週刊朝日
(引用・抜粋・要約)
デビュー当時は実家にいたけど、当時、数百人のファンに自宅を包囲され、
自治会や近所からものすごい苦情があって、一人暮らしせざるを得なくなった。
でも貸してくれる不動産屋さんが全くなくて、母の知り合いが建てたマンションに入居させてもらった。
そこがオートロックもないようなところで、すぐファンにわかってしまう。
光GENJIをやめようと思った理由の一つに、俳優としてなんの基礎もない自分がドラマの主役で、
キャリアも実力もある人が脇役であることに、矛盾やコンプレックスを感じた。
↑
25才で事務所を辞めた大沢氏。
本当に突然のことでした。
光GENJIはその当時、7年目の夏を迎える時だったと思う。
当時は、インターネットが普及していない時代。
何の前ぶれも噂もなかったのに、
Mステの生放送のトークで、さらっと「脱退する」的なことを言い、
ファンの間では騒然となったよ。
テレビ朝日への問い合わせ電話が殺到してパンクしたとか。
すでに、夏コンの申し込みも終わっていたし、それが脱退コンになった。
それから1年後の解散の時も、
夏コンの申し込みが終わったあとに、事務所から解散のお知らせの手紙が届いた。
解散を発表してから夏コンの申し込みがあったら、きっと大変なことになっていたと思う。
当時のFC会員数は35~6万人くらいだったと思う。
今だとたいしたことないように見えるけど、20年前当時としては記録的だったんだよ。
当時、インターネットが普及していなくて良かったのかもしれない。
解散は19年前のことだけど、ラストの名古屋では、
最寄り駅前で、普通のファンが普通の席のチケットを50万円で売っていた。
今で言う「強火価格」。
入れなかった人達も大勢集まって来てた。
解散の日の名古屋で。
もう泣きそうになって歩いていたら、
ダ○のおじさんが「俺らも光GENJIがなくなるのはさみしい」と言ってた。
あの頃、横アリ付近でよく見掛けた(ちょっと顔見知りの)ダ○のおじさんは、
7~8年前くらいの滝翼コンあたりまではよく見掛けたけど、
ここのところ、もう見掛けなくなった。
あの当時で60才くらいだったと思うから、今、80才くらいになっているだろうし、
もう、そういう仕事はしていないよね、たぶん。
大沢氏のインタビューで、
「アイドルのまま30歳になった時の自分の人生がまったく想像つかなかった」とか
「俳優としてなんの基礎もない自分がドラマの主役で、
キャリアも実力もある人が脇役であることに、矛盾やコンプレックスを感じた」とか。
思うことある言葉だ。
たぶん、24~5才にとって、30才と言うのは、
とんでもなく遠い想像のできない未来なんだろうなと思う。
本来の自分と、仕事上の自分と、会社のレール上の自分に、
色んな疑問ができてくる世代なんだと思う。
今のBESTがそういう世代になってきているんだろうなと。
それを考えると、60才になっても、などと言ってくれる八乙女氏って、
遠い遠い未来を見据えているな~と思ったり。
自分が主役で、キャリアも実力もある人が脇役であることに、
矛盾とコンプレックスを感じると。
これは、あの事務所のタレント全員が思っていることだろうな。
光くんもきっと、そういう思いはあったと思う。
自分の力ではなく、事務所の力だと。
矛盾やコンプレックスを感じること。
誰しも通る道。
それを乗り越えられるかどうか。
勿論、逃げてもいい場合もある。
目に見えるものだけでなく、目に見えない彼らのメンタルの強靭さを讃えたい。
逃げずに戦おう。
それが自身の糧になり力になり、経験になり実力に繋がる。
と。
まとまらなくなったので、このへんで。
今日の光くんは、大阪で生出演。
関東では見れない番組だけど、ツイで把握できたりするかな。
呟いてくれる人に感謝しなきゃだね。
ではでは。
今日もハッピーな1日を。
大沢氏は12才で事務所に入所し、
一度、イーグルスと言うグループでデビューしたけれど、全く売れず解散。
そして、18才の時、光GENJIでデビュー。
その後、光GENJIデビュー7周年の時、25才で事務所を辞めた。
入所してからデビューまでの年月、デビューしてからの年月、
事務所を辞めた時の年齢など、今のBESTと被っているせいか、
それらを読んで、
先日のフライデーの記事で、薮くんが30才で云々(事実がどうであれ)が思い浮かんできたり、
内容の中で、光くんのことが思い浮かんできたり、少し考えさせられました。
勿論、時代が違うので、当時はバラエティやキャスターなどに進出していなかったし、
当時のアイドルとしての限界が、25才くらいまでの風潮だったんだよね。
いくつになってもアイドルが出来る風潮を作った(レールを敷いた)のは、
間違いなくSMAPだな。
大沢氏がジャニーズ事務所を辞めた経緯などについて語ったインタビューを、
少し書き出しておきたいと思います。
大沢樹生 古巣ジャニーズ事務所の“居心地”を語る→週刊朝日
(引用・抜粋・要約)
人気はあっても、正直、居心地はあまりよろしくなかった。
進むべき道とは違うなという気持ちが常にあった。
両親をはじめとして、100人が100人、辞めることに反対だった。
でも、アイドルは会社が作ったもので、会社に敷いてもらったレールを走り続けるのがイヤになってしまった。
このままアイドルを続けて、仮に30歳ぐらいになって解散となったときに、
そのあとの自分の人生がまったく想像つかなかった。
もっと賢く立ち回る方法もあったんじゃないかと思ったけど、当時はその選択肢しか見えていなかった。
大沢樹生「ストーカー規制法のある、いまのアイドルがうらやましい」→週刊朝日
(引用・抜粋・要約)
デビュー当時は実家にいたけど、当時、数百人のファンに自宅を包囲され、
自治会や近所からものすごい苦情があって、一人暮らしせざるを得なくなった。
でも貸してくれる不動産屋さんが全くなくて、母の知り合いが建てたマンションに入居させてもらった。
そこがオートロックもないようなところで、すぐファンにわかってしまう。
光GENJIをやめようと思った理由の一つに、俳優としてなんの基礎もない自分がドラマの主役で、
キャリアも実力もある人が脇役であることに、矛盾やコンプレックスを感じた。
↑
25才で事務所を辞めた大沢氏。
本当に突然のことでした。
光GENJIはその当時、7年目の夏を迎える時だったと思う。
当時は、インターネットが普及していない時代。
何の前ぶれも噂もなかったのに、
Mステの生放送のトークで、さらっと「脱退する」的なことを言い、
ファンの間では騒然となったよ。
テレビ朝日への問い合わせ電話が殺到してパンクしたとか。
すでに、夏コンの申し込みも終わっていたし、それが脱退コンになった。
それから1年後の解散の時も、
夏コンの申し込みが終わったあとに、事務所から解散のお知らせの手紙が届いた。
解散を発表してから夏コンの申し込みがあったら、きっと大変なことになっていたと思う。
当時のFC会員数は35~6万人くらいだったと思う。
今だとたいしたことないように見えるけど、20年前当時としては記録的だったんだよ。
当時、インターネットが普及していなくて良かったのかもしれない。
解散は19年前のことだけど、ラストの名古屋では、
最寄り駅前で、普通のファンが普通の席のチケットを50万円で売っていた。
今で言う「強火価格」。
入れなかった人達も大勢集まって来てた。
解散の日の名古屋で。
もう泣きそうになって歩いていたら、
ダ○のおじさんが「俺らも光GENJIがなくなるのはさみしい」と言ってた。
あの頃、横アリ付近でよく見掛けた(ちょっと顔見知りの)ダ○のおじさんは、
7~8年前くらいの滝翼コンあたりまではよく見掛けたけど、
ここのところ、もう見掛けなくなった。
あの当時で60才くらいだったと思うから、今、80才くらいになっているだろうし、
もう、そういう仕事はしていないよね、たぶん。
大沢氏のインタビューで、
「アイドルのまま30歳になった時の自分の人生がまったく想像つかなかった」とか
「俳優としてなんの基礎もない自分がドラマの主役で、
キャリアも実力もある人が脇役であることに、矛盾やコンプレックスを感じた」とか。
思うことある言葉だ。
たぶん、24~5才にとって、30才と言うのは、
とんでもなく遠い想像のできない未来なんだろうなと思う。
本来の自分と、仕事上の自分と、会社のレール上の自分に、
色んな疑問ができてくる世代なんだと思う。
今のBESTがそういう世代になってきているんだろうなと。
それを考えると、60才になっても、などと言ってくれる八乙女氏って、
遠い遠い未来を見据えているな~と思ったり。
自分が主役で、キャリアも実力もある人が脇役であることに、
矛盾とコンプレックスを感じると。
これは、あの事務所のタレント全員が思っていることだろうな。
光くんもきっと、そういう思いはあったと思う。
自分の力ではなく、事務所の力だと。
矛盾やコンプレックスを感じること。
誰しも通る道。
それを乗り越えられるかどうか。
勿論、逃げてもいい場合もある。
目に見えるものだけでなく、目に見えない彼らのメンタルの強靭さを讃えたい。
逃げずに戦おう。
それが自身の糧になり力になり、経験になり実力に繋がる。
と。
まとまらなくなったので、このへんで。
今日の光くんは、大阪で生出演。
関東では見れない番組だけど、ツイで把握できたりするかな。
呟いてくれる人に感謝しなきゃだね。
ではでは。
今日もハッピーな1日を。