昨日の地震が起きてからの経過などまとめ。
会社の自席でPCに向かって仕事中、軽い揺れを感じる。社屋は11階建て、
私の居る部屋はその6階。
同僚と「地震だね」などと言いながらも、たいした揺れではなかったので、
そのまま治まるだろうと思っていた。ところが、だんだん揺れが激しくなっ
てくる。
私の席は窓際、上には蛍光灯があるので、隣の列に避難。更に揺れが強く
なり、机の下にもぐった状態で待機。
この時点では、震源地は東京あるいはその近郊と確信していたのだけれど、
隣の部署の同僚が「震源地は東北、震度7!」と叫んだので、とても驚いた。
こんなに激しい地震なのに、震源地は東北??
気付いたら身体が震えていた。生まれて初めて体験する震えだった。
でも、周りに同僚たちがたくさん居たのは幸い。わりと落ち着いていられた。
やっと治まったので外を見たところ、隣の皇居周辺に続々と避難する人たち
が集まっている。遠くに見えるスカイツリーに変わった所はなかったけれど、
隣の工事中のビル屋上に何本か立っている巨大なクレーンがグラグラ揺れて
いるのが、しっかり見て取れた。
そしてしばらくして、窓の右手方向から黒煙が。後にお台場で発生した火事
と判明。
その間も、軽い余震が断続的に続いていた。。
そして、2度目の激しい揺れ。再び机の下に避難。
揺れが治まった後、地震対策担当の社員以外には避難命令が出たので、皇居
近くの分離帯に避難。
1時間ほどそこで過ごした後、オフィスに戻った。
近くの九段会館で大きな被災があったとのニュースも。
「帰れる人はいまのうちに帰宅を」との命令が出たものの、電車が止まって
いるという情報が出始めていたので、そのまま仕事を継続。
特に、明日(今日のこと)はイベント仕事で九州に日帰り出張をする予定が
あったため、そのイベントが実行されるのか中止されるのかの連絡を気を
もみながら待っていた。
結局イベントは中止に。飛行機のキャンセルなどの後処理を片付け終わった
のが8時過ぎ。
実はその間、すもものことが心配で心配で、でも地震対応で忙しくしている
人たちや、被災地の様子を見ていると、そんなことを口に出来る状態でも
なかった。とは言え、私が会社に残っていても仕方無さそうだったので、
泊まりこみで仕事を続ける人たちや、家が遠くて帰れない人たちを残すこと
に罪悪感を感じつつも、徒歩帰宅することを決意。
幸い会社から我家までは徒歩でも1時間弱なので、大変なうちには全く入らず。
道にはたくさんの人たちがあふれ、ヘルメットを手にしている人もちらほら。
地図とにらめっこしている人たちや、おまわりさんなどに一生懸命道を聞いて
いる人たちも多く居た。
家の近所で、カップ麺と冷凍麺などを購入。
マンションのエレベータは止まっていたので、歩いて11階へ。
玄関を開けると途端に、すももの「おーおー」鳴く声が聞こえて一安心。
まずは抱っこして、「独りで怖かったでしょ」と撫で回してあげた。
そして、とりあえずバックを置こうと寝室のドアを開けたものの、思わずまた
閉めてしまった。なぜなら、物が散乱したり倒れているという、初めて見る
光景にビックリしてしまったから。
窓際の高さ1mほどのキャスター付きの棚が反対側のベッドまで移動しており、
姿見と照明器具が倒れ、飾り棚の上にあった小物は全て床に散乱。
とりあえず後で片付けようと、リビングへ。
こちらも、電話台の上の丸いランプは吹っ飛んでおり、照明器具やスピーカー
や加湿器が倒れ、シェルフの上の物が下に落ちて散乱。台所の引き出しがいく
つか開いていて、プラスチック容器などが下に落ちていた。
我家は、細長い13階建て耐震構造マンションの11階にあるため、ちょっとの
地震でもとにかくハンパなく揺れるので覚悟はしていたものの、実際にその
光景を目の当たりにして、ちょっと動揺。
すもももさぞかし怖かったことでしょう。私ももし部屋に居たら、1人で恐怖
に泣いていたかも。
実際、すももはしばらくの間「おーおーおーおー」鳴きやまず、普段は入ら
ないような窓の隙間に入り込んでしまったり、私のことを噛み付こうとした
り、明らかに行動が変だった。だから、部屋の後片付けは後回しにして、
しばらく抱っこしていたり、オヤツをあげたり、撫で続けてあげたりして
いた。そうしていたところ、やっと落ち着いてくれた。
心配してくれた方々へメールや電話をした後、あちこちの片付けを完了。
不思議に壊れているものは殆ど無かった。
そうしている間も続く余震が不安だったのと、テレビに映る光景に呆然として
眠れず、2時半頃やっと就寝。ところが、2度ほど携帯電話から緊急地震速報の
けたたましいアラームが鳴ったりして、ぐっすり眠れないまま朝を迎えた。
いつもは7時過ぎには私を起こすすももも、疲れたせいか8時を過ぎても起きる
様子が無かった。
そして今もずっと余震が続いている。
余震が無くてもマンションはずっと揺れている感じがして、めまいがしている
ような、船酔いしているような状態で、気持ちが悪い。
でも、エレベータは動いていないし、昨日ずっと緊張していたせいか妙に足が
だるいし、すももの側にも居てやりたいので、今日は1日部屋にこもっている
予定。
しかし、だから何なんだって思う。
被災地のことを考えたら、これくらいのことまったく問題無し。
死ぬまでに阪神淡路大震災以上の地獄絵を見ることはもう無いだろうと思って
いたのに。
本当に何も言葉が思い浮かばない。
会社の自席でPCに向かって仕事中、軽い揺れを感じる。社屋は11階建て、
私の居る部屋はその6階。
同僚と「地震だね」などと言いながらも、たいした揺れではなかったので、
そのまま治まるだろうと思っていた。ところが、だんだん揺れが激しくなっ
てくる。
私の席は窓際、上には蛍光灯があるので、隣の列に避難。更に揺れが強く
なり、机の下にもぐった状態で待機。
この時点では、震源地は東京あるいはその近郊と確信していたのだけれど、
隣の部署の同僚が「震源地は東北、震度7!」と叫んだので、とても驚いた。
こんなに激しい地震なのに、震源地は東北??
気付いたら身体が震えていた。生まれて初めて体験する震えだった。
でも、周りに同僚たちがたくさん居たのは幸い。わりと落ち着いていられた。
やっと治まったので外を見たところ、隣の皇居周辺に続々と避難する人たち
が集まっている。遠くに見えるスカイツリーに変わった所はなかったけれど、
隣の工事中のビル屋上に何本か立っている巨大なクレーンがグラグラ揺れて
いるのが、しっかり見て取れた。
そしてしばらくして、窓の右手方向から黒煙が。後にお台場で発生した火事
と判明。
その間も、軽い余震が断続的に続いていた。。
そして、2度目の激しい揺れ。再び机の下に避難。
揺れが治まった後、地震対策担当の社員以外には避難命令が出たので、皇居
近くの分離帯に避難。
1時間ほどそこで過ごした後、オフィスに戻った。
近くの九段会館で大きな被災があったとのニュースも。
「帰れる人はいまのうちに帰宅を」との命令が出たものの、電車が止まって
いるという情報が出始めていたので、そのまま仕事を継続。
特に、明日(今日のこと)はイベント仕事で九州に日帰り出張をする予定が
あったため、そのイベントが実行されるのか中止されるのかの連絡を気を
もみながら待っていた。
結局イベントは中止に。飛行機のキャンセルなどの後処理を片付け終わった
のが8時過ぎ。
実はその間、すもものことが心配で心配で、でも地震対応で忙しくしている
人たちや、被災地の様子を見ていると、そんなことを口に出来る状態でも
なかった。とは言え、私が会社に残っていても仕方無さそうだったので、
泊まりこみで仕事を続ける人たちや、家が遠くて帰れない人たちを残すこと
に罪悪感を感じつつも、徒歩帰宅することを決意。
幸い会社から我家までは徒歩でも1時間弱なので、大変なうちには全く入らず。
道にはたくさんの人たちがあふれ、ヘルメットを手にしている人もちらほら。
地図とにらめっこしている人たちや、おまわりさんなどに一生懸命道を聞いて
いる人たちも多く居た。
家の近所で、カップ麺と冷凍麺などを購入。
マンションのエレベータは止まっていたので、歩いて11階へ。
玄関を開けると途端に、すももの「おーおー」鳴く声が聞こえて一安心。
まずは抱っこして、「独りで怖かったでしょ」と撫で回してあげた。
そして、とりあえずバックを置こうと寝室のドアを開けたものの、思わずまた
閉めてしまった。なぜなら、物が散乱したり倒れているという、初めて見る
光景にビックリしてしまったから。
窓際の高さ1mほどのキャスター付きの棚が反対側のベッドまで移動しており、
姿見と照明器具が倒れ、飾り棚の上にあった小物は全て床に散乱。
とりあえず後で片付けようと、リビングへ。
こちらも、電話台の上の丸いランプは吹っ飛んでおり、照明器具やスピーカー
や加湿器が倒れ、シェルフの上の物が下に落ちて散乱。台所の引き出しがいく
つか開いていて、プラスチック容器などが下に落ちていた。
我家は、細長い13階建て耐震構造マンションの11階にあるため、ちょっとの
地震でもとにかくハンパなく揺れるので覚悟はしていたものの、実際にその
光景を目の当たりにして、ちょっと動揺。
すもももさぞかし怖かったことでしょう。私ももし部屋に居たら、1人で恐怖
に泣いていたかも。
実際、すももはしばらくの間「おーおーおーおー」鳴きやまず、普段は入ら
ないような窓の隙間に入り込んでしまったり、私のことを噛み付こうとした
り、明らかに行動が変だった。だから、部屋の後片付けは後回しにして、
しばらく抱っこしていたり、オヤツをあげたり、撫で続けてあげたりして
いた。そうしていたところ、やっと落ち着いてくれた。
心配してくれた方々へメールや電話をした後、あちこちの片付けを完了。
不思議に壊れているものは殆ど無かった。
そうしている間も続く余震が不安だったのと、テレビに映る光景に呆然として
眠れず、2時半頃やっと就寝。ところが、2度ほど携帯電話から緊急地震速報の
けたたましいアラームが鳴ったりして、ぐっすり眠れないまま朝を迎えた。
いつもは7時過ぎには私を起こすすももも、疲れたせいか8時を過ぎても起きる
様子が無かった。
そして今もずっと余震が続いている。
余震が無くてもマンションはずっと揺れている感じがして、めまいがしている
ような、船酔いしているような状態で、気持ちが悪い。
でも、エレベータは動いていないし、昨日ずっと緊張していたせいか妙に足が
だるいし、すももの側にも居てやりたいので、今日は1日部屋にこもっている
予定。
しかし、だから何なんだって思う。
被災地のことを考えたら、これくらいのことまったく問題無し。
死ぬまでに阪神淡路大震災以上の地獄絵を見ることはもう無いだろうと思って
いたのに。
本当に何も言葉が思い浮かばない。