賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

神は愛である

2020-10-16 21:52:20 | 聖書の学び

神は愛である

    愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

    神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。 もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。 わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。 愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。 わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。

<style type="text/css"></style>

キリスト教讃美歌「神の愛は私の心を溶かした」


イエスはニコデモと新しく生まれることを論じられる

2020-10-15 22:24:49 | 聖書の物語

イエスはニコデモと新しく生まれることを論じられる

    パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。 


聖書の名言「裁き」について

2020-10-14 15:28:36 | 勝利者の証し

聖書の名言「裁き」について

    聖書に次のように記録してあります。「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙 4:17)では、神様の裁きは何でしょうか。神様の裁きは私たちが天国に入ることとどんな関係を持っているのか。次の本題の聖句はあなたに明らかにします。

    1、神様の終わりの日の裁きに関する預言
    詩篇 96:13
    主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。

    詩篇 1:5
    それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。

    使徒行伝 17:31
    神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている…

    ヨハネによる福音書 12:47-48
    たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。

    ヨハネによる福音書 5:22
    父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。

    ヨハネによる福音書 5:27
    そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。

    ペテロの第一の手紙 4:17
    さばきが神の家から始められる時がきた。

    ダニエル書 7:10
    彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。

    ヨハネの黙示録 20:11-12
    また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

    ヨハネの黙示録 14:7
    大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』。

    2、神様の終わりの日の裁きと天国に入ることとの関係
    イザヤ書 2:2-4
    終りの日に次のことが起る。ヤーウェの家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、多くの民は来て言う、『さあ、われわれはヤーウェの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう』と。律法はシオンから出、ヤーウェの言葉はエルサレムから出るからである。彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。

    ゼカリヤ書 13:8-9
    全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う。

    ダニエル書 12:9-10
    ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。

ヨハネの黙示録 22:14
いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

ヨハネの黙示録 21:3-4
見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。

    ヨハネの黙示録 11:15
    この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう。

関連する真理:
    神様は言われました。「終わりの日の働きとは、すべての人をその性質に応じて区分し、神の経営(救いの)計画を締めくくることである。時が近づき、神の日が来たからである。神の国に入る人すべて、すなわち神に最後の最後まで忠実な人すべてを、神は神自身の時代に連れて行く。しかし、神自身の時代が来る前は、神の働きは人間の行いを観察したり、人間の生活について調べたりすることではなく、人間の不服従を裁くことである。神の玉座の前に来る人すべてを、神は清めなければならないからである。今日まで神の足跡に従ってきた人はすべて神の玉座の前に来る人であり、これゆえに、最終段階の神の働きを受け入れる人の一人ひとりは神の清めの対象である。言い換えれば、最終段階における神の働きを受け入れる人は誰もが、神の裁きの対象なのである。」

    …『裁き』という言葉を聞けば、ヤーウェがあらゆる場所に向けて語った言葉と、イエスがパリサイ人に語った非難の言葉を思い浮かべるだろう。こうした言葉は非常に厳しいものだが、神の人に対する裁きの言葉ではない。こうした言葉は、いろいろな状況、つまりそれぞれ異なる背景で神が語った言葉にすぎず、神が終わりの日に人を裁くときにキリストが語る言葉とは違う。終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。

<style type="text/css"></style>

聖書の名言-「知恵」に関する111つの聖句


五千人に食べ物を与える

2020-10-13 22:35:52 | 聖書の言葉

五千人に食べ物を与える

 そののち、イエスガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。 すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。 イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。 時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。 これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、 「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。 人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。 イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。

<style type="text/css"></style>

聖書の言葉


「神の民は精一杯神を讃える」英語の賛美歌 歌詞付き

2020-10-12 22:35:30 | 讃美歌

「神の民は精一杯神を讃える」英語の賛美歌 歌詞付き

我らは神の御前に携挙された

豊かな祝宴に集い、喜びいっぱい

神の言葉を楽しみ、真理を理解し

我らの霊は解き放たれ、とても自由に感じる

心は感謝と賛美に満ち

歌わずにはいられない

心にあふれる喜びは言い表せない

喜んで神を讃え跳び上がれ

神は誉れと栄光に値する

神の御旨は地上で行われ

神の民はみな神を精一杯賛える

我らは日々神の言葉を楽しみ

御言葉を実践し、現実に入り

裁きと清めを受け

新たな人間らしく生きる

全能神はサタンの堕落から我らを救ってくれた

我らは今本当に変わった

全能神にすべての栄光あれ

喜んで神を讃え跳び上がれ

神は誉れと栄光に値する

神の御旨は地上で行われ

神の民はみな神を精一杯賛える

全能神はサタンを打ち負かし

試練と苦難によって民を完全にし

勝利者の一群を作られた

彼らはサタンの前で勝利者となり

神の義なる性質が明らかになる

神に抵抗する者はみな滅び

全能神はサタンを打ち負かした

喜んで神を讃え跳び上がれ

神は誉れと栄光に値する

神の御旨は地上で行われ

神の民はみな神を精一杯賛える

真理を追い求める者は神の救いを得

神を真に信じる者は恵みを受ける

神の義なる性質を我らは賛える

我らの賛美の歌は空まで届く

全能神の働きは実に奇しい

神の言葉はすべてを成し遂げる

すべての民が神のもとに戻り

神の全能を示す御言葉を賛える

喜んで神を讃え跳び上がれ

神は誉れと栄光に値する

神の御旨は地上で行われ

神の民はみな神を精一杯賛える

『小羊に従って新しい歌を歌おう』より