賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

ソドムの腐敗:人間にとっても、神にとっても、激怒に値する

2020-02-02 13:42:20 | 聖書の奥義を開く

   まず、「神のソドム破壊」に関する聖句を数か所検討する。

   (創世記19:1−11)そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。しかしロトがしいて勧めたので、彼らはついに彼の所に寄り、家にはいった。ロトは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせた。ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うしろの戸を閉じて、言った、「兄弟たちよ、どうか悪い事はしないでください。わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。彼らは言った、「退け」。また言った、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう」。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。

   (創世記19:24−25)ヤーウェは硫黄と火とをヤーウェの所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。

   これらの聖句では、ソドムの罪と腐敗は、既に人間にとっても神にとっても憎むべき程度まで達していたこと、そして神の観点から見ると、そのためにソドムは破壊されて然るべきであることは、容易に読み取ることができる。しかし、破壊される前のソドムの町の中では、どのような出来事があったであろうか。それらの出来事から、何が分かるであろうか。それらの出来事に対する神の姿勢は、何を示しているであろうか。経緯の全体を把握するため、聖句に記されている事柄を精読する。

   ソドムの腐敗:人間にとっても、神にとっても、激怒に値する

 

 

   その夜、ロトは2人の神の使いを迎え、その2人のために食事を用意した。食事の後、使いが休む前に、町中の人々がロトの家を取り囲み、ロトに対して叫んだ。聖句の記録では、人々が「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」と言っていたとある。これらの言葉を述べたのは、誰か。この言葉は、誰に対するものか。この言葉はソドムの人々の言葉であり、ロトの家の外で、ロトに対して叫ばれた言葉である。こうした言葉を聞いて、どのように感じるだろうか。あなたは激怒するであろうか。不愉快になるだろうか。怒りがこみ上げてくるであろうか。これらの言葉は、サタンを感じさせるものであろうか。こうした言葉により、ソドムの邪悪と闇を感じることができるだろうか。これらの言葉から、ソドムの人々の態度の残忍さと野蛮さを感じることができるだろうか。ソドムの人々の態度から、ソドムの人々の腐敗の深刻さを感じることができるだろうか。ソドムの人々の言葉から、ソドムの人々の邪悪な特質と残忍な性質は、自身で制御できない程に達していたことを理解するのは、困難ではない。町のなかで、ロト以外の者は、全員がサタンと何ら変わらず、外から来た誰かを見かけただけで、その者を傷つけ、食い物にしようという衝動に駆られるのであった。こうした描写により、この町の恐ろしさをうかがい知ることができるだけでなく、この町の血なまぐささ、邪悪さや残虐さをも感じ取ることができる。

   こうした魂を食い物にする悪意に満ちた、けだもののような悪党と対面したロトは、どのように答えたであろうか。聖句には「どうか悪い事はしないでください。わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」とある。この時のロトの本意は、使いを守るためなら、自分の娘ふたりを失うことも辞さない、ということであった。これらの人々は、ロトの提案を受け容れ、使いの者を煩わせるべきでは無かった。なぜなら、ソドムの人々にとって、使いの者は全くの他人であり、何の関係も無く、人々の不利益になるようなことも無く、したがって、ロトの提案を受け容れない理由は無かったからである。しかし、これらの人々は、その邪悪な性質から、ロトの提案を受け容れ、この一件を落着させるつもりは無かった。むしろ、ソドムの人々の態度はその邪悪さを増した。ここでの会話の別の一節では、疑う余地の無い、ソドムの人々の邪悪な本性を察することができると同時に、神がソドムを破壊することを望んだのは何故かを知り、理解することが出来る。

   それでは、ソドムの人々は、次にどのように述べたのであろうか。次のように述べたと聖句には書かれている。「『退け』。また言った、『この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう』。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。」ソドムの人々が、戸を破ろうとしたのは何故だろうか。それは、ソドムの人々が2人の使いに危害を加えずにはいられたなったからである。この2人の使者は、ソドムで何をしていたのであろうか。この使いは、ロトとその家族を救うために来たのであったが、町の人々は、この使いが来訪したのは、公務に就くためであると勘違いしていた。ソドムの人々は、2人の使いの来訪目的を尋ねることもなく、憶測だけでその2人を攻撃しようとした。つまり、ソドムの人々は、自分達に全く関係の無い他人を傷つけようとした。ソドムの人々が完全に人間性と理性を失っていたことは明らかである。町の人々の狂気と凶暴さは、人間を傷つけ、奪い尽くそうとするサタンの邪悪な性質に等しいものであった。

   町の人々がロトに対し、2人の使いを引き渡すよう要求したとき、ロトはどうしたであろうか。聖句によると、ロトは使いの2人を引き渡さなかったことが分かる。ロトは、この神の使いの2人を知っていたであろうか。無論知らなかった。しかし、ロトがこの2人を救うことが出来たのは、何故であろうか。ロトは、この2人が来た目的を知っていたであろうか。ロトは、この2人が来た目的を知らなかったが、この2人が神の使いであることを知っていたので、この2人を受け容れたのであった。ロトはこの神の使い2人を「わが主」と呼んでいたということは、ロトがソドムの人々とは違って、常日頃から神に従っていたことを示している。従って、神の使いがロトの所へ来た時、ロトは自らの命を危険にさらして2人の使いを受け容れた上、その2人を守るために自分の娘2人を身代わりにしようとした。これは、ロトの義なる行為であり、ロトの性質と本質を具体的に示すものであり、また神がロトを救うために使いを送った理由でもあった。ロトは、危機に遭遇してなお、何を省みることも無く2人の使いを守り、自分の娘2人を身代わりにして使いの安全を守ろうとさえした。ロト以外に、このような行動を取ることが出来る者が、ソドムの町に居たであろうか。誰もいなかったというのが事実である。したがって、ロトを除き、ソドムの人々は全員滅びの対象とされ、滅びて当然であるとされた。

 

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