ただの考察好き

ただ考えるの好きです

自分は自分しか救えない

2023-03-12 21:44:08 | 日記
毒親ふたりが天に召されて。これでようやく一区切りついて。

私たちは切り離され。ここから先が本当の人生となる。毒親の真の恐ろしさは「悪魔じゃない」という点だ。
人間過ぎる程に、人間なのだ。自分の欲求に対し、従順が過ぎる程、異様に素直だった。

父母は若年期、相当な才覚を有していたらしい。常に自分の過去を誇示していた。しかし私の目にうつる彼らは常に。
その高い能力で他人を威圧して。結局は全員が寄り付かなくなった、哀れな人たちだった。

そんな彼らを操作するのは実に簡単で。
ただ褒めれば良いのだから。
面倒ごとを避けたい周囲は、ただ彼らと関わるのを避けつつ、遭遇せねばならない時は、勝手に褒めたたえて。
用が済めば逃走した。関わりたくないのだ。

私ら兄弟が暴行され続けていた事は、隣近所は察知していたが、知らぬ振りだった。暴れれば手がつけられなかった私の父母は実に面倒だったから。

今も父母の墓には誰も来ない。もう。終わりにしたいのだ。もう父母の名前も忘れている。記憶から存在を削除しただろう。

結局。私を救ったのは、私自身だけだった。そして、それこそが重要だ。

他人に救われる事を望めば。誰かが幸福にしてくれる、幸福は与えられるものだと信じる。その一切が「毒親の生誕」につながる。

誰もが幸福になどならなくて良い。それが終着点に考えるから、誰もが辛くなる。
幸福でない今は。不幸な今は。人生を否定されているように感じるから。

そうじゃない。
昔から言うように。生きているだけでめっけもん、なのだ。つまり「運が良い」という事。

過度に幸福を求めれば、より不幸に堕ちる。
過ぎたるは尚、及ばざるが如し、だ。

生きているだけでいい。
しんどいのは当たり前。デフォルト。基本だ。

世界は最初からしんどいものだ。幸福を与えるように作られてなど居ない。ただそこに存在するだけなのだ。
岩も木も。大地も海も。人間の為に存在などしていない。

むしろ遠慮なく生命を奪いに来る事はあっても。
世界の本質とは、厄災なのだ。だから、生命をつなげるだけで、非常に運が良い。

現代は幸福を求めるから、どの時代の人よりも不幸だろう。
私の父母は。ただ幸福になりたかっただけなのだ。
ただ彼らの求めるものは、あまりに途方もなく遠く、高くにあるから。
辛抱たまらず。
誰かを蹂躙し、暴行し、凌辱せねば、精神を維持する事さえできなかったのだ。
渇望の人だった。どんなに満たしても飢え乾く人たちだった。

人生とは基本。しんどい。
生きやすいように世界は作られてなど居ないから。
どこまでもしんどくなるように、世界は構成されている。

その中で勝手に、幸福を感じる事が出来るだけだ。
有難い、と思い込む事が可能なだけだ。

他愛もない事に喜び。
些細な冗談で笑えたりできるだけ。

それ以上を求めれば全員が、私の父母のように陥るだろう。
人生とはとてつもなく単調で
ひたすらにしんどい。

しかし飯を食えば力はつく。
力がつけば働ける。
金を得れば飯が食える。
そして生き抜く力をまた得るのだ。

私たちのやれる事って。それだけの事なんだ。
人生に過大な意義や意味を見出す現代こそ、不幸な人を大量生産し続けている。

その不幸の結果。過大な厄災、つまり天災や戦争が人類を蹂躙し続けるだろう。

人は天使の救済を求めて、その結果
色んな事に耐えきれずに地の底から悪魔を引き上げる。

求めなければ
耐える事も発生しないのに。

世界に幸福と救済の術を与えようと、教えを授けようとする者たち。
それは世界中に居る、それっぽい教えを説く動画配信する者たちや
幸福を得るために何をすべきかと説く人たちが
天使の笑みで今日も舞台に立つが

その背中には
悪魔を象徴する蝙蝠の翼がある。

彼ら、彼女らは今日も。
不幸だと大衆を説き、幸福になる為に苦役を課す。

生きているだけで良いものを。
それ以上が必要だと説く。

世界はこの先もずっと「不幸」で
きっと毒親たちは大量生産され続ける。