ここに来て、異世界的な展開を匂わす回になった。まさか。こんな。使い古した展開だなんて。
そんなぁ。しかし「幻」に殴られるしなぁ。あれも「心が幻を現実に」とかいう、ありふれた展開なのだろうか?
こういうのは、もう俺的には食傷気味で、一番安直で考えるのを避けていたんだけど・・・
はあ。まあ、確かに異世界とか、そんな話ならどうとでも話を組めるし。一番、楽だよね。
美味しい匂いがしたんだけど、また気のせいだったか。
完全に色んな意味で外れだった。下手に期待するもんじゃないな、うん。
またどんでん返しとかあっても、この回で冷え切ってしまった。
まだずっと昔に放映された「ゼーガペイン」のほうが、異世界ものとしては展開が上手かった。現実と虚構がすり替わっている巧みさではね。
ゼーガペインでも、確か6話辺りから「まさか!」という、良い意味での裏切る展開で、俺は物凄く盛り上がったんだけど。
「迷い家」は6話辺りからガラガラと崩れた。まさか。ここまでのダラダラした展開に、まさか意味が無かったとは。
伏線だと思っていた事は、ただの日常描写でしかなかったというのか。
これなら2話とか3話辺りで、バラして、後はどう帰還するかという展開のほうがまだ引き締まったものになったろうに。
船頭多くして船山に登ると言うが。
この企画、視聴者からお金を一部都合して、その代わりにお金を支払ってくれた人の意見を吸い上げるような、企画だったらしいけれど。
色んな意見を反映させようとした結果。作品そのものが変な方向に迷い込んだかも知れないね。
でもまあ、企画に参加した視聴者は、きっと円盤を「思い出」として購入するだろうし。きっと売り上げは良いのだろうね。
これは円盤売れても、俺は買わないな・・・裏があると思わせておいて、実は全く裏がなかったとか。こういう異世界の話なら、まだ都市伝説のほうが展開が面白いかな。
これは「お客さん」の意見を、総無視しながらお金を貰うという作品だ。結局、スポンサーの意見を聞いて、スポンサーを満足させる作品造りに終始したという形になる。
もう、アニメ業界としては、お金を支払う人=お客さん、という考え方なのだろう。でも、それならOVAでやったほうが良かったと思う。地上波で「それ以外の人」をたくさんガッカリさせるとか、結局自分の首を絞めてしまうからだ。
お金を払ってくれる人=お客さんという理屈なら、その人たちだけが購入層でないとさ。そういう作りなら、OVAでやったほうがまだ理屈としては通る。大きい商売にはならないけどね。
今の映像放送業界は、物凄い低迷期にあるという。視聴率はどんどん落ち込む一方らしい。それは、お客さんである視聴者と、作り手である業界が隔離された世界でやり取りをしているからだ。
声を上げた人の意見だけを「視聴者の声」として、作品を作ってきたからだ。
その結果。声を上げるような一部の視聴者を除き、多くの家庭ではTVが点いていても、ほぼ全員が画面を見ていない。横耳で聞いているだけだ。
家事をしたり、PCでネットやスマホをさわったり、ゲームのほうに目はいっている。見なくても別に大丈夫なんだ。少しも重要じゃない。
それだけ、視聴者の見たいものとは、乖離した作品造りに迷いこんでいるのが、今の業界だ。
それは仕方ないじゃないと、色んな理屈で業界の人は武装できるのだろう。だが、その逆は永遠に出来ない。批判に対し、反論は容易にできるのだが、寄せる期待に対し、結果で答えたり報いる事は出来ない。
反論はできるが、期待には応えられない。そのままで業界の活性化を夢見るとか、どんだけドリーマーだよ。
今、世界で評価されている日本の仕事は自動車産業とか、和食やラーメンだとか。アニメは「意外に受けている」の範疇を出ない。まだ一般に溶け込んでいるとは、到底言えないのだ。
んで、この評価されている仕事や業界は、常に革新を怠らなかった。多くの絶望的な壁にぶちあたり、それを創意と努力で、ひとつひとつ、着実に乗り越えてきた。泥に塗れた地道な努力の結果だ。気の遠くなるような、積み上げた実績だ。
常に己を革新し続ける事。和食にしろ、今の和食は江戸時代のままで停滞したものではなく、常に時代に合わせ、良い部分は取り入れて己を洗練させてきた。こう書くと安直になるが。
その陰で多くの、伝統を継承する頑なな勢力と、どれだけ争った事だろうか?実権を握り、伝統を支配する勢力とどれだけ争い、納得させ、魂を削る思いで研鑽を続けたか。
その苦労は伝えずに、結果でお客さんに答えた。だから、和食は諸外国でも評価され、受け入れられる文化へと変貌した。
自動車もそうだ。オイルショック。排ガス規制。幾たびの危機にさらされ、諸外国でも「安かろう悪かろう」と言われた国産自動車を、今や安心と信頼のブランドへと変貌させた。
結果で答えたのだ。
ラーメンも同じくだ。一杯のラーメンに、生き残りを賭けて研鑽しあった結果、多くの者が倒れ、多くの悲劇があっただろう。
だがその血のにじむような努力を語らずに、味で期待に応えた。
だが放送業界は、まず語ってしまう。苦労や努力を語ってしまう。語れる環境が整っているからだ。仕方ないじゃんか、そう反論、反証しているうちに、自分でもそう納得してしまう。
評価されるプロは、妥協点がどれだけ高いかで決まる。
反論できる環境を作ってしまった仕事に、高い妥協点は作れない。どれだけ業界が、安い賃金でこき使われていると思っているんだ、ブラックもブラックだ!それを放送業界やアニメ業界は伝えてしまった。
それは、絶対に言ってはならなかったし、お客さんに伝えてはならない事だったのに。それは、自分にも「逃げ」を作ってしまうんだ。
もうそれを知ってしまったお客さんも、生温い目でしか見てくれない。厳しい意見も叩きつけず「仕方ない」で納得する。
だけど誰も画面を見ない。それが今の現実だ。
仕事にとって、厳しさや辛さは己を成長させる、唯一の滋養なのに、それを拒んでしまった。血がにじむ前に、その痛さを想像し怯えて泣き叫んでしまった。
日本アニメは、確かに「意外に受けている」状況だ。だが、それが覆る日は来ない。いつまでも「思ったより」「意外に」との言葉が外れない。それを外した途端、虚飾の記事になってしまうだろう。
TVアニメ「迷い家」は、まだ混迷の時代にあった日本アニメに悪い意味で回帰したような作品だ。多くの実験的なアニメがあった時代に逆戻りしている。
それでいいや。だって、声を上げる人に怒られなくて済むもの。怒られないなら、それを選んで何が悪いの?それが業界の回答なのだろう。
そういう業界が、未来は見通せないなどと語られても、そらそうだよねとしか言えない。
そんなぁ。しかし「幻」に殴られるしなぁ。あれも「心が幻を現実に」とかいう、ありふれた展開なのだろうか?
こういうのは、もう俺的には食傷気味で、一番安直で考えるのを避けていたんだけど・・・
はあ。まあ、確かに異世界とか、そんな話ならどうとでも話を組めるし。一番、楽だよね。
美味しい匂いがしたんだけど、また気のせいだったか。
完全に色んな意味で外れだった。下手に期待するもんじゃないな、うん。
またどんでん返しとかあっても、この回で冷え切ってしまった。
まだずっと昔に放映された「ゼーガペイン」のほうが、異世界ものとしては展開が上手かった。現実と虚構がすり替わっている巧みさではね。
ゼーガペインでも、確か6話辺りから「まさか!」という、良い意味での裏切る展開で、俺は物凄く盛り上がったんだけど。
「迷い家」は6話辺りからガラガラと崩れた。まさか。ここまでのダラダラした展開に、まさか意味が無かったとは。
伏線だと思っていた事は、ただの日常描写でしかなかったというのか。
これなら2話とか3話辺りで、バラして、後はどう帰還するかという展開のほうがまだ引き締まったものになったろうに。
船頭多くして船山に登ると言うが。
この企画、視聴者からお金を一部都合して、その代わりにお金を支払ってくれた人の意見を吸い上げるような、企画だったらしいけれど。
色んな意見を反映させようとした結果。作品そのものが変な方向に迷い込んだかも知れないね。
でもまあ、企画に参加した視聴者は、きっと円盤を「思い出」として購入するだろうし。きっと売り上げは良いのだろうね。
これは円盤売れても、俺は買わないな・・・裏があると思わせておいて、実は全く裏がなかったとか。こういう異世界の話なら、まだ都市伝説のほうが展開が面白いかな。
これは「お客さん」の意見を、総無視しながらお金を貰うという作品だ。結局、スポンサーの意見を聞いて、スポンサーを満足させる作品造りに終始したという形になる。
もう、アニメ業界としては、お金を支払う人=お客さん、という考え方なのだろう。でも、それならOVAでやったほうが良かったと思う。地上波で「それ以外の人」をたくさんガッカリさせるとか、結局自分の首を絞めてしまうからだ。
お金を払ってくれる人=お客さんという理屈なら、その人たちだけが購入層でないとさ。そういう作りなら、OVAでやったほうがまだ理屈としては通る。大きい商売にはならないけどね。
今の映像放送業界は、物凄い低迷期にあるという。視聴率はどんどん落ち込む一方らしい。それは、お客さんである視聴者と、作り手である業界が隔離された世界でやり取りをしているからだ。
声を上げた人の意見だけを「視聴者の声」として、作品を作ってきたからだ。
その結果。声を上げるような一部の視聴者を除き、多くの家庭ではTVが点いていても、ほぼ全員が画面を見ていない。横耳で聞いているだけだ。
家事をしたり、PCでネットやスマホをさわったり、ゲームのほうに目はいっている。見なくても別に大丈夫なんだ。少しも重要じゃない。
それだけ、視聴者の見たいものとは、乖離した作品造りに迷いこんでいるのが、今の業界だ。
それは仕方ないじゃないと、色んな理屈で業界の人は武装できるのだろう。だが、その逆は永遠に出来ない。批判に対し、反論は容易にできるのだが、寄せる期待に対し、結果で答えたり報いる事は出来ない。
反論はできるが、期待には応えられない。そのままで業界の活性化を夢見るとか、どんだけドリーマーだよ。
今、世界で評価されている日本の仕事は自動車産業とか、和食やラーメンだとか。アニメは「意外に受けている」の範疇を出ない。まだ一般に溶け込んでいるとは、到底言えないのだ。
んで、この評価されている仕事や業界は、常に革新を怠らなかった。多くの絶望的な壁にぶちあたり、それを創意と努力で、ひとつひとつ、着実に乗り越えてきた。泥に塗れた地道な努力の結果だ。気の遠くなるような、積み上げた実績だ。
常に己を革新し続ける事。和食にしろ、今の和食は江戸時代のままで停滞したものではなく、常に時代に合わせ、良い部分は取り入れて己を洗練させてきた。こう書くと安直になるが。
その陰で多くの、伝統を継承する頑なな勢力と、どれだけ争った事だろうか?実権を握り、伝統を支配する勢力とどれだけ争い、納得させ、魂を削る思いで研鑽を続けたか。
その苦労は伝えずに、結果でお客さんに答えた。だから、和食は諸外国でも評価され、受け入れられる文化へと変貌した。
自動車もそうだ。オイルショック。排ガス規制。幾たびの危機にさらされ、諸外国でも「安かろう悪かろう」と言われた国産自動車を、今や安心と信頼のブランドへと変貌させた。
結果で答えたのだ。
ラーメンも同じくだ。一杯のラーメンに、生き残りを賭けて研鑽しあった結果、多くの者が倒れ、多くの悲劇があっただろう。
だがその血のにじむような努力を語らずに、味で期待に応えた。
だが放送業界は、まず語ってしまう。苦労や努力を語ってしまう。語れる環境が整っているからだ。仕方ないじゃんか、そう反論、反証しているうちに、自分でもそう納得してしまう。
評価されるプロは、妥協点がどれだけ高いかで決まる。
反論できる環境を作ってしまった仕事に、高い妥協点は作れない。どれだけ業界が、安い賃金でこき使われていると思っているんだ、ブラックもブラックだ!それを放送業界やアニメ業界は伝えてしまった。
それは、絶対に言ってはならなかったし、お客さんに伝えてはならない事だったのに。それは、自分にも「逃げ」を作ってしまうんだ。
もうそれを知ってしまったお客さんも、生温い目でしか見てくれない。厳しい意見も叩きつけず「仕方ない」で納得する。
だけど誰も画面を見ない。それが今の現実だ。
仕事にとって、厳しさや辛さは己を成長させる、唯一の滋養なのに、それを拒んでしまった。血がにじむ前に、その痛さを想像し怯えて泣き叫んでしまった。
日本アニメは、確かに「意外に受けている」状況だ。だが、それが覆る日は来ない。いつまでも「思ったより」「意外に」との言葉が外れない。それを外した途端、虚飾の記事になってしまうだろう。
TVアニメ「迷い家」は、まだ混迷の時代にあった日本アニメに悪い意味で回帰したような作品だ。多くの実験的なアニメがあった時代に逆戻りしている。
それでいいや。だって、声を上げる人に怒られなくて済むもの。怒られないなら、それを選んで何が悪いの?それが業界の回答なのだろう。
そういう業界が、未来は見通せないなどと語られても、そらそうだよねとしか言えない。