ただの考察好き

ただ考えるの好きです

某移住系動画配信者の移住トラブルについて感じた件

2023-08-14 00:44:51 | 日記
んー。この事件が明るみになった時、既にその動画は見ていなかったというか。

「なんか嫌だな」って思って見るの止めてた。最初はなんかね。都会で夢破れた女子がさ。田舎でやり直す系の紹介で質素な暮らしぶりとかやってたんだけど。

なので最初は、田舎者として応援する意味でさ。見てたのね。頑張れって。しんどいけど、きっとそのうち良い事あるよって。ところがさ。

なーんか。ちょっと違うなって。

何でこんなに女体を強調した撮り方するんだろって。最初は優雅な面を見せたいのかなあ、って解釈していたんだけど。

途中、温泉旅のあたりかな。あ、違うって確信して。
あー、わざとやってんだ、こうすれば注目浴びやすいって。なんか田舎暮らしというより。お色気動画に近い印象に育ってて。

やだなー、って思って。そこから見るの止めてて。

田舎ってさ。ほんと、合えば良いけど。合わないとほんと、大変なのね。こういうと悪いけどさ。

過疎になる田舎はさ。過疎になるだけの理由はちゃんとあるのよ。そこに至る原因はちゃんとあって。改善できないから過疎なんだよ。
そこに夢破れたって女子がさ。
一人暮らし始めましたって導入で始まった動画だったから。

生粋の田舎者としてはさ。最初から「大丈夫かな?」とは感じてた。都会より田舎は緩いだとかさ。決めつける人多いみたいだけどさ。
所詮、コンクリートジャングルだろ?都会って。

本物のジャングルじゃないじゃん?

田舎はガチでジャングルでさ。自然の猛威がすぐ傍でさ。更に人が合わないとダイレクトに面倒ごとが発生しやすい。

なので実際、都会もしんどいけど。田舎よりはマシなのよ。人と無理して関わらなくて良い分。それに行政のサービスも、田舎よりは生死に直結するような至らなさはないし。

実際さ。都会と。田舎でさ。同じ年齢と体格の老人で。同じ病状の末期患者でさ。
比較して暮らさせてみれば一目瞭然だと思うよ。

いや定期的に病院行くだけで。生死賭ける必要あるよ。田舎。だって。

バスもないところもたくさんあるからね?

タクシー呼んでも「どこですか?そこ?」って電話かかってくるところもあるから。都会ならさ。工夫すればどうにかなる事も。
田舎では工夫程度で何ができるって面が多々あるのね?

勿論、良い面もあるんだろうけど。田舎が嫌いで出てきた田舎者には、それは発見できなかったからさ。

とにかく。私にとって田舎って。自分の都合以外の事が優先できる人だとさ。下手こくと田舎に殺されてしまう。優しい人=潰れてくれる人って図式。
なので協調性と同時に、我の強い面もないとさ。下手こくと面倒ごとの一切を押し付けられて忙殺もされやすい。

そしてそういう目に遭っても。訴えて出られる行政サービスがない。後は暗部に呑まれて消えるだけの一生になる。
なので私は田舎から逃走してきたって面もある。

都会のほうが、まだマシって未だに思ってる。この先大変だろうけどさ。どんどん体力も落ちる一方だけど。
それは田舎でも同じだし。なので、どっちもしんどいけど。

その人の個性が合致すればさ。田舎でも都会でも別に良いのよ。
田舎だから良い。
都会だから良いだとかは、ナイ!ここは強調したい。

なので。当初はさ。この動画配信者の女子を応援してたの。なんか如何にも儚げでさ。田舎でやってけそうにない雰囲気だったし。
そういう意味で見ていたんだけど。

途中から。
お色気路線みたいなのを感じて。
あーうん、私ら中年向けのサービス?こうすれば喜ぶじゃん?違う?って嘲笑われたみたいでさ。

なので見なくなった。

そしたら。
なんか、その田舎とやらで青年たちとトラブル?があったようで。その詳細は知らんけども。

色香ってさ。簡単に人目は集まるけどさ。集まってくる全員が同一ではないのね。花に群がる虫を、花は選べないのよ。この虫だけは来るなとか、花は言えないのね。

なので結局。色香抜きで地道に頑張る女子だけが、どこでも堅実に残る。
男だってさ。
暴力だけ。外見だけ。我の強さだけではさ。全体の一割もその路線では生き残れない。途中まではイケイケなんだけど。
それ一生。続かないからね?

安直に成功できる方法はある。
ただ、それを維持できるか否かはさ。正攻法が存在しないだけ。上手くいく奴は上手くいく。
いかん奴は何してもコケる。
そして上手くいく奴は、全体の一割も居ない。

なので破滅だけは嫌だっていうならさ。
破滅しない、手堅いところに留まるべく。必死に努力を地道に続ける覚悟と体力が要る。あとは信念か。

人生。楽して生きたいだとかさ。無理とは言わんけど。
その楽して生きる為に。
何の代償出せますかって部分ね。無視しなければ可能。

例えば成功者だとか。破滅もできないお金持ちの家系だとかはさ。
羨ましいけど反面。
彼らには自由がないのよ。一番、人として欲しいものがさ。彼らは諦めなければならないの。

パーティだとか。南の島でバカンスだとかもさ。それも全部、ビジネスだからね?
本当に自分の自由にできるものって。実は私らが思うより無いと思う。

私がこうして下らん話をこうして上げても。
とくに注目も浴びず。話題性も生まないから助かってる面があり。
なので自由度が高いのよ。
気楽に何でも書ける。

本当の権力者、お金持ちはさ。
自分のちょっとした発言のアヤでさ。
誰かの一生を台無しにしてしまう可能性が常にあるのね。

私みたいに気楽に何でも言えないの。

だから私は。一生、食いつないでいけさえすれば、何の代償も払う覚悟で仕事しているし。その覚悟を買ってもらって、今も食いつないでる。
食いつなぐ程度のお金でできる楽しみだけで、満足できるようにいつでも自分を調整してる。

これが「身の程を知る」という事じゃないかなって最近、思ってる。

過剰に欲しがらないってこと。でも、どこから過剰なのか、わかんないから人は破滅するんだよね。

だから「身の程を知る」の「身の程」ってさ。
その人の「信念」って事じゃないかな?

一生かけて、自分のテーマっての。一生かけて何を実現したいか、可能なのかって事。

私の場合は「破滅だけはしたくない」だから。
破滅さえ避けられれば、それ以外は全て失っても構わない覚悟で生きてきた。
それ以外は全然無くても構わないと。有っても良いけど。それだけの事。

覚悟があれば、その夢は叶うよ。私がこうして生きているように。

何もかも棄てる覚悟で描いた夢があれば。神様って奴は人生のうちで何度か私らを、ヤラしいタイミングで試してくるんだ。
本当に棄てる覚悟があるのか。描いた夢の実現の為に。
棄てる覚悟があるのか。

その時に。
覚悟を示す者だけに。
夢の実現に向けて。
初めて神様って奴は。
道を切り開いてくれる。

なので例の動画配信者さんもさ。
「田舎暮らし」と銘打ってんだからさ。それ以外のところで欲かいたのが不味かったと思う。
田舎で質素にひとり暮らすってところを、徹底的に、淡々と毎回配信していればさ。きっと今頃はひとかどの者になっていたと思うよ。

動画配信で成功している人ってさ。
それぞれが、それぞれのスタイルだとか決して崩さないし。色んな事がやれても、必ず己のスタイルって奴を貫き通すから注目されるわけで。
そこに迷いだとかあったら一気に人が離れる。

例えば芸能人の「所ジョージ」だって動画配信でも結構、人気がある。
そして自由にやってるような雰囲気かもすよね?

でも、自由ではないよね?
所さんがさ。この世の悲劇だとか。悲哀だとかさ。身の上の不幸話だとかさ。そんな言わないでしょ?
そこがポリシーだし。
だから「所ジョージ」なのだから。
楽しく生きてる自由人。この世の悲哀とは無縁の人、という姿を見せ続けるから。人は見るのよね。

そして評価もくれる。

例の動画配信者の女子はさ。私も途中から何したいんだか、意味不明になったというか。
いや、したいのは注目を浴びること、視聴を伸ばす事だったんだろうけど。
伸ばしたい為に「田舎暮らし」で銘打ったのに。
明らかに違う路線に行ったという迷いがさ。

変な連中の関心を呼んだと思う。

世の中に「成功したい」人は無数にいるけどさ。
じゃあ聞くけど「何の為に成功したいんスか?」

暮らしていくだけならさ。
破滅したくないだけでもやれるじゃん?

成功したいって事はさ。
成功して、やりたい事ってのがあるわけで。

それが何なの?って事だと思うのよ。

例の動画配信女子もさ。人の注目を浴びたい、それだけだと言うのだろうけどさ。
その為に「田舎暮らし」でやっていくと決めたのに。

途中、明らかに路線がブレたから。

そして何より。
何で、人の注目を浴びたいのか。
自分で定義してなかったのが一番ダメ。

そりゃ動画で食べていくためなんだけど。
食べていくだけが目的ならさ。
別に手段はたくさんあるのよ。
別に世界に仕事は無数にあるのだし。

じゃあ、食べるのが目的じゃないわけじゃん?

埋もれるのが嫌。
目立って稼ぎたい。
その為の動画配信でしょ。

じゃあ動画で路線がブレたら
それは致命的だよね。

何事もさ。そこに揺るがぬ信念があり、そこに徹底してこだわり
それ以外は全て棄てる覚悟があるなら
何しても
その夢は叶うと思うよ。

それだけは、な?


死した後も

2023-08-07 05:10:20 | 日記
母が亡くなり、しばらく経過して。落ち着いて。

私の姉弟は、母の遺した遺産を巡り、今も苛烈な攻防をしているだろう。弟が全て相続したが、欲深い姉が諦めるわけがない。何としても略取の方向に行く。それが私の家族が、私の姉弟に遺した遺産。

憎しみと。恨みと。強欲。

弟に全て委ねるのは、ずっと前から父母の間でシナリオが決まっていた。そもそも「自分は親に大切に扱われなかった」という共通意識を持つ末っ子夫妻だ。
自分の作った家族の末っ子に、特別な意識を抱いてもそれは無理からん。思えば、弟が生まれてから、私の家族の歯車はより狂ったように思う。

古い考えに支配されながらも、実の感情では末っ子に全て与えたい両親の感情は誰にも制御不能だっただろう。元々が自分の支配欲を制御できるふたりではなかった。
目的を達成する為に物欲を制御できる反面、それ以外の欲の制御はより出来なかった。物欲一点を御するために、それ以外の欲を解放していないと、精神の安定を図れないふたりだったのだ。

そんな両親の背姿を見て支配されながら育った姉弟だ。その末期に家族らしい慈愛は何も期待できないだろう。

私が両親の言動に矛盾を感じたのはいつからだっただろうか。どこか「おかしい」と感じたのは、いつからなんだろう?

はっきりと矛盾を感じたのは、それまで彼らは私に対し「長男でありながら、実家に留まらず、外で働く無法者」と何十年もなじってきて。
しかし、それを私を含む周囲は「長男ありきで考える、古い考えに支配されている人たち」と捉えていたけど。

もし、本当に古い考えに支配されていたのならば。

私に、実家の名を継ぐ、唯一の男児が生まれた時に。
口惜しくても、私や息子に何か相続せねばと考えに至るはずなのだ。色々言いたい事はあっても、教えではそうする以外に選択の余地はない。

ところが。
彼らはその教えにあっさりと背いて。色々と理由を付け足して。
早々に弟に全ての遺産を継がせる準備を整えていた。その一方で私たち夫妻をなじる事も延々を続けていた。結果。
彼らの策謀は功を奏し。

弟へと数千万の遺産の相続に成功した。

そして結果。それ以外がどうなるか。それを両親は少しも考えはしなかった。どうでも良い事だったのだ。

だから私はもう、実家を振り返る事はない。関わりたくもない。何十年も壮大な茶番に付き合わされてきたのだ。

母の死後も。母の慈愛というより。母の強欲以外、何も思い出せない。
ドラマや映画。アニメでは、母の慈愛は絶対で。唯一の慈悲のように描かれるが。

私には何もない。

ただ横暴で、強欲をぶつけられただけだった。私への両親の遺産は強欲と憎しみと失望だけだった。

私はそうならぬよう、生きる事はできるだろう。
しかし。
それだけの話だ。

我が子へ注ぐ自分の慈愛の正体に。

親は最期まで気づかない。見ようとはしない。

それは、ただの欲で。
それを認識した時点で、初めて愛に変換できる。

自分の欲や気持ちを我が子にぶつけているだけなのだと。
自分の愛を定義できた瞬間から。

初めて親は。
我が子への「慈愛」を考えられる。

自分の気持ちが全て慈愛からくるものであり、我が子へと叩きつける感情は全て我が子を思っての事なのだと。
その恐ろしい呪われた考えから脱却する、それが唯一の手段だ。

自らの愛を疑うこと。
それは愛に偽装した欲なのだと気付く事。

それに気づいた時に。
親の慈愛とは何かという問いかけが初めて生まれる。

結論は「よく分からない」だ。

どうしても全て疑わしいし。何もかもが欲からくる感情でしかないように思う。それで良いのだ。
己を疑う事を知らない者が、己の正体に気づく事はないのだ。

自分の正体を疑う事を知らない者が
自分探しの旅に出たところで、より悪くなって帰ってくるだけだろう。

旅に出た馬が、駄馬になって帰ってくるだけの事だ。

鏡に映る自分の顔が実は。
正反対の姿であるという気づきさえ浮かばない。
己を「醜い」などと形容しながら。他人に撮られた写真で自分の姿を見て、己の実像と、己の想像との乖離にショックを感じる、よくある話だ。
想像以上に醜い自分の姿に。

だから写真で撮られるのを嫌う。醜い自分を見たくないからだ。

それは何も悪い事じゃない。そこから、どうするかで人間の価値は決まる。
「自分は、どうやら己の信じている自分とは違うようだ」と気づけば。それは価値ある事だろう。

親としての自分も同じだ。
己の我が子に向ける慈愛の正体は、その一切が欲から来てる。
だから。
どうすれば良いのか。

常に己に問いかけ、出ない答えに苦しみぬく。
その連続が慈愛なのだ。

真の愛とは、己の慈愛が全て己の醜い欲求に過ぎないと気付く事であり。
だからどうすれば良いのだと、常に己に問い続け、苦しんで生きてゆく姿勢を指す。

その気高い姿こそ、我が子に親が遺すものだろう。

欲のままに死ねるか。
我が子にそれを遺せるものか。

だから親は。
己は欲という名の肉塊であると知り。
そしてどうするかで、親としてどうなるかが決まる。

私はせめて。
我が子に私の死後。呪わしく思われたくない欲がある。思い出す旅に憎悪しか湧かない親になりたくない欲がある。

ならどうすれば良いのか。
出ない答えに苦しみぬく姿勢こそが、その欲を叶える最も手堅い道だと。

今は信じてる。

空白(因果応報)

2023-07-01 23:18:21 | 日記
ジャニーズで過去に起こった性被害疑惑の報道が目についた。事務所所属の、親から預かった男子たちを次々に性的な意味で食い物にしていたとの事。

その当人は聖人のような顔で旅立った事らしい。しかし、強権を誇った人間であっても、死後まで好きに操れはしない。
例え自分は、自分のした事から。強権や恐怖などでどうにか死ぬまで責を問われず逃げられても。

こうして子や孫たちが。あるいは故人の親戚、友人などが。

公然と暴露された悪行の因果、その連鎖に巻き込まされ、恥をかかされる事になる。

結果。この問題が終息する日が来る頃には。
ジャニーズは存在を、誰もが負の記憶と共に思い出すから、自然と記憶の底に沈めていくだろう。
結果、昭和、平成と強い影響を誇ったジャニーズ事務所という存在は。日本人の記憶から薄くなり。

それは大きな空白となる。

少年隊、嵐、SMAPなどはTVで延々と語り継がれるだろうが。ジャニーズ事務所の紹介はテロップだけで終わるだろう。

人は、調子の乗れるだけの強権を持っても、それを悪事の為に行使したら、こうして台無しになるのだろう。

逆に言えば。親というものは。
ずっと調子に乗れる程、強権もないほうが。
子供たちが楽に生きられるかも知れないということ。

死後。
自分の子や孫が私たち親の事を笑顔で語れる程度には。

私は良い人間のまま死にたい。そのほうが子供も楽だからだ。

私のように。
怨念と恨みと慕情が混在して分離できない状態は。
凄く辛い。

単純に笑って。笑顔で。私たちを。
「普通の親父だったよ」と子供が笑って孫に語ってくれれば。
それだけで良い。

欲張り過ぎて。
思い出すのも苦痛と我が子に思われるような親になりたくない。

それでも

2023-06-12 03:44:47 | 日記
「昼顔」という邦画がある。不倫を題材にした大ヒットTVドラマの劇場版だ。

私はこの映画を見た時に、劇中で過激な言動をとる、劇中では不倫された側の奥さんに感情移入してしまう。気持ちが凄くわかる。
主人公である、不倫をする男女のほうは、経験値がないので、どうにも共感し辛い。ああいう事があった事もないし、ああいった状況も身に覚えがないからだ。

振り返れば、何とも破滅だけを避けてきたような人生だった。劇中の不倫男女のように、個人の幸福だとか、考えてこられなかった。そんな余裕なんか全くなかった。

いつ。何の拍子に。人生って奴は全てぶち壊される可能性を常にはらむ。毒親を持つとこういった思想に囚われる。
だから自分の手で守り通さなくてはならない、と。自分の意思で。自分の人生を切り開いていかなくてはならない、と。

世界はいつでも自分を打ち壊そうと待ち構えている、と。

なので劇中の不倫男女のような、個人の幸福感の追求だとか。そんな余裕なんか一切ない。幸福以前の問題だった。
毒親を持つと。「世界とは不幸そのものであり、自分を潰そうとする猛悪のもの」そう感じてしまう。

自分を守り通すはずの親と言う存在が。
自分と言う「我が子」の存在を、憂さ晴らしの対象、ペットとしか見ていないという事実が。
そういった認識を被害を受ける子の心に根深く「世界とは不幸」と植え付ける。

どこを触っても破滅そのものなのだと。

52年。敵も居ないのに。必死に防衛線を張っていた。

だから映画「昼顔」では不倫された奥さんの気持ち以外わからない。
奥さんが不倫して離婚した過去を持つ、店のオーナーの言動もわからない。裏切られて悔しいのはわかる。
しかし、その事と不倫男女への攻撃する理由への紐づけが、私の中で出来ない。

好いた相手に、実は男が居て。しかもその男とは不倫関係であり、愉快そうだから?

私も過去に交際していた彼女が居て。その彼女の浮気、しかも不倫、更にその男の子供を妊娠といった事があった。
だから劇中のオーナーの気持ちは半分、よくわかる。何十年も刻まれる傷だ。

だけど何十年と過ごすうちに分かる、世界の無残さに。諦めも覚えてくる。
こんなに傷ついても。世界は何の関係もない。自分とは無関係に歯車は回り続ける。
どんなに傷ついても。恨んでも。憎んでもだ。

世界が味方だなんて。これっぽっちも信じられないから。

結論は「自衛」
傷ついたのなら

「どうでも良いと切り離せ」

そういう意識の徹底だ。気持ちが壊れる前に。心が壊れる前に。
「どうでも良いと切り離せ」

私の妻も。
不倫していたか、または現在進行形なのか。

それはわからないし、知ろうともしない。

たぶん、していた事は間違いない。不倫はしていたのだろう。今もそうかも知れない。

結婚しても全くセックスを求めなった妻が。
ある時期、それをしない事を突然、私に責め立てて。数回だけ身体を許した時。

我が子を突然、妊娠した。突然、セックスを求めて怒る時期が2年ほどあった後。

パタリとそれは止み。
元に戻って。
以降、私は一度も女性を抱いていない。

たぶん、あの時期に不倫していて。
避妊してもらえない事が続いたのだろう。

だから。
「それがどうした?」と思ってしまう。

我が子のDNAが父親が全く別でも。
背丈も肩幅も全く違っても。
似ていなくても。

それでも、我が子は我が子だ。間違いなく愛した子だ。何も変わらない。

妻が現在進行形で関係を続けていたとしても。

私には見せない笑顔をその男の前で見せていても
「だからどうした?」と。

そう考えられる。辛さが耐えきれなくなれば。

自分がさっさと死ねば良い。死ねば何も考えなくて良くなる。
死ぬのは逃げだと言われるが。「だからどうした?」
「お前が俺の惨めな半生を、今更どうにかしてくれるのか?」
「何も出来ない癖に」
「偉そうな文面を勉強したからと」
「傷ついた人間に、偉そうな顔で押し付けて回るのホント止めろ」
「それでお前の不細工な理知は満足するのかも知れないが」

だから。私が劇中のオーナーであれば。女性を自分から「切り離す」と思うのだ。攻撃などしない。結婚しているわけでもなければ、好意を向けられているわけでもない。守るべき対象でも何でもないから。

攻撃する理由がない。
私があのオーナーの立場で、あの不倫女性に「不倫を止めたいけど止められない、助けて」をすがられて尚。
不倫相手と幸福そうにされたら、それは「なんてだらしのない!真面目に話を聞いて損をした!」と怒るし説教するが。でも結論は同じ。「断ち切る」

だから。あの映画でわかるのは。不倫された奥さんの気持ちと涙だけで。
攻撃性はよくわからない。

執着するほどの甲斐性も、稼ぎもない男なのに。

そして妻はしきりに

不倫した女性に感情移入するようで。

劇中の奥さんを物凄く怖がっていた。ああ、そうか。向こうも怖い奥さんが居るのか。

だから妻と関係を持ったのかも知れない。切れないのだろう。
「私の妻より理解してくれるし、優しい」とか?

いや。優しいんじゃない。それは優しさじゃない。どうでも良いのだと思う。

今までの文面で、きっと人は私を「誠実」だとか。
「裏切らない人だ」とか。
「優しい」だの。テンプレを貼り付けて語るのかも知れないが。

実際のところ。
こんな世界に何も期待などしていないし

する価値なんか、感じさせてもらえた事はない。
それだけの事だ。

死ぬ気でやれば
世界と自分の心は切り離せる。

そして。
死なせてもらえないから。

死ぬ気で世界を切り離せば良い。
死なないから。
やる価値はある。

愛だとか幸福だとか。数値化もできず定量化もできない、あるのかないのかも分からないものの為に。
誰かを傷つけるのなら。
世界を心から切り離せば良い。

人は愛がなくても生きられる。飯と水さえあれば。

だから無人島で何年も生きて生還可能なのだ。
誰に愛されなくても。孤独でも。
生き抜く気持ちと。
生存可能な環境さえあれば。

愛とは種の繁栄と存続の為に必要な大義名分であり。
それ以上でも。それ以下でもない。


蛙化現象は昔からあった

2023-04-03 07:17:32 | 日記
昨今。何かと目にする「蛙化現象」というワード。
なんか。それまで全力で「大好き」だったのが、上手く行きそうになった瞬間に「萎える」というものらしい。

でも。これって昔の少女漫画に色々描写とかが残っていて。まあ。昔の少女漫画、ええと主に70年代以降の少女漫画だとかによくあった傾向なんだけど。
主流て「男は外見より中身でしょ」といった主張だったのね。つまりこの以前から日本女子はイケメンに夢中だったって事で。

当時のニューウェーブ、新しい恋愛の形として三枚目の外見でも、中身が良い男のほうがずっと良いよねってお話が多かった。
流れとしては「最初の印象は最悪だった男子が、やがて自分の中で無視できない程に良い奴になり、恋愛対象まで育つ」って事で。

それまでイケメンに恋していたヒロインは、その三枚目を結局選ぶ事により、女として一皮剥けて本当の幸福をつかみました、めでたし、めでたしという内容。

だからどうした?って思われるだろうけど。まあ、話の流れ的に最初はイケメンで好印象だった男がさ。
話が進行するにつれて、次第に女子のほうが飽きてくるというか。嫌な面が見えてきて醒めるというか。イケメンが手に届く範囲にまで来ても、その手が伸ばしきれなくなるっていう描写が多々あったのね。

つまりだ。当時のお話の中で女子はイケメン達に対しては「減点方式」で恋をしていて。三枚目の男子に対して「加点方式」で恋を積み重ねていったって事で。

だから今時の蛙化現象ってさ。ただの「減点方式恋愛」って事なんじゃないかって事。交際が始まった段階で、既に100点かわかんないけど、とにかく期待値が高くって。それが次第に現実を知らされて、急激に萎えて減点が自分の中で止まらないだけじゃないかと。

今時の若い男子はさ。おじさんの若い頃もそうだったけどさ。肌ケアだとか。お化粧とかもするらしいじゃない?
昔さ。一時期吉川晃司とかがデビューしたての頃合いってさ。男子が着飾り、お化粧も普通にやってたのよね。あの頃、おじさんは「気持ち悪い」ってやらなかった側だった。だから少数派だったの。逆に反抗心を煽られて、むしろ地味な方向に突っ走った記憶がある。

今の若い子って、あの頃の匂いがプンプンするのね。ずっと接してて感じるんだけど。「とにかく外見、外面を整える」ってさ。
更に「凄く良い人ぶる」のね。ここらが「あー、今時の進化版かぁ」と感じる部分なんだけど。イケメン+善人って無敵でしょって発想なんだろうと。

けど。その善人も被ってるだけなんでさ。いや、同じ男でこっち古狸だもの。その程度の仮面くらい、すぐに見抜ける。
言ってる事とやってる事がグチャグチャだからさ。本人は自覚ないんだろうけど。理屈や主張と、本人の言動が矛盾しまくってて草なのね。

例えば「傲慢な中年オヤジが大嫌いで生物と思えない」程嫌う若い子ってさ。
大体、その若い子も「ビックリするくらい、自己主張が激しく、他人の意見は聞いた振りをするだけ」だったりする。
結局。凄く傲慢な中身を隠しているつもりになっているだけ。人から見れば、ただの同類相憐れむって奴だ。

だから蛙化現象を起こす人の相手ってさ。大体が「イケメンに近い程、減点項目が少ない善人の皮を被った別もん」なんじゃないかなって。

これが「加点方式」で恋愛している人なら、あんまり蛙化現象起こさないと思うのね。
三枚目の外見で、何もかもパッとしない冴えない男子との間で、恋を育てるタイプって蛙化現象起こさないと思うの。

男子も同じ。外見で女子を決めないタイプって幻滅しにくい。
例えば妻とかそうだけど。外見はそこそこなんだけど。人当たりも良いし、好まれる言動をしがちだから若い頃から彼氏が絶えなくて。
基本、短い恋になりがちなんだけどさ。だから交際時期が重なった頃も当然あったりして交際人数が私と結婚するまでに12人は居たらしい。

更に家事は一切できなくて。お金もない。仕事も嫌い。
だけど基本。嘘はつかない人みたいだから。そこだけ評価してて。私の中で「裏切らない」って項目だけが守られれば。私はそれ以外は大目に見れるから。
だから20年仲良くやれてる。20年も仲良くしていれば、本人もこちらに合わせるって事もするし、今はお互いがお互いにカスタム化しているからさ。

お互い以外の異性は基本。「つまんない」と感じたりするわけだ。
つまり「加点」が上手くいったパターンだろうと思う。最初から減点できる項目が、そもそも少なかったし。

だから蛙化現象を起こす女子も男子もさ。たぶん。死ぬまで治らないんじゃないかなって。自覚できないと思うのよ。自分の中に反省材料を見出せないからさ。

別れたくないならさ。基本。加点方式で恋は育てたほうが絶対に良いって事。
三枚目で冴えなくって。目立たない奴だけど、絶対に悪い奴じゃないって相手が大切。

最初つまんなくても、恋は育つ。枯れた土地や猛毒の大地でない限り、草は生えるし花も咲くんだからさ。

交際する前から評価高い相手ってさ。もう交際した時点から減点開始する以外ないじゃん?
更に加点を続ける一方ってさ。それもう生物じゃねえから。

ホストにいれあげたホスト狂いじゃあるまいしさ。
ときめきは交際しながら育てるもので。交際する前からときめいてたらさ。そんなもんすぐにガス欠になるに決まってるじゃん。
そのときめきの燃料はさ。
交際始めた時点でもう補給されないもの。
そのときめきの燃料はさ。ただの「自分の中で勝手に膨らんだ期待値が生んだ妄想」でしかないからさ。

交際しながら育てたときめきは。交際し続ける限り絶える事はない。
どうせやるならさ。加点方式で恋愛したほうが良いだろと、おじさんは思ったってだけのお話でした。