会津若松市議会議員 渡部 みとむ オフィシャルHP

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今日は「佐川官兵衛顕彰碑除幕式・没後140回忌碑前祭」に出席ですm(__)m

2017年04月01日 | ブログ


【写真:熊本市役所14階から見た「熊本城」です】

今日は熊本で朝を迎えました。宿泊先のホテルで朝食を済ませて、8時過ぎには出発です。熊本市内から目的地の「南阿蘇村」までは約1時間半程度かかります。途中には「グリーンロード南阿蘇」がありますが、現在も通行止めのため、「俵山バイパス」を迂回して向かうことになります。



【写真:熊本市内辛島公園近くの「東急REIホテル」】

同行する吉田氏と話をしながら「阿蘇山」を目指しました。山並みを上って行くと、カーナビでは行きつけない案内ばかりで到達時間がつまりません。村人に道を聞きながら道路標識を頼りに南阿蘇村を目指しました。_(._.)_



【写真:「鬼官兵衛記念館」興梠二雄館長宅で記念撮影】
※ 直木賞作家「中村彰彦先生」もかけつけました

今日の主役である「佐川官兵衛」は天保2年(1831)会津藩二十三万石の城下町に生まれました。幕末の混乱期、京都守護職を引き受けざるを得なかった藩主松平容保に従い、鳥羽・伏見の開戦後、京都、大阪、越後口、会津と転戦しました。伏見街道で薩摩勢を迎え撃った時、その壮絶な抜刀斬込みと、血まみれた阿修羅のごとき形相から「鬼官兵衛」と呼ばれるようになり、薩長の志士を震え上がらせたといいます。



【写真:熊本で会津を再発見できる「鬼官兵衛記念館」の館内】

「鳥羽伏見の戦い」に敗れ、ついに会津藩も降伏。官兵衛は会津藩士とともに、下北半島へ追放され、謹慎生活を送ることになります。江戸幕府が倒れ、明治維新となり「廃藩置県」が行われると、会津に帰郷しました。その後、藩士ら300名を連れて東京の警視局に奉職します。一等大警部の職を得ますが、大藩の家老としては低い待遇で、旧藩士たちは怒ります。しかし、官兵衛はこれをなだめ、月給五十円のうちから一部を藩主に送るなど忠臣ぶりをみせました。(^O^)/



【写真:佐川官兵衛顕彰碑前で興梠二雄館長らと除幕です】

明治十年(1877)の西南戦争が起きた時、麹町の警察署長をしていた官兵衛は、西南戦争に参戦するように政府から命ぜられます。当時の官軍は、農民を中心に組織されており、基盤が軟弱だったため、士族の警察隊が必要だったのです。



【写真:菅家会長や吉良南阿蘇村長と式典に参列しました】

同年3月14日、官兵衛は阿蘇の白水村(現南阿蘇村)に進み、蛭子(えびす)屋という商家に仁を構え、はやる心を押さえながら、阿蘇南郷谷の有志を集め、「南郷有志隊」を組織させました。地元の人々は、官軍も略奪を働くのではないかと恐れましたが、官兵衛は不正の行為が起きないように巡査を戒め、物資を買うための資金も十分に渡してあったので、不祥事は全くなかったそうです。(-。-)y-゜゜゜



【写真:現在も南阿蘇村に残る石碑群が時代を物語っています】

村人たちは、官兵衛のことを親しみをこめて「鬼さま」と呼んでいたのです。出発の朝、官兵衛は真新しい肌着に身を包み、「明神池」の水を飲み、辞世の句を読みました。 
「君が為 都の空を打ち出でて 阿蘇山麓の身は露となる」 
先頭の最中、薩軍一揆勢の小隊長、鎌田雄一郎が官兵衛に対して、一騎討ちを挑んできました。



【写真:神事が行われる中「玉串奉奠」をする私です】

会津藩随一の使い手であった佐川官兵衛の剣はするどく、鎌田危うしとみた薩軍の長野さばくは、卑怯にも鉄砲で官兵衛を狙い撃ちし、ここに官兵衛は非業の最期を遂げたのです。亨年四十五歳。強い意志を持ちながらも歴史のうねりに翻弄された短い人生でした。(*_*)



【写真:除幕式と碑前祭の後は懇親会が盛大に開催されました】
※ 室井市長代理として挨拶される吉田秀一水道事業管理者

白水村では官兵衛の遺徳が代々語り継がれ、明神池の周辺には「佐川官兵衛」の記念碑が四カ所も建てられました。阿蘇郡内にも慰霊碑が十数カ所建っており、阿蘇の人々がどれほど「官兵衛」に尊敬の念を抱いていたか分かります。



【写真:阿蘇山麓はあちこちで道路の亀裂が見られます】

懇親会も盛り上げって宴もたけなわでしたが、夕方からの予定もあり、「ミルクロード」を通って市内に戻ることにしました。途中にある「阿蘇みつばち牧場」は今日から再オープンだったみたいで、トイレを借りて通行できる道を教えてもらいました。ここのソフトクリームが絶品なんです。(@^^)/~~~



【写真:今日から再オープンした杉養蜂場の「阿蘇みつばち牧場」】

熊本の2泊目も同じホテルです。レンタカーを指定の駐車場に入れてチェックインしました。大学時代の先輩が、夕方ホテルに迎えに来てくださることになり、支度をして待つことにしました。市内の酒屋さんが実家の先輩は、学生時代、豊島区椎名町に住んでいました。



【写真:以前もお会いした熊本の方々と再会です】

熊本県立「済々黌高校」を卒業された昭和29年組の方々とは約40年来のお付き合いです。今夜は、会津にお越しいただいた先輩はもちろん、毎回、熊本を訪問するたびにお会いしている皆さんの歓待を受けて二次会に流れました。(#^.^#)


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