オニャール橋から大聖堂を望む
バルセローナから地中海沿いにフランスの方向を目指して北上すること100㎞、バルセローナとフランス国境の中ほどに、カタルーニア第二の都
市『ジローナ』があります。
カタルーニア語表記で Girona (ジローナ)、標準スペイン語カスティーリア語表だと Gerona (ヘローナ)です。
オニャール川という川底の見える清流が北向きに流れる、その右岸が旧市街で城壁に囲まれています。
オニャール川
その幾つかの橋の『オニャール橋』からサンタ・マリア・デ・ジローナ大聖堂を見上げる角度が、ジローナの街の第一印象を伝える「正式な」眺めなのだとか。
その大聖堂は、胸つく大階段の最上部に屹立しています。
サンタ・マリア・デ・ジローナ大聖堂
お約束で、新しい町に来たら「先ず」大聖堂を訪れよ、ということで。
ジローナの『聖マリア大聖堂』内部
祭壇は、純銀製の天蓋で覆われています。
床にはかつての僧たちの墓標が敷かれている。
800年間のイスラムとの戦い『レコンキスタ(国土回復運動)』を終わらせて、全イベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻したアラゴン王国とカスティーリア王国のイザベラ女王とフェルナンド王太子が政略結婚でスペインが統一王朝となり、その二人の孫、スペイン王カルロス1世にしてフランドル伯、ハプスブルグ(オーストリア)大公にして神聖ローマ皇帝、ローマ王にしてモロッコ王たる『カール5世<大帝>』の聖座というものも残されています。
カール大帝の聖座
回廊も立派なものです。
この大聖堂の宝物殿(博物館になっています)には、興味深いものがたくさん。
10世紀コルドバ王国ヒッサム2世の櫃
そして、金糸をふんだんに使った、見事な刺繍の『聖母被昇天』の祭壇布。
それらの中でも、最も重要な文化財が二つあります。
一つは、9世紀から10世紀初頭の頃、初期イベリア北部の「カンタブリア公国」と「アウトリアス王国」で活躍した地理学者にして聖書学者であった『ベアトス』の『聖ヨハネの黙示録』の解釈を、おそらく975年頃に筆耕家エメンテリと修道女ウードの手で石板の筆耕して彩色した細密筆耕板。
975年頃の細密筆耕石板
そして、宝物の中の筆頭が『天地創造のタピスリー』です。
ちなみに、綴れ織りの壁掛け「タピスリー」は14世紀終わりに作られ始めたので、これは厳密に言えば、後世でいうタピスリーではなく、あくまで刺繍の装飾布です。
1100年頃の製作になるものだろうと思われています。
『天地創造のタピスリー』
ほぼ原色と言っても良いほどの色味の残り具合といい、構成の見事なバランス、細部の繊細な仕上げ、まさにジローナが誇る歴史の名作です。
ところで、この大聖堂のあたりには、他にも2つほど教会があります。
すぐ隣にあるのが、神学校付属聖堂『聖フェリウ教会』です。
聖フェリウ聖堂「身廊」から奥の祭壇とRetable
左の写真は、祭壇奥の「Retable (祭壇画)」で、木彫金彩。
右の写真は、周囲の礼拝室の一つの天井画。18世紀のバロック様式のフレスコ。
そのサン・フェリウ聖堂から丸石の石畳の道を少し下ると、旧市街を囲んで防御していた城壁の城門が一つあります。
城 門
実に堅牢そうな難攻不落の城門をくぐり抜けると、最初に川を渡って旧市街に入ってきたあたりの広場に出ます。
そこから南北に川の流れに沿う形で、細い通りが何本か通っており、それと直行する東西は階段だったり。
旧市街だけあって、情緒たっぷりの細い道の両側にはエキゾチックなお店やレストランなどが並びます。
バルセローナと張り合った高位の大司教座都市だっただけあって、キリスト教関係の装飾品などのお土産やさんも、あちこちに。
歩き疲れたら、またオニャール川岸に戻ると、水鳥が憩う姿や、絵のような家並みに疲れが癒されること請け合い。
さあ、次回は何をご紹介しましょうか。
お楽しみに。
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