行ってみませんか... こんな 素敵な世界へ

好奇心旺盛な長年の体験で、行って、見て、食べて、泊まった素敵な世界を、皆んなにちょっぴりお裾分け...

【謹告】ブログタイトルの変更のお知らせ

2020-08-21 16:02:05 | 素晴らしき世界
フランス ロワール河の古城『ショーモン城』



みなさま、稚拙なブログですがご愛読に感謝申し上げます。
タイトルが長すぎる、というのが悩みの種でした。

何度もいじって細かな変更は試みたのですが、この度思い切って完全に変更してシンプルで覚えて頂き易いタイトルに変更することにいたしました。

『行ってみませんか...  こんな 素敵な世界へ』です。


今後とも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。





今回は、一葉ごとに何かを感じていただけるような写真を並べてご覧いただくことにいたします。



『プティ・トリアノン』




ヴェルサイユ宮の広大な庭園のはるか奥に、ルイ14世が建てた離宮
「トリアノン宮」
その敷地の隣接地にルイ15世が愛妾ポンパドウール夫人のために建てた
「小トリアノン離宮」
その小トリアノンのお庭の奥にマリー・アントワネットが作らせた
「王妃の小邑」の一角



『妖精の岩』


ブルターニュ地方に多い巨大岩遺跡「ドルメン」の中で、最も大きく美しい。



『モロッコの街道のウチワサボテン』


延々と何キロメートルにもわたってウチワサボテンが赤い身をつけています。



『シャロレー牛』


肉牛として名高いブルゴーニュ地方原産の『シャロレー種』
場所はオータン



『オンフルール』


ノルマンディー地方の古い港町オンフルールは印象派の画家たちの絵で有名ですが、
16世紀前半フランソワ1世の艦隊が大西洋横断に乗り出した拠点港の一つで、ミシシッピ河に到達しました。



『カルカッソンヌ』


フランス南西部カルカッソンヌは、フランスで最も美しい城壁で囲まれた中世そのままの村です。
フランスでは昔から「カルカッソンヌを見るまで死ぬな」と言われてきました。
今では『国連世界遺産』に登録されています。



『サン・フルール』


フランス中南部カンタル地方の村『サン・フルール』は丘の上の旧市街が
『フランスで最も美しい村々』の一つに選ばれています。
その丘の上の旧市街から見下ろす、新しい下の村の俯瞰



『ひまわり』


フランス南西部、地中海にもスペインにも近いあたりのひまわり畑



『サン・ベネゼ橋の夕景』


14世紀に法王庁が置かれたアヴィニヨンのサン・ベネゼ橋は
「橋の上で 踊ろよ 踊ろう♪」という古謡で知られた、ローヌ河の中程までしかない橋です。



『現代のアンフォラ』


フランス最南西部ピレネーの麓の街道沿いの壺工場の看板
古代ギリシア以来中世まで、地中海では細長い素焼きの壺「アンフォラ」が
小麦やワインを入れて運ぶ容器でした。
その伝統で、今でも素焼きの大きな壺のアトリエがありました。



『ペイルペティューズ城』


13世紀初頭、異端として「カタリ派」への討伐『アルビジョワ十字軍』が行われ、
追い詰められたカタリ教徒たちがピレネー山脈の山城に夫々立てこもって全滅しました。
その中で最も難攻不落を誇ったのがペイルペティューズ城だったのです。



『サン・マルタン・ドュ・カニグー大修道院』



フランスとスペインとの国境ピレネー山脈の山岳地帯に点在する1000年の歴史を有する
名修道院の一つ。



『ボニファチオ』


コルシカ島最南端の港町。丘の上の旧市街の入り口の城壁



『コルシカの少年』


コルシカ島中央部山岳地帯の中に点在する小村にいた少年。



『ロカマドウール』


聖母マリアと行動を共にしたマグダラのマリアの付き人「サラ」の夫が隠生した地という伝説もある、
南部ペリゴール・ケルシー地方の中世以来の一大巡礼地。



『クロマニョン洞窟』


ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタレンシス)が暮らしたペリゴール地方の『クロマニョン村』のはずれ、
初めて「ホモ・サピエンス」の骨格化石の一部が発見された岩室



『羊の群れ』


ピレネー山脈の真っ只中『アンドーラ公国』からスペイン側に下った小さな村の中で遭遇した、
移動中の放牧羊



『ゲルニカの樫の木』


ピカソの名作も生んだゲルニカの町で、空襲で全滅した町の唯一生き残った樫の木。
平和の象徴とされています。



『ポワント・ド・ラ(ラ岬)』


ポルトガルの「ロカ岬」と並んでヨーロッパ最西端ブルターニュ半島の最西端「ラ岬」は、
中世に「世界の果て」と信じられてきました。
足下100mに荒波が砕け散る岩の岬を、岸壁にへばりついて先端まで行くこともできます。




『モンテ・チェルヴィーノ(モンブラン)』


Monblanc モンブラン(仏語名)は、イタリア語では Monte Cervino と呼ばれます。
イタリア側の山麓、標高2000mの「ブルイユ・チェルヴィーニア村」からの眺め。



『シェリ河の渡し』


アフリカ第二の湖「チャド湖」に注ぐシェリ河の河口付近。
チャド側からカメーン側に渡る渡し舟の人々



『エルバルンガ村』



コルシカ島北端「コルシカ岬」東側の付け根の小さな村



『ローヌ河の渡し』


左側にかすかに見えるロープに沿って引っ張られる「ロープウェイ・フェリーボート」



『ニームの分水施設』



古代ローマが築いたニームの街に、45㎞彼方の山の水源から引く水道の終点
ここから各町内に水が給水されました。



『コルテの城塞』


フェニキア人、ローマ帝国、アレクサンドリアの海賊、ピサ共和国、ジェノヴァ共和国と1500年以上他民族の支配が続いた
コルシカに、18世紀末現地反乱軍によって初めて
『自由コルシカ共和国』が宣言された時の首都。



『ポルトガルとスペイン国境の鉄橋』



ポルトガル北端ニーニョ川のほとり「ヴァレンサ・ド・ニーニョ」という町。
この鉄橋を渡ると向こう岸はスペインの「トウイ」という町。



『モンサント村』


ポルトガル北西部高原地帯の巨岩の中に埋め込まれたように....



『ヴァスコ・ダ・ガマ生家の遺構』


ポルトガル中西部「エルヴァス」の町は、少年遣欧使節団も滞在した。
その町に、大航海時代の立役者ヴァスコ・ダ・ガマの館の遺構があります。
フレスコなどが残っています。



『ポルト』


スペインを東西に横断する「ドウェロ (Duelo)河」 は、ポルトガル国境までくると流れを南向きに変え、両国の国境線となる。
かなり南に下ってポルトガル国内に入ると、同じ名前のまま蛇行しながら西へ流れる。
そのドウェロの中流の急斜面で育ったぶどうで作った赤ワインの樽が
木造船で運ばれ下って、ポルトの町で長期間熟成させ『ポルト酒』が誕生します。



『アルベルカ村の井戸端会議』


中世マンマのアルベルカ村で談笑中の三人



『サント・ヴィクトワール山』


ポール・セザンヌは、晩年故郷のエックス・アン・プロヴァンスの町に引き上げ
元気が良いと町を出て近郊のサント・ヴィクトワール山を見上げる数多くの地点まで行って
22点ほど『サント・ヴィクトワール山』という題の油彩を仕上げました。



『或るホテルの朝食のテーブル』


アルザスのイルォーゼルヌ村のホテルの朝食は、
夏場は横を流れるイル川に沿って前庭の芝生にテーブルが少しずつ離れて配置されます。
その中で、幸運な一組は川面で!



『サロン・ド・テのテーブル』


サンクト・ペテルブルグの名店『プーシキン』でお茶をするとき
マカロンの上のガラスの上で



『セゴヴィア』


セゴヴィアに北側(マドリードと逆側)からアプローチすると、6月ごろのヒナゲシの時期には
この光景が見つかるかもしれません。



『初日の出』





次回からは、またテーマを決めて「素敵な世界」へご案内します。
お楽しみに!



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