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プロヴァンスを巡ろう 8 <プロヴァンスといえばアルル アルルといえばプロヴァンス>

2020-11-04 00:03:45 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
アルルのヴィーナス(部分)


プロヴァンス
という
特有の風土を一心に体現する町は
『アルル』

皆さんは
『アルルの女』
という言葉はご存じですよね

プロヴァンスの地場文学の父『アルフォンス・ドーデ』の作品に
「ビゼー」が曲をつけた悲恋物語の歌劇のタイトル


独特のドレスとショールと伝統の髪飾りの
若く美しい女性
闘牛
とくれば「プロヴァンス」のてんこ盛り


古代ローマの時代から
アルルの女性たちは
その端正で愛らしく賢い存在で知られていたらしい



アルルの女王の優勝者と入賞者たち

3年に一度アルルの町では
5月1日スズラン祭りの日に
伝統的な『アルルの女王』コンクールが行われます

アルル生まれ
アルル育ち
アルルか周辺に居住の
18歳から24歳までの
アルルとプロヴァンスの歴史と史跡に深い知識を持つ
健康で
美しい女性が選ばれて
3年間のアルルとプロヴァンスに関する催しやイヴェントの看板役を務める

その
『アルルの女』
ここに暮らした『ゴッホ』も描いています

『アルルの女』ゴッホ 1888年

そのアルルとプロヴァンスの歴史と伝統文化は
アルルの町にある
『アルラッタン博物館』にぎっしりと
保存されています

アルラッタン博物館 中庭

この博物館は
地元の貴族の館であったものを
フレデリック・ミストラルが受賞したノーベル文学賞の賞金で購入し
民族伝統の工芸や民具などを保存する「博物館」として
今日に残した

中庭の地中から
古代ローマ時代の遺構がザクザクと出てきて
それ自体も史跡となっている


この町の中心『レピュブリック広場』にある
市役所の建物の地中からの出土品の最も重要なものが
『アルルのヴィーナス』


ヴィーナス(アフロディーテ)像
とびっきりの最上のものから
ほどほどのものまで
数え切れないくらい作られたのですが

この『アルルのヴィーナス』は
ミロのヴィーナスを頂点に
二番目クラスに良いものの一つに挙げられている

ともにルーブルの秘宝です


『レピュブリック広場』

この写真の正面が市役所

右の角は『サン・トロフィーム教会』

古の「大聖堂」で
ゴシック以前の『ロマネスク』時代の
彫刻群の傑作
と称えられてきました

サン・トロフィーム正面扉口

ここに
ロマネスク時代の独特のコミカルなレリーフで
旧約聖書が表されているのですが


最後の審判で「地獄行き」が決まった亡者どもが
鎖に繋がれて
地獄の紅蓮の炎の上を引きづられてゆく光景

内部には
回廊も残っています






この教会から
程近いところに『古代闘技場』があります





この闘技場は
先述のニームのものとほぼ同じ時代に
おそらく同じ技術者の設計で
同じ規模で作られたとわかっている

これもニームのものと同じで
三層構造の最上層は
すでに失われている

飛び出している四角い塔は
ゲルマン族侵入時代に砦に改造されていた頃
付け足されたものだそうだ

最上層(二層目)のアーチの上を
歩く事ができます


繰り返し円形に盛り上がって
石が組まれている構造がわかる

この四角い塔の前の階段を下ると
前に細い道がある
その右の角のお土産やさんの建物が
「黄色い家」と呼ばれた


ゴッホが最初に下宿した家だった

彼は
パリに出てきて出会って尊敬していた「ゴーギャン」を
呼ぶ
「僕と君と共に過ごせば、お互いに良い作品を生み出せるだろう」
「部屋は準備した。アルルは光と色彩に溢れている」


『黄色い家』を
ゴッホは数ヴァージョン書残している

借りた家の寝室

『寝室』オルセー・ヴァージョン

彼は
部屋の絵も、同じ構図で3枚描いた
現在
パリ『オルセー美術館』
シカゴ『現代美術館』
アムステルダム『ゴッホ美術館』
それぞれ所有している

アムステルダム・ヴァージョン


シカゴ・ヴァージョン

そのゴッホが行き詰まり
ゴーギャンと大喧嘩して
切りつける
未遂に終わったがゴーギャンは怒ってパリに帰り
ゴッホは精神を病む


町の係に勧められて精神病院に入院
そこの回廊の中庭も描いた



半強制的入院だった状況を恐れたゴッホは
ここを逃げ出し
25km離れた「サンレミー」村の
『聖パウロ修道院病院』
に自ら駆け込んだ

そこは別の機会にご紹介しよう

そのアルルの旧市街を囲んでいた城壁跡の大通りを
出たところに
ローマ時代の墓地の跡がある

まだキリスト教が公認される以前
「異教徒」キリスト教徒は
町の中の墓地に葬ることが許されず
町の外の街道沿いに石棺を並べているうちに
数千の棺が並んだ異様な場所となった

その後忘れ去られて中ば土に埋もれ
中世の終わり頃に存在が認識された時に
見事な彫刻やレリーフを施した棺は
装飾用に持ち出され

その後は
飾り気のない地味な棺だけが打ち捨てられて残ったその場所は
『レ・ザリスカン』
と呼ばれてきた





そこも
ゴッホにとっての制作モチーフとなり
何点もの作品が残された






アルルは
見所が多すぎる

ローマ「キリスト教化」以前の
『ローマ異教美術館』
キリスト教時代になってからの
『ローマ・キリスト教美術館』
がある

後者は
地下に降りてゆくとローマ時代の町の中心
『フォーラム(中心広場)』
の地下の基礎を訪れることができる

古代の広場は
今のフォーラム広場の10数倍あったという



最後に
せっかくなので少しだけ郊外に出て
ゴッホのゆかりの場所をもう一箇所
訪れてみよう



そう
おなじみの『ゴッホの跳ね橋』

水上運搬が古代ローマのころから発達していた
この地で
ローヌ河と支流とを繋ぐ運河も多く
この手の跳ね橋は
この辺りには数多く存在していた

対戦で空爆され
かなりが破壊されてしまったが
無傷で残ったものを
ここにかけ直した

ゴッホは
それらの橋をいくつか書き残したが
この橋を
代表で『ゴッホの跳ね橋』と呼ぶ




カペー王朝以後の北部政権に
支配下に組み込まれ
経済的にも文化的にも
中央権力に従属させられて以来
多くの
固有の文化が失われていったプロヴァンス

その一つに『プロヴァンス語』があった

言語は
民族と文化との精神そのもの

その「プロヴァンス後」で詩を書いて
ノーベル文学賞を受賞した『フレデリック・ミストラル』は
『プロヴァンスの父』
崇められている

アルラッタン博物館にぜひお越しください

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ご意見・ご感想をお待ちしています

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