さてさて、日本中が熱狂に沸いている米朝アンドロイド、
ワタクシめも見てまいりましたよ。
小さなスペースで、パイプ椅子に座って拝見するんですけど、
舞台との距離が近い近い。
なんや、ホンマの噺家さんよりも緊張してしまったりして、
でもねえ、やっぱり動きが不自然やなあって思いましたねえ。
よくCGの映画なんかで、人間の動きをリアルに再現しようとすると、
なんや上半身がふらふら、微妙に揺れすぎてるのってありますよねえ。
ちょうどあんな感じなんですよねえ。
そりゃ人間の身体なんてピシッと微動だにしない状態にはならないもんやろけど、
それを忠実に再現しようとしたためか、なんやゆらゆらしすぎてるように感じられたりして、
やっぱりテクノロジーなんて所詮はこの程度なんかなあ、なんて思ったりして、
でも地の語りの間はそう感じられたけど、
やがて小咄を演じる段になると、これが意外とねえ。
「たけのこ」という有名な小咄で、
武士と、あれはその家来というのか使用人というのか、
「べくない」って呼ばれてる人物が出てきて、
変わった名前やなあ、どんな字を書くんやろ?ってずーっと思ってたけど、
いま検索してみたら「べくない」とは漢字で「可内」と書いて、
武家の下男の通称なんやそうな。
へえー、知らなんだわあ。
で、武士とその可内とのやり取りを演じる段になると、
それぞれがそれらしく見えてくるんですよねえ、ちゃんと。
考えてみたらCGアニメでもデフォルメしたキャラクターなんかは違和感なく見てられるけど、
それと同じように、噺のなかで武士を武士らしく誇張して表現する動きなんかは、
自然に見てられるってことなんでしょうかねえ。
表情なんかも意外と豊かで、見終わった後には大したもんやなあって思えたけど、
でも気になったのは、指がまったく動かなかったんですよねえ。
これは技術的に不可能なんじゃなくって、そこまでやるとお金がかかりすぎるから省いたんでしょうけど、
指が動かなかったら「始末の極意」なんかは演じられませんわなあ。
まあそれはともかく、この米朝アンドロイドは、
「桂米朝展」という催しのなかで公開されてるんですけど、
そのほかの展示物は、パッと見た感じ数が少なくって、
なんやこんなもんかって感じがしたけど、
一点一点見ていくとこれがそれぞれに興味深かったりして、
これは図録に載ってる写真を写したものですけど、文化勲章の実物も展示されてたりして、
あまり達筆やおまへんなあ……いやいや、
それから面白かったのが、昭和23年、
師匠が初めてNHKのラジオに出演されたときのギャラの明細。
300円で、税金45円引かれて255円の支払いですって。
これが当時の価値でどれぐらいのもんやったんかなあ……と考えるに、
思い出されたのが黒澤明の「素晴らしき日曜日」。
これはその前年、1947年の作品ですけど、
若いカップルが休日を過ごすのに、所持金が確か30円しかなくって、
屋台で饅頭2個買って10円、喫茶店でコーヒー2杯で20円……やったかな、
詳しく覚えてないけどそれぐらいの感じでしたわ。
だから当時の300円もそんなに高額ってこともないかも知れんけど、
若手のギャラとしては高いほうやったんやないですかねえ。
ようわからんけど、まあとにかく、
もう米朝師匠が高座で落語を演じられることはないかと思うと寂しくなってしまうけど、
でもまだまだお元気なご様子で、それだけで嬉しいもんです、はい。
ワタクシめも見てまいりましたよ。
小さなスペースで、パイプ椅子に座って拝見するんですけど、
舞台との距離が近い近い。
なんや、ホンマの噺家さんよりも緊張してしまったりして、
でもねえ、やっぱり動きが不自然やなあって思いましたねえ。
よくCGの映画なんかで、人間の動きをリアルに再現しようとすると、
なんや上半身がふらふら、微妙に揺れすぎてるのってありますよねえ。
ちょうどあんな感じなんですよねえ。
そりゃ人間の身体なんてピシッと微動だにしない状態にはならないもんやろけど、
それを忠実に再現しようとしたためか、なんやゆらゆらしすぎてるように感じられたりして、
やっぱりテクノロジーなんて所詮はこの程度なんかなあ、なんて思ったりして、
でも地の語りの間はそう感じられたけど、
やがて小咄を演じる段になると、これが意外とねえ。
「たけのこ」という有名な小咄で、
武士と、あれはその家来というのか使用人というのか、
「べくない」って呼ばれてる人物が出てきて、
変わった名前やなあ、どんな字を書くんやろ?ってずーっと思ってたけど、
いま検索してみたら「べくない」とは漢字で「可内」と書いて、
武家の下男の通称なんやそうな。
へえー、知らなんだわあ。
で、武士とその可内とのやり取りを演じる段になると、
それぞれがそれらしく見えてくるんですよねえ、ちゃんと。
考えてみたらCGアニメでもデフォルメしたキャラクターなんかは違和感なく見てられるけど、
それと同じように、噺のなかで武士を武士らしく誇張して表現する動きなんかは、
自然に見てられるってことなんでしょうかねえ。
表情なんかも意外と豊かで、見終わった後には大したもんやなあって思えたけど、
でも気になったのは、指がまったく動かなかったんですよねえ。
これは技術的に不可能なんじゃなくって、そこまでやるとお金がかかりすぎるから省いたんでしょうけど、
指が動かなかったら「始末の極意」なんかは演じられませんわなあ。
まあそれはともかく、この米朝アンドロイドは、
「桂米朝展」という催しのなかで公開されてるんですけど、
そのほかの展示物は、パッと見た感じ数が少なくって、
なんやこんなもんかって感じがしたけど、
一点一点見ていくとこれがそれぞれに興味深かったりして、
これは図録に載ってる写真を写したものですけど、文化勲章の実物も展示されてたりして、
あまり達筆やおまへんなあ……いやいや、
それから面白かったのが、昭和23年、
師匠が初めてNHKのラジオに出演されたときのギャラの明細。
300円で、税金45円引かれて255円の支払いですって。
これが当時の価値でどれぐらいのもんやったんかなあ……と考えるに、
思い出されたのが黒澤明の「素晴らしき日曜日」。
これはその前年、1947年の作品ですけど、
若いカップルが休日を過ごすのに、所持金が確か30円しかなくって、
屋台で饅頭2個買って10円、喫茶店でコーヒー2杯で20円……やったかな、
詳しく覚えてないけどそれぐらいの感じでしたわ。
だから当時の300円もそんなに高額ってこともないかも知れんけど、
若手のギャラとしては高いほうやったんやないですかねえ。
ようわからんけど、まあとにかく、
もう米朝師匠が高座で落語を演じられることはないかと思うと寂しくなってしまうけど、
でもまだまだお元気なご様子で、それだけで嬉しいもんです、はい。