モヴィエ日記

映画の感想とか、いろいろです。

アベノミニクサ

2013-04-29 23:32:29 | Weblog
まあそんなわけで当然のことながら、

米紙 首相の歴史認識巡る発言を批判 NHKニュース

安倍の馬鹿げた発言はまったく通用しないことが改めて示されてて、
なんでもワシントン・ポスト紙はこれまでは安倍に対して一貫して好意的やったらしいけど、
その認識を改めさせるのに一役買えて僕も光栄でございます……え?
なにを寝ぼけたこと言うとるんやってですか?
だって、このWP紙の記事は26日付でしょ。
僕が安倍の腐れ発言を批判する記事をアップしたのが26日の23時過ぎ、
どうよ、このタイミング。
日米の時差を考えれば、WP紙が僕の記事を参考にしたのは一目瞭然やないですか。
おそらくこんな経緯があったんでしょう、
WP紙の日本語が出来る編集員が、日本のサイトでの同紙の評判をチェックしてたところ、
僕の記事が引っかかり……
「編集長、編集長、大変ですよ!」
「どうした、何事だ。ホワッツハップン、歩いて5分」
「日本のブログにこんな記事が載ってますよ」
「どれどれ、ふむふむなるほど」
「我々はアベを評価してましたけど、これを読むとそれに値しない無茶苦茶な奴じゃないですか」
「本当だ、アベの発言は無茶苦茶だ。ノーティー・ビターティーだな」
「それに比べてこのブロガーの主張のなんと立派なこと」
「そうだな、彼の論理は筋道が通ってるよ。ロジカル・ストリート・ゴーイングだ」
「すごい立派な人ですねえ、このぽんぽこ山という人は」
「うん、インテリジェンスに満ち溢れたことを言うてりじぇんす」
「でも彼は我々のピノキオの企画を盗んでますよ」
「なぬ、じゃあこちらも彼の主張をそのまま盗んじゃえ」
「それで問題ないですか」
「だって彼だって盗んでるんだ、お互い様だよミスター・イーチアザー」
……といったやり取りを経て、WP紙が僕の主張をまんまパクッた記事を掲載することになったんでしょうねえ、おそらく。
いやあ、このブログの影響力の大きさに改めて身が引き締まる想いを抱かされてる今日この頃。
そんな昨日、

主権回復式典 首相「希望と決意の日に」 NHKニュース

これが行われたわけですけども、
沖縄からの抗議も脅かしと受け取ったのかどうなんだか、
申し訳程度にフォローの言葉を入れてる安倍ですが、
「私は若い世代の人々に特に呼びかけつつ、沖縄が経てきた辛苦にただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」
なんなんでしょうねえ、この言い回しは。
「……深く思いを寄せる努力をしましょう」
と言えばスッキリするところをなにを勿体つけてるんだか。
「……努力をすべきだと訴えます」
でもまだ、努力するんやなくて訴えるだけかいってなところやのに、
「……訴えようと思います」
って、思うだけかいって、ねえ。
それともこれらは「若い世代の人々」にだけ向けられたもので、
年寄りは別に「思いを寄せる努力をなすべき」と訴える対象ではない、
自分らは既に努力してるからいまさらとくに努力することはないってことなんやろか。
でも、

わかる?:あす4・28「屈辱の日」 「沖縄の声、聞かぬ中央」 嘉数・元自民県連会長、1年前に党本部で伝えた思い‐毎日jp

僕は今回の式典が沖縄、そして奄美・小笠原を切り捨てたものとなっているのは、
自民党の馬鹿どもがそのことに気付いてなかったからやと思ってたんですよね。
沖縄ではこの日が「屈辱の日」と呼ばれてることなんかてんで知らずに式典開催を決めてしまって、
後からそのことを知って、しまった、でもいまさら中止できへんしなあ……と開催を強行したもんやと思い込んでたんですよね。
でも上の記事を見ると、自民党の沖縄県連の有力者やったろう人が、
去年のこの日の集会でそのことを訴えてるんですよね。
その場に安倍がいたのかどうかはわからんけど、
今回の式典開催を閣議決定した連中のなかの誰一人としてこのことを知らない、覚えてないということがありえますかねえ。
沖縄の声を無視したのか、あるいは1年も記憶力が持たないのか、
「沖縄が経てきた辛苦にただ深く思いを寄せる努力をなすべき」なのは安倍、おまえ自身やろが。
「私たちの世代は、どれほど難題が待ち構えていようとも、目をそむけることなく、日本を、もっとよい美しい国にしていく責任を負っている」
久しぶりに出ました、「美しい国」。
お前がいちばん目を背けてはならないのは過去の侵略の事実であり、
それを直視せぬまま偽りの美しい国をつくろうなどという魂胆は頓挫すること間違いなし。
お前にとってのいちばんの難題はまず「侵略」を定義づけることじゃ、わかったか。
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アベノディクショナリー

2013-04-26 23:04:26 | Weblog
ところで先日の朝日新聞でちょっと面白いことが紹介されてまして、
なんでもワシントン・ポスト紙には政治家の発言の正確度を格付けするコラムがあって、
そのランク付けの単位が「ピノキオ」なんですって。
たとえばある議員は「貧困者向けの食糧配給券の70%は官僚の懐に入る」などの発言で、
最低評価の「4ピノキオ」を獲得した……云々。
面白いですねえ~。
こういうセンスはやっぱりあちらには敵わないですねえ~。
こういうのを見ると僕も真似したくなるけど、
そのまんま「ピノキオ」を用いたんでは芸がなさ過ぎるし、
それにWP紙との訴訟沙汰に発展しても厄介なので、
ここはロベルト・ベニーニ風に「ピノッキオ」にしようかなあ……なんて、
でもこういう事実確認って難しいですよねえ。
この前も党首討論で安倍は、
○○が××%向上した、△△は□□改善された……などなど、
具体的な数値を挙げてアベノミクスの成果をご披露あそばされておられられられられてたけど、
そんなもんいちいち検証するのもねえ。
そりゃネットで検索して資料を見まくれば正しいか間違ってるかわかるんやろけど、
そんなん難しいやろしめんどくさいし、
誰かやってくれへんかなあって感じですけども、
しかしこちらなら僕にでも。

朝日新聞デジタル:首相「侵略の定義定まっていない」 村山談話に絡み答弁

安倍は「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」などとぬかしとるけど、
これについては国連総会で1974年に採択された決議があるんですよね。
その名も、侵略の定義に関する決議
まあこれを安倍に突きつけたところで、
この条項には問題があるとか何とか難癖をつけて、
必ずしも「定まっ」たものではないとか言い逃れをするやろけど、
しかし仮にも国連総会で採択されたものですからね。
それを否定するなら、国連安保理の決議に従わなかったからといってアメリカが起こし、
我が国も恥ずべきことにそれに乗っかったイラク戦争の正当性を否定することになりますよねえ。
だからこの侵略の定義の決議は尊重されるべきであり、
それが「定まっていない」などとぬかす安倍には、
メキシコ大統領との会談をNHKが報じていないとぬかしたことと合わせて、
97億4821万ピノッキオを進呈いたしましょうか。
しかしまあそもそも定義論に逃げるというのが卑怯というかなんというか、
もしも本当に「定まっていない」のなら安倍自身による侵略の定義、
これこれは侵略にあたるけどこれはあたらないとか、そういうのを示す責務もあると思いますけどねえ。
仮にも一国の首相なんやから。
そういう見解を一切持たないで首脳会談等に出席するなんて考えられへんしねえ。
もしも自分で考えるだけのオツムを持ってないとしても、公邸には辞書の一冊や二冊はあるやろから、
それを参照するなりして彼なりに定義づけてみなければならないと思うけど、
でもそれをやろうとするとどうしても日本の侵略を否定しきれなくなってしまうんやろねえ。
だから定義は「定まっていない」ままで放置したいんやろねえ。
定義さえ「定まっていな」ければ、日本は侵略していないことに出来るもんねえ。
本当は定義論に逃げたりせずに「日本は他国を侵略したことはない」と断言したいところなんやろけど、
そこまで言い切ってしまって、反論されるのが怖いんやろなあ。
もっと正確に言うと、
反論されてもそれに論理的に言い返すことができないことによって自分の尊厳が傷つくのが怖いんやろなあ。
だから逃げるしかないんやろなあ。
怖がり弱虫泣き虫デベソ。
そんな弱虫ほど強がって見せたいもんで、

中韓反発 どんな脅かしにも屈しない~首相 日テレNEWS24

とまあ威勢はいいけど、
彼の辞書で「抗議」を引いたら「脅かすこと」とか書いてあるんですかねえ。
そら三浦しをんもビックリやで。
「抗議」を「脅かし」にすり替えて相手を貶め己を誇示しようとするこの小児的な反応。
他のところでは靖国について、昔は抗議してなかったのに最近になってするようになったって、
今頃なに言うてんねん的なことも言ってたけど、
侵略の定義が定まっておらず、満州国を作ったのが侵略と定義づけられないとするならば、
それに抗議して行われた経済制裁は不当なものであり、
それに反発しての真珠湾攻撃は正当なものであり、
勝つ見込みのない戦争をいつまでも続けた結果死なせてしまった者は「尊いご英霊」の美名をおっ被せて靖国に奉るのは当たり前のことであり、
無条件降伏させて東京裁判の判決に従わせてサンフランシスコ講和条約を受け入れさせたのは不当極まりないものであり、
だから「主権回復の日」は祝わなければならないものであり、
いちゃもんつける沖縄にはオスプレイの追加配備してやって当然や……と、
そこまで言いたいこと全部吐き出してしもたらええのにって思うけど、
でもそんなことしてもオバマとかからは「今頃なに言うてんねん」って言われるだけやからねえ。
怖くてそこまで出来へんやろなあ。
まあ外交ではロクな成果が挙げられなくても、景気さえよくなりゃ支持率は高さを維持できるやろから、
内向きにこそこそやってりゃお腹が痛くなることもないやろってつもりかも知れんけど、
そうやって一見順風満帆で鼻高々な安倍よ、
お前の鼻が高いのはアベノミクスやナショナリズムのおかげではない、
単にウソついて鼻が伸びてるだけやってことにいつになったら気づくことやら。
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分け前減ってもええんじぇる

2013-04-22 00:50:53 | Weblog
というわけで「天使の分け前」を見てきました。
このタイトルはどういう意味かと申しますと、
ウィスキーを樽に入れて熟成させていると、毎年2%ずつ蒸発していく、
その分のことをこう呼ぶんですって。
シャレてますねえ~。
ウィスキーと言えば僕も20代の頃はちょっと凝ったりしてまして、
お店にボトルキープなんかしたり、いろいろ飲み比べてみたりしてましたっけねえ。
でもちょっとキザかなあなんて思われてきたりして、
それにそもそも僕はアルコールに弱い体質やったりもするんで、
飲まなくなって久しいんですけど、
ちょっとこの映画でも見て、ウンチクでも仕入れてまた飲んでみようかなあなーんて思ったりなんかして、
で、冒頭、画面に登場するのは酔っ払い。
まだ若いメガネの兄ちゃんが深夜の駅のホームでふらふら。
拡声器から駅員が「快速電車が通過するから早く離れろ、このボケ!」とか怒鳴っても、
逆にホームから線路に落ちたりなんかしてもうタチが悪いったらありゃしない。
ああ危機一髪!……それでもなんとかホームによじ登って一命を取り留めると、
裁判所に出廷させられ、判決は奉仕活動。
なわけで、彼を含む若い男女が清掃やらなんやらに勤しむ羽目に……と、
そんな風に展開していくんですが、
実は本作の主人公は冒頭のメガネの兄ちゃんじゃなくって、
同じように奉仕活動を命じられてる青年ロビー。
ロビーは主人公だけあってメガネはかけないちょっといい男、
そして彼らの指導員というのがウィスキー好きのおっちゃんで、
彼の趣味でかウィスキーの醸造所で作業することになったりなんかして、
やがてロビーにテイスティングの才能があることがわかったりなんかして、
指導員のおっちゃんとも親交が結ばれていったりなんかして、
ここから彼に明るい将来が開けていくのかなあ……なんて思ってたら、
物語は思わぬ方向に展開していきまして、
なんと、近々オークションにかけられるという貴重なウィスキーを盗んで、
愛好家に売りつけて大金をせしめようという計画を立ておるんですわ。
ロビーと、冒頭のメガネの兄ちゃんと、もうひとりのメガネの兄ちゃんと、そして姉ちゃんの、
奉仕活動を命じられてる4人組で実行に移すんですけど、
そんな、大それた犯罪とは縁のない彼らの計画は果たして成功するのか……と、
この辺がなんともワクワクさせられるんですよねえ。
こちらとしては、彼らが更生していくドラマを見せられるもんやと思い込んでて、
しかしそれとは真逆の展開が呆気に取られるやら痛快やら、
いい意味で期待を裏切ってくれるかのような軽さがたまらないですねえ。
でもって、まんまと作戦成功、
後はこれを売りつけるだけ……というところで思わぬアクシデント、
これがまた何の前触れもなく本当に唐突に起こるアクシデントで、
唖然呆然水の泡。
あ~あ、これで一巻の終わりかと、観客ともども大いなる虚脱感に覆われたところ、
いや、まだまだ全部がダメになったわけではないと最後まで諦めず……と、
まあわりとお気楽に展開していくお話なんですけども、
しかし気楽とはいっても本作の監督はケン・ローチ。
イギリスを代表する社会派監督であり、
若者を描いた映画も何本か撮ってるけど、その背景には常に英国社会の格差や不況の問題が付きまとう、
そんなサッチャリズムとは真っ向から対立するような映画を撮り続けてきたケン・ローチ、
彼の作品であるからして主人公のロビーはなかなかにハードな状況下にあって、
そもそも奉仕活動を命じられたのも傷害事件を起こしたためで、
その被害者らから付け狙われる毎日なところへ加えて、
なんせメガネをかけてないから可愛い彼女がいて、
その彼女が妊娠、出産。
すると彼女の父親からは「お前の遺伝子なんか受け継がせるな」と罵詈雑言を浴びせられ……と、
本当に救いのない日々。
いや、救いのないのはメガネの兄ちゃんらも同じで、
日本ではもひとつピンと来ないけど、
普通は駅のホームで酔っ払ってること自体、救いのないことの象徴らしいやないですか。
そんな彼らの厳しい現状は充分すぎるほどに踏まえておいて、
その上でとっても楽しいお話を見せてくれる、
あえて甘すぎるのを承知で愉快にさせてくれる展開を繰り広げる本作で、
ラスト、ロビーにとって何よりも大きいのは濡れ手に粟の大金よりも、
定職と、愛する彼女と幼いわが子との平穏な生活であるという、
そのことがずっしりと観客の心に響くからこそ受け入れられるこの温かさ。
現実の厳しさと夢物語の甘さとが絶妙のブレンドで醸し出してくれるこの芳醇な味わい、
いやあ、もうたまらないですねえ。
奇しくもサッチャーが天に召された直後に日本公開されたこの「天使の分け前」、
本当に嬉しくなってしまう、これを見ることを日課にしてもいいくらいの映画でさんとりー。
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お詫びとお知らせ

2013-04-16 23:38:56 | Weblog
早速ですが、先日このブログで、
安倍による事実無根の誹謗中傷を「勘違い」と報じた産経新聞紙についてイチャモンつけましたけど、
実はそのなかで重大な勘違いをしでかしてしまったことに気付きましたので、
ここでお詫びと訂正をさせていただきます。
その文中、僕は「井上あさひのヒップラインはなかなかのもんやなあ」って書きましたけど、
これは間違い、勘違いでした。
ヒップラインがいいのは井上さんじゃなくて、
7時のニュースの土日担当の小郷知子さんでした。
僕の勘違いのせいで多大なるご迷惑をおかけしてしまったことを心からお詫び申し上げます……って、
こんなことを書くと井上あさひはとても落胆されることでしょうねえ。
「あら、せっかくぽんぽこ山さんに褒めてもらってとっても喜んでたのに、私のじゃダメなのかしら……」
って、ねえ。
いえいえ、決してダメなわけじゃないんですよ。
井上さんはこう、キュッと締まってて、
それはそれで魅力的やとは思いますよ。
でも小郷さんの横を向いたときのあのぼーんとした迫力、
どーんというヴォリューム、
とんでもなくたまらない肉厚感と言ったらもう、
ちょっと他では敵う者がないところですよねえ。
でもまあ、同じNHKのアナウンサーさん同士、
僕をめぐって争うことなく仲良くやっていってもらいたいところですけども、
まあそんな与太話はさておき、ここからは真面目なお知らせ。
これまでこのブログでたびたび、産経新聞紙のだらしない記事について、
的確で痛烈で容赦のない指摘をしてきましたけども、
今後そういうのを書くことはおそらくなくなることでしょう。
というのも、僕はhotmailを利用してまして、
そこからログアウトするとMSNのトップページに移り、
するとそこに提携してる産経新聞紙のヘッドラインが並んでて、
そこでたまたま目に付いたトンデモ記事について適切な批評を加えてきたわけですけど、
ところがhotmailは最近outlookへと衣替えして、
そこからはログアウトしても「ログアウトしました」と表示されるだけで、
MSNのトップには行かなくなったんですね。
だから今後当分は産経新聞紙の記事を見かけることもなくなるだろう、
したがってその不甲斐なさについて指摘してやることもなくなるだろう……というわけで、
これまで僕の非の打ち所のない論理的で鮮やかな弁舌に期待してこられた皆様方には申し訳ないんですけども、
誰があんなゴミクズ以下の新聞紙のサイトをわざわざ好き好んで覗いてみたりするもんかいなって、ねえ。
ですから今後はそういうことは書くことはなくなりますんで、ご了承くださいませ。
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地面は揺れても想いは揺れぬ

2013-04-14 20:26:51 | Weblog
でもね、日本は地震大国なんやから、そんなところに原発造ってどうすんねんって、
毎度毎度書いてますけどね、
そりゃ、僕の考えは正しくって、原発を存続させようとする奴らは間違ってるって、
そのことには絶対的な自信を持ってますけどね、
でも僕の正しさが証明されるためには、また大きな災害が起きて……という、
不幸な事態に至らないとアカンわけですよ。
それが起きない限りは推進派の考えで大丈夫やんかって話になるわけで、
そうなると、これは心の奥の奥の奥底のほうでですねえ、
また大地震が起きて原発で大事故が起きて……ってのを望む気持ちというものがですねえ、
もちろん理性では抑えていても、やっぱりなんかこの、
チラホラと見え隠れしたりなんかしちゃったりなんかしたりしてですねえ、
それは酷い話やなあって自己嫌悪に陥ったりすることもあるそんな昨今、
そこへ昨日の早朝の揺れですわ。
ああ、やっぱり何事もなく平穏無事なのがいちばんやなあ、
僕の正しさなんか実証されなくてもいいわって改めて実感しましたわ。
怖いのはもうゴメンやなあってしみじみと思いつつ、テレビを眺めていると、
石馬鹿詐欺師ゲルが、それも大阪のスタジオにご登場。
こいつも怖い思いしたんやろか、
それで地震の恐ろしさを再認識して過去の原発政策の再検証を、重い腰を上げてやってくれおるかなあと思ったりしつつ、
しかし番組は改憲についての議論を、集団的自衛権を軸に繰り広げてまして、
北朝鮮の脅威を振りかざす石馬鹿は、まるでミサイル発射して死者が出て欲しいかのようで、
憲法がいかに現実に即してないか、改憲手続きを緩和しなければならないかの持論を展開し続けておりまして、
ところが最後に一票の格差の問題を持ち出され、
自民党の0増5減案では格差が最大1.998倍に抑えられているが、
しかしそれは2010年の国勢調査に基づくもので、
その後の人口推移で既に2倍を超えていると指摘されたところ、
この石馬鹿詐欺師ゲルがなんと答えたか。
「国勢調査の結果に基づいて決めると法律で定められている、
 それ以外の調査を気にしてたら法の安定性がなくなる」
……だいたいそんな感じのことをおっしゃっておられられられましたわ。
つまり「国勢調査に基づく」という法律の条文が大事で、
それが実態と異なろうがかけ離れようが法の安定こそが最優先というその基本姿勢。
いったい「国勢調査に基づく」というのがなんという法律なのかは知らんけど、
それを金科玉条の如く崇め奉り、
しかし最高法規であるところの憲法にはなんだかんだ難癖をつけて、
この上なく不安定な状態に貶めようとするこの詐欺師の腕の見せ所、
こういう馬鹿どもが国防軍を設け、原発を推進しようとするかぎり、
やはり批判の手を緩めてはならないなあと心に誓わされた土曜の朝でした。
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黄色いレンガ道には戻れんが

2013-04-11 00:12:04 | Weblog
というわけで「オズ はじまりの戦い」を見てきました。
あの「オズの魔法使」の前日譚ですって。
同じ題材では舞台の「ウィキッド」というのがあって、
あちらは悪い魔女の誕生にまつわるお話でしたけど、
こちらは魔法使いであるオズの誕生のお話とのこと、
なんといってもタイトルロールですもんねえ。
さてさていったいどんなお話が繰り広げられるのかとスクリーンに臨んでみると、
開巻早々は白黒のスタンダード画面。
カンザスの田舎でのエピソードがちょろっと描かれた後、
竜巻に巻き込まれた奇術師のオズさんがやって来たのはカラー・スコープ画面のオズの国。
途中でスクリーンのサイズが変わる映画というと、
「モンタナの風に抱かれて」や「ギャラクシー・クエスト」などがありましたっけ。
前者はビスタからスコープ、後者はスタンダード・ビスタ・スコープと3段階に変わってましたけど、
本作はスタンダードからいきなりぐぐ~っと広がってスコープですよ……といっても、
まあ「魔法使」のパターンを踏襲してるわけで、最初から丸わかりの趣向ではありますけどね。
でもこのカラーの色調がなんかいいんですよねえ。
それぞれの色がくっきり出すぎてるような、それこそ「魔法使」のテクニカラーのような人工的な色調、
まさに総天然色と呼ぶに相応しいちょっとキツメのカラーが、このオズの国のお話にマッチしてて、
なかなかの凝りようですねえ。
で、オズの国に来たオズは……そうそう、
この”オズ”というのは、オズの国が先にあって、そこの魔法使いがオズの魔法使いと呼ばれてるのか、
オズという魔法使いが先にいて、彼が治めてる国やからオズの国と呼ばれてるのか、
そのどっちなのか、原作は読んでないので知らんし、映画では描かれてなかったように思うんですけど、
それが本作で判明、
なんと偶然に名前が同じやったんですって。
偶然オズの国にやってきたオズさん。
安二郎もビックリですなあ。
で、国名と同名の者が国王になるとかいう予言があったとかで、
ちょっと胡散臭い奇術師のオズが悪い魔女と戦う羽目になるんですけど、
その背景には魔女の間の確執、オンナの戦いがありまして……と、
この設定がねえ、もひとつ興味を惹かれないんですよねえ。
物語にはそれぞれに何かしらテーマといったものがあるもんで、
「オズの魔法使」だと、ラストでオズが皆に贈る物に見られる皮肉、
知恵や勇気といったものの価値観の転換を踏まえつつ、
故郷愛を保守的かつ牧歌的に謳い上げる娯楽作、
「ウィキッド」では善い魔女と悪い魔女の若き日々を描き、
善悪の価値観の不確実さをシリアスに見せつつも、
やはり質の高い娯楽作ってところでしょうか。
そして本作はというと……う~ん、
自分に自信のない若者が周囲の助けを借りて困難に立ち向かい人間として成長する……って、
なんか最近ありふれた感のあるもので、
しかもそれが、先に書いたように魔女同士の争いに巻き込まれたようなもんで、
エメラルド・シティの人たちを救うとかいった大義名分はあるものの、
最初から戦いありきみたいな、それもゲーム感覚っぽい展開はどーもねえ、
オズの世界を弄んでるかのような居心地の悪さすら感じられたりなんかして、
もうちょっとなんとかならんかったもんかいなってところですけども、
ただ、その戦いが実に素朴というか、
奇術のネタを応用するあれやこれやの戦法はまあ面白くはありましたけどね。
カンザスの部分でのエピソードがオズの国に来てからのものと対応してるという、
「魔法使」の魅力も健在で、
そしてなんと言っても戦いのクライマックス、そしてエピローグが「魔法使」につながってるという、
これは正直、やられたなーって感じですわ。
エピローグでは人間的に成長したオズさんから皆に贈り物が渡されたりなんかして、
いややっぱりいいですねえ、こういうのって。
まあそれだけ「魔法使」の呪縛は大きいなあってもんで、
なんやかんや言うても前日譚、関連作品としてそれなりに楽しめますかねえ。
ミュージカルでなかったのはちょっと残念やったけど、一応マンチキンたちが歌い踊る場面もあったりして、
「魔法使」の魅力を再確認させられながらこれはこれで面白く見てられますかねえ。
オズ役のジェイムズ・フランコは、まだ若手の印象が強くってどうかなあって気がしてたけど、
いい加減な奇術師という軽い設定やったのでまあ難なくこなしてたってところでしょうか。
考えてみたらオズさんは「魔法使」ではオチのような役割で、
「ウィキッド」でも重みのない存在やったし、
まあそれを思えば初めてこれだけ脚光を浴びてよかったねえってなもんで、
でもあの陶器の少女、これが可愛くってよかったんですよねえ。
登場の場面からいきなり儚げで、でも健気で、意外と勇敢さを発揮したりなんかして、
なかなかに魅力的なキャラクターでしたねえ。
それに比べると魔女どものほうはちょっとねえって感じで、
レイチェル・ワイズはあまり見せ場がなくって物足りなかったし、
ミラ・クニスは悪に転ずるというドラマティックな役柄ながら、
その原因がオズさんをめぐる嫉妬心みたいなもんやから、
「ウィキッド」と比べるとあまりにもしょぼすぎるし、
そして何より丸顔やから、緑色に塗りたくって悪い魔女を演じてもあまり怖くないという、
なんか残念なねえ。
一方の善い魔女はというと、おしとやかで気品のあるお顔立ちが求められるところやけど、
演ずるミシェル・ウィリアムズは鼻の穴が横に拡がりすぎてて、
あれではちょっと……ってところでねえ。
とは言っても個人的にはああいう顔は、ちょっとこのそそられるモノがありまして、
ええ、結構ねえ、その、なんていうか、
彼女が捕らわれの身になって両腕を鎖で固定されて、
攻撃を受けて身悶えする場面はもうこの、えーっと、
オズを見に来てオカズを見られたとは幸運な……って、
スイマセン、ファンタジーに似つかわしくなさすぎるオチで。
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アベノミス苦

2013-04-09 23:18:53 | Weblog
まあそんなわけで昨日も書いたように、
先日このブログで、石馬鹿詐欺師ゲルの2011年の発言を去年のものと書いてしまったわけで、
これはまあ、うっかりミス、単純な勘違いやと皆さん認めてくださるでしょうねえ。
これをもって、僕が年数の計算も出来ない愚か者やなどと罵るのはちょっと無理があるもんやという合意が広く世間一般に形成されているところやと思いますけども、
しかしこれはどうでしょうか。

首相が勘違い…NHKへの“皮肉”の書き込み、一転して訂正-MSN産経ニュース

産経は見出しに「勘違い」なんて掲げてるけど、
これは勘違いやミスの類いと言えるでしょうか?

朝日新聞デジタル:「首相動静」―4月8日

この日の安倍の行動は、
午後6時15分からメキシコ大統領と会談し、7時10分に共同声明署名、記者発表、
7時26分から夕食会、9時11分に帰宅……と、
7時のニュースは見られないし、9時のニュースもすべてはチェックできないんですよ。
武田アナは気象予報士の岡村さんに挨拶するのを最近やめたなあとか、
井上あさひは気象情報のところで横を向いたときのヒップラインがなかなかのもんやなあとか、
そんなことに気付くことはないんですよ……って、それは知らんけど、
しかしそれやのに午後10時ごろ、問題の投稿をしとるんですよ。

メキシコ TPP交渉参加支持へ NHKニュース

リアルタイムの放送が見られなくても、7時28分にはこのように動画がアップされてるから、
確認すればすむことやのに、それをせずに投稿しとるんですよ。
僕は政治家やらの批判をするときは、なぜそいつが馬鹿なのかの根拠を示すために出来るだけ材料を集め、
そして間違いはないかも出来るだけ検索かけて確かめてから記事を書いてますよ。
しかし安倍はそういうことを怠って事実無根のことで他者を批判しとるんですよ。
この一例だけを見ても僕が安倍ごときよりもはるかに人格的に優れているってことがわかろうってもんで、
え、なんですか?
そんなことは前々からよぉ~くわかってたってですか?
いやいや、そんな滅相もない、
まあそれはともかく、安倍の投稿は果たして勘違いと言えるものでしょうか?
番組をろくに見られないのに、なぜ放送してないと判断できたのでしょうか?
考えられるのは、誰かが間違ってそう言ったのを鵜呑みにしたのか、
あるいは途中から見た9時のニュースで触れてなかったのでそう思い込んだのか、
どちらにしてもあまりにも軽率で愚かで、
その背景にあるのはNHKや報道機関に対する偏見、先入観、被害妄想であって、
彼の歪んだ性格からくる思慮分別に欠けたこの振る舞い、
決して「勘違い」などではなく、根拠のない誹謗中傷、名誉毀損に等しい暴言やと思いますけどねえ。
ちなみにこの件は朝日、毎日、読売のサイトを探してみたけど載ってなくて、
どうやら産経だけが注目してるようで、
産経としては、過ちを素直に認めて謝罪する安倍の潔さを強調して高潔な人格者やとアピールしたかったのかも知れんけど、
「勘違い」と見出しをつけるとは贔屓の引き倒し、
安倍を庇うつもりがかえってその無様さを強調する事態となってしまってるけど、
ちなみにこの前段、

首相、NHKにチクリ?「親日的な国は報道しない」-MSN産経ニュース

この記事がアップされた14時24分の時点では既に安倍は謝ってるんやから、
ちゃんと確認して、そのことも含めてキチンとした記事を書きゃいいものを、
馬鹿どものやることは似たり寄ったりやなあってところですけども、
まあとにかく、一国の首相たる者がネット上にイヤミを書き込むやなんてチマチマしたことしてるってのがねえ、
情けないですねえ。
これが美しい国、強い国なんですかねえ。
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汚染水のトラブル、クラシフアン

2013-04-08 23:25:29 | Weblog
まあそんなわけで福島第一原発の現状を見てると、
人類には原子力を利用する資格があるもんやろか、
少なくともそれを推進したがってる連中には扱うだけの知能が欠けてるなあって感じで、
そんななか、

この国と原発:第8部・自民党再び 石破茂氏に聞く-毎日.jp

という記事を見かけたんですけど、ここでちょっとお詫びを。
前にこの石馬鹿詐欺師ゲルが、原発を推進してきた自民党の事故の責任を再検証しなければならないと発言したのを、
「去年の5月」って書きましたけど、
これは2011年5月の発言なんで約2年前の発言ですね、失礼いたしました。
そして、いまだに検証しとらんやんけあほんだらめが……とかなんとか書きましたけど、
上の毎日の記事には「エネルギー政策特命委員会」やらその分科会やらを設けたとあって、
どうやら過去の政策の検証もやってるみたいな風に読めるやないですか。
あちゃー、これも謝らないとアカンのかなあ……って思ったけど、

総合エネルギー政策特命委員会とりまとめ

「中間報告」をベースとしたとりまとめとやらは、たったこれだけ。
用紙2枚に記されてるのは当たり障りのないことばかりで、過去の検証はまったくなし。
しかも毎日のインタビューでは「最終報告がなく、中途半端に終わった印象がある」と指摘され、
「うーん、そうでもないと思うけど」と否定する石馬鹿、
しかし分科会の報告書案は、政調会長でなくなったから読んでないんやそうな。
もう詐欺師以下のデタラメ野郎ですなあ。
で、この特命委員会が結局どうなったかは、こちら。

この国と原発:第8部・自民党、再び/1 核燃サイクル見直し、特命委「提言」(その1)-毎日.jp

もう呆れて物も言えまへんわ。
そして山本拓とかいうアホは、

この国と原発:第8部・自民党再び 山本拓氏に聞く-毎日.jp

放射性廃棄物を「絶対壊れない入れ物に入れて太陽に向けて打ち出すか」とまで言い出す始末、
誰やったか忘れたけど、
「日本はアメリカ、フランスに次いで太平洋を放射能で汚染した3番目の国になってしまった」
って言ってた人がいたけど、
太陽を核のゴミの捨て場にする最初の国になりたいんですかねえ。
で、福島第一の汚染水漏れで言うと、
あれは1ヵ月ほど前でしたか、震災からちょうど2年の節目を迎えようかという頃、
テレビに高村正彦が出てて、
そのときに汚染水の貯蔵タンクがあと3年で満杯になって、そうなったら低レベルの分は海に放水することも検討してるという話題が出て、
それについて高村は、
「この3年で飛躍的に技術が進歩すればそんなことにはならない」
とかなんとかぬかしとったんですわ。
何か当てがあるんですかねえ。
根拠があって「3年で飛躍的に進歩」なんて言いおったんですかねえ。
この低村邪彦は自民党副総裁であらせられられられるお方ですけど、
副総裁は夢想家、幹事長は詐欺師、
ホンマご立派な政党ですこと。
でもって総理総裁は経済と改憲しか頭にないご様子。
高度経済成長の再来を夢見てるみたいやけど、
水俣病の原因がチッソが垂れ流す有機水銀と指摘されたのが1959年、
そしてそれが止まったのが1968年。
ちょうど高度経済成長期と国民の健康・生命・安全を無視し続けてきた期間が重なってるのがなんとも象徴的で、
そして今また経済のことだけを考え、危険性の指摘を無視して原発を再稼動させようとしているという、
毎日の記事のなかで石馬鹿の、
「『歴史から人間は学ばないというのが歴史の最大の教訓』と言った人がいる。そうであってはならない」
という発言が引用されてるけど、
過去の教訓から何ひとつ学ぶことの出来ない低脳児安倍晋三。
そして、円安になると家計に影響が出てくるというのがようやく浸透した頃になって、
日銀の新総裁が異次元の金融緩和を打ち出してさらに円安、
これでシナリオどおりに進むんだかどうなんだか。
物事、思い通りに行かんもんやからねえ。
現に、



これ、僕が買った桜花賞の馬券ですけどね、
結果はご存知の通り、
1着が7番アユサン、
2着は14番レッドオーヴァル、
3着は9番プリンセスジャック
……全部買ってるんですけどね、
でもハズレ。
しかもですよ、1着と2着のは馬連で買ってて、3着のはワイドですよ。
完璧な予想ですやん。
でも軸の13番クロフネサプライズは4着……ああ、
アユサンかレッドのどちらかが出走取り消しにでもなってたら、
2着ジャック、3着クロフネになってワイドでとれてたろうに……
もしも丸山が元気やったらアユサンが来なかったかも……って、
ぐじぐじ考えても仕方ないことなんですけどねえ。
まあ競馬はこんな有り様でしたけどしかし、



じゃーん、第1回のLOTO7は、
2組買ったうちの下のほうが本数字4個的中で見事5等、
1700円獲得……って小さい儲けやけど、
でも第1回でとったってのがなんか嬉しいですやん、ねえ。
とまあ、なんともしょぼいポンポコミクスでした。
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男はふらいと

2013-04-03 22:34:12 | Weblog
というわけで「フライト」を見てきました。
ロバート・ゼメキス監督の12年ぶりの実写映画ですよ。
その間、実際の俳優の動きをコンピュータに取り込むCG作品に凝ってた彼、
ようやくそのキャラクターの気色悪さに気付いてくれたようで、
やっぱり生身の人間の演技のほうが自然でいいですよねえ。
本作の観客の男性陣も、冒頭のホテルの部屋の場面でそう実感したことでしょう、
やっぱり生身のオンナのハダカはええなあ……って、いやそれはさておき、
しかしこの場面、デンゼル・ワシントン演ずる主人公の機長は、
二日酔いでクスリまでやって、そんな状態でフライトに臨んで、
しかも飛行中にまで飲酒したりなんかして、
なんぼなんでもそりゃアカンやろってなことばっかりでねえ。
予告編を見てたら、アクシデントを切り抜けた優秀なパイロットが、
実は飲酒が発覚して……みたいな感じやったけど、
本編を見てみたら、酒とクスリとオンナにだらしない男が実は優秀なパイロットで……って感じで、
しかしこの違いこそが案外と本作のテーマやったりするんでしょうか。
この主人公につく弁護士は、まさに予告編で先入観を得ていた観客のような反応で、
パイロットとしての優秀さには敬意を表しつつも人間的な欠陥に嫌悪感を隠さず、
一方、事故で大怪我を負った副機長はというと、初対面から酒臭い息をしてた主人公に嫌悪感を抱きつつも、
危機を切り抜けたその腕には正直に感服し……と、
そしてそんな副機長がキリスト教の熱心な信者らしいこともポイントなんでしょうか。
劇中、宗教的なセリフが頻発するし、
しかも機が不時着するのが、なにやらファンダメンタリストらしき教会の近くってのも象徴的なようで、
いや、件の副機長も、妻ともどもなんかそんな根本原理主義者っぽい感じで、
その辺は詳しくないのでよくわからないんですけど、
しかし仮に僕にキリスト教の知識があったとしても、
だからと言って本作のドラマを深く理解するのに役立ったかというと、そんなこともないような、
ええ、はっきり言ってここでの宗教の扱いは実に浅いような、そんな感じなんですよねえ。
予告編を見てたら、主人公に事故の責任があるのかどうかでスリリングな展開が繰り広げられるように思えたけど、
本編ではそういう要素はほんのちょっとで、
主人公が飲酒癖から一瞬立ち直りかけたけどでもずるずると……といった内面的なドラマが軸になってて、
しかしその辺りは往年の「酒とバラの日々」のまんまやし、
やっぱり一見深そうでいてこの辺の浅さがゼメキスの限界なんかなあって、
だから結末も、主人公が宗教のおかげで心の平安を得るというのが、
いくらハッピーエンディングでも安直に宗教に頼りすぎてるなあ……と感じるか、
宗教の用い方は安易やけどそれでいいラストが迎えられたんやからいいか……と思えるか、
その辺が見る人によって分かれる映画なんですかねえ。
僕はどうやったかというと、まあドラマが少々アレでも、
ゼメキスが実写に戻ってきてくれたからま、いっかってところですかねえ。
なんやかんや言うても、この人の作品の見世物的な部分って結構好きなんですよねえ。
本作でいうともちろん、飛行機事故の場面。
並みの絶叫マシーンなんかよりも迫力がありましたよ、やっぱり。
こういうのを見せてくれるだけで価値のある映画といっていいんやないでしょうかねえ。
でもひとつ不満やったのが、なんで背面飛行することで墜落を防げたのか、
それが全然わからなかったんですよねえ。
ずーっとその辺が気になってたのが、終盤に来て、
主人公への公聴会の場面で映し出される、フライトレコーダーの記録を基に作成されたという事故の再現CG映像、
あの安っぽい動画でやっと仕組みが理解できたというのがなんだか、
やっぱりゼメキスはCG頼りの監督なんかなあ……って、いや、なんかちょっとねえ。
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