LIÈGE
8月9日(土)~8月10日(日)
ルクセンブルク→リエージュ
もう少しゆっくりしたかったルクセンブルクを後にして、次に訪れたのはベルギーのリエージュ。ベルギーは20年以上前にブルージュを訪れて以来2度目。
「リエージュ」という町の名前の響きはなんとなくおしゃれ。フランス語圏の町で、フランス語で表記すると"Liège"とアクサンが入っているところもシャレている。ワッフルやムール貝がおいしいらしいし、行く前は「洗練されたおしゃれな町に違いない」と想像していた。
ルクセンブルクから乗り換えなしで2時間半弱、リエージュの玄関口といえるリエージュ・ギルマン(Liège-Guillemins)駅に到着。
駅舎は翼を大きく広げたような屋根がのった万博のパビリオンみたいな近代的な建築で、「リエージュ」のイメージに相応しかった。
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ちょっと苦労したがタクシーが見つかり、ホテルへ。Booking comで予約していた Hôtel Les Acteurs は、ちょっと寂れた感じの裏道沿いにあって、建物は古かったが、小さいながらもエレベーターがあったのは助かった。フロントのおばさんは愛想がいい。
早速観光へ繰り出す。町の中心までは何とか歩いて行ける距離だったが、車がビュンビュン走る通りの歩道は人はあまり歩いていない。割れたビール瓶が散らばっていたりして、夜はあまり歩きたくない雰囲気。
でも、町の中心にあるプランス・エベック宮殿が建つサン・ランベール広場の近くまでくると、商店がたくさん出てきて賑やかになってきた。プランス・エベック宮殿は11世紀に建てられたリエージュの君主である司教の居城だった歴史的建造物。今は州政府庁舎、裁判所として使われていて、町の中心にドーンと構えている感じ。
建物内の見学はできないが、中庭に入ることができた。「地球の歩き方」によれば、中庭の柱廊が見事ということだが、中庭は建物の裏側的な閑散とした雰囲気で、特に魅力は感じなかった… というか、言い方は悪いが幽霊屋敷のような怪しさも漂っていた。
標識に従ってやって来たのはワロン生活博物館。「地球の歩き方」によれば、ここは「ワロンの風俗を知るためには必見の博物館」で、「17世紀に女子修道院として使われていたモザン・ルネサンス様式の建物も美しい」とのこと。
4年前にストラスブールで訪れた、建物も内装もとても雰囲気があり、美しい家具調度やミニチュアなどの展示品も印象的だったアルザス民俗博物館みたいな感じかな、と想像していた。しかし、ここは想像とは少し違った。
古い時代からの生活と密接に関わる様々な展示品が並べられ、部屋が再現されてはいたが、なんでもかんでも無造作に展示してある感じ。内装は近代的にリフォームされていて、修道院の趣は感じられず、建物の外観は古びた感じだが、特に魅力的というものではなかった。
ここまで市内を観光してきた限りでは、最初に想像していた「洗練されたおしゃれな町」というイメージとはちょっと違うかな、という印象。ワロン生活博物館を出て、もう一つ是非訪れたかったモンタニュ・ビューランという長い石段へ向かう途中の町並みは、おしゃれな感じとは違う、生活感が漂ういい味が出ていた。多分この雰囲気がこの町の良さなのかも知れない。
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モンタニュ・ビューラン Montagne de Bueren
そんな生活感溢れたリエージュの魅力を味わえるスポットがここ、モンタニュ・ビューランにあった。
遥か上まで石段が続く眺めは壮観。その両側には煉瓦造りの家が並んで風情を醸し出している。みんなでこの石段を登ってみた。
1875年に造られたという石段は、地元の人達の生活に欠かせない道になっているようで、お年寄りも行き来している。自転車を担いで登る人や、トレーニングの格好をして駆け上がる人もいる。途中で腰かけて、景色を眺めながら語らう人たちも…
こんな扉から家の人が出入りする姿も見かけた。地元の人たちの生活が感じられる石段だが、こんな傾斜を毎日上り下りして過ごさなければならないのは大変そう。ここに住んでいる人たちは、お年寄りもきっと足腰が相当鍛えられているに違いない。
上までやって来る頃には息が上がり、なかなかキツイが、振り返れば遠くの景色まで見渡せて気分はいい。
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石段を最後まで登りきったところには車道が通っていて、車でも上まで来られるようだった。
モンタニュ・ビューランを下りて、階段を背に右側に伸びる脇道に入ってみたら、農家みたいな田舎っぽいのどかな光景が目に入ってきた。
そろそろ夕食の場所を探す時刻。メインの通りではなく、いつものように思わぬ発見を求め、わき道を選びながら飲食店がたくさんあるというオペラ座方面へぶらぶらと歩いて行った。
通りの向うに建つ丸屋根の教会は聖アンドレ教会。閑散とした道の先に見える黒くて大きなドーム状の屋根は、何となく威圧的で怖い感じがする…
カテドラルの近くの通りには、テラス席が並んで賑わっている様子がうかがえる。
カテドラルの横の狭い道にもレストランが並ぶ。ベルギーに来たので、今夜は是非ムール貝を食べたい! とムール貝がメニューに出ているお店を見つけて着席した。
メニューはフランス語しかなくて困っていたら、隣りの常連のようなおじさんが流暢な英語でいろいろとメニューの説明をしてくれた。このおじさんはひたすらタバコを吸いながらビールを飲み続けている。ムール貝は鍋一つが一人前。白ワイン蒸しと、クリームガーリック蒸しの二つを注文。コロッケ、オムレツ、サラダも頼んだ。
注文してから料理が出てくるまで1時間以上も待たされた。ヨーロッパのレストランで待たされることは多いが、これはいくらなんでも待たされ過ぎ。店員さんは愛想がいいのだが…
だけど、やっと運ばれてきたムール貝は期待以上の美味しさ!ベルギービールがこれによく合う!ムール貝を食べるときは、殻のうわぶたを使うとうまく取ることができる。これでスープをすくってチビチビ飲むのもうまい。
一人前はかなりの量。これにフライドポテトも付いてきたので、コロッケやオムレツはなくてもよかった。周りを見ると、ムール貝だけひたすら食べている人達が結構いた。
お会計は100ユーロを軽く超えてしまった。美味しかったけれど、お金も時間もかかる夕食だったなぁ。もう10時半を回っていた。
翌朝、ホテルは朝食なしだったので、朝食がてらそのまま観光に出発。街中へ出たが、お店はどこも閉まっていて閑散としている。まさか朝めし食いっぱぐれ?ワッフルが食べたいんだけど…
聖ポール大聖堂 Cathédrale Saint-Paul
お店が見つからないまま、カテドラル(聖ポール大聖堂)の前までやってきたので、先にここを見学することにした。ここはリエージュのカトリック教会を束ねる親分的存在で、「リエージュ大聖堂」と呼ばれたりもする。現在の教会は1240年に建設が始まり、度重なる修復や増築を経て、最終的な姿を現したのは1875年というから、実に600年もかけて完成したことになる。
大聖堂の内部はとても広い。後方両翼に陣取るオルガンは、ドイツのオルガン製作者ヨーゼフ・メルクリンによって1870年に完成されたもの。
彫刻やステンドグラスがどれも見事。この大聖堂にはベルギーで現存する最古の作品のひとつという1530年に制作された大きなステンドグラスがあり、2015年9月に17年の歳月をかけて修復され、元の位置に戻ったという記事が毎日新聞に出ていた(2015.12.7)。つまり、僕たちが訪れたときはまだ修復中だったわけだが、ここにあったステンドグラスも十分大きくて立派だった。
こんなモダンな感じのステンドグラスもあった。上記の毎日新聞の記事によれば、信者数の減少を食い止めようとモダンアートを取り入れる教会が増えていて、リエージュ大聖堂のステンドグラスには無神論者の作品もあるとのことで、「神を信じる、信じないにかかわらず、抽象的なステンドグラスに人々は心を投影し啓示を得る。教会では多様な人との対話が必要だ」と説明する大聖堂のベルス神父の話を伝えている。
カテドラルの近くで開いているおしゃれなパン屋さんを発見。やっと朝食にありつける。テラス席もあって、リエージュ名物のワッフルがあったので、これとパン・オ・ショコラ、カフェ・オ・レを注文した。
ワッフルはアツアツで大きな長方形(この形は「ブリュッセルワッフル」と呼ばれるものらしいが…)、中にはシナモン味のリンゴのペースト状のものが入っていた。とても美味しかったが、奥さんは「甘すぎる~」と言っていた。カフェオレにはフィナンシェが付いていて、甘~い朝食!
朝食を済ませたあとは、あまり時間はないがホテルの集合時刻を決めてそれぞれ好きな場所へ行くことにした。僕は、昨日行って気に入ったモンタニュ・ビューランにもう一度行ってスケッチすることにした。
もっとゆっくりおしゃべりを楽しみたい気持ちは山々だが、スケッチする時間が限られていたのでちょっとホッとした。
ホテルに戻り、荷物をピックアップして、最寄りのリエージュ・ジョン・フォセ駅まで歩いて行った。この駅はなんだか寂れた感じだった。
リエージュは基本的にこの「寂れた感じ」という言葉が良くも悪くも似合っている気がする。いい意味では、飾り気のない生活感漂う味わい。悪い意味では、何か犯罪の臭いを少なからず感じることがあった。
リエージュは怖い町??
このブログを書くためにリエージュのことを調べていたら、2011年のクリスマスに、リエージュで無差別テロがあったという記事が目に入った。犯罪発生率も高いという。これには、かつては石炭や鉄鋼業で栄えたこの地方の産業がその後衰退し、多くの失業者を抱えることになった背景があるという。ある種のゴーストタウン的な雰囲気を感じたのは、市民や市が、建物などを十分にメンテナンスできていないためなのかも知れない。
2015年11月に起きたパリ同時多発テロ事件に関連して、ベルギーがイスラム過激派の温床になっていた、などというニュースを読むと、事件には関係なくてもリエージュのある種怪し気な雰囲気を感じた場所を思い出し、ちょっと背筋が寒くなった。
それでも、モンタニュ・ビューランやその周辺の趣ある景観や、そこを行き交う人たちの和やかな表情、スケッチをしていて話しかけてくれたおねえちゃん、ムール貝を食べたレストランで親切にいろいろ教えてくれたおじさん、愛想のいいボーイさんやホテルの女主人などのことを思い、この街の捨てがたい魅力も感じている。
とは言え、「リエージュ」というおしゃれな響きで、勝手にこの町のことを想像し、人気の少ない路地などにどんどん入って行ってしまったことは危機意識が足りなかったと言わざるを得ない。残念ではあるが、リエージュでは常に犯罪と隣り合わせにあるぐらいの注意を払って過ごす必要があるかも知れない。
アーヘン ~元祖世界遺産の大聖堂がある町~
ルクセンブルク ~天然の起伏が生きる緑の首都~
バッハラッハ ~ライン河畔に佇む珠玉の町~
ヨーロッパ家族旅行2014
8月9日(土)~8月10日(日)
ルクセンブルク→リエージュ
もう少しゆっくりしたかったルクセンブルクを後にして、次に訪れたのはベルギーのリエージュ。ベルギーは20年以上前にブルージュを訪れて以来2度目。
「リエージュ」という町の名前の響きはなんとなくおしゃれ。フランス語圏の町で、フランス語で表記すると"Liège"とアクサンが入っているところもシャレている。ワッフルやムール貝がおいしいらしいし、行く前は「洗練されたおしゃれな町に違いない」と想像していた。
ルクセンブルクから乗り換えなしで2時間半弱、リエージュの玄関口といえるリエージュ・ギルマン(Liège-Guillemins)駅に到着。
駅舎は翼を大きく広げたような屋根がのった万博のパビリオンみたいな近代的な建築で、「リエージュ」のイメージに相応しかった。
クリックで拡大
ちょっと苦労したがタクシーが見つかり、ホテルへ。Booking comで予約していた Hôtel Les Acteurs は、ちょっと寂れた感じの裏道沿いにあって、建物は古かったが、小さいながらもエレベーターがあったのは助かった。フロントのおばさんは愛想がいい。
早速観光へ繰り出す。町の中心までは何とか歩いて行ける距離だったが、車がビュンビュン走る通りの歩道は人はあまり歩いていない。割れたビール瓶が散らばっていたりして、夜はあまり歩きたくない雰囲気。
でも、町の中心にあるプランス・エベック宮殿が建つサン・ランベール広場の近くまでくると、商店がたくさん出てきて賑やかになってきた。プランス・エベック宮殿は11世紀に建てられたリエージュの君主である司教の居城だった歴史的建造物。今は州政府庁舎、裁判所として使われていて、町の中心にドーンと構えている感じ。
建物内の見学はできないが、中庭に入ることができた。「地球の歩き方」によれば、中庭の柱廊が見事ということだが、中庭は建物の裏側的な閑散とした雰囲気で、特に魅力は感じなかった… というか、言い方は悪いが幽霊屋敷のような怪しさも漂っていた。
サン・ランベール広場の隣りにはマルシェ広場という小さな広場があり、ここには1698年にジャン・デル=クールによって造られたペロンの噴水がある。 噴水といっても水がチョロチョロ流れ落ちている程度の代物だが、これはリエージュ市民の間では、自由のシンボルとしてよく知られた記念碑なのだそうだ。 しかし、リエージュ市の観光案内サイトにも、どうしてこの噴水が自由のシンボルなのかについては説明がなく、由来はよくわからない。 |
標識に従ってやって来たのはワロン生活博物館。「地球の歩き方」によれば、ここは「ワロンの風俗を知るためには必見の博物館」で、「17世紀に女子修道院として使われていたモザン・ルネサンス様式の建物も美しい」とのこと。
4年前にストラスブールで訪れた、建物も内装もとても雰囲気があり、美しい家具調度やミニチュアなどの展示品も印象的だったアルザス民俗博物館みたいな感じかな、と想像していた。しかし、ここは想像とは少し違った。
古い時代からの生活と密接に関わる様々な展示品が並べられ、部屋が再現されてはいたが、なんでもかんでも無造作に展示してある感じ。内装は近代的にリフォームされていて、修道院の趣は感じられず、建物の外観は古びた感じだが、特に魅力的というものではなかった。
ここまで市内を観光してきた限りでは、最初に想像していた「洗練されたおしゃれな町」というイメージとはちょっと違うかな、という印象。ワロン生活博物館を出て、もう一つ是非訪れたかったモンタニュ・ビューランという長い石段へ向かう途中の町並みは、おしゃれな感じとは違う、生活感が漂ういい味が出ていた。多分この雰囲気がこの町の良さなのかも知れない。
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モンタニュ・ビューラン Montagne de Bueren
そんな生活感溢れたリエージュの魅力を味わえるスポットがここ、モンタニュ・ビューランにあった。
遥か上まで石段が続く眺めは壮観。その両側には煉瓦造りの家が並んで風情を醸し出している。みんなでこの石段を登ってみた。
1875年に造られたという石段は、地元の人達の生活に欠かせない道になっているようで、お年寄りも行き来している。自転車を担いで登る人や、トレーニングの格好をして駆け上がる人もいる。途中で腰かけて、景色を眺めながら語らう人たちも…
こんな扉から家の人が出入りする姿も見かけた。地元の人たちの生活が感じられる石段だが、こんな傾斜を毎日上り下りして過ごさなければならないのは大変そう。ここに住んでいる人たちは、お年寄りもきっと足腰が相当鍛えられているに違いない。
上までやって来る頃には息が上がり、なかなかキツイが、振り返れば遠くの景色まで見渡せて気分はいい。
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石段を最後まで登りきったところには車道が通っていて、車でも上まで来られるようだった。
最初から一段ずつ数えてきたら、全部で347段あった。「地球の歩き方」には373段と書いてある。数え方を間違えたかな? 石段の上の道を更に上って行くと、ちょっとした見晴台があった。そこの階段まで入れると400段を超えた。高いところに登るのは慣れている僕にとっても思ったよりかなりキツかった。これが生活に必須の「道」というところが凄い。 そんな生活の臭いが染みついた石段の道は、短いリエージュ滞在でのお気に入りの場所になった。 |
モンタニュ・ビューランを下りて、階段を背に右側に伸びる脇道に入ってみたら、農家みたいな田舎っぽいのどかな光景が目に入ってきた。
その脇道を道なりに行くと、とても狭い石段が始まった。この石段、少し曲がったりしながらもひたすら登り続けている。どうやら隣りのモンタニュ・ビューランと並行しているようだ。 あんなに長い石段があるということは、このあたりの地形は全体的に大きく傾斜しているということで、そこに道をつけようとすれば石段を作るしかないわけだ。 モンタニュ・ビューランとはまた一味違う趣きがある狭い石段には引かれるものがあったが、こちらはさわりの部分だけ歩いて引き返した。 |
そろそろ夕食の場所を探す時刻。メインの通りではなく、いつものように思わぬ発見を求め、わき道を選びながら飲食店がたくさんあるというオペラ座方面へぶらぶらと歩いて行った。
通りの向うに建つ丸屋根の教会は聖アンドレ教会。閑散とした道の先に見える黒くて大きなドーム状の屋根は、何となく威圧的で怖い感じがする…
カテドラルの近くの通りには、テラス席が並んで賑わっている様子がうかがえる。
カテドラルの横の狭い道にもレストランが並ぶ。ベルギーに来たので、今夜は是非ムール貝を食べたい! とムール貝がメニューに出ているお店を見つけて着席した。
メニューはフランス語しかなくて困っていたら、隣りの常連のようなおじさんが流暢な英語でいろいろとメニューの説明をしてくれた。このおじさんはひたすらタバコを吸いながらビールを飲み続けている。ムール貝は鍋一つが一人前。白ワイン蒸しと、クリームガーリック蒸しの二つを注文。コロッケ、オムレツ、サラダも頼んだ。
注文してから料理が出てくるまで1時間以上も待たされた。ヨーロッパのレストランで待たされることは多いが、これはいくらなんでも待たされ過ぎ。店員さんは愛想がいいのだが…
だけど、やっと運ばれてきたムール貝は期待以上の美味しさ!ベルギービールがこれによく合う!ムール貝を食べるときは、殻のうわぶたを使うとうまく取ることができる。これでスープをすくってチビチビ飲むのもうまい。
一人前はかなりの量。これにフライドポテトも付いてきたので、コロッケやオムレツはなくてもよかった。周りを見ると、ムール貝だけひたすら食べている人達が結構いた。
お会計は100ユーロを軽く超えてしまった。美味しかったけれど、お金も時間もかかる夕食だったなぁ。もう10時半を回っていた。
翌朝、ホテルは朝食なしだったので、朝食がてらそのまま観光に出発。街中へ出たが、お店はどこも閉まっていて閑散としている。まさか朝めし食いっぱぐれ?ワッフルが食べたいんだけど…
聖ポール大聖堂 Cathédrale Saint-Paul
お店が見つからないまま、カテドラル(聖ポール大聖堂)の前までやってきたので、先にここを見学することにした。ここはリエージュのカトリック教会を束ねる親分的存在で、「リエージュ大聖堂」と呼ばれたりもする。現在の教会は1240年に建設が始まり、度重なる修復や増築を経て、最終的な姿を現したのは1875年というから、実に600年もかけて完成したことになる。
大聖堂の内部はとても広い。後方両翼に陣取るオルガンは、ドイツのオルガン製作者ヨーゼフ・メルクリンによって1870年に完成されたもの。
彫刻やステンドグラスがどれも見事。この大聖堂にはベルギーで現存する最古の作品のひとつという1530年に制作された大きなステンドグラスがあり、2015年9月に17年の歳月をかけて修復され、元の位置に戻ったという記事が毎日新聞に出ていた(2015.12.7)。つまり、僕たちが訪れたときはまだ修復中だったわけだが、ここにあったステンドグラスも十分大きくて立派だった。
こんなモダンな感じのステンドグラスもあった。上記の毎日新聞の記事によれば、信者数の減少を食い止めようとモダンアートを取り入れる教会が増えていて、リエージュ大聖堂のステンドグラスには無神論者の作品もあるとのことで、「神を信じる、信じないにかかわらず、抽象的なステンドグラスに人々は心を投影し啓示を得る。教会では多様な人との対話が必要だ」と説明する大聖堂のベルス神父の話を伝えている。
カテドラルの近くで開いているおしゃれなパン屋さんを発見。やっと朝食にありつける。テラス席もあって、リエージュ名物のワッフルがあったので、これとパン・オ・ショコラ、カフェ・オ・レを注文した。
ワッフルはアツアツで大きな長方形(この形は「ブリュッセルワッフル」と呼ばれるものらしいが…)、中にはシナモン味のリンゴのペースト状のものが入っていた。とても美味しかったが、奥さんは「甘すぎる~」と言っていた。カフェオレにはフィナンシェが付いていて、甘~い朝食!
朝食を済ませたあとは、あまり時間はないがホテルの集合時刻を決めてそれぞれ好きな場所へ行くことにした。僕は、昨日行って気に入ったモンタニュ・ビューランにもう一度行ってスケッチすることにした。
再び訪れたモンタニュ・ビューランはやっぱりいい。ゆっくりスケッチしたいところだが、ホテルまで帰る時間を考えると30分しかないので、急いで筆を動かしていたら、絵を覗いてきたおねえちゃんが、自分の描いたスケッチを見せてきた。いろいろな人物のクロッキーが描かれている。 「人物の表情を描くのが好きなの。あなたもアーティスト?」と訊かれたので「ホビーだよ」と言うと、「私もホビーアーティスト」。ホビーでも「アーティスト」って名乗っていいのかな。 短い会話でおねえちゃんは去っていった。 |
もっとゆっくりおしゃべりを楽しみたい気持ちは山々だが、スケッチする時間が限られていたのでちょっとホッとした。
ホテルに戻り、荷物をピックアップして、最寄りのリエージュ・ジョン・フォセ駅まで歩いて行った。この駅はなんだか寂れた感じだった。
リエージュは基本的にこの「寂れた感じ」という言葉が良くも悪くも似合っている気がする。いい意味では、飾り気のない生活感漂う味わい。悪い意味では、何か犯罪の臭いを少なからず感じることがあった。
リエージュは怖い町??
このブログを書くためにリエージュのことを調べていたら、2011年のクリスマスに、リエージュで無差別テロがあったという記事が目に入った。犯罪発生率も高いという。これには、かつては石炭や鉄鋼業で栄えたこの地方の産業がその後衰退し、多くの失業者を抱えることになった背景があるという。ある種のゴーストタウン的な雰囲気を感じたのは、市民や市が、建物などを十分にメンテナンスできていないためなのかも知れない。
2015年11月に起きたパリ同時多発テロ事件に関連して、ベルギーがイスラム過激派の温床になっていた、などというニュースを読むと、事件には関係なくてもリエージュのある種怪し気な雰囲気を感じた場所を思い出し、ちょっと背筋が寒くなった。
それでも、モンタニュ・ビューランやその周辺の趣ある景観や、そこを行き交う人たちの和やかな表情、スケッチをしていて話しかけてくれたおねえちゃん、ムール貝を食べたレストランで親切にいろいろ教えてくれたおじさん、愛想のいいボーイさんやホテルの女主人などのことを思い、この街の捨てがたい魅力も感じている。
とは言え、「リエージュ」というおしゃれな響きで、勝手にこの町のことを想像し、人気の少ない路地などにどんどん入って行ってしまったことは危機意識が足りなかったと言わざるを得ない。残念ではあるが、リエージュでは常に犯罪と隣り合わせにあるぐらいの注意を払って過ごす必要があるかも知れない。
アーヘン ~元祖世界遺産の大聖堂がある町~
ルクセンブルク ~天然の起伏が生きる緑の首都~
バッハラッハ ~ライン河畔に佇む珠玉の町~
ヨーロッパ家族旅行2014