当社が農業機械メーカーのトップカンパニー・(株)クボタさんと
お取引して、かれこれ22年になる。
自動車事故ほど一般的に知られていないが、
農業機械による死亡事故は毎年相当数ある。
その最大の要件は転倒による死亡事故。
トラックから農業機械を乗せ降ろしする時や、
道路からほ場に出入りする時、
あるいは傾斜地を走行中にバランスを崩して機械諸共転倒し、
下敷きになる事故が後を絶たない。
そこで機械にシートベルトや安全フレームを付けると共に、
安全講習会を開きシートベルトやヘルメットの着用を呼びかけ
事故撲滅に努めている。
(驚くことに、毎年400名ほどの方が
農作業中に事故で死亡されている。
その内の約70%が農業機械による死亡事故で
さらに内訳をみると、73%が農業機械ごと
転落したり、転倒したりが占めている)
私も農業機械を一通り操作をするが、ヒヤリとしたことはある。
農業機械は車のように100キロもスピードが出るわけではない。
中には公道を走れるよう40キロ出るハイスピード仕様のトラクタもあるが、
それとて車からみるとノロノロ運転の感覚だ。
ほとんどの農業機械はメイ一杯スピードを出しても、
精々人が歩く速さから走る速さまでだ。
「まさかこのスピードで事故なんててん…」
そこに操作する人間の油断が生まれてくる。
乗用車を製造する富士重工業(スバル)の衝突防止機構「アイサイト」が
脚光を浴びているが、事故を防ぐ技術革新が開発されても、
安全運転には「知識・判断・操作」の3つの要素が欠かせない。
センサーやカメラなどを用いた様々な先進技術で安全をサポートしても、
最終的にはドライバー自身が危険に気づかなければ
事故を防ぐことはできない。
農業機械もまた、安全への技術革新に注力しており、
初めての方でも安心して簡単・ラク楽に使えて、
しかも農作業時間を短縮するなど、人間をフォローしている。
しかし、機能が付いて便利になればなるほど、
一方では操作する人間の想像力や判断力、
ひいては感性を鈍らせることにもなる。
我が同胞の師・牧 逸郎カメラマンは
「光を撮るのではなく影を撮りたい」と
よく言っていたが、人間も同様で、闇があるから光が際立つわけで、
良い面ばかりを見ていても本当の姿はけっして見えない。
負の部分に目を背けては、真に良い面も見えてこないのだ。
人に優しいという当たりの良い技術に頼りきってはならない。
便利は人をアホにする危険をはらんでいる。
だから東日本大震災で安全神話の塊である原発に事故が起こったのだ。
想定外を予感したなら、想定内になるように作らねばならないし、
場合によっては作ってはならない。
原発の安全については、かなり見切り発車だったのではないか。
しかし仮に見切り発車でも、後で軌道修正できればよいが、
こと原発に関してはひとつの事故でひとつの町、
ひとたび間違えると地球そのものを崩壊させる危機をはらんでいる。
かなりヤバいにも関わらず、
私利私欲が危険への予知を鈍らせてしまったのだ。
この危険への予知能力こそ人間にあって、機械にはないものだ。
だからこそ人は機械に頼りっきりのアホにならぬよう
感性を研ぎ澄まさなければならない。
「長さん、なぜ奴が犯人だとわかったんですか?」
「デカとしての直感だ」
これこそが感性を研ぎ澄ましているからこそ生まれる業なのだ。
農作業機械にも様々な便利機能がついているが、
プロ農家の方々は得手して便利機能をOFFにし自分の腕を頼りにする。
その方が早くて正確な作業ができるという。
京セラ元社長の稲盛 和夫氏もまた私の取材で
「機械化により一貫ラインを作ると早くて安定した製品ができると
思っている人がいるが、機械でできるのは普通の物。
本当に良い物を作るには肝心要は人の手で、
最終チェックは人の目でするのが一番」と答えた。
確かに東大阪の町工場の職人技に勝る機械やシステムはない。
しかしその一方で、
技に溺れれば本質を見失うことになりかねないことを
作り手は忘れてはならない。
感性から技は生まれるが、技から感性は生まれないのだ。
言うなれば常に感性が人の中央で活きるよう、自分を律しなければならない。
まさに言うは易し、行うは難し。しかし作り手として生きるなら
これもまた受け入れなければならない試練というもの。
今の社会では車は必需品だ。農家などは一家に一台ではなく、
成人一人に一台の割で車を持つ。地方にいくほど車なしでは生活できない。
増え続ける車の量と、
簡単に免許が取れることから生まれる未熟ドライバーの増加、
さらにはモラルの低下で、急激に自動車事故を減らすのは
至難の業かもしれない。
それに対し農業機械は、対象が農家の方だけなので、
ゼロにはならないまでも、大幅減少をさせることは可能である。
確かに暑いさなかの農作業でヘルメット着用は苦痛だ。
身軽に動きたいのに一々シートベルトを付けたり
安全フレームを立てるのは面倒くさい。
しかしビル工事をする職人は、
今では全ての人がヘルメットと命綱をつけて作業をしている。
現在、クボタを始めとする農業機械メーカーやJAが中心になり
安全講習会を実施している。
農業機械の安全啓蒙活動をするのは地道で忍耐のいる仕事だが、
農作業事故を減らすにはとても意義のある大きな活動だ。
※今回は番宣のようなないようになったが、
「便利になればなるほど、人間の想像力や判断力、
ひいては感性を鈍らせることにもなるので自己研鑽せよ」
と言いたかったのだ。
お取引して、かれこれ22年になる。
自動車事故ほど一般的に知られていないが、
農業機械による死亡事故は毎年相当数ある。
その最大の要件は転倒による死亡事故。
トラックから農業機械を乗せ降ろしする時や、
道路からほ場に出入りする時、
あるいは傾斜地を走行中にバランスを崩して機械諸共転倒し、
下敷きになる事故が後を絶たない。
そこで機械にシートベルトや安全フレームを付けると共に、
安全講習会を開きシートベルトやヘルメットの着用を呼びかけ
事故撲滅に努めている。
(驚くことに、毎年400名ほどの方が
農作業中に事故で死亡されている。
その内の約70%が農業機械による死亡事故で
さらに内訳をみると、73%が農業機械ごと
転落したり、転倒したりが占めている)
私も農業機械を一通り操作をするが、ヒヤリとしたことはある。
農業機械は車のように100キロもスピードが出るわけではない。
中には公道を走れるよう40キロ出るハイスピード仕様のトラクタもあるが、
それとて車からみるとノロノロ運転の感覚だ。
ほとんどの農業機械はメイ一杯スピードを出しても、
精々人が歩く速さから走る速さまでだ。
「まさかこのスピードで事故なんててん…」
そこに操作する人間の油断が生まれてくる。
乗用車を製造する富士重工業(スバル)の衝突防止機構「アイサイト」が
脚光を浴びているが、事故を防ぐ技術革新が開発されても、
安全運転には「知識・判断・操作」の3つの要素が欠かせない。
センサーやカメラなどを用いた様々な先進技術で安全をサポートしても、
最終的にはドライバー自身が危険に気づかなければ
事故を防ぐことはできない。
農業機械もまた、安全への技術革新に注力しており、
初めての方でも安心して簡単・ラク楽に使えて、
しかも農作業時間を短縮するなど、人間をフォローしている。
しかし、機能が付いて便利になればなるほど、
一方では操作する人間の想像力や判断力、
ひいては感性を鈍らせることにもなる。
我が同胞の師・牧 逸郎カメラマンは
「光を撮るのではなく影を撮りたい」と
よく言っていたが、人間も同様で、闇があるから光が際立つわけで、
良い面ばかりを見ていても本当の姿はけっして見えない。
負の部分に目を背けては、真に良い面も見えてこないのだ。
人に優しいという当たりの良い技術に頼りきってはならない。
便利は人をアホにする危険をはらんでいる。
だから東日本大震災で安全神話の塊である原発に事故が起こったのだ。
想定外を予感したなら、想定内になるように作らねばならないし、
場合によっては作ってはならない。
原発の安全については、かなり見切り発車だったのではないか。
しかし仮に見切り発車でも、後で軌道修正できればよいが、
こと原発に関してはひとつの事故でひとつの町、
ひとたび間違えると地球そのものを崩壊させる危機をはらんでいる。
かなりヤバいにも関わらず、
私利私欲が危険への予知を鈍らせてしまったのだ。
この危険への予知能力こそ人間にあって、機械にはないものだ。
だからこそ人は機械に頼りっきりのアホにならぬよう
感性を研ぎ澄まさなければならない。
「長さん、なぜ奴が犯人だとわかったんですか?」
「デカとしての直感だ」
これこそが感性を研ぎ澄ましているからこそ生まれる業なのだ。
農作業機械にも様々な便利機能がついているが、
プロ農家の方々は得手して便利機能をOFFにし自分の腕を頼りにする。
その方が早くて正確な作業ができるという。
京セラ元社長の稲盛 和夫氏もまた私の取材で
「機械化により一貫ラインを作ると早くて安定した製品ができると
思っている人がいるが、機械でできるのは普通の物。
本当に良い物を作るには肝心要は人の手で、
最終チェックは人の目でするのが一番」と答えた。
確かに東大阪の町工場の職人技に勝る機械やシステムはない。
しかしその一方で、
技に溺れれば本質を見失うことになりかねないことを
作り手は忘れてはならない。
感性から技は生まれるが、技から感性は生まれないのだ。
言うなれば常に感性が人の中央で活きるよう、自分を律しなければならない。
まさに言うは易し、行うは難し。しかし作り手として生きるなら
これもまた受け入れなければならない試練というもの。
今の社会では車は必需品だ。農家などは一家に一台ではなく、
成人一人に一台の割で車を持つ。地方にいくほど車なしでは生活できない。
増え続ける車の量と、
簡単に免許が取れることから生まれる未熟ドライバーの増加、
さらにはモラルの低下で、急激に自動車事故を減らすのは
至難の業かもしれない。
それに対し農業機械は、対象が農家の方だけなので、
ゼロにはならないまでも、大幅減少をさせることは可能である。
確かに暑いさなかの農作業でヘルメット着用は苦痛だ。
身軽に動きたいのに一々シートベルトを付けたり
安全フレームを立てるのは面倒くさい。
しかしビル工事をする職人は、
今では全ての人がヘルメットと命綱をつけて作業をしている。
現在、クボタを始めとする農業機械メーカーやJAが中心になり
安全講習会を実施している。
農業機械の安全啓蒙活動をするのは地道で忍耐のいる仕事だが、
農作業事故を減らすにはとても意義のある大きな活動だ。
※今回は番宣のようなないようになったが、
「便利になればなるほど、人間の想像力や判断力、
ひいては感性を鈍らせることにもなるので自己研鑽せよ」
と言いたかったのだ。
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