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2017-02-23 04:24:08 | パタヤ日本人友好会イサン支部
昼間の猛暑が嘘のように、夜間は涼しく過ごし易い、タイ国はイサン地方です、日本の多くの方はタイの気候の状態を、やや間違って思って居られる方々が、多いので、説明を入れると、昼間の気温は此の時期は37度から40度を行き来しますが、夜間は15度から25度を行き来する、日本人には過ごし易い気温だと言えます。
年に数日から1〜2週間その年に依って違いますが、気温が日中の寒い時間帯は10度前後に成る期間が有ります、ただし、観光に来られた日本の方々が、勘違いされる理由の一つに、タイの湿気が有ります、此れは日本の梅雨の間と同じぐらいの湿度なので、蒸し暑い感じになるので、体感的な勘違いを生む結果に、成ります。

分かり易い説明をすると、日本の梅雨明け猛暑から9月の長雨明けまでので、期間を一年に置き換えて見てその年の異常気象を付け加えて見たのが、タイの気候風土だと言えます。
でもって此の説明はあくまで、温度計と湿度計と天気からの説明ですが、此れに日本人の体感気温の個人差が加わるので、注意が必要だと言えます、し、頭の良い日本の方々だとお分かりに成ると思いますが、此の気候条件だと衛生管理が難しい事がお分かり頂けると、思います。
日本風に言えば、季節に伴う善玉菌と悪玉菌の差異が分かりづらい、事になり日本からお越しの奥様方のお子さんへの対応が、難しいという事に成り、大変だなという事に成ります。

パタヤ日本人友好会の場合は、たまたま最初に開設した場所が、置屋街のど真ん中にあったので、その方面の対応が、多いと思われがちですが、私は友好会では生活一般を担当して居ましたから、こう言った生活部分の方の事例の方が圧倒的に多く扱って居ましたので、パタヤ近郊にも企業を中心とした日本人会がありますが、こう言った企業に属さない一般の方々のプライベートな部分を、請け負って居た感じなのが、パタヤ日本人友好会の発足理由の一つだったと言えます。

良く二度目に開設した、ビックC側の友好会を何故こんなに早く閉めたのか?言われるのですが、開設時期と例の豚インフルエンザの猛威の時期とが丁度重なった為に、日本人に分かり易い説明をしますと、凶悪なインフルエンザが流行って居る日本で、学校の学級閉鎖と同じ意味合いだと説明を入れると分かり易いと思います、当時はいつ豚インフルエンザが、落ち着くか分かりませんでしたから、パタヤの性格から世界各地からの人が集まる場所に出入りする事が多い人がたづねてくる可能性の高い友好会の場合は、インフルエンザ時期の学級閉鎖の学級閉鎖の基準よりは厳しい基準で臨む必要が有り、友好会においでに成られた方の週に対して4〜5人の方が豚インフルエンザで病院に入院された場合には、友好会の閉鎖をする事にしました。
当時の友好会への週の来訪者の数を、ご存知の方はお分かり頂けると思いますが、此の数は十分に日本での学級閉鎖の基準を上回ることは、ご理解頂けると思います。

古い話を持ち出して来ましたが、友好会のしゅしは生活一般の、事に対して全てだという事を、おしりいただくために、今回ブログを書かせて頂きました。