ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

ロック岩崎のこと・・・

2005-04-21 22:09:08 | 乗り物
 ちぴらと港町の食堂でオムライスを食べていると、テレビで但馬空港で起きた小型機の墜落事故を伝えていた。「ふ~ん・・・」という感じで見ていたぴらにあだけど、画面に映った赤と白の複葉機と機体番号(JA22AR)を見て凍りついた。あれはロック岩崎のピッツだ・・・

 まさか、ロック岩崎が操縦を誤って墜落なんて信じられなかったけど、死亡した男性の名前は確かに岩崎さん本人だった。岩崎さんは航空自衛隊のイーグル(F-15)パイロットだったけど、それをやめて10年前に日本で初めて商業アクロバット飛行チームを作った人だ。自衛隊仲間には退官する時に、「曲芸飛行でメシを食っていくなんてムリだから考え直せ!」と言われたらしいけど、「日本の人にもアクロバットの醍醐味を知ってもらいたい」という熱意でエアロックチームを立ち上げた。初めはほとんど赤字続きだったらしいけど、航空祭や色々なイベントで知名度がだんだん上がって、最近のピッツは色々なロゴがたくさんついていたっけ。ぴらにあにとって、岩崎さんはパイロットという事も憧れだけど、自分の夢に向かって進んで、それでどうにか生活している(当然、家族にはかなり反対されたらしいけど・・・)というのがステキだった。

 ぴらにあも何度かロック岩崎の曲技飛行をこの目で見たことがある。ジェット戦闘機の展示飛行に比べると迫力は落ちるけど、繊細で計算し尽くされた、まるで器械体操を見ているようなロックの飛行はきれいだった。飛行中に必ずロック本人が無線を使って観客に挨拶をするけど、ジェット戦闘機パイロットだった人とは思えないたどたどしい口調に苦笑して。岩崎さんが何かのインタビューで、「曲技飛行中に一瞬でも高度が解らなくなったら、次の演目には絶対に入らない」と話していた。いつ、いかなる状況でも、絶対に細心の注意を払って飛行するという岩崎さんの気持ちがよく表れた言葉だと思う。その岩崎さんが落ちた。魔がさしたのか、機体に異常があったのか、今は解らないけれど、憧れのロック岩崎さんの冥福を祈ります・・・
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