ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

写真館を「No.831 アイスクリーム発祥の地(横浜馬車道)」に更新しました!

2018-04-30 09:40:11 | まいぺーじ写真館
 横浜で泊まっちゃったホテルの近くに、日本で初めてのアイスクリーム屋さんのモニュメント(太陽の母子像)を見つけました。ここで町田房蔵という人が牛乳と卵と砂糖を混ぜて、塩を入れた氷で冷やして固めて「アイスクリン」として販売したそうです。しかし、その値段がなんと2分(ぶ)だって!。2分は1両(りょう)の半分ですから小判1枚でアイスクリームがたった2個しか買えなかったってか!。文(もん)に換算すると2分は2,000文、落語の時蕎麦(時間の数え方を使って1文誤魔化す話)は1杯16文ですから、かけそばの現在の価値(だいたい300円?)で換算すると1文=20円くらい?、するって~と20円×2,000文=40,000円って、庶民は誰も買えなかったハズで全然流行らなかったそうです。そりゃそうだよな・・・

※2分のレート換算はぴらにあの独自計算ですので、確かかどうかわかりません。ネットには2分=約8,000円(腕利きの職人さんの日給)ともありました。とにかくメチャクチャ高かったのは間違いありません・・・


【裏の方には馬と牛の水飲み場がありました。この水桶は別の場所にあったものを移したそうですが、同じような水桶が横浜市内にいくつもあったそうです・・・】


【関内の駅の方には「近代街路樹発祥の地」の碑が。馬車道のお店の人たちが自主的に柳や松を植えたんだそうです・・・】


【ホテルの正面には日本最古のガス灯の碑・・・】


【当時の馬車道はこんな感じだったらしい・・・】


【神奈川県立歴史博物館の建物は横浜正金銀行の本店(明治37年建築)です。裏には謎の大砲が飾ってあって、ロシアの古い大砲を錨に作り替えて販売しようとしたところ(だから鎖がついてる)、関東大震災が起こって地面に埋まっちゃったと思われ。昭和34年の工事中に発掘されたそう・・・】


【赤レンガ倉庫まで歩いてきました、ぴらにあの子供の頃はよく刑事ドラマで銃撃戦してましたね。追い詰められた犯人はなぜか廃工場や倉庫街に逃げ込むのがフシギでした・・・】


【イギリス船籍のゴールデン・プリンセス(108,865トン)が停泊してました。ぴらにあと同僚のTさん(三宅島支店に勤務経験アリ)がやたら盛り上がってましたけど、やはり島経験があると船に愛着が湧くようになるらしい・・・】


【臨港鉄道の廃線後を歩いて山下公園へ、ぴらにあは横浜博の時にディーゼルカーに乗ったことがあります。中華街は高校生の遠足やら修学旅行やらごった返しておりました、もしかしたら土日よりも混雑してたかも・・・】


【なんか、焼味(ロースト)店がやたら気になったりして・・・】


【今日はもう1隻、MSCスプレンディダ(なんと137,936トン)が横浜港に入ってくる予定なので待ってましたら、ベイブリッジを通れなかったようで大黒ふ頭に着いちゃってました・・・】


【また汽車道を歩いてみなとみらいに戻りましょう・・・】


【帰り道、渋谷駅の地下街でおフランスの親子連れが途方に暮れてました。「どこへ行きたいんですか?」とぴらにあ聞くと、「ゴチャゴチャした所!」って身振り手振りで。ようがす、オイラがご案内しましょう。ハチ公口から地上に出まして、ここが世界一有名な横断歩道だ~!(どうやら合ってたようです)】

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