ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

写真館を「No.469 下津井電鉄の駅」に更新しました!

2011-05-21 23:23:46 | まいぺーじ写真館
 鬼無駅から岡山空港へ戻る途中、瀬戸大橋を渡っている時にふと思い出した。「そういや、この橋を建設している真っ最中に、高校の修学旅行で鷲羽山のホテルに泊まったんだよ」と。ホテルの窓から橋脚とケーブルだけ、まだ線路や道路が未完成の巨大な橋を見て、スゴイのを作っているなぁ・・・と。しかし、あの修学旅行も凄かった。岡山から赤白ツートンカラーの下電バスに揺られて倉敷、広島、錦帯橋、萩、秋芳洞ってどこまで走るんじゃい!。4日間ほとんどバスに乗りっぱなし、幕末の志士と吉田松陰にあこがれていたO先生の気まぐれにも困ったもんです・・・

 そう、下電といえば、あの時はまだ下津井電鉄のチビ電車がホテルの下を走っていたはず。あ~ぁ、クラスのマドンナのTさんの長い黒髪なんか引っ張って遊んでないで、どうしてホテルを抜け出して下津井電鉄の雄志を一目見に行かなかったんだオイラ。タイムマシンがあったらあの日の自分をハリセンで引っぱたいてやりたい・・・(そんなチャンスがあったら下津井電鉄を見に行け!←もう一人の自分)

《下津井電鉄  下津井線 1991年廃線》
○廃線時営業キロ 6.3Km
○駅名(7駅) 下津井~東下津井~鷲羽山~琴海~阿津~備前赤崎~児島
○ゲージ 762mm(30フィート)


【初めて瀬戸大橋を渡ったのは20年前、あの時は与島PAに入るのも大変で、下のフィッシャーマンズワーフは遊覧ヘリまで飛んで観光客でごった返していた。今は、一応オミヤゲ屋や休憩所は残っていたけどほぼゴーストタウンの状態・・・】


【児島ICで下りて下津井の港へ向かう。途中、不自然な自転車道路を渡る。もしや?、これは?、と思ったところ、「おとん、絶対に線路の跡だよ!」と助手席のちぴら、「あそこ、駅だよ、止めて~!」と。東下津井駅でした・・・】


【そのままいかにも不自然な自転車道(風の道)に沿って坂を下る。うわ、夢か幻か、下津井の駅がまだ残ってるのか。ホジ3は廃線直前に導入された客車で、勿体ないけどほとんど使われなかったとか・・・】


【下津井駅ホームから東下津井駅方面を望む。かつて、下津井~丸亀が四国へ渡るメインルートだった頃は、たいそう賑わったらしい。芦屋雁之助の裸の大将でも大井川鉄道に次いでよく使われていたっけ・・・】


【雨ざらしなのにかなりいい状態の貨車、ホワ6(左)とホカ7(右)。こんなに残っているなら、せめて一駅だけでも復活させて走らせたら人気が出ると思うんだけど。下津井~東下津井間のカーブなんかカッコイイんだけどなぁ・・・】


【米子のGさんに「岡山空港まで会いに来ない?」と電話したらホントに来ちゃった。3年前に一緒に水木しげる資料館に行った時はまだ赤ちゃんだったKくんが見事な少年になってビックリしたけど、考えたらこっちは1匹増えてる。人の子は成長が早く感じるのはナゼでしょう?】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする