Haru S.の部屋

都内のピアノ教室です。ピアノレッスンのことを綴った真面目なことしか書いていない、でも少し役立つかもしれないブログ。

ラドゥ・ルプー

2024年08月22日 | ピアニスト

 

 

偉大なピアニストを多く輩出している東欧

今回は、ルーマニアのラドゥ・ルプー

その音の美しさと心に触れる音楽は

多くのピアニストの間でも羨望の的で、

ルプーのコンサートには

こっそりと有名なピアニストたちが聴きに訪れたほど

 

Radu Lupu

1945-2022 ルーマニア ー スイス

 

千人に一人のリリシストと呼ばれる

 

モスクワ音楽院でネイガウスに師事。

リリシストという美点はルプーのほんの一面に過ぎず、

千変万化の音色、強靭なタッチ、強固な構築力、

人の心の奥底に触れる抒情が融合し、

魔法のような時を紡いだと評されています。

 

至宝の様な存在であり、同業ピアニストたちからも

羨望の的であったにもかかわらず、

性格的に商業主義と相容れず、次第に

レコーディングから離れ、

インタビューも拒絶するようになりました。

 

2019年にあらかじめ引退宣言をすることなく

静かに引退し、療養生活の中、

2022年にスイスの自宅で逝去しました。

 

Mozart Piano Concerto No 23 A major K 488 Radu Lupu Sándor Végh

 


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時間の使い方

2024年08月21日 | レッスン

 

ピアノのレッスンでは、曲を弾く以外の宿題が出ることがあります。

レッスンだけでは覚えきれないことや、

家で復習をして記憶を定着させてほしいワークの類です。

 

私は基本的にワークブックは使っていません。

しかし、教本の曲を弾くだけではどうしても

覚えきれないものがあります。

 

例えば、新しいリズムの長さと名前。

レッスンではそれを実際に叩いたり弾いたりして

拍を感じること、拍子を感じることに時間を使います。

 

そのために、基本として最低でもそのリズムの

長さは覚えなくてはなりません。

 

それで、教本にあるそれらを書くページや、

更にプリントを出して宿題にします。

どのようにやるのかは、レッスンで

少し一緒にやるようにしています。

 

しかし、全てをレッスンで一緒にするとなると、

書くのに時間がかかり、それだけで30分のレッスンが

終わってしまいます。

 

なので、家で書いてくることを宿題にします。

次のレッスンまでに7日あります。

その内の1日をその宿題に費やせばよいのです。

 

覚えるためにするので、これで覚えようと思ってすることです。

 

この宿題をしてこないと、

結局レッスンでほぼ30分かけて書くことになります。

すると、せっかく練習してきた曲のレッスンが十分に出来ず、

翌週また同じ曲を練習することになったり、

新しい曲が本当は貰えるはずだったのに

以前弾いた曲を復習してきて、という具合になります。

 

影響はその宿題をしてこなかったことだけでは

済まないのです。

レッスン全てに影響が出ます。

 

小さなお子様の宿題は、たとえピアノ経験のない親御さんでも

お子様と一緒にする必要があります。

特に、小学1年生まではその必要があります。

 

ピアノ経験がなくとも、習い始めに覚えることは

大人にとってはすぐに分かることばかりです。

一緒に覚えるつもりで宿題に付き合ってあげて下さい。

 

小さい頃に手を掛けた分だけ、

子どもは自立が早くなります。

 

放置しておくと、いつまで経っても自立できません。

お母さんも分からないから、お父さんも分からないから、

自分が分からないのは当たり前という発想になってしまいます。

 

わからなければ一緒に考えて、

それでもわからない時はレッスン時に講師に質問してください。

 

そうすると、その内子どもは自分が分かって帰らないと

家では誰も助けてくれないという考えになります。

そうして自立していくのです。

 

ちょっとした事の積み重ねで、

レッスンの進むペースもかなり差が出てしまうのが

ピアノレッスンです。

 

個人差はお家の方のご協力によるところが

多分にあります。

 

お子様の人生のほんの数年、

付き合ってあげるだけで良いのです。

 

小学2年生以降に習い始めたお子様は、

やはり子ども任せにせず、喧嘩してしまうかもしれませんが、

宿題を気に掛けてあげて下さい。

 

宿題やった?練習しなさい、ではなく、

どんな宿題?どの曲弾いてるの?聞かせてもらっていい?

そして、できれば月に1度、もしくは2カ月に1度は

お子様が嫌がらなければ、一緒にレッスン室に入って

お子様がレッスンを受ける姿をご覧になってください。

 

 


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エリソ・ヴィルサラーゼ

2024年08月16日 | ピアニスト

 

 

今回は、エリソ・ヴィルサラーゼ

日本にも頻繁に来日し、コンサートの他

教育者としても名高い

リヒテルに当代一のシューマン弾きと絶賛される

 

Eliso Virsaladze

1942- ジョージア

 

現在も活躍中のピアニスト

モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、

そしてロシア音楽を主要レパートリーとしている。

教育者としても名高く、

モスクワ音楽院教授の他、世界各国で

マスタークラスが開かれている

 

遊藝黒白という本にある彼女の言葉。

「今の若い人たちは大曲に平気で挑み聴くに堪えない無残な結果になっている。弾きたいのなら絶対に素晴らしく弾かなくてはならない。真にその作品を理解し、それを演奏で表現しなければならない。そうでなければ、弾かない方が良い。」

 

この言葉は、彼女自身がいかに真摯に作曲家に

向き合っているかを表しています。

 

 

実際に彼女の演奏を生で聴きましたが、

シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」を聴いた時の

シューマンへの信愛と献身的な姿、

その純粋で美しい心の演奏に聴いていて涙が止まらず、

あまりに神々しく、自分はたいへんな場に

立ち会っているのではないかと震えました。

 

 


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ウラディーミル・アシュケナージ

2024年08月15日 | ピアニスト

 

 

ピアノ王国のピアニスト、

今回はウラディーミル・アシュケナージ

ポリーニやアルゲリッチと並ぶ

20世紀後半を代表するピアニスト

 

Vladimir Davidovich Ashkenazy

1937- ソ連

 

小柄ながら、どんなパッセージも楽々と弾きこなし、

卓越したテクニックで、洗練された音色で演奏

レパートリーは極めて広く、

クラシック音楽のスタンダードな曲はほぼ網羅し、

録音も膨大な量に上る

 

18歳で出場したワルシャワのショパンコンクールで2位。

この時にアシュケナージが優勝を逃した

ことに納得できなかったミケランジェリが、

審査員を降板した話は有名です。

 

同じ年にモスクワ音楽院に入学し、

オボーリンに師事。

翌年、エリザベート王妃コンクールで優勝。

これを機にヨーロッパ各国や北米で演奏旅行をし、

成功をおさめ、音楽院在学中から

国際的名声を確立しました。

 

音楽院を卒業して2年後に

チャイコフスキーコンクールで優勝。

これはご本人は既に、

他のコンクールで優秀な成績を収めていたため

出場する気はなかったのですが、

国の威信をかけ優勝するように国から命令され、

仕方なく参加したものです。

 

翌年、イギリスに亡命。

アイスランド出身の妻の故国に移住し、

同国の国籍を取得しました。

 

1970年頃から指揮活動も始め、

次第にそちらの比重が増えていきました。

 

2020年、演奏活動から引退を発表。

 

スイスのルツェルンに居を構え、

ラフマニノフの別荘の近くに住んでいます。

作曲家の孫とは古くから親しくしており、

隣人同士の付き合いがあるそうです。

 

 

アシュケナージのリサイタルには

数えきれないほど行きました。

何度も生でその音を聴きました。

 

ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲の

テーマの最初の音が

東京文化会館の5階の客席にポーンと

跳んできた時には驚きました。

目の前に音がありました。アシュケナージは

ずっと遠くに小さく見えていただけだったのに。

 

シューマンの交響的練習曲のあるヴァリエーションで、

左手の和音の中にあるメロディーは

ペダルで繋いでいるかのように滑らかだったのに、

右手から聞こえるアルペジォはノンペダルに聞こえ、

あのテクニックには驚きました。

 

最後に聴いたアシュケナージの演奏は地方でした。

700人位の小さ目なホールでしたが、

最後に聴いたショパンの3番のソナタは

生で聴いたアシュケナージの演奏で

最も心に残るものでした。

たいへん情熱的で、こんなにパッション溢れる

彼の演奏を聴いたのは初めてでした。

 

アシュケナージはいつもステージ袖から

小走りに出てきて、ピョコピョコお辞儀をされていました。

その姿がとてもかわいらしかったです。

 

一度、藤沢まで聴きに行った時に

楽屋に行ってみましたら、ファンが誰も来ていなく、

係の方が喜んで楽屋に入れて下さり、

アシュケナージも笑顔で迎えて下さいました。

サインをいただいて帰りました。

駅に向かって歩いていたら、

後ろからお車に乗ったアシュケナージご夫妻が

追い抜いて行かれ、顔を覚えていて下さったようで

何度も手を振ってくださいました。

 

ステージに花束を渡しに行ったこともあります。

今ではそのような光景は見られませんが、

昔は花束を持ったファンがステージ下に

押しかけていました。

 

私も一度だけ押しかけ、

しっかりと握手していただきました。

分厚く、がっしりとした手をされていました。

 

若かりし頃の良き思い出。

 

 

 


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ラザール・ベルマン

2024年08月09日 | ピアニスト

 

 

ピアノ王国のピアニスト、今回はラザール・ベルマン

鮮やかな超絶技巧、こまやかな情緒表現と

強靭なタッチが特徴

自身も「ヴィルトゥオーゾと呼ばれるタイプの

演奏家に属している」と自認

 

Lazar' Naumovič Berman

1930-2005 ソ連 ーフィレンツェ没

 

ハンガリーでは

「フランツ・リストの再来」と絶賛される

アメリカでは「ベルマンの目もくらむようなテクニックは、

ホロヴィッツだけがライバルになることができるもの」

絶賛される

 

ソ連では古びてガタガタのピアノで演奏しながらも

聴衆の関心を集めていました。

モスクワの2部屋からなる狭いアパートに住み、

その内の1室はグランド・ピアノに占領されていました。

 

アメリカデビュー後に引く手あまたとなり、

大きなコンサートや著名な指揮者と共演、

大きなレーベルでの録音など活躍しました。

 

しかしその頃でさえ、ソ連はベルマンの演奏活動を

制約しようとしました。

ユダヤ系であるがために事態はこじれましたが、

ソ連の存続が危うくなり、妨害活動が減少し、

その隙にイタリアに亡命。

 

モスクワ音楽院ではゴリデンヴェイゼルに師事する傍ら、

リヒテル、ソフロニツキー、マリア・ユーディナからも

指導を受けました。

 

19世紀の作曲家の作品をレパートリーにしていましたが、

ショパンだけはなかなか弾こうとしませんでした。

「もちろん以前は弾いたのだが、何年間もワルシャワの

ショパンコンクールに参加したけれども

入選しなかったんだ。自尊心がひどく傷つけられてね、

それからは二度とショパンを弾かないって誓ったのさ」

と話しています。

 

1970年代にはショパンのポロネーズ集を録音しています。

 

 


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