強引なノド輪に、
強引な外掛け、
そして、最後に強引な掛け投げ。
これを気合のこもった力強い相撲と見る目もあるだろうが、
横綱を狙う大関の相撲としてはいかがなものか。
ここ最近、
日馬富士の相撲は、
同郷の元横綱に似てきていると言われているが、
昨日の相撲はそれが顕著に現れていた。
場所前の稽古でも、
相手が土俵を割っても、
壁まで吹っ飛ばす場面が幾度もあり、
友綱親方から
「大関たるもの、自分だけのために稽古をしてはいけない。
相手に稽古をつけてやらないとダメだ。」
と注意を受けても、聞く耳持たずだったそうだ。
大関に上がるころは、
秘めたる闘志を内に持ち、
冷静かつ華麗な相撲を魅せていたが、
プライベートでも仲が良かった元横綱の影響が強すぎたか。
ここにまた、「横綱の品格」という言葉が、
問いただされそうな流れになってきた。
それよりも、琴欧洲と把瑠都には、
大関としての技量を問いただしたい。
情けなくて、悲しくて、
怒る気にもならん・・・
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