les 60 ans

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  (60歳を前にして 日々思うこと つれづれに:改題)
 小型AT二輪免許とその周辺の話

小型AT限定二輪免許の話 (054) 「卒業検定 受験(09)」

2022-09-30 21:01:17 | バイク

 

 急制動の終了.はじめてこの車校で二輪車に乗ったコースのとおりに左カーブをして平均台(一本橋)へ.

 検定員はすでにスタート/終了ののポールの位置に帰還.平均台に向かって走っていくのは私一人.

 

     白線.

 

 台(一本橋)に中央になるようにまっすぐにリード125を停止.意識しない大きな呼吸.

 台の入口までの間の地面には,はっきりと見えるわだちの跡.台の出口のコンクリートはきれいなまま.

 首を大きく右,左.

 奥深く座りなおしたシート.両手を地面に水平に.視線は足元の仕切り線ではなく,平均台を降りたときに停止するパイロン.

 

 右手3本+親指を手前に回して発進. 大丈夫. 後輪さえ乗れば高い成功率.

 

 

 

  実はこのあとのことははっきりとは覚えていない.

  後輪が平均台終端を降りた時に,耳の後ろで発進時より激しい脈拍の感覚と大きな呼吸をしていたことはおぼえている.

  

     落ちなかった.

 

  パイロンで一時停止.そのあと終了のポールへ.

  左ウインカー.首を曲げて左側を確認.左側に車体を寄せる.両手じわじわブレーキ.ポール前で停止.

  左右確認.キーを回してエンジン停止.もう一度左右を確認.両手でハンドルを握ったまま降車.

  スタンド.ハンドルを左に向ける.もう一度右確認.

  

     二輪車から離れる.

 

  「はいおつかれさまです.ゼッケンを外して講習室に戻ってください」

 

  一気に緊張がとけました.まだ脈拍が高い状態です.汗さえもかけず,また何かを飲む必要があることを忘れるほの口の中が乾いています.

  季節外れの真夏のような青空,強い日差しと高い気温です.

  ヘルメットをはずして二輪コースから出るべく歩くのですが,ふらついて歩けません.ヘルメットを片手にひっかけて両膝に両手をのせてかがみこみます.

  そのまましばらく息を整えてから二輪校舎へゆっくり戻ります.私が最後の受験生です.一人でゼッケンやプロテクターをはずし,着替えて私物をロッカーから出します.

  身体,特に足の震えを感じます.自販機で缶コーヒーを買って飲みますが,むせてしまって飲みきれません.

  長い時間をかけて四輪校舎に向かいます.強い日差しと高い気温.息切れとふらつく足.これは助けを求める必要があります.

  

   二輪の検定試験には,体調管理が必要です.その準備をしてきたつもりですが59歳の身にはそれが不十分だったようです.

 

  四輪校舎の受付でヘルプを求めます.

    「いま二輪の検定を受けてきたんですが,体調が悪くなって... どこか救護所はありますか?」

 

 

  


小型AT限定二輪免許の話 (053) 「卒業検定 受験(08)」

2022-09-27 20:57:13 | バイク

 

 二輪車の免許における検定試験,というのは車校によって順番が違います.もちろん県免許センター(運転免許試験場)でもそれぞれがバラエティーに富んでいます.

 県運転免許センターでの試験コースをウエブ上で公開している県があります.一方で試験場の売店でコース図を売っている県もあります.あるいは「試験場に地図を貼付して公開しているだけ」もあるようです.

 同様に車校でもYouTubeなどで試験コースを公開している,手順(ここでウインカーを出す.ここで中央線に寄る,首を振る位置や右左折するコースはこの付近等)を含めて映像を見せている車校も複数見られます.コースを公開してくれる車校は,入校者も多いのでしょう.でも地元にないのであればしかたがありません.

 車校によって「法規走行」と「課題」との順はバラバラです.今回のC校(繰り返します.頭文字ではありません.A校は入校させてくれず,B校には小型AT教習がなかった.三番目に入れてくれたのがC校です)は,「4輪コース(含二輪用S字クランク8の字)」が終わってから検定課題(急制動,平均台,スラローム,波状路:これらはすべて二輪専用コースにあります)になります.

 私は坂道を下って,再び信号のある交差点を抜けて見通しの悪い交差点です.そこを曲がって一時停止に向かいます.

 一時停止.しっかりと左足をついて首をブンブン振ります.ただしゆっくりと.どうせ自分が最後の受験生です.750や400といった方々はすでにおわっています.踏切同様に時間をかけます.しかし重いヘルメットをかぶった59歳.あとでむち打ちにならないでしょうか.

 右折して外周道路から二輪コースに戻ります.

 

 検定員「では,急制動の位置についてください.私が合図したら発進してください」

 

 わたしは緊張のあまり,そばに検定員が並走してたことをいままで忘れていました.大きく息をつきます.よく言えば集中力.実際には「状況判断ができなくなって,苦手ではない1コースをまわっていた」だけのトシヨリです.前頭筆頭リード125と一緒に.

 検定員の二輪車がはるか前方に走り去ります.いま私がいるのは「なんどやってもできなかった8の字」のそばの松の木のわきにあるスタート位置です.車校に早く着いたときに眺めていた急制動の教習位置です.

 今の私はただ前をみるだけしかできません.トシヨリでこれならば,時間の流れを感じる17歳のかたには検定員が合図をするまでの時間がどれだけ長く感じているのでしょう.

 検定員が片手をあげます.教習と同じ手順です.右を向き,左を向き,前方遠くを見ます.右手のハンドルを回します.前頭筆頭リード125がいい音を出して発進します.いつもと同じ,前方の2本のパイロンを速度計を交互に見ます.映画のコマ落としで撮影している「平和鳥(へいわどり)」のようでしょう.

 平和鳥を知らない? そのことはいまはいいです.まずは検定試験.

 目が悪いので速度計の数字の位置ははっきりとは見えません.針が10時の方向より上,ということが時速35kmくらいなのでそれを目安にします.前方,速度計,前方,速度計.

 

 パイロンのわきを感じて.

 両手のじわじわブレーキ

 

 ...停まりました. 3本ある白線の一番手前より前です.

 

 大きく息をつきます.ふたたび左右を見て発進.スラロームのわきを抜けて平均台(一本橋)に向かいます.

 炎の八日間.事実上最後の課題に向かっています.

 

 


小型AT限定二輪免許の話 (052) 「卒業検定 受験(07)」

2022-09-24 20:24:54 | バイク

 

 私がこどものころ.昭和40年代の.家から乗る国鉄駅(JR駅)では貨物列車をよくみかけることがありました.

 茶色い電気機関車やオレンジと白色のディーゼル機関車が,いろいろな種類の貨車を連ねて走っています.茶色い電車(車両の半分は幕で仕切られて荷物を載せていました)を駅で待っていても,駅のわきの線路に当たり前に貨車が停まっていたものです.いまでは信じられないことですが,蒸気機関車が貨物列車を引いていたことも見た記憶があります.調べてみると小学校あがったころまでは家のわきの路線で運用されていた形跡があります.鉄道は大変重要な交通機関です.

 いま車校の卒業検定でその「踏切」を渡ろうとしています.2020年代では貨物の輸送は陸路トラックです.私は中型8tMT免許です.だからどうした.運転できるものなら宅急便の大きなトラックを車庫に入れてみろ.ゴメンナサイ.できません.

 その踏切を越えるべく試験車を走らせています.右ウインカー.右に首を振る.中央線によせて踏切への右折の体勢にはいります.

 右に首を振って,中央線のとぎれめの部分を通って右折.踏切に向かって進みます.停止線で停まります.

 

    右折ウインカーを切っていない.

 

 踏切に停まるために減速する.その時に気が付きました.すぐにウインカーの真ん中をおして消します.停止線で一時停止.

 

 落ち着け.まだ大丈夫だ.

 「老人力」といったのは20世紀末です.超芸術家赤瀬川源平氏の言葉です.モウロクしたことを自信をもって言う表現です.まだその域には行っていません.気が付きました.すこしは若い力が残っています.「無知の知」 思い出しましょう.

 一時停止.トシヨリらしくゆっくりと右を向く.またゆっくりと左を向く.ゆっくりを首をあげて左上の「阪神タイガース柄のバツ印踏切の標識」を見ます.もう一度右を見て,サドルに座りなおして踏切を越えます.加速しません.同じ速度で.

 二輪スラローム課題ならば大幅な減点,というような時間をかけています.あるいは大型二輪平均台なら余裕をもって合格,という時間.私の教習時間には悠久の時が流れています.

 左右が優先道路という交差点を抜けて坂道に向かいます.もちろんここでも首をブンブンふります.

 

 坂道.前の方がポールを行き過ぎているのを見ています.しかし改めてウエブサイトで「二輪卒業検定」などを検索しても,「坂道発進」というのは「発進できればいい」のであってその場所は大きな問題ではないようです.YouTube「ツキノワ教習所」の二輪検定コース動画では,坂道発進の停止指示位置を示すものがありません.たんに坂道の途中でとまって,再び発進しています.

 2本あるポールの下のほう「2輪」と書いてある場所で停止.右,左,右を向きます.サドルを深く座りなおして両手を水平に.視線を山の上に.身体を前かがみにして右手アクセルを回して左手ブレーキを離します. ゆっくりとスタートしました.

 ATです.昭和時代に四輪免許取得時に経験した「半クラッチ,左手ハンドブレーキはずしながら発進」はありません.ATでよかった.

 坂道の頂上はT字路(自車はまっすぐ進行)なので,すこし速度をゆるめて徐行して坂道を下っていきます.

 法規走行はもうすぐ終わります.

 

 


小型AT限定二輪免許の話 (051) 「卒業検定 受験(06)」

2022-09-23 21:00:35 | バイク

 

  斗折蛇行

  またトシヨリがわけのわからないことを言っています.自分の知っていることだけを話し,「自分が知らないこと」を知らない.高校の時にソクラテスのことぐらいは聞いたことがあるはずですが,忘れているのです.「無知の知」.17歳の時に理想としていたことが,60歳では脳の中にもうないのです.

 再記;斗折蛇行(とせつだこう)

 「斗」とは北斗七星のことです.アジアでも欧州でも,北半球の北緯23度-77度の間ではポラリス(北極星)を「北」を示すものとしています.ひでぶ.

 この四字熟語は「繰り返し曲がっていく道.蛇が通った後のように」ということです.似た言葉に「羊腸小径(ようちょうしょうけい)」があります.唱歌「箱根八里」に出てくる言葉です.これは「とにかく曲がりくねった道が続いている細道」のことです.函谷関もものならず.

 

 今信号のある交差点を過ぎて,左折してクランクに入ります.これが「斗折蛇行」です.出口は右折なので左手を見て右ウインカーを点けます.

 パイロン(三角コーン)の位置は頭には入っています.まず門番として入り口に一組.これを通過します.次の右折の前にもう一組立っています.これはギャラリーです.

 今日の自分は「運転の先のほう」を見ることができています.自分の進むべき進路(道路のわだちのあと:多くの諸先輩方が大中小各種二輪で通った痕跡」が見えます.多分前回の「2段階見極め」でもできていたのでしょう.今日はそのことを認識して走っています.右折の直角のところにあるパイロンも位置関係がわかります.曲がる方向を見ると二輪車は自然とその方向に曲がります.そのうえで,次の左折直角と自分の乗っている前頭筆頭リード125の後ろの部分にも目を送ることができます.2m幅のクランク道路と直角部分の「ルート2」たる2.8mということがわかります.その余裕をみることができます.ソクラテスだけでなくピタゴラスさんにも感謝しましょう.

 一夫関にあたるや万夫も開くなし.何を言う.パイロン何者ぞ.開いて見せよう.わしらが奇跡だ.大天使だって笑っていますとも.

 次の直角左折までの間の多数のパイロンは,私を応援してくれれる観客です.教習初期には「このパイロンは人間.ぶつかったら事故」というおそろしいことを指導されました.いまは応援してくれるギャラリーです.左折します.再びルート2たる2.8mの位置を左視線に感じて進みます.

 

 通過できました.

 

 出口を右折です.ここで油断が出ます.右折する際に左に揺れました.自分の感覚では車体が大きく左に曲がりながら右折していきます.よくころばなかったものです.足は走路につかなかったはずなので「検定中止」にはならないはずです.しかしこのふらつきは,どの程度の減点なのでしょう.いまは前へ進むだけです.一時停止で首をブンブン右左に振って右折.外周道路に入ります.

 しばらく走ると障害物です.自転車が置いてあります.公道ならば警察に通報されてもしかたがない置き方です.この場所は検定コースとしてあらかじめわかっているべき項目なので,さきの一時停止の後すぐに右ウインカー,首を右に振る,自転車の手前で左ウインカー.左を向いてキープレフトに戻ります.

 このあとが「1号」コースの「踏切→坂道」です.須羽ミツ夫になります.

  

 

 

 

 

 


小型AT限定二輪免許の話 (050)  「車校 entracte(004)」

2022-09-22 21:09:00 | バイク

 

 50回も同じ話を書いています.

 トシヨリの話は長い.トシヨリは自分の話ばかりして相手の話を聞かない.相手が言ってきても,耳が遠いので聞こえない.

 老害です.自分でもこんなに長くなるとは思っていませんでした.こういう余計なことを書くから長くなるのです.本文だけ.サマリーだけ.いい文章は「報告書」や「論文」の書き方.タイトルを見ただけで内容がわかること.結論が最初に書いてあること.etc.

 それができないのがトシヨリです.

 

  前に書きました「ポツダム免許」の話をもう一度書きます.この画像は妻の父親が生前持っていた免許証の複写です.「普通」「大自二」の二点が書かれています.妻の小さいころに,実家には小さな自動車(どうやらスバル360)があったということでした.義父の免許は「軽免許」というものだったのでしょうか.昭和39年という記載がありますので何か駆け込みで取得したのかもしれません.いまとなっては歴史の遠くにいってしまっている話です.手元にあるのは,仏壇にしまっているこのポツダム免許のコピーだけです.もっと長生きしていたら「中型(8t)」+「大型自動二輪」という立派な運転免許になっていたでしょう.

 

 さらに私の持っていた古い免許証(平成になって更新したもの)についても少々. (こうやってトシヨリの話は長くなっていきます.ののちゃんの小学校の校長先生もこのパターンです.) 

 当時の東京・府中の運転免許試験場に行くには,駅からバスで行くのが一般的な方法でした.そのバスの経路では,試験場のバス停の一つ手前に「運転代書」という名前のバス停がありました.昭和時代に東京の車校(教習所)を卒業したかたがたは,卒業証明書(とほかの書類)をもって学科試験のために府中試験場に行く際に「バスで行くかたは”試験場前”で降りてください.そのひとつ前に”運転代書”という似た名前のバス停がありますが,そこでは降りないでください」といわれたそうです.

 「運転代書」という名前のバス停.昭和(平成のはじめ)時代の府中の試験場のまわりには,行政書士事務所(いわゆる代書屋さん)やメガネ屋さん,写真屋さんなどがずらっと並んでいました.その「運転代書」バス停の前はおおきな広場があって車を止めることができます.昭和時代の運転免許証は記載する書類をそのまま印刷していたので,「手書きのひとはその手書きのまま」免許証が作られてしまします.「汚い字」と「犯人写真」(これは2枚持って行って一枚を申請書類に,もう一枚をの運転免許証に貼ります)の組み合わせで3年間笑える運転免許証ができあがります.

 すくなくとも「字のほうはなんとかしたい」という方目的で,「和文タイプライター」(これも知らない人がいますね)で書類を作ってくれるのが行政書士の方々です.

 またほかの手続き(失効など)は手続きがややこしいので,まとめて行政書士の方に頼むのでしょう.また駐車場を利用するためにこの「代書」を利用する方々もいらっしゃったでしょう.

 警察署のまわりにも「代書・保険」というような店舗もありました.これも昔の話です.