今日はあの子の五七日。これについてはまた後で書くけど、その前にちょっとだけ。
今朝、久しぶりにアンジェラ・ヒューイットの弾くバッハを聴いてる。
以前にも書いたけど、あの子が調子を落としてから約一ヵ月、毎日午前中はずっとヒューイットの弾くバッハのピアノ曲を流していた。一番の理由は、あの子が少し穏やかになるように感じたから。
そして、あの子が亡くなってからは、それがマーラーに代わった。これは、儂の気持ちに一番寄り添ってくれるように感じたから。
今朝バッハをかける時、「悲しくて聴けなかったらどうしよう。。。」と思いながら聴き始めた。
でも、不思議とそうはならず、ただ静かに心に沁みたので、少し安心した。
音楽って、なにかイベントがあった時に聴いた同じ曲を後から聴くと、その時の感情が蘇ってくることが多い。
でも、例えそれが悲しい記憶でも、その曲を聴けなくなるっていうのはイヤだなと思っている。
今までの儂の人生で一番悲しい思い出の曲は、大中恩の「わたりどり」という合唱曲。
今から35年ほど前のこと、大学時代に合唱を通じて知り合いになった友人が突然亡くなった。まだ大学院生だった。
彼は儂とは別の大学の合唱部に所属していて、儂の大学の合唱部とも、時々一緒に練習したりステージに立ったり、一緒に合宿したりもしていた。
こんなことを言うと怒られそうだけど、実は自分の大学の友人達よりもそこの連中の方が、たくさん合唱や音楽の話ができて、一緒にいて楽しかった。もちろん亡くなった彼もそうだった。
その彼の葬儀の時、火葬場で歌ったのが「わたりどり」。ボロボロに泣いていたので、ほとんど歌にはならなかったけど。
今でもこの曲を聴いたり歌ったりすると、あの時の悲しい記憶と映像だけがはっきりと蘇る。でも、悲しくて聴けない、歌えないということはない。
儂、これが音楽の持つ力なんじゃないかと思ってる。
これ、学生時代にママが彼からもらった人形。
ちなみに、儂とママは同級生でママも同じ合唱部w。
裏には彼の似顔絵とメッセージが書かれているんだけど、もうかなり古くなっちゃって読めなくなったなあ。
あの子の五七日のことやバッハのピアノ曲のことを考えているうちに、なぜか、連想ゲームのように彼の事が思い出された。
これもなにかのご縁かなと思ったので、心のままに書いてみた。
つまらない話ですみません。こういう昔話をするのは、年取った証拠ですわ。
思います。私のなんかに比べたら
深くて重い、貴重なお話でした。。
聴くと、思い出がよみがえってくるってわかります。
音楽の力はすごいですよね。
カエルのおみやげ、可愛いですね(*^^*)
音楽って、辛いことを昇華させるための触媒なんじゃないかと思ってるんですよね。
でも、もちろん人それぞれですし、昇華できるにしても、やっぱり時間がかかることも多いと思います。
音楽って、直接何かをする力はなくても、その力を引き出すことができると思ってるんです。
sanchaさんのお話はとても楽しいし、新しい発見がたくさんありますよー(^O^)
私はご存じのような状況なので、どうしても暗くて重い話になってしまいます(;'∀')
ホント、音楽の力ってスゴイと思います。
このカエル、もらっておいてよかったなと思っています。
ままさんと、tristanさんパパさんは、同級生同士なんですね♪
そして、合唱部!歌うのお好きなんですね〜
今も2人で歌ったりするのかな?
同級生同士だと、色々話が合っていいですよね^^
大学生で亡くなるなんて、、、
若過ぎますね…
私も中学時同級生が亡くなってしまい、いまだにその時の衝撃とか、悲しみが忘れられません。この先長い人生に、その子だけが成長しなかった事とか時々思い出します。
年齢はちょっと違いますがw。
ママはまだ合唱を続けていますが、私はもうやめました。
歌うのはかなり体力が必要なので、私はもう無理って感じです(^^;
彼が亡くなった時は本当に驚きました。
命って、いつかは必ずなくなるものだということは、頭ではもちろん、気持ちの上でもよくわかってるんです。
でも、その「いつか」がとてもとても重要なんじゃないかと思うんです。
決して年寄りは亡くなっていいという意味ではありませんが、やはりそれなりの“時期”というものがあって、それによって納得できるかできないかが、ずいぶんと違うのかなと思います。
そういう意味で、あの子はまだその“時期”じゃなかったと思ってしまいますし、きっと小豆ちゃんもそうだったんじゃないでしょうか。
まあ、それも併せて納得しなくちゃいけないのかもしれませんが。。。