わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから復帰中の父たまに娘が日々の出来事や想いを書いてます
ほぼはちゅ達時々マリノスたまに音楽医薬世の中のこと

またわけのわからないことを #3

2022-09-23 17:12:15 | ウチの子たち
わけのわからないことの3回目。

今日はまず、儂自身のことを少し。

前回の記事に、「親が亡くなっても悲しみを感じない人がいるみたい」と書いたけど、実は儂もその一人だったかもしれない。

儂の父親は88歳で亡くなった。10年程認知症で、母親がずっと自宅で介護していた。そして、亡くなる少し前からは他の病気を併発して入院していた。
その病院から、突然、父が亡くなったという連絡があった。それまでに「そろそろかもしれません」と言われたことはなく、家族にとっては、文字通り突然死だった。詳細は書かないが、主治医から亡くなった時の説明を受けた時に、「医療ミスと言えば言えるかな」と思える状況だった。
病院からの連絡は儂の携帯電話にだった。まず母親に連絡したらしいが、繋がらず、儂の電話にかけてきたようだった。その時儂は車を運転していたので、妻が代わりに電話に出た。そして「お父さん、亡くなったって」ということを聞いた。それから急いで病院に向かうために高速に乗った。でも 、気がついたらまったく違う方向に進んでいた。今いる所から病院にはどう行けばいいのか、そういうことすら考えられなくなっていたんだと、後から思った。よく「頭の中が真っ白に」と言うけど、こういうことを言うんだなと、よくわかった。
亡くなった連絡を貰った時にはこういう状況に陥った。でも、その後はほとんど悲しみを感じなかった。父親は家族の誰にも看取られずに亡くなった。しかも、もしかしたら医療ミスによるかもしれない突然死だった。それにもかかわらず、あまり悲しいと感じなかった。ぼあちゃんが亡くなってから流した涙の量を思うと、父親には大変申し訳なく思う。
別に覚悟していたとかいうわけではない。ぼあちゃんの時の方がよほど覚悟していた。
でも、父親は十分に生きたと思うし、晩年は認知症でまったくコミュニケーションがとれなかったし、介護をしていた母親のことも、このまま介護が続くと母親が大変だなと思っていた。多分、こういう思いが絡み合って悲しみの気持ちが薄れたんじゃないかと思うけど、よくわからない。そんなことではなく、単に儂が薄情なだけなのかもしれない。

また、儂の祖母は83歳で亡くなった。今から50年近く前の83歳なので、寿命を全うしたと思う。やはり晩年は認知症で、この時も、亡くなるまでずっと、母親が仕事をしながら自宅で介護していた。
亡くなる数日前、主治医から「あと2、3日です」と告げられた。そこで、当時浪人生で一番自由だった儂が、夜通し、寝ずに祖母の枕元にいた。そして、まさに亡くなる瞬間に立ち会ったのは儂だった。
儂は子供の頃に両親が働いていたので、この祖母に大事に大事に育てられた。だから、亡くなった時はものすごく悲しかった。ただ、その悲しい気持ちはわりとすぐに薄くなった。この時、悲しさがあまり続かなかったのも、父親の時と同じようなことが理由だったのかもしれないと思う。ただこの時は、悲しみの代わりに、どうしようもない寂しさがずっと後まで残った。

最初の記事に書いた、「寿命と言われるような年齢で亡くなった場合には、『時薬』の効果が出て来るのが少しは早いのかなと思う」というのは、こういった経験からも来ているのかもしれない。
亡くなった時の悲しみがどんなに深くても、寿命を全うしたと思われるような年齢で亡くなると、もしかしたら、自分を納得させやすかったり、あるいはあきらめがつきやすかったりするのかもしれないなと思ってる。
つまり、「もうこのくらいでいい・・・」ということかな。
これ、もちろん自分自身もそれでいいと思ってる。むしろその方がありがたい。

ただ、これがペット(やっぱりこの言い方は好きじゃない)の場合には、事はもう少し複雑になってくるんじゃないかなと思ってる。

ぼあちゃんが亡くなったのは、推定5歳。フトアゴの寿命は5~10歳と言われているので、まあ寿命と言えば寿命だった。でも、あと2、3年位生きてくれていれば、本当に寿命で亡くなったんだなと思えたかもしれない。(と言うことは、やはり今はそう思ってないということなのか。。。)そしてもしかしたら、今よりも多少は納得しやすかったかもしれない、、、なんて、おそらくそうはならなかっただろう。なぜなら、

あの子は儂にとって子供のような存在だったから。

確かにあと2、3年生きてくれれば、人間の年齢で言えば儂よりも高齢者だった。でも、儂はあの子を子供のように思っていた。
誤解を恐れずに言えば、ペットを失うというのは、子どもを失うのと同じようなことなんじゃないのかなと思う。
もちろん、世の中のペットと飼い主(この言い方もあまり好きじゃない)の関係はいろいろだろうから、一概には言えない。ましてや子供の場合の辛さは比較にならないほどのものだろう。ただ、例え比べようがないほどの差はあっても、両者には何かしら相通じるものがあるんじゃないのかなと思う。

また「まる🐾ありがとう」から引用してみる。
~(前略)~昔の人の意識にごく自然に備わっていた死に対するある種の諦念が希薄となり、生への期待が極端なまでに高まっていった。
ペットロスという概念も、おそらくその延長線上にある。動物を飼う目的が使役だった時代には、飼い主は恬淡としていたが、愛玩動物は心の拠り所となりやすい。そうなると感覚的には、ペットの死も肉親の死に近くなる。突然訪れた身近な死は、すぐに受け入れ難い。それが人だけではなく、同居する動物にまで広がったのが、ペットロスという現象なのだろう。
(P.56~)
これが書いてあるのは「人命は地球より重いか」というタイトルの章で、この文章の前にそのことが書いてある。初めから引用してしまうと長くなってしまうし、著作権のこともあると思うので、最後の部分だけを書いた。でも、養老先生が言いたかったことが正しく伝わらないかもしれないので、やはり本を読んでいただきたいと思う。

また、前回の記事に書いたペットロスに詳しい精神科のDr.は、
「愛していたものがなくなる」とき、我々の心や身体にはその影響が出る。これを「喪失反応」という。「喪失反応」は、相手が、肉親、兄弟、配偶者、子供、友人、大切なモノ、自分の身体等のいずれでもだいたい同じ経緯を保つ。この中で一番つらいのが「自分の子供がいなくなること」であり、これだけは別格の極端な辛さが生じる。いずれにせよ、「喪失反応」は、個々で強さや時間経過は異なるが、「なくてはならないもの(あって当然のもの)」である。
といったことを書かれている。これは儂が文意をまとめたものなので、できればDr.の書かれたものを直接読んでいただきたい。

これらを読んでわかるように、今はペットの死は肉親の死と変わらなくなっていることがほとんどなのだと思う。それも、ペットが子供のような存在だった飼い主が多いのではないのかなと儂は思ってる。少なくとも儂はそうだった。
だから、ペットの場合は、実年齢とは関係なく、そう簡単には「もうこのくらいでいい・・・」と納得できないことが多いのではないかと思う。

これくらいが前回の記事で書き残したことかな。最初の記事の最後と同じで、「だから何?」という感じだけどw、結論のようなものが書けるとは端から思っていなかったし、儂はこう思うこう考えるということを、なんとか言葉にしたいと思って書いてみた。

儂は今回のことで、あらためていろいろなことを学ばせてもらったり考えさせてもらった。その中で、ぼあちゃんを失ったことを、まだ完全には受け入れられていないことに気づけたのは、儂にとっては有り難いことだった。
そして、最初に書いた「生者必滅会者定離」が当たり前のことなら、今回のような話をもう少し普通にできるような世の中になるべきだと、強く思った。そうすれば、いざという時に、今よりは少しでも悲しみや辛さを減らせるんじゃないのかなと思う。

それから、これはペットロスのことではないんだけど、ペットの死と肉親の死がほとんど変わらなくなっているのであれば、ここに書いてあることも何かの役に立つかもしれないと思うので貼っておく。

そしてまた、

去年の今日のぼあちゃんの写真全14枚を時間順に。

7時26分 お目覚めから1時間ちょっと経った頃、"居間"で。


7時55分 ベランダの夏用ネットケージ。


9時27分 ベランダの夏用ネットケージ。お日様に当たってちょっと暑い?


10時49分 廊下に出ようとして出ず、この後キッチン侵入。


10時58分 ママにキッチンから強制排除されたけど、"居間"でご飯。


11時55分 ケージのスロープに上って膠着。


12時16分 "居間"でランプバスキング。


12時55分 ベランダに直接出ると、


12時56分 ちょっと警戒態勢でウロウロ。


1時2分 大分慣れて来た?


1時39分 やっぱりケージの中が安心かな?


2時30分 「お日様気持ちいいわ~」 でぷっくん。


3時39分 葉っぱで釣ったら渡り廊下まで来た。でも食べたらまた戻っちゃった。


4時22分 部屋に戻って来たところで儂が抱っこ。


5時半頃にはZzz...になってので、ケージの寝床に戻しておやすみなさい。



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6 コメント

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Unknown (団長)
2022-09-24 06:40:19
今回の日記読んでたら何か泣いてしまった。
Wさんの事とか、自分のばあちゃんの事とか思い出してしまった・・・。
人が亡くなる、何かの縁でTri爺みたいに出会って家族になったボアちゃんや、Tri爺みたいに出会って家族に迎え入れた小さな家族が居なくなる人たちの寂しさって、個人的には同じだと思ってる。
家族なんだから。

死との向き合い方は勉強していかないとなぁ~。

ぐちゃぐちゃな感情だから、これ以上書くのは辞めた。
返信する
>団長 (Tristan)
2022-09-24 08:22:49
コメントありがとうね。
記事にも書いたように、こういう話って端から「見たくない、聞きたくない」って目耳を塞いじゃう人が多いと思うんだよね。
縁起悪いとか気持ち悪いとかいう人もいると思うんだ。
でも、儂はそれは絶対に正しいことじゃないと思うの。
養老先生じゃないけど、「じゃああんたは死なんでくれ」って、マジ思うわ。

良いことか悪いことかは別にして、現実問題としてペットも家族だっていうケースがほとんだと思う。
だから、その動物が亡くなれば、人と同じように悲しいのが当たり前なんだよね。
そう考えると、実は昔よりも自分が向き合わなければいけない「死」の数って、増えてるんじゃないのかな。
だから、ホントは見たくない聞きたくない考えたくないじゃ済まないんだと思うんだけどね。

団長の言う通りなんだよ。
こういう話って頭がぐちゃくぐちゃになるの。
自分に直接関係のない普通の時でさえそうなんだから、こういうことを考えることを遠ざけてると、いざという時にはもうどうしようもなくなると思うのよ。
だから、普通の時から考えたりしてないとダメじゃないかと思うわけ。
返信する
Unknown (団長)
2022-09-24 10:20:55
死については、自分のメンタルの事とかで色々考えたな。
自らとかナーバスな事も含めて。
ちょっと脱線するが、昔ゲームを買ってもらう時に両親に格闘ゲームや人を倒すゲームはダメって言われてたんだよ。
まぁ~もともと得意ジャンルじゃなかったから、気にしてなかったが簡単に人を殴って、ボコボコにして結果死んでもゲームみたいに生き返る事は無いんだって事を教えてくれてたけど。

生きているからこそ、いずれ来る死って悲しい事なんだが俺は最近は死は親から貰った体と名前からからの引退だと思う時がある。

もちろん何だそりゃって思われるかも知れない、サッカーして自分なりに解釈したのは。
人生、生きてる時間はプレータイムで生活しているのがフィールド。
自分がプレーしている間に色々な選手と出会って、自分なりに感じて上手くなりたい、こう言うプレー上手かったなとか感じながらプレーする、それが人として成長していく。

カズさんじゃないけど、もっと上手くなりたいって気持ちは生きる部分で生活していく部分で大事な事で(どう大事なのかは説明できないが😓)。
死を迎える時って言うのは、悔いやまだやれるって気持ちはあっても体がもうやっただろうって感じなのかなって。

いつかボアちゃんの日記で裁きを受けるってブログ見てさ、どこかであっ❗❗死って悲しいけど、でも引退で次生まれ変わる事が出来たら俺には誰に生まれ変わるか、どうなるかは分からない。

でもサッカーチームに歴史や伝統があるのと同じで、どこかで繋がっていくもんなんだろうなと思う自分が居るよ。(色々な方法で。)

ダラダラ長く書いたが、今だからこそ命や死とかを考える必要があるんじゃないかと思う。

とは言っても、やっぱり死って最初のインパクトは耐えがたいし、どう向き合って良いのか分からないし、唖然としちゃうのもまた本音。
返信する
>団長 (Tristan)
2022-09-24 11:13:05
そう、テレビゲームはリセットできるけど、命のリセットはないって、ずいぶん以前からよく言われてるからね。
これ、実は多分メチャ大事なことだと思うよ。
>死は親から貰った体と名前からの引退
これ、わかりやすいかも。

儂は自分で⚽をやったことがないから、団長の例えは、実感としてはわからない。
でも、感覚的にはわかるような気がする。
>引退で次生まれ変わる事が出来たら俺には誰に生まれ変わるか、どうなるかは分からない
これは仏教でいえば、多分輪廻ということかな?
仏さまの教えだと、本当は輪廻から脱して涅槃すべきなのかもしれないけど、輪廻できるから怖くない、悲しくないという考え方もあるのかなと思う。
まあ次は地獄かもしれないけどね~www。
でも、間違いなく必ずどこかにはつながっていくと思うよ。
なぜなら、肉体が滅びて原子や分子にまでなれば、それがまた次の物質になるはずだから。

>死って最初のインパクトは耐えがたいし、どう向き合って良いのか分からないし、唖然としちゃうのもまた本音
だからこそ、普段からそれを意識する必要があると思うんだよね。
まさしく「メメント・モリ」なの、これが当たり前なの。
(ゲームじゃないよw。)
返信する
Unknown (hajime)
2022-09-24 11:36:51
ペットという言い方は私も好きではないので、ほとんどの場合、数少ないブログの記事ではどら息子とか愛犬と書いていた。
ただしブログのジャンルはペットですが。
群れる犬の特性もあって、ペットではなく家族として過ごしていたんだと思います。
だから亡くなった時の悲しみは、父親が亡くなったのと同じくらいに悲しかった。
ただその悲しみは自分の父親の時より長かった。家業を継いでいたので親父が死んだ悲しみもあったが、とにかく仕事を引き続き進めていかなければならない気持ちもあって悲しみが薄らいでいくのは早かった。
親父の時は、亡くなって半年くらいはよく夢に出てきた。
愛犬の時は一年間はダメだった。生きていた時の食器、リード、何をみても涙が出てしまう。すごした思い出が頭に巡り涙が止まらない。三年経って少しは我慢できるようになったかなとは思った。
でも、いまこうして彼について涙しながらコメントを書いている自分は、やっぱりまだ彼の死を克服していないと思う。
けど、もうそんなことどうでもいいと思います。べつに克服する必要はないし、悲しい切ないといつまでも思い続けていいんじゃないのかなと。
どら息子は今でも年に二、三回夢に出てくる。つい最近も夢を見た。クルマが水没して彼を抱きかかえて外に出た時の自分を見つめている彼の瞳をよく覚えている。目が覚めてその時は涙が出た。
ぼあちゃんの写真を見ていると、無意識にまだTristanさんのところに居るように思ってしまう。だから生きていると思ってしまう。ごめんなさい。Triさんにとってはそれは耐え難い悲しみと辛さなのに。
愛犬は家族が身も守る中で亡くなった。父は病院を見舞った後すぐに病院から亡くなったと連絡が来た。だから看取ることはできなかった。
なんかダラダラと書いてしまいました。当たり前だけど死は誰にでも訪れる。その死が自分にとって受け入れられるか、受け入れらないかはわからない。でもだからといって生き返るわけではないので、受け入れざるを得ない。それが苦しさに繋がってしまうのだと思う。苦しさをどう克服するのか自分にはわからないし、おそらく自分が死ぬまでわからないと思う。死に方も自分では選べない。自分の場合はおそらく病死の可能性が高いと思うけど、家族には負担をかけずに死にたい。それって自分にとっても苦しみなく死にたいという思いの裏返しだと思うけど。
本当に意味もないダラダラとした長文でごめんなさい。
返信する
>hajimeさん (Tristan)
2022-09-24 16:23:55
いろいろ書いていただいてありがとうございます。
m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
大変うれしいです。
意味もない長文なんてとんでもないです。
まず、なんかとても安心しました。
それだけで、もうとてもありがたいです。

お仕事をされていたせいはあると思いますが、hajimeさんもお父さまより悲しみは長いのですね。
まあ悲しさなんて比べるようなことでもないと思うのですが、ペットってやっぱり子供と同じような感覚になってしまいますよね。
>クルマが水没して彼を抱きかかえて外に出た時の自分を見つめている彼の瞳をよく覚えている
こんなことまであったんですねえ。
これはもう子供以上になるなと思いました。

まったく仰る通りで、死ぬのは当たり前のこと。
それを避けることは絶対にできないので、否応なく受け入れるしかないんですよね。
それを受け入れない限り悲しみは続くんだと思います。
私も、特に受け入れようとか忘れようとかしてるわけでもなく、自然に任せていたらだいぶ復活してきたなと思っていました。
でも、今回のことでいろいろ考えて書いているうちに、まだダメだなということに気づきました。
それに加え、あの子がヘンだなと思い始めたのが去年の9月の終わりなので、もうすぐなのですが、その日が近づいて来たら、またおかしくなってきたんですよねえ。
フラッシュバックということなのかもしれません。
さらに、あの子が本格的におかしくなったのは去年の年末からで、それから亡くなるまでの3ヶ月ちょっとが本当に苦しかったです。
だから、その時のことが蘇るとさらに困るなと思っています。
精神的な辛さもあるのですが、身体に出てくるので、それがちょっと辛いんですよねえ。
あと、今はマリノスの試合前も結構つらいですw。
なので、実は、今回も書いたDr.のクリニックに行くこともちょっと考え始めています。

hajimeさん、繰り返しになりますが、今回は本当にどうもありがとうございます。
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