今年なくなった人
その中でも、私にとっては
猪木さんが亡くなられたのが
いちばん辛かった
今回は猪木さんのプロレスラー
とは違うフィールドで戦った
ストーリーを追ってみた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/44/cfa48dd5370bff2b10bf42cdd8086100.jpg?1671374241)
猪木の名文句といえば、引退試合の時、東京ドームで語った
「道」という詩をゆっくりと語った猪木。
「この道を行けばどうなるものか」
「危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし…」
……
「迷わずいけよ、行けばわかるさ、
ありがとう!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e5/c967871c82560ee7802a79a1e46deab5.jpg?1671375114)
猪木詩集「馬鹿になれ」
この詩はあまりにも有名です、
ここではもう一つ
「生きる」という詩を紹介された
花が咲こうが 咲くまいと
生きていることが花なんだ
今いくつもの年を重ね
川の岸辺に目をやると
きれいな大きな大きな
花が咲いている
今日一日、いくぞ、
1、2、3 ダー
猪木は詩人でもある。猪木詩集を出版もした
もちろん私もこの本は持っている。猪木関連の書物はだいたい持っていたのですが
少しずつ断捨離ということで、泣く泣く処分したものも少なくないです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/94/796380da036ab14140b52122fca6d718.jpg?1671374239)
今日テレビの特番で今年1年を振り返る
報道特集をやっていました。予告の時
猪木のあまり知られていない偉大なところ
イラクがクエートに侵攻して多くの日本人が
人質になり、その解放に向け1人立ち
向かった猪木の行動にスポットをあてた
特集を行っていた。もちろん猪木信者の
私には当然の事実として刷り込まれています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7c/4b7dc8c60eaf5669d545ae42c8250a93.jpg?1671374241)
日本人救出に日本政府は何もできず
ただただアメリカとの話し合いの中で
静観をしているしかできなかったのです。
国会議員であるアントニオ猪木が
クウェートに向かうと言うことを知った
政府は、飛行機のチャーターをできないよう
に妨害工作をした。ところが、これに
めげるような猪木ではなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/87/4dbe02c1d9b0690f748cc905a399664a.jpg?1671375934)
プロレス、仲間のレフリー「ユセフトルコ」
の計らいで、トルコ航空をチャーターし
人質の奥さんたちを連れて開くに向かった
のでした。そしてスポーツの祭典を行う
ことを突破口に、粘り強く交渉し、最終的に
全員の人質解放成し遂げたのだった。
テレビのスクリーンショット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/12/ec34e395ead975a36237591fd3711a64.jpg?1671374239)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/7d/50e845cc2c839fc884b96a554f35a4bc.jpg?1671374242)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/0b/519dd6d526cf6cbf409a3f5e83cb5954.jpg?1671374242)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c2/0849dd76ae3a0ae8db45821ee211021b.jpg?1671395998)
再び家族と会って喜び抱き合う人質たち
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0a/1656fe2fc0e02dab3eebc0b34bc9ebe6.jpg?1671374243)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0a/1656fe2fc0e02dab3eebc0b34bc9ebe6.jpg?1671374243)
あっ!筑紫哲也さんだ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f3/f5735cafa46ecd679e6ca6f4fc2ddfd9.jpg?1671374244)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f3/f5735cafa46ecd679e6ca6f4fc2ddfd9.jpg?1671374244)
さすがのアントニオ猪木も、病気には分が
悪く、難病との戦いに最後の闘魂を燃やす
ことになり、最後は病床に伏したまま最後の
外出で、当時イラクで猪木とともに、人質の
解放に向け共に戦った戦友に会いに行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b8/0e00d37d9c1db8f705c9ac24053db3b1.jpg?1671374261)
それが最後となったが、最後に会いたいと
願った人がこの人でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/dd/4e9838027597d6a28545fde59c52cb83.jpg?1671374261)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/dd/4e9838027597d6a28545fde59c52cb83.jpg?1671374261)
そして最後に「生きる」という詩が朗読
された、猪木のプロレスラーとしての
功績ではなく、政治という別のフィールド
で戦った生き様にスポットを当てた編成
私は大いに感動してしまったのであります
私があなたに捧げるために作った曲です
聞いてください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます