またまた日記を少しお休みしてしまいました。
都内にある私立中学の入試が、1日から始まりました。
今年は暖冬なので、雪の中の試験というわけではありませんが
12歳の冬?は、やはり厳しいことには変わりない・・・
悲喜こもごもではありますが、私の担当した生徒さんだけでなく
みんなに良い結果がもたらされますよう、心から願っています。
さてそんな中二月二日早朝、闘病中だった叔父が亡くなりました。
行年63歳。
長年にわたり難病である膠原病と闘い、これまで何度も死の淵を
彷徨いながらも、そのたびに不死鳥の如くよみがえる
とても強い人でした。
生きる!という強い気持ちが、病んだ体を完全に凌駕していたのだと
思わずにはいられません。
ですから今回も危篤の報を受けても、必ずや復活するものと信じていましたが
思いは通じず、残念ながら帰らぬ人となったのです。
私は生まれてから20歳まで、この叔父やその家族である
叔母そして従姉弟と同じ屋根の下で暮らしていました。
事業家である叔父は、まさに仕事の鬼という形容がぴったりな人でした。
仕事にかけての妥協は一切許さず、厳しさは相当なものだったようですが
それとは対称的に、叔父のもつ子煩悩な一面が思い出されます。
特に印象に残っていることといえば、従姉弟たちが誕生した時でしょうか。
最初に女の子が生まれた時。
落ち着かない様子で私のところに来て「なあ、ゆか(私のことをこう呼んでいた)。
なんで自分の子っていうのは、こんなにも可愛いんだろう。
もう可愛くて可愛くて仕方ないんだよ」と、興奮気味に何度も口にするのです。
ゴルフが上手でセリカを乗りこなす、いつものカッコイイ叔父とは
明らかに違う様子に、私も子供ながらにある種衝撃に近い特別な感動を覚えました。
そして6年後には、待望の男の子が誕生。
丁度私の中学入試を終えた直後に誕生したので、この時のことは特によく覚えています。
その時の叔父の喜びようといったら、もう、わが世の春ここに来たれり!
といった感じ(笑)。
叔父の住む1階部分にある事務所のイスに腰掛け、この子にはどんな名前が
ふさわしいか、と一所懸命考える姿が今でもはっきりと思い出されます。
それから幾年月。
2人は葬儀に際し、喪主である叔母を助け、悲しみの中でも常に列席者への心遣いを
示し続け、本当に立派でした。
その様子を、叔父も大満足で天から眺めていたことでしょう。
私はそんな2人が従姉弟であることを頼もしく、幸せに感じています。
遺影の中の叔父は、まさに子供の頃から知っているカッコイイ叔父そのものでした。
私の中では闘病中の姿よりも、そっちの叔父!?のほうがしっくりきます。
どうぞ安らかにお眠りください。
そしてこれからも私たちを見守り、導いてくださいね。
私も精一杯生きることを目標に、頑張ります!
都内にある私立中学の入試が、1日から始まりました。
今年は暖冬なので、雪の中の試験というわけではありませんが
12歳の冬?は、やはり厳しいことには変わりない・・・
悲喜こもごもではありますが、私の担当した生徒さんだけでなく
みんなに良い結果がもたらされますよう、心から願っています。
さてそんな中二月二日早朝、闘病中だった叔父が亡くなりました。
行年63歳。
長年にわたり難病である膠原病と闘い、これまで何度も死の淵を
彷徨いながらも、そのたびに不死鳥の如くよみがえる
とても強い人でした。
生きる!という強い気持ちが、病んだ体を完全に凌駕していたのだと
思わずにはいられません。
ですから今回も危篤の報を受けても、必ずや復活するものと信じていましたが
思いは通じず、残念ながら帰らぬ人となったのです。
私は生まれてから20歳まで、この叔父やその家族である
叔母そして従姉弟と同じ屋根の下で暮らしていました。
事業家である叔父は、まさに仕事の鬼という形容がぴったりな人でした。
仕事にかけての妥協は一切許さず、厳しさは相当なものだったようですが
それとは対称的に、叔父のもつ子煩悩な一面が思い出されます。
特に印象に残っていることといえば、従姉弟たちが誕生した時でしょうか。
最初に女の子が生まれた時。
落ち着かない様子で私のところに来て「なあ、ゆか(私のことをこう呼んでいた)。
なんで自分の子っていうのは、こんなにも可愛いんだろう。
もう可愛くて可愛くて仕方ないんだよ」と、興奮気味に何度も口にするのです。
ゴルフが上手でセリカを乗りこなす、いつものカッコイイ叔父とは
明らかに違う様子に、私も子供ながらにある種衝撃に近い特別な感動を覚えました。
そして6年後には、待望の男の子が誕生。
丁度私の中学入試を終えた直後に誕生したので、この時のことは特によく覚えています。
その時の叔父の喜びようといったら、もう、わが世の春ここに来たれり!
といった感じ(笑)。
叔父の住む1階部分にある事務所のイスに腰掛け、この子にはどんな名前が
ふさわしいか、と一所懸命考える姿が今でもはっきりと思い出されます。
それから幾年月。
2人は葬儀に際し、喪主である叔母を助け、悲しみの中でも常に列席者への心遣いを
示し続け、本当に立派でした。
その様子を、叔父も大満足で天から眺めていたことでしょう。
私はそんな2人が従姉弟であることを頼もしく、幸せに感じています。
遺影の中の叔父は、まさに子供の頃から知っているカッコイイ叔父そのものでした。
私の中では闘病中の姿よりも、そっちの叔父!?のほうがしっくりきます。
どうぞ安らかにお眠りください。
そしてこれからも私たちを見守り、導いてくださいね。
私も精一杯生きることを目標に、頑張ります!