さっき、ツイッターでフォローしている方が鉄塔の写真をUPされていた。
それで思いだした。私は鉄塔が苦手だった。
というか、大きいものが苦手だった。
小学生の時、『通学路で怖いスポット』が2か所あった。
そのひとつが『鉄塔が見える道』。
実家から少し離れた場所に発電所があり、その周辺の田んぼの中から、巨大な鉄塔がにょきっとたくさん生えていた。
小さい頃、田んぼのあぜ道が通学路で、その巨大な鉄塔がおもいっきり見える場所を通らないと帰れなかった。
なんとかそちらの方向を見ないように見ないように!とあわてて帰った。友達がいるときは気が紛れたけど、
一人だとほんとに怖かった。
もうひとつが、『キツネ顔の山肌』。
ビルなどなく、地平線まで見えそうなひたすら続く田んぼ道、はるか遠くの山々が見える。
その山の一つに、木を伐採して山肌が見える山があった。
その山肌の形が、どう見ても目のつりあがった巨大なキツネの顔に見えたのだ。これは怖い。
しかも、ずっとこちらを見てるような気がするのだ。(走っても、見えている月がついてくるような気がするように。)
田んぼ道を、顔を伏せてひたすら走って帰った。
しかし、中・高校生になると、そんなことを感じている暇もなくなっていた。だからずっと忘れていた。
美術科初任のとき、授業で「幼い頃の感覚を絵にしてみよう」という課題に取り組んだことがある。
暗闇から何かがのぞいている、友達と遊んでいて、知らない子がいつの間にか混じっている、
音楽室のバッハの肖像画の目は確かに動いた・・・。
星新一さんの小説に、地球から宇宙に『堕ちて』いくという話があった。それを読んだ後はしばらく空が怖かった。
幼い頃は、世界が謎に満ちていて、異次元への扉がそこらじゅうにあるような気がする。
それを絵にできるか、やってみたかったのだ。
しかしこれは難し過ぎた。勇み足だった。
中学生ともなると、そんなことは忘れてしまうのだ。感じていたことはあっても、遠い記憶の彼方。
イメージスケッチで時間がかかりすぎ、制作での時間がほとんどとれなかった。
なんだかとりとめがなくなってしまった。
想像の世界に行かなくても、怖いものは今では現実にいっぱいある。