こんばんは。商品情報がずっと続いていたので、今日は少し気分を変えて、ちょっと雑談をしたいと思います。
私は何回かの転職を経験しましたが、その中で一番短い勤務となった韓国時代。毎日土日も関係なく四六時中仕事のことを考えている今の状態に比べると全く真逆というか、本当に暇で毎日定時退社をするというある意味非常に楽な勤務でした。かといってすごく厳しい開発ノルマがあるわけでもなく、極論するとただ会社に行ってれば毎月決まった給料が振り込まれるといった感じで、これで文句を言ったら罰が当たると言われるかも知れませんね。でも私を含めて多くの日本人エンジニアが数年で退社しているのが現実で、特にソニー出身者は私を含めて定着率が悪かったように感じます。
ソニーやビクター時代もいろいろ嫌なことは沢山ありました。V社では社内抗争みたいなことも経験しましたし、ソニーでは前からだけでなく後ろからもいっぱい鉄砲の弾が飛んでくることも結構あり、毎日定時なんていうわけにも当然いかないわけで、物理的な条件だけで言えばこちらの方がずっと厳しかったかも知れません。でも今から思えば、それはそれで楽しい思い出となっているのです。
では両者の差は何なのか? 私が韓国文化にあまりなじめなかったことは事実です。確かに韓国の辛い料理が苦手ですし、正直なところ韓国料理でうまいと思ったのはサンゲタンくらいでしょうか。韓国料理でよく使われる香辛料の匂いも苦手です。また彼らのメンタリティやキャラクターもあまり好きとは言えません。(冬ソナのユン様のような感じのタイプの人は少なくとも私の周りにはいませんでしたね。)
でもそんなことは本質的なことではないのです。仕事を進めるうちに気がついたのです。一番大切なことは価値観を共有できるかどうかだと。何か難しい話のように感じるかも知れませんが、話は非常に単純です。要は、自分がいいと思うものに対して心から共感してくれるメンバーが回りにどれくらいいるかということなのです。ソニーやビクター時代には、黙っていてもいい音を出すと「これ、いいよね」と心から喜んでくれる仲間が沢山いました。特にソニー時代、担当者の間でも、「こんなレベルの商品を出してSの4文字を汚すくらいなら、この商品は出さない方がいい」というようなことが普通に会議で議論されていましたし、ソニーとしてこのレベルは絶対に守ろうというような意識を多くの社員が共有していたと思います。この点については、ビクター時代ではなかったことなので最初本当に感動したものです。(もちろん、ビクターがいい加減に商品を作っていたということではありませんよ)
人間は不思議なもので、水や空気がいい例ですが、そのものがあるうちはその有難さを実感できないことがあり、私もこのことに気がついたのは韓国勤務時代、ある開発ユニットを日本のスピーカーベンダーに製造委託の検討をしていた時のことでした。そのベンダーの試聴室で出来立ての開発サンプルを試聴していた時、相手のベテランエンジニアが一言「冨宅さん、これほんといい音ですね」とポツリと言ったのです。そのエンジニアがありきたりのお世辞を言うような人でないことは十分分かっていましたし、またエンジニアである私も彼が本心からそう感じていることは十分理解できました。実際その時のユニットは自分で言うのも何ですが、ほんとうによく出来ていたと思います。この言葉を聞いた瞬間、私は思い出したのです。「そうだ、今までこういう瞬間のおかげで、それまでたまっていたいろいろなストレスも一気に吹っ飛んでいたんだ」と。そう言えばこういうゾクッとするような瞬間が最近ないなぁと・・・。まぁあまり具体的なことは書けないのですが、向こうでは音というような感性が中心のことに関しては「ぬかに釘」というか「暖簾に腕押し」というか、直ぐに「それの特性はどうなってるのですか?」というような発言が出てきて、本当に興ざめすることが結構ありました。まぁ私からすれば「ツベコベ言う前に、先ずこの音を感じろよ!」と。
まぁ今日言いたいのはそんな韓国時代の愚痴ではなくて、今PARC Audioとしてやっている現在の私は本当に幸せ者だなぁということなんです。(ちょっと前置きが長かったですね) だって、沢山のユーザーの皆様から自分の作り上げたユニットやシステムの音を喜んでいただき、その音の方向性に共感していただいている。これって本当に素晴らしいことだと思いませんか。こういうユーザーの皆様と価値観を共有しているという思いは、ソニー時代よりもより強く感じます。思い起こせばPARCを始めた2007年末、まだPARCのことなど誰も知らない時、毎日のようにネットを検索して誰か何かコメントを書いてくれていないかなぁと探していた時、keikさんの13cmウッドコーンのブログを見つけ「このユニット気に入りましたよ」の一言に天にも昇るような気持ちになったことは今でも決して忘れません。「サルもおだてりゃ木に登る」です。(笑) PARCのユーザーにはリピーターの方が多いことも本当にありがたいことだと思います。メーカーにとってはどんな賛辞よりも、また次の商品をご購入いただいたということが最大の評価と感じています。だって大切なお金を使って商品を購入するということは本当にその商品やそのポリシーを気に入っていただけなければ難しいことだと思うのです。
まぁ今日はちょっとまとまりの無いエントリーになっちゃいましたが、今後もPARCはこの皆様との価値観の共有ということを大切にしながら商品化を進めていきたいと思います。では今日はこの辺で。
私は何回かの転職を経験しましたが、その中で一番短い勤務となった韓国時代。毎日土日も関係なく四六時中仕事のことを考えている今の状態に比べると全く真逆というか、本当に暇で毎日定時退社をするというある意味非常に楽な勤務でした。かといってすごく厳しい開発ノルマがあるわけでもなく、極論するとただ会社に行ってれば毎月決まった給料が振り込まれるといった感じで、これで文句を言ったら罰が当たると言われるかも知れませんね。でも私を含めて多くの日本人エンジニアが数年で退社しているのが現実で、特にソニー出身者は私を含めて定着率が悪かったように感じます。
ソニーやビクター時代もいろいろ嫌なことは沢山ありました。V社では社内抗争みたいなことも経験しましたし、ソニーでは前からだけでなく後ろからもいっぱい鉄砲の弾が飛んでくることも結構あり、毎日定時なんていうわけにも当然いかないわけで、物理的な条件だけで言えばこちらの方がずっと厳しかったかも知れません。でも今から思えば、それはそれで楽しい思い出となっているのです。
では両者の差は何なのか? 私が韓国文化にあまりなじめなかったことは事実です。確かに韓国の辛い料理が苦手ですし、正直なところ韓国料理でうまいと思ったのはサンゲタンくらいでしょうか。韓国料理でよく使われる香辛料の匂いも苦手です。また彼らのメンタリティやキャラクターもあまり好きとは言えません。(冬ソナのユン様のような感じのタイプの人は少なくとも私の周りにはいませんでしたね。)
でもそんなことは本質的なことではないのです。仕事を進めるうちに気がついたのです。一番大切なことは価値観を共有できるかどうかだと。何か難しい話のように感じるかも知れませんが、話は非常に単純です。要は、自分がいいと思うものに対して心から共感してくれるメンバーが回りにどれくらいいるかということなのです。ソニーやビクター時代には、黙っていてもいい音を出すと「これ、いいよね」と心から喜んでくれる仲間が沢山いました。特にソニー時代、担当者の間でも、「こんなレベルの商品を出してSの4文字を汚すくらいなら、この商品は出さない方がいい」というようなことが普通に会議で議論されていましたし、ソニーとしてこのレベルは絶対に守ろうというような意識を多くの社員が共有していたと思います。この点については、ビクター時代ではなかったことなので最初本当に感動したものです。(もちろん、ビクターがいい加減に商品を作っていたということではありませんよ)
人間は不思議なもので、水や空気がいい例ですが、そのものがあるうちはその有難さを実感できないことがあり、私もこのことに気がついたのは韓国勤務時代、ある開発ユニットを日本のスピーカーベンダーに製造委託の検討をしていた時のことでした。そのベンダーの試聴室で出来立ての開発サンプルを試聴していた時、相手のベテランエンジニアが一言「冨宅さん、これほんといい音ですね」とポツリと言ったのです。そのエンジニアがありきたりのお世辞を言うような人でないことは十分分かっていましたし、またエンジニアである私も彼が本心からそう感じていることは十分理解できました。実際その時のユニットは自分で言うのも何ですが、ほんとうによく出来ていたと思います。この言葉を聞いた瞬間、私は思い出したのです。「そうだ、今までこういう瞬間のおかげで、それまでたまっていたいろいろなストレスも一気に吹っ飛んでいたんだ」と。そう言えばこういうゾクッとするような瞬間が最近ないなぁと・・・。まぁあまり具体的なことは書けないのですが、向こうでは音というような感性が中心のことに関しては「ぬかに釘」というか「暖簾に腕押し」というか、直ぐに「それの特性はどうなってるのですか?」というような発言が出てきて、本当に興ざめすることが結構ありました。まぁ私からすれば「ツベコベ言う前に、先ずこの音を感じろよ!」と。
まぁ今日言いたいのはそんな韓国時代の愚痴ではなくて、今PARC Audioとしてやっている現在の私は本当に幸せ者だなぁということなんです。(ちょっと前置きが長かったですね) だって、沢山のユーザーの皆様から自分の作り上げたユニットやシステムの音を喜んでいただき、その音の方向性に共感していただいている。これって本当に素晴らしいことだと思いませんか。こういうユーザーの皆様と価値観を共有しているという思いは、ソニー時代よりもより強く感じます。思い起こせばPARCを始めた2007年末、まだPARCのことなど誰も知らない時、毎日のようにネットを検索して誰か何かコメントを書いてくれていないかなぁと探していた時、keikさんの13cmウッドコーンのブログを見つけ「このユニット気に入りましたよ」の一言に天にも昇るような気持ちになったことは今でも決して忘れません。「サルもおだてりゃ木に登る」です。(笑) PARCのユーザーにはリピーターの方が多いことも本当にありがたいことだと思います。メーカーにとってはどんな賛辞よりも、また次の商品をご購入いただいたということが最大の評価と感じています。だって大切なお金を使って商品を購入するということは本当にその商品やそのポリシーを気に入っていただけなければ難しいことだと思うのです。
まぁ今日はちょっとまとまりの無いエントリーになっちゃいましたが、今後もPARCはこの皆様との価値観の共有ということを大切にしながら商品化を進めていきたいと思います。では今日はこの辺で。
深く付き合ったことはないですが、小説やドラマを見るとエモーショナルな演技、描写は日本に無い良い感じなのに、プロットの論理的構築などは重視していないようなので、てっきりSPも聴感重視の傾向だと思っていました。わからいないもんですね。
こういう認識を得た上で自作スピーカーの設計をしていると、例えば板取図を引く際も裁断は業者に依頼する訳ですが、なるべくカット回数が少なく切り易い方へ(業者が仕事しやすいように取り計らい)修正を繰り返し、結果として当初よりも良好な設計ができあがるという実感があります(昔はもっと自分の構想のみで頭が一杯だった)。そうやって設計した箱にユニットを取り付けて良い音が出るかどうかは別問題ですが。
それにしてもこのブログは、今回のようなお話があったり、私も含めたいい加減な自作派に冷水を浴びせかけるような話があったり、他社のユニットを薦めたり、面白いですね。でも文筆に関してはアマチュアである筈の冨宅さんにプロの文筆家であるオーディオ評論家を上回る文章が書けるのであれば、素人の私(一応10作ほど作ってきましたが、ベテラン、達人からは程遠いです)による設計箱が冨宅さん設計キットを凌ぐことも不可能ではない?
最後は冗談ですが、コメントの少なそうなエントリーの際にまたお邪魔させていただきます。
ではまた。
私もフリーソフトを作成してそれを使っている人がいるところを検索して見つけときは、心踊りました^^
ところで別のメーカーのデモの話でも、スピーカーをなぜ中央に向けるのか説明に困ったというのも聞いた気がします。中国だったかな?
中国にピュアオーディオの時代はこないのでしょうかね?すごく大きな市場だとおもうのですが
ちょっと話は変わりますが、梅田のヨドバシカメラはPARC Audioの列が棚に2段と結構プッシュしてくれている気がします。
昔はウッドだけだったのにずいぶん賑やかになりましたね。
後は大阪ではPARC Audioのユニット、河口無線で見ることが出来ました。
音が聞けるのは、河口無線だけかな?
>てっきりSPも聴感重視の傾向だと思っていました。わからいないもんですね。
あくまで私の個人的意見ですが、彼らは数字等で表せるスペックなどには興味を示したり評価をしますが、感性的なことに関しては非常に鈍感な印象を強く受けました。(もちろん私が経験した範囲での話ではありますが) 例えば、日本では職人の技などに対して多くの方が畏敬の念を抱くのとは大きく違う感じでしょうか。スペックで音が評価できるならとっくに最高のスピーカーができているはずですね。そういえば、音の評価をコンピューターで自動で行うということもやってましたが、これなんかも国内メーカーが随分昔にトライして諦めたことなんですが・・・。
>私も含めたいい加減な自作派に冷水を浴びせかけるような話があったり
そんなつもりは毛頭無かったのですが、そういうふうに感じさせていたとしたら、私の不徳のいたすところです。でも本音を隠した何でもOK的な営業トークは苦手なので、お許しください。
>素人の私(一応10作ほど作ってきましたが、ベテラン、達人からは程遠いです)による設計箱が冨宅さん設計キットを凌ぐことも不可能ではない?
はい十分可能だと思います。私はあくまでユニット屋が本業で、システム調整に関しては門前の小僧ですので。漁師料理のような感じでしょうか。 それに、音の世界に絶対にはありません。組み合わせは無限ですし、実際に確認してみないと分からないことは毎回あります。100の屁理屈より、1の実践(確認)です。若い連中にも、「同じ試作回数ならたぶん負けないけど、量で勝負されたらベテランも負けることがあるのがこの世界。だから若いうちは労をおしまず、時間と金の許す限り確認をしなさい」とよく言ってました。
>梅田のヨドバシカメラはPARC Audioの列が棚に2段と結構プッシュしてくれている気がします。
そうでしたか。ヨドバシカメラ様は秋葉店などでもかなりの展示をしていただいており、本当に感謝しています。PARCは地方での販売店が少ないので、やはり全国展開の販売店様は有難いですね。
前から後ろからだけではなくて、横からも、果ては闇からも鉄砲玉を撃たれ続けてきた過去を持つ人間だけに、私はこの国のありように、おそろしく辛口な人間になってしまい、家族からは「性同一性障害」ならぬ「祖国同一性障害」などとからかわれていますが、この国の美点の一つとして、「手の仕事に尊敬の念を惜しまない」という伝統を挙げることはできます。
中国から来た人などと一緒に仕事していて、私の方が年上で身分的にも上にいるにもかかわらず、些末な機械の扱いを私自身がやっているのを見て、「アメリカや中国じゃ秘書がやることでしょ? その時間、無駄と思いませんか?」と尋ねられることはしばしば。
しかし、「いや、こうしている時間に頭の中が整理されて思わぬ知恵が浮かぶこともあるし、全然関係がなさそうなことの間に、意外と似たところを見つけて、後で役に立つことがあるから、こういう時間は貴重なんだよ」と答えると、歴史に詳しい件の中国人いわく「日本人は、昔から手の労働と頭の労働とを差別しないね。中国ではまだまだ手の労働を軽蔑するところがあるから」と納得した様子でした。
理屈抜きにまず手を動かしてみる(実は、当の本人がなかなか実践していないのですが)、ってのは意外に役に立つことが多く、これまでにもとにかくやってみよう、で局面が開けたことはたくさんありました。
音の世界も思い込みや理屈ではなくて「やってみる」が大事、というところはずいぶん経験してきましたが、家庭内となると各方面への気配りが大切で、気をつけないと内乱状態に陥るのは悩むところですね。
理解できました。
彼らは経営や文字や詩文等、管理的抽象的机上的な仕事にステータスを見出し、実技実務であるモノづくりは軽視蔑視する、
伝統的な思考パターンがオーディオ評価にまで無意識にも影響を与えているとは想像もできませんでした。
やはり、郷に入ってみないとわからないものですね。
梅田のヨドバシではPARCさんの10センチ小型黒箱入りが試聴出来ますよ。先週2度目の試聴をしてきました。
以前聴いたときとソフトが違っていたので、今度は、低音もサイズ以上の量感が有ると思いました。切り替えスイッチで十数通りの選択が出来るようになっています。
他のSPではF社の最新BHなども聴けるようになっていまして、それも聴きましたが、
お世辞抜きでPARCさんがダントツのパフォーマンス、鳴りっぷりでしたよ。
近くの人は聴かれるといいです。ショーケースの反対側で、普段は鳴っていないようですが、電源も入っているし、ドンドン勝手に鳴らしても何も言われませんので、気のすむまで聴いてきました。
私も関西が長くなっているので、性格が積極的に成ってきているようです(単に図々しくなっただけか?)
ところでPARC製フィルムコンデンサーはコイズミ無線や六本木工学のHPにも見当たりませんが、どこで手に入るのでしょうか?
外国文化は良く知らないので否定出来ませんが、私の様な零細製造業でも誇りを持ってモノ作りをしています。
また、そうゆう職人気質がある日本に生まれたことも感謝しています。
PARCさんの様な、ハッタリが無く正直な職人気質があるメーカーはとても魅力的に感じます。