撮影して印画紙に焼き付けるまでが写真を撮った者の務めであると、私は考えている。白黒(モノクロ)写真が全盛のころ、自宅に暗室を持っていた。最初は押し入れ、風呂場、そして自宅を新築したのを機に念願の「常設の暗室」を作った。暗室の仕事は、最初の頃は失敗の連続で、フィルムの現像だけはDPE店に持って行くこともあった。それが、火事の撮影で知り合ったDPE店の若い店主と仲良くなってからは、彼の暗室作業の手伝いを條件に、彼の技術を教えて貰った。最初は色揚げからだった。色揚げと云ってもカラー写真ではない。白黒写真である。店主が伸ばし機で露光をし、それを現像液に浸して、適当な濃度とコントラスになるのを待ってバットから引き揚げるのである。自分で判断して引き上げようとすると、店主は横目で私の作業を監督しながら、「まだ早い。もっと押せ」とか、「その子供の写真をすぐ引き揚げろ」とかを早口で命令された。彼は赤坂のDPE店で修業をし、毎日12時間も暗室に入っていたそうだ。その技術の何分の一かを教えて頂いた。暗室に赤色灯を、一灯ではなく二灯付けることも教わった。ときにはフィルムをポケットに入りきらぬほど渡され、結婚式や祝い事の式場に助手として連れて行かれた。「可能な限り沢山撮れ」と云ったのが彼の唯一の注意事項だった。私は28mmの広角レンズをつけて撮りまくった。此のレンズは距離を5メートルに合わせ、絞りをf8にしておくと、手前2,3mからほぼ無限遠にまでピントが合う。当時のレンズは今のようにピントが自動で合うのではないので、シャッターを押す前にピントを合わせる必要があった。だが、此のレンズを使うと、レンズの特性である「焦点深度」を利用して、一々ピントを合わせる必要がなかった。広角なので、被写体に出来る限り近づき、歪みがないように角度を調節するのを心がければよいだけだった。
白黒写真が徐々に影を潜め、カラー時代に入った。私もカラーの現像と焼き付けの技術習得の準備を始めた。而し、問題があった。引伸ばし機はカラー対応だったので、買い替える必要がなかったが、バット(現像液や定着液のプラスティック容器)を買い替える必要があった。白黒写真の場合は液を凡そ20度にしておけばよかったが、カラー写真では厳密に20度でなければいけなかった。一定に20度を保つ「電子バット」が一つ10万円もした。それが最低で5つ必要だった。当時の私の給料は手取りで10万円がやっとだった。分割で購入するにも、家と車のローンでそのようなゆとりはなく、家内のご賛同は到底頂ける状態ではなかった。強行すれば、私は養子ではないが、追い出される危険さえあった。
断念し、撮ったカラーフィルムをDPE店に持ち込んだ。出来上がった写真はどれも不満足であった。海に向かって砂浜に座っている人物を後ろから撮れば、当然背中は黒くつぶれる。だが、私は海を綺麗に撮りたかったので、黒くつぶれるのは想定内であった。出来上がった写真は背中がよく見えるように明るく仕上がり、砂浜と海は白く飛んでしまっていた。私の趣旨を説明し、再度の焼付けに出したが、結果は同じだった。この様なことが何度も続いたので、写真に対する情熱を徐々に失った。唯、子供たちの成長の記録を撮るだけになってしまった。だが、今はデジタルの時代である。パソコンが私の暗室となった。

鎌倉の長谷

豪徳寺


上の二枚は高円寺の南口のお寺。

阿佐ヶ谷のお寺。

杉並の妙法寺。特別に中に入れて頂いて撮った。
ぬくもりを感じる木造建築物を撮りたいと、寺や神社に行くが、最近は鉄筋コンクリートの上に建築物が乗っている。建物を大切に保全するには経費の点からも、土台を鉄筋コンクリートにするのが最適であろう。だが、それでは風情が感じられない。従って、寺に行っても上にあるような写真になってしまう。
白黒写真が徐々に影を潜め、カラー時代に入った。私もカラーの現像と焼き付けの技術習得の準備を始めた。而し、問題があった。引伸ばし機はカラー対応だったので、買い替える必要がなかったが、バット(現像液や定着液のプラスティック容器)を買い替える必要があった。白黒写真の場合は液を凡そ20度にしておけばよかったが、カラー写真では厳密に20度でなければいけなかった。一定に20度を保つ「電子バット」が一つ10万円もした。それが最低で5つ必要だった。当時の私の給料は手取りで10万円がやっとだった。分割で購入するにも、家と車のローンでそのようなゆとりはなく、家内のご賛同は到底頂ける状態ではなかった。強行すれば、私は養子ではないが、追い出される危険さえあった。
断念し、撮ったカラーフィルムをDPE店に持ち込んだ。出来上がった写真はどれも不満足であった。海に向かって砂浜に座っている人物を後ろから撮れば、当然背中は黒くつぶれる。だが、私は海を綺麗に撮りたかったので、黒くつぶれるのは想定内であった。出来上がった写真は背中がよく見えるように明るく仕上がり、砂浜と海は白く飛んでしまっていた。私の趣旨を説明し、再度の焼付けに出したが、結果は同じだった。この様なことが何度も続いたので、写真に対する情熱を徐々に失った。唯、子供たちの成長の記録を撮るだけになってしまった。だが、今はデジタルの時代である。パソコンが私の暗室となった。

鎌倉の長谷

豪徳寺


上の二枚は高円寺の南口のお寺。

阿佐ヶ谷のお寺。

杉並の妙法寺。特別に中に入れて頂いて撮った。
ぬくもりを感じる木造建築物を撮りたいと、寺や神社に行くが、最近は鉄筋コンクリートの上に建築物が乗っている。建物を大切に保全するには経費の点からも、土台を鉄筋コンクリートにするのが最適であろう。だが、それでは風情が感じられない。従って、寺に行っても上にあるような写真になってしまう。
パソコンの暗室は、以前のフィルム時代の暗室とは格段の違いです。印画紙を現像液につけてからは時間との勝負でした。今は時間的制限はなく、ゆったりした気分で処理を行えます。