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第4回目の鎌倉古道山の道歩きです。

2020年02月10日 | ウォーキング
 先月は名栗車庫から青梅線の軍畑を経由して、吉野梅郷一丁目まで歩きましたので、今回(2月9日)はその一丁目から五日市線武蔵増戸を経てJR高尾駅まで歩いて来ました。スタート駅は青梅線宮ノ平駅です。いつも奥多摩登山で通る青梅街道のすぐ脇にある無人駅ですが、今回の鎌倉古道歩きをやるまで、まったく縁のなかった駅です。その駅を午前8時40分にスタート。一旦青梅街道から多摩川に架かる和田橋まで下り、そこから今度は急な坂道を登り、やっと先月の到達点である梅郷一丁目に戻って、午前9時8分に本当のスタートを切りました。


 吉野街道まちやばし交差点から梅郷入口方面を見た写真です。


 梅郷一丁目から鎌倉古道を少し行くと、大久野青梅線に合流して梅ケ谷峠を越します。ここを越えると日の出町です。


 北大久野川に沿って下る青梅大久野線は、東京にもこんな穏やかな山里があるんだ、と初めて知りました。途中長井の大きな茅葺き屋根の家が立派で印象的でした。


 大久野には卒塔婆を作っている工場があると聞いていましたが、本当に沢山の卒塔婆がありました。写真はほんの一部です。


 この卒塔婆工場の所から古道が右に分れますが、上の写真はその古道の一部です。本当に長閑でこれでも東京なんだと、ちょっと東京の見方が変りました。


 平井川に沿って狩宿まで下り県道185号に入り、五日市線武蔵増戸駅を過ぎて行くのですが、今はすっかり新興住宅地となってしまい、新しい家々が軒を連ねて山田大橋まで続いています。山田大橋からは奥多摩の大岳山が良く見えます。この大橋は駒繫石峠の下を貫通する、網代トンネルのすぐ手前まである大きな橋です。古道はそのトンネルの手前から右に上がっています。


  鎌倉古道は峠に至るまで両側がゴルフ場になっていまして、途中から振り返ると北の方には増戸町が、北西方向には奥多摩の山々が連なっているのが見えます。この辺りが峠と思しき所に、畠山重忠の駒繫石と称される三角形の汚い石が藪の中にありました。昼飯時だったのですが、眺望も利かない薄暗い場所でもあり、腰を下ろして休む気も起らず、丁度送電鉄塔が建っている峠の頂上まで上がって昼飯にしました。周囲を林に囲まれて風も無く、温かい陽が差し込む草っ原になっており、一人だけの静かな時間を満喫できました。


 峠を越えて網代トンネルの出口近くに、上のような駒繫石峠への案内がありました。駒繫石峠へはこちらの八王子側から登る人が多いようです。



 トンネル出口からすぐのところに上川霊園があります。そこには私より年齢の高い人なら誰でも知っている、例のラジオドラマでやっていた「君の名は」の原作者である菊田一夫の墓があるので寄ってみました。墓碑にあの有名な「忘却とは忘れ去ることなり」の文句が刻んでありました。



 秋川街道に出てすぐ今度は戸沢峠を越える道に入ると、小さな観音堂の前に鎌倉古道の石柱が立っていました。
まずここまでは間違えずに古道を辿って来たことになり一安心。
 戸沢峠から美山町を通り圏央道を横切ることになりますが、美山跨道橋への入口が判り難く少々苦労しました。跨道橋のすぐ右手に圏央道八王子西ICが見えます。


 下恩方町で浅川に架かる深沢橋(上の写真)を渡り、古道を歩き右にモダンな造りの本妙寺を見て重忠橋に着いたら
広大な八王子霊園で、道の両側は石屋さんがズラリと並んでいました。


 八王子霊園に続き東京霊園、南多摩霊園と中央高速にぶっかるまで続きます。中央高速のガード手前から右に行けば八王子城址です。但し山城なので登るのが大変です。


 左に多摩陵、右に霞ヶ丘団地の切通しを抜けて今回のゴールである高尾駅に午後4時16分に着きました。せっせと歩いたつもりですが、今の自分にはこれが精いっぱい。次は3月にこの高尾駅からスタートです。

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