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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

漁業者 森 13ヘクタール 福岡 『毎日新聞』231005

2023年10月08日 07時10分46秒 | 記録
 森里海連環学。
 それを読んだのは東北、三陸海岸の牡蠣増殖漁業家の記録。森を育てる、その営為を通じて。
 生きる悦び、生きる楽しみ、生きる力強さ&支えられている枠組み。そこに刮目したい。

 ネットで『毎日新聞』が伝えていた。023/10/5 15:53 漁業者 森 13ヘクタール 福岡 『毎日新聞』231005
 漁業者たちが海や川の上流にある森を育てることで、豊かな漁場を取り戻すきっかけに。

 福岡県八女市上陽町の森林を漁協が支流の両岸を購入。
 二つの漁協がそれぞれ7.7ヘクタールと5ヘクタール。あわせて13ヘクタール弱を購入した、と。
 ノリの養殖者らでつくる漁業者が組織する漁協。

 漁業者の信条。
 「水系から注ぐ水が豊かな有明海を育て、その恩恵を私たち漁業者が受けている」。
 「(森林に降った雨は、腐葉土などの栄養分を取り込み)ゆっくりと川や海へと流れ込む」。

 「その栄養分を植物性プランクトンや海藻が吸収し、魚はプランクトンを食べる」。
 「そのおかげで、矢部川ではアユやモクズガニ、ウナギなど、有明海では養殖ノリやアサリ、ガザミなどの漁が盛んだ」。
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江差追分 その源流部は?。江差追分←小諸節←モンゴルの系譜

2023年10月07日 08時28分56秒 | 放送
 江差追分 その源流部は?。江差追分←小諸節←モンゴルの系譜があるようで。

 小諸節→江差追分の系譜は、宮下正司氏が「定説はないが・・・・・・・」。
 江差と小諸節保存会とは交流があるらしい。その保存会副会長が「実は小諸節には、モンゴルの・・・・・」。
 そのあたりの関係を、「ミツカン水の文化史 https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/06.html」で、伝えていた。

 記載あり。
 「北国街道と北前船を経路とし、小室節→追分(現・軽井沢)節→信濃追分→越後追分→江差追分という伝播ルートがおおまかにたどれる」
 「小諸市の御牧ヶ原にあった最大の牧でモンゴルからの渡来人が馬の飼育に携わり、望郷の念に駆られて歌ったのが原型ではないか、と。モンゴルの古謡  『駿馬の曲』とメロディーが酷似しているんですね」=〈渡来人起源説〉
 (正調小室節保存会」の中山喜重(きよしげ)会長)。

 nhk4K「よみがえる新日本紀行」231007
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天命&致命 ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化 知命=50歳の決断

2023年10月06日 06時03分14秒 | 記録
天命&致命 ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化 知命=50歳の決断

 南都北嶺の信仰(律、華厳、法相、俱舎、成実、三論+真言、天台)に「教判=自宗の立場から他の仏教を位置づけ」。
 教判には段階的、統一的とする、他者を肯定する思想がある。
 空海の立場では、1)真言密教、2)華厳仏教、3)法華仏教

 1268年、文永5年。蒙古は国書を本邦に届ける。時に日蓮は48歳。
 まもなく「知命=50歳」に近い日蓮は二つの思いに<かられる>。
 天命=法華信仰を弘めることにささげる。致命=余命いくばくもない今、いままで以上に法華信仰の弘通=ぐずう に捧げる。

 この決意は、「ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化」に展開。
 思想的に「是一非諸 ぜいちひしょ 一を肯定し、それ以外を否定する立場」(ただし「是一非諸」は日蓮を批判し、日蓮を幕府に訴えた人々のキーワード)に傾斜。
 鎌倉新仏教の特質=「選択 せんちゃく」と「専修 せんじゅう」が「教判=段階的、統一的」から「一を選び、(他を)全部否定」の見解に。

 栄西・道元=只管打座、法然・親鸞・一遍=専修念仏、日蓮=専唱題目。訴えをうけた幕府は、日蓮とその門弟、くわえて蒙古襲来にあわせて坂東在住の反社会的=悪党的行動階層を一掃(「文永8年の法難」=佐渡流刑)。
 (高木豊談「日蓮―鎌倉仏教の諸問題ー」 国立教育会館編集『教養講座コース43 歴史を動かしたひとびと』 149~160p)
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遊歩庭園の内苑&葬場の外苑 明治神宮 森 本多静六201103

2023年10月05日 05時50分48秒 | 記録
 遊歩庭園の内苑&葬場の外苑 明治神宮 森 本多静六201103

 体の弱かった昭憲皇太后のために明治天皇が遊歩庭園として整備した東京府下豊多摩郡代々幡町(よよはたまち)代々木に内苑(社殿と林苑)。
 内苑から少し離れた明治天皇葬場殿跡の敷地27.3ヘクタールに外苑を造営。
 (上原敬二)「日本には日本式庭園や神社林、陵墓などの日本独自の造園がある」
 (そこに共通するのは)「生命力を実感させる永遠性や自然性、深い奥行きを感じさせる空間性や精神性」。

 「第三、神社林は多種の樹種で構成する」
 「政治家からは伊勢神宮のようなスギ林にすべきだと強く要請された」が、
 「林学的な見地から、この土地は水分不足であり、隣接地を走る汽車のばい煙により枯死するためスギは不適である。さらに植栽樹木を自然林へと遷移させる」

 1912年7月に崩御されると、翌々日
 東京市長の阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941)や実業家の渋沢栄一(1840-1931)らが「明治神宮の創建」を提唱。
 内苑は国の予算で、外苑は国民の寄付で実現すべきだという方向性までも明記。
 (進士 五十八「明治神宮の森: 林学者や造園家によるナショナルプロジェクト」 2020/6/10  https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00866/)

 明治神宮は二度訪問。
 一度は2002年元日の午前。山手線で訪れた。二度目は2010年のことであったか11月8日のこととおもう。
 今、「エリートの壁」に辞官した人物が、「自然の威力」と「地域の知恵」に刮目しつつ、政権を担うエリートに「イヤとは言わせず」「その通りにしないと国際的に見識が疑われる」に誘導した人物を記載している。
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田村博士の一行 摩周屈斜路調査 310628「阿寒国立公園指定前後」

2023年10月04日 12時49分42秒 | 記録
 田村博士の一行 摩周屈斜路調査 310628「阿寒国立公園指定前後」

 1)大正14年8月16日 阿寒湖の風景は世界に冠絶する 厳正論の美は天下の珍宝 斯界の権威田村博士激賞
 2)昭和2年7月28日  阿寒紹介に保勝会設立 屈斜路湖摩周湖も編入運動 国立公園案内図作成
 3)昭和3 我国に於ける国立の公園問題 本多静六博士「天然公園 九 阿寒湖周辺」 田村博士のまとめた国立公園16候補地
 
 4)昭和6年6月12日  阿寒一帯国立公園期成同盟成る 市郡代表満場一致 費用分担其他スラスラ決定
 5)昭和6年7月4日   浮気は大の禁物 目標は阿寒唯一 これが大成を期する所以 大雪山抱擁は将来
 6)昭和6年6月28日  田村博士の一行 摩周屈斜路調査 絶勝大いに気に行った模様 今朝九時当別発阿寒に向ふ

 7)昭和6年7月9日   調査委員一行顔触 近く来道の国立公園 七日までの決定者は十二名 外に公園調査会幹事も加わる
    (本多静六 含まれる)
 8)釧路全市を挙げ 昨日盛大に祝賀会 阿寒国立公園指定記念 功労者百余名に感謝状 弟子屈川湯舌辛足寄も祝賀

 今年、指定90年に相当。注目される点ではあるも。
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洪水防止、植樹奨励 寛文6年「諸国山川掟」。

2023年10月03日 09時31分22秒 | 季節
洪水防止、植樹奨励 寛文6年「諸国山川掟」。

 大石慎三郎著『江戸時代』で紹介の一節・
 一七世紀末期の江戸幕府の森林政策。時は新田開発進展期で、あいつぎ田畑の新規造成がすすむ。
 ために森林が切り開かれて洪水が現実に発生し、さらに被害が拡大する懸念があった。

 そればかりではなく新田開発が進み過ぎて、労働供給が追い付かず開発はすすむも放置されたままで荒廃地になってしまうことになった。
 幕府は掟書を出す。新田開発により三倍強の耕地面積を確保することができた。
 が、労働力不足を生じただけでなく、山川国土の荒廃と古い田畑の管理低下を結果した。

 そこで「開発至上主義政策」=開発万能主義農政に反省を加え、「本田畑中心主義」=園地的精農主義農政に方向転換する(60p)。

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鉄道開業30年、産業活動支援の機能が集積 1930年比定『釧路市街図』。

2023年10月02日 06時31分58秒 | 記録
 鉄道開業30年、産業活動支援の機能が集積 1930年比定『釧路市街図』。

 釧路駅が現在の位置に移転(1921年12月)、鶴屋百貨店開店(30年9月。
 上水道完成(27年7月)、幣舞橋永久橋か、防火帯としての北大通=黄線 整備。
 翌年9月には釧網本線開通と新釧路川通水が予定されていた。

 釧路駅&幣舞橋を軸にした「中心街」の形成基盤。
 駅をつうじて釧路炭田に位置する諸炭山からの購買・通学・通院乗客。
 魚菜市場、金物、鍛冶。ほかにも運送店、問屋、鉄道工場。

 橋南に発生した諸業種の多くは、住民の生活必需品を賄う民生用であった。
 しかし、橋北に定着した「魚菜市場、金物、鍛冶。ほかにも運送店、問屋、鉄道工場」は、産業活動支援の業務用むけであった。 
 なにより、鶴屋百貨店が開業し、中心街に「買い回り店機能の意味」を与えることになった。

 中心街の中心街たる所以(周辺のみならず、域内からの求心力が確立)

 釧路~白糠間鉄道開業後30年目に発行された市街図。
 新釧路川通水工事がすすみ、至る所にみられた沼が姿を消した。泥炭湿地の乾燥化。未利用地点が、利用可能となった。
 昭和7年8月。50個の行政字名と地番設定が完了し、「自然発生的に拡大した中心街の秩序・体系化」がはかられる
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